二人静

幻夜

文字の大きさ
上 下
25 / 61

二十二、

しおりを挟む



 (わざわざ人通りの無いところへ行くかな)
 旅籠の前を通り過ぎ、雑踏から逸れて。道端の木々の闇に入ってゆく土方の背を見て、斎藤は数十歩後ろから尾行しながら溜息をついた。
 (危険すぎる)
 もし伊東一派が土方暗殺の機会を狙っているとすれば。
 いつどこで襲われるかも分からないというのに。なにをわざわざ人目の無いところへ行くことがあるのだろう。

 ”今、伊東には事を起こす必要があるとは思えない”
 胸に去来する不安と同時に、沖田が言った言葉もまた思い起こされる。
 ・・・本当に沖田の言ったように、土方はべつに伊東一派に狙われてはおらず。全く心配は無いのだとしても。
 (いや、どちらにしても危険だ)
 関所を抜けた先で。人の賑わう歓楽街から外れた場所が。
 (そんな宿場外れの界隈が、どんな場所か副長はご存知ないのか)
 「副長・・!」
 茂みの中へと入るなり斎藤は、見失わぬように土方を呼び止めた。
 振り返った土方は、だが立ち止まらずどんどん闇の向こうへと進んでゆく。
   (っ・・一体なにを考えて・・・)
 膝の高さまでは優にある雑草の中を斎藤はもがくようにして、前へと進んだ。
 土方の脚力に追いつくのが精一杯で、距離は全く縮まらず。むしろ奥へ奥へと入ってゆく土方の後ろ姿が、深い闇に溶け込んでゆく。
 ついには斎藤の視界から消えてしまった。 
 (副長・・っ)
 脚に絡みつく草から懸命に逃れ、漸う進んで暫く、
 (え?)
 突然、
 斎藤の目の前で視界が開けた。

 月の無い闇、
 織りなす幽かな影をまとうように、土方が佇んでいた。
 サンッ・・
 (・・?)
 ほんの、僅かに耳に届いた音に。
 斎藤は愕然と、足下の闇を見つめた。
 潮の匂いも起きない無風の空間で。空との境界、海の果てがどこまでなのか知ることができない闇が広がり。
 (まさか、こんなところに入り江があったとは・・)
 遠くからは闇一色で全く分からなかった。
 今ここにきて微かに聞こえだす波音が、だが確かに此処に海があることを教え。

 土方は斎藤が隣に来ても振り返ることなく、松に凭れかかっていた。
 松を挟んだ隣へと斎藤は移動した。
 「・・・」
 ぞっとするほど静かな海が、手を置いた松の木のせり出す崖下にそびえ。
 吸い込まれてゆきそうな感に、斎藤は思わず身を引いて数歩下がった。

 「ここに総司と来たことがある」

 「・・・」
 不意に囁くように吐かれた言葉が。
 一瞬を置いて。斎藤の奥へと落ちていった。
 (沖田と・・)
 「・・そうですか」
 「何も無かった。あのころは、っこんな・・」
 (え?)
 土方の声が。突然小さく震えて、
 驚いて斎藤は松の向こう側の土方を闇に凝視した。そこに影でしか見えない姿が、
 「そうじ・・」
 静かに、
 崩れるように。啜り上げたのを聞いた。
 「・・何・・で、」

 (・・・副長?)
 震える声の帯びる擦れが、
 「何で・・なっちま・・」
 弱く毀れて。小さく、確かな嗚咽を含んだ。
 (泣いて、いる・・・?)
 がさっと、影が落ち。
 「・・・」
 しゃがみこんだきり黙した土方を、戸惑って松の向こうに見下ろした斎藤へ、
 「いつかの、」
 喉から搾り出すようなか細い声が。暫くして、届いた。
 「いつかの夜は・・すまなかった」
 息を呑んだ斎藤の、
 見守る先で。土方がふらりと再び立ち上がり。
 「帰ろう」
 と小さく呟いた時には、土方はもう歩き出していた。

 脚に纏わりつく草の間を二人黙々とぬってゆく。
 土方が沖田の名を呼びながら泣いたことに、斎藤は戸惑っていた。
 ますます分からなくなってゆくばかり。
 (いったい、どうなってる)
 旅先で沖田が恋しいから、昔ともに来た場所で感慨にふけたのか、だが、
 (とてもそんな感じでは・・)
 恋しくて泣いたとしても今京への帰路をゆく以上、あんなに痛みを曝け出すように泣くだろうか。
 それに、僅かに漏れ聞いた言葉、
 『何で・・なっちま・・』
 ”何で、なっちまったんだ”
 (と、言ったに違いない)
 打ちひしがれるような悲痛な声で。
 (あれはどういう意味なんだ)
 何に、なったというのか。
 
 「・・・そういえば、」
 不意に土方が、振り返った。
 「俺が日野に帰っていた間、伊東についていてくれたことの礼を・・言ってなかったな」
 振り返った声が、まだ少し擦れていた。
 「おまえのことを非常に有能な男だと伊東が褒めていた。・・正直驚いた。あの短時期によく伊東の信頼を得たもんだ」
 「私はべつに・・ただついてまわっていただけです」
 「・・・」
 闇一色で見えないはずの土方の表情が、ふと微笑ったような気がした。
 「よくやってくれた、ご苦労だった」
 無言でぺこりと頭を下げた斎藤に、土方は再び背を向けて歩き出し。
 あとは始終、会話の無いまま二人は闇をあとにした。

 (副長・・)
 貴方は何故あんなに愛されているのに。
 (あれほどに、想い詰めるのか)

 目の前に旅籠の明かりが見えてくる。
 人々の喧騒を再び耳にし始めながら。
 斎藤の胸裏でその疑問は、出口を得ずに、
 再び彷徨いはじめていた。
      
  




しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

見ぃつけた。

茉莉花 香乃
BL
小学生の時、意地悪されて転校した。高校一年生の途中までは穏やかな生活だったのに、全寮制の学校に転入しなければならなくなった。そこで、出会ったのは… 他サイトにも公開しています

飼われる側って案外良いらしい。

なつ
BL
20XX年。人間と人外は共存することとなった。そう、僕は朝のニュースで見て知った。 なんでも、向こうが地球の平和と引き換えに、僕達の中から選んで1匹につき1人、人間を飼うとかいう巫山戯た法を提案したようだけれど。 「まあ何も変わらない、はず…」 ちょっと視界に映る生き物の種類が増えるだけ。そう思ってた。 ほんとに。ほんとうに。 紫ヶ崎 那津(しがさき なつ)(22) ブラック企業で働く最下層の男。悪くない顔立ちをしているが、不摂生で見る影もない。 変化を嫌い、現状維持を好む。 タルア=ミース(347) 職業不詳の人外、Swis(スウィズ)。お金持ち。 最初は可愛いペットとしか見ていなかったものの…?

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

目覚ましに先輩の声を使ってたらバレた話

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
サッカー部の先輩・ハヤトの声が密かに大好きなミノル。 彼を誘い家に泊まってもらった翌朝、目覚ましが鳴った。 ……あ。 音声アラームを先輩の声にしているのがバレた。 しかもボイスレコーダーでこっそり録音していたことも白状することに。 やばい、どうしよう。

日本一のイケメン俳優に惚れられてしまったんですが

五右衛門
BL
 月井晴彦は過去のトラウマから自信を失い、人と距離を置きながら高校生活を送っていた。ある日、帰り道で少女が複数の男子からナンパされている場面に遭遇する。普段は関わりを避ける晴彦だが、僅かばかりの勇気を出して、手が震えながらも必死に少女を助けた。  しかし、その少女は実は美男子俳優の白銀玲央だった。彼は日本一有名な高校生俳優で、高い演技力と美しすぎる美貌も相まって多くの賞を受賞している天才である。玲央は何かお礼がしたいと言うも、晴彦は動揺してしまい逃げるように立ち去る。しかし数日後、体育館に集まった全校生徒の前で現れたのは、あの時の青年だった──

ざまぁされたチョロ可愛い王子様は、俺が貰ってあげますね

ヒラヲ
BL
「オーレリア・キャクストン侯爵令嬢! この時をもって、そなたとの婚約を破棄する!」 オーレリアに嫌がらせを受けたというエイミーの言葉を真に受けた僕は、王立学園の卒業パーティーで婚約破棄を突き付ける。 しかし、突如現れた隣国の第一王子がオーレリアに婚約を申し込み、嫌がらせはエイミーの自作自演であることが発覚する。 その結果、僕は冤罪による断罪劇の責任を取らされることになってしまった。 「どうして僕がこんな目に遭わなければならないんだ!?」 卒業パーティーから一ヶ月後、王位継承権を剥奪された僕は王都を追放され、オールディス辺境伯領へと送られる。 見習い騎士として一からやり直すことになった僕に、指導係の辺境伯子息アイザックがやたら絡んでくるようになって……? 追放先の辺境伯子息×ざまぁされたナルシスト王子様 悪役令嬢を断罪しようとしてざまぁされた王子の、その後を書いたBL作品です。

家族になろうか

わこ
BL
金持ち若社長に可愛がられる少年の話。 かつて自サイトに載せていたお話です。 表紙画像はぱくたそ様(www.pakutaso.com)よりお借りしています。

処理中です...