二人静

幻夜

文字の大きさ
上 下
18 / 61

十六、

しおりを挟む



 ざわついた人ごみの中を大の男が三人、旅装姿で歩むさまは人目を引いた。
 三人は時折言葉を交わすだけであとは黙々と歩む。
 其々が胸中に抱えているものの重みが、只こうして歩むだけでも空気となって、三人の周囲を漂っているようだった。
 自然、道行く人も怯えた目でそっと見やっては、触らぬ祟りなしと避けてゆく。
 大津を抜けるまでは、当分この人ごみのなかをこんな調子で避けられ避けられしつつ、つき進むことになるだろうと斎藤は嘆息した。


 ここをあと少しも行けば大津だ。
 山南がそれ以上越さなかった、その地。

 (・・・山南さん)
 山南は自らその地に留まり、追っ手として駆けつけた沖田を出迎えたという。

 「・・・」
 斎藤は前をゆく伊東を見やった。

 山南を嵌め、陥れた張本人。

 (どんな面で大津を渡るのか)

 「そろそろ大津ですな」
 斎藤の心の声をまるで聞いたかのように、不意に振り返った伊東はそんな言葉を口にした。


 ・・・斎藤は眉をひそめていた。
 (何を考えてる?)
 「今の時期、大津はじつに爽やかで心地いいでしょう」
 機嫌よく土方に話し始めた伊東に、斎藤は異質なものを見るような心地がした。

 (こんな気味の悪さは、どっかの誰かと似てる)
 斎藤は、ふっと息をついた。
 こんなことをその誰かである沖田本人に言ったら、怒るだろうか。
 ・・いや、哂うだろう。
 斎藤はぼんやりと沖田の影を脳裏に映して、再び溜息をついた。
 (第一、沖田が稽古以外で声を荒げたところなど、見たことも無い)
 酷い短気を見せるのは常に稽古の時だけだ。
 あとはいつも掴み所の無い笑みを浮かべて。
 たまに心の底から笑った笑顔が陽だまりのようだから、かろうじて釣り合いがとれるだけで。
 (そう考えてみると本当に気味が悪い男だ)
 斎藤は何度目かの嘆息をついた。

 「これだけ天気が良いと、大津では素晴らしい景色が拝めるでしょうな」
 斎藤の前では、伊東が口先で言葉を並べて土方へ話を振っている。
 「・・・」
 斎藤の斜め前をゆく土方の表情はこちらからは見えない。
 だが、いい表情をしていないことは確かだろう。

 (確かに、沖田は来なくて正解だったな)
 斎藤はぽつり思った。
 これだけ無神経な台詞を並べられては、沖田でなくても堪ったものではない。
 (・・いや、)
 逆だ。
 と、斎藤は考えかけたものを、つと裏返した。
 (この状況で平気を装えるのは、むしろ奴しか居ないじゃないか)
 殺気さえ、隠しおおす。
 浅く笑みをはりつけ、そのくせその眼はちっとも笑っておらず。
 何をその眼の奥に想うのか、少しも気取らせぬ男。

 あの眼の闇に、吸いこまれてゆく。
 もう何度も、そんな錯覚に呑まれた。


 「気持ちのいい風が吹きますな。これは間違えなく、ここまで流れてきた大津の風でしょうな」

 伊東のごたくを耳に流しながら。

 まだ山南が生きていた頃の。
 記憶の底から抜けることのない、あの夜をふと思い起こした。
 思い起こすだけで背筋が凍るような。
 
 あの夜。
 沖田とふたり、襲撃した店から逃げ出した残党を路地に追っていった。

 残党は民家に逃げ込み、その家の人間を人質にとった。
 『おまえたちに所詮逃げ場は無い。諦めておとなしく縄にかかれ』
 刀の切っ先を敵へ据えたまま、斎藤は告げ。
 一歩あゆみ出した時、敵は牽制に、人質の喉元へと刀を突きつけた。
 『あと少しでも近づいてみろ・・!こいつの命は無い!』
 刀を突きつけられた者は悲鳴をあげ。
 構わず斎藤はなおも歩み寄った。
 『もう一度言う。おまえたちに逃げ場は無い。こっちが生かして捕らえてやると言っているうちに聞いておけ』

 『その者の命、奪いたければ奪え』
 背後で不意に、沖田の声がした。

 (・・・何だって?)
 唖然として斎藤が振り返った時、
 沖田が横へ、音もなく歩み寄った。
 『そのかわり、代償におまえたちの命をもらう。・・ただでは死なせてやらぬ。 数刻かけて爪先からゆっくり苦しんで死ぬようにしむけてやろう』


 『・・・・』
 淵の底から這い上がるような、悪寒をおぼえた。

 おもわず沖田を横に見上げて凝視した斎藤を、沖田のほうは一瞬ちらりと見て返した。

 その眼に。
 斎藤は刹那、言葉を忘れ。
 (・・・沖・・)
 『どちらを選ぶ。その者を解放して縄につくか、その者を殺して苦痛の内に死ぬか・・』
 抑揚をもたぬ声が、低く闇に落ち。
 『お、脅しになど乗らぬ!!近寄るなと言っているだろう!!』
 『・・・・』
 影のような沖田の姿が、ゆっくりと歩んでゆく。
 戸惑いと恐怖に歪められた男たちの顔が、薄闇に揺れ。
 静かに微笑を浮かべ、すうと眼を細めた沖田の。
 その横顔を見とめた時、斎藤は咄嗟に叫んでいた。

 『脅しでないのが分からぬのか、愚か者どもがっ!早く刀を捨てろ、死にたいのか?!』

 迷いの内を彷徨っていた男たちは斎藤のその一喝に、次々と押されるように刀を落とした。



 もしも、
 あの時。斎藤が彼らを促していなければ。
(沖田はあのまま、遂行しただろうか・・・)

 ”数刻かけて、爪先から、ゆっくり苦しんで死ぬようにしむけてやろう”

 ・・あの男の内に淀むものを知りたい。
 あれは狂気が言わせた言葉か。
 (分からぬ。それとも単に、俺はあの男を誤解しただけかもしれぬ)
 本当に、ただの脅しであった、だけなのかもしれない。
 (だが・・)
 あの時、沖田が一瞬見せた眼は。
 今なお思い起こすだけで、斎藤の体の芯を凍りつかせる。


・・・・

 斎藤は今一度、目の前の伊東を見やった。
 適当な相槌しか返さない土方に諦めたのか、伊東は前へ向き直って歩んでいる。

 生暖かい風が、一陣、
 三人を忌み嫌うようにして流れ去っていった。
  




しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

見ぃつけた。

茉莉花 香乃
BL
小学生の時、意地悪されて転校した。高校一年生の途中までは穏やかな生活だったのに、全寮制の学校に転入しなければならなくなった。そこで、出会ったのは… 他サイトにも公開しています

飼われる側って案外良いらしい。

なつ
BL
20XX年。人間と人外は共存することとなった。そう、僕は朝のニュースで見て知った。 なんでも、向こうが地球の平和と引き換えに、僕達の中から選んで1匹につき1人、人間を飼うとかいう巫山戯た法を提案したようだけれど。 「まあ何も変わらない、はず…」 ちょっと視界に映る生き物の種類が増えるだけ。そう思ってた。 ほんとに。ほんとうに。 紫ヶ崎 那津(しがさき なつ)(22) ブラック企業で働く最下層の男。悪くない顔立ちをしているが、不摂生で見る影もない。 変化を嫌い、現状維持を好む。 タルア=ミース(347) 職業不詳の人外、Swis(スウィズ)。お金持ち。 最初は可愛いペットとしか見ていなかったものの…?

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

目覚ましに先輩の声を使ってたらバレた話

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
サッカー部の先輩・ハヤトの声が密かに大好きなミノル。 彼を誘い家に泊まってもらった翌朝、目覚ましが鳴った。 ……あ。 音声アラームを先輩の声にしているのがバレた。 しかもボイスレコーダーでこっそり録音していたことも白状することに。 やばい、どうしよう。

日本一のイケメン俳優に惚れられてしまったんですが

五右衛門
BL
 月井晴彦は過去のトラウマから自信を失い、人と距離を置きながら高校生活を送っていた。ある日、帰り道で少女が複数の男子からナンパされている場面に遭遇する。普段は関わりを避ける晴彦だが、僅かばかりの勇気を出して、手が震えながらも必死に少女を助けた。  しかし、その少女は実は美男子俳優の白銀玲央だった。彼は日本一有名な高校生俳優で、高い演技力と美しすぎる美貌も相まって多くの賞を受賞している天才である。玲央は何かお礼がしたいと言うも、晴彦は動揺してしまい逃げるように立ち去る。しかし数日後、体育館に集まった全校生徒の前で現れたのは、あの時の青年だった──

ざまぁされたチョロ可愛い王子様は、俺が貰ってあげますね

ヒラヲ
BL
「オーレリア・キャクストン侯爵令嬢! この時をもって、そなたとの婚約を破棄する!」 オーレリアに嫌がらせを受けたというエイミーの言葉を真に受けた僕は、王立学園の卒業パーティーで婚約破棄を突き付ける。 しかし、突如現れた隣国の第一王子がオーレリアに婚約を申し込み、嫌がらせはエイミーの自作自演であることが発覚する。 その結果、僕は冤罪による断罪劇の責任を取らされることになってしまった。 「どうして僕がこんな目に遭わなければならないんだ!?」 卒業パーティーから一ヶ月後、王位継承権を剥奪された僕は王都を追放され、オールディス辺境伯領へと送られる。 見習い騎士として一からやり直すことになった僕に、指導係の辺境伯子息アイザックがやたら絡んでくるようになって……? 追放先の辺境伯子息×ざまぁされたナルシスト王子様 悪役令嬢を断罪しようとしてざまぁされた王子の、その後を書いたBL作品です。

家族になろうか

わこ
BL
金持ち若社長に可愛がられる少年の話。 かつて自サイトに載せていたお話です。 表紙画像はぱくたそ様(www.pakutaso.com)よりお借りしています。

処理中です...