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こんな僕が君にできること
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バーゲンセールの売れ残りと季節を先取りした衣料品が半々になった売り場は閑散としている。理央はタブレットで帳簿を捲りつつそわそわと時刻を確認した。
「テンチョ、今日デートっすか?」
振り返れば、服を畳んでいたアルバイトの佐々木がかかと笑った。
「エリアマネージャーが店舗に顔出すって言ってたから時間気にしてただけ。もう、年上をからかわないの」
「えー?でも、テンチョ最近彼氏できたでしょ?なんか輝いてるもん」
佐々木は理央より五歳年下のアルバイトだ。夕方になっても崩れないミックス巻きが得意のコテコテギャルだが、子ども服を取り扱う職場に合わせてネイルは短く、ピアスも外してくるという真面目な一面も持っている。
「もお。僕のことはいいから真面目に仕事しなさい」
理央は佐々木をいなしてタブレットに視線を落とした。
……そんなにバレバレだろうか。理央は内心で赤面した。
二十七歳で初めてできた彼氏だもん、浮かれて当然じゃない!でもでも、こんなんじゃ大人っぽくないかな?優君に釣り合わないかな?……ポーカーフェイスの裏でぐずぐずと思考を巡らせている内に休憩時間がやってくる。「休憩行ってきます!」理央は弾かれたように職場を飛び出した。
「あ、あの、合格祈願のお守りはどれですか……」
勤める百貨店から徒歩十分の神社で尋ねると、巫女さんはにっこりと微笑んだ。
「ピンクと水色がございます。どちらにされますか?」
「じゃあ、水色で……」
お守りの入った白い包みを受け取ると勝手に顔がにやついてしまった。理央は慌てて手で口元を覆った。
「巡礼祈願所に合格開運のしゃもじがございます。代理人様の参拝でも効果がございますので、よろしければ寄られてください」
休憩時間は一時間で余裕もなかったが、理央はいそいそとしゃもじに向かった。大きなしゃもじの像に手を合わせ「優君の試験が上手くいきますように」と切に願う。買っていたサンドイッチを頬張りながら職場に戻ると、佐々木から「テンチョ、口の端っこにタマゴついてますけど」と笑われてしまった。
明日は優の実技試験の日だ。少しでも力になれればと思う一方で彼のプレッシャーになってもいけないと自分を戒め、理央は優に内緒で彼のアパートへと向かった。
このお守りだけ、郵便受けに入れて帰ろう。
明かりの漏れていない窓に胸を撫で下ろし、息を潜めて郵便受けを開ける。古めかしいそれはぎっこぎっこと音を立てて開いた。中にお守りを入れ蓋を閉めようとしたところで、理央は異変に気が付いた。郵便受けの蓋が上手く嚙み合わない。
「あっ、あれ?……あれ?どうしちゃったのかな……」
暗闇の中ひとり郵便受けと格闘している姿は、キビキビと働いていた昼間の姿とは重ならない。「や、やだ、どうしよう、壊れちゃったらどうしよう」独り言が激しいのは理央の素の癖。そうこうしている内に理央の背に影が落ちて来た。
「理央さん?どーしたの?」
掛けられた声に振り向き、理央は肩をびくつかせた。……視線の先では、優本人が瞳を丸くして小首を傾げていた。
「や、あの、その、ゆ、郵便受けがっ」
「ああ、これね。ちょっとクセがあって、ここをこーするとちゃんと閉まるよ」
伸びて来た手は器用に郵便受けを閉め、再度開けてしまう。中に入っていた包みを手に取った優は、中身を手のひらに出してくすぐったそうに微笑んだ。
「このお守り入れてくれたの、理央さん?」
彼の前に居るとばつが悪いことばかり。理央は頬を真っ赤にして俯いた。優が帰宅する前にと急いでいたからメイクだって直していないし、髪はぼさぼさだし、仕事服だから彼の隣に並ぶには系統が違い過ぎるし……。けれど何より、年上のくせにスマートさに欠ける自分が恥ずかしい。
「ん、や、ちがう……」
首を振ると、彼は笑みを深くした。
「え?そーなの?じゃあ、ねぼすけのサンタかな」
恨みがましく見つめれば、彼は理央の額に柔らかなキスを落とした。
「すごく嬉しい。ありがとう。……時間ある?もう少し一緒にいたい」
腰にするりと回される腕。理央はあれよあれよと部屋の中へ吸い込まれてしまった。玄関の鍵を後ろ手で閉めながら、もう片手では理央を引き寄せて小さなキスを降らせる器用な恋人。理央は彼の胸を両手で押し、こちらを覗き込んでいる瞳を見上げた。
「明日、試験だから、」
「うん、だから少しだけ。寂しくさせてごめんね。……って、寂しかったのは俺か」
と言っても、会ってないのは一週間くらいなのだが。理央は憂いと熱を帯びた視線に押され、両手をおずおずと彼の背に伸ばした。
愛しい彼の温みに感じ入ると、自分も寂しかったことに気が付いた。一週間会っていなかったのに、その間に自分の心を占める彼の割合が増えている。会えない時間が愛を育てる、なんて歌詞があったけれど、それを実感する日が来ようとは……。
「何か飲む?あったかいもの。俺が作ってあげる」
冬の冷気に満ちた部屋も、火照った今の理央にはちょうどいい。「座って待ってて」と言われベッドの縁に腰掛けた、その時だった。
理央は息を飲んだ。教科書や問題集の並んだカラーボックスの上が、無数のお守りやお札で神棚と化している。「すぐる♡がんばれ♡ あおい」「試験終わったら連絡ください♡♡♡LINE ID:XXXX なな」「うかったらごはんいこうね ♡美羽♡ 090-……」お守りは紙袋に入れたままになっているようで、そこに走り書きされたメッセージや電話番号、ラインのID、♡などが生々しく理央に迫って来た。
3Bαの名は伊達じゃない。嫉妬や怒りを通り越し、理央は粛々とその神棚を受け入れた。
「もう夜だからハーブティーでいい?」
夜だからハーブティーとか、淹れられる男の子がいるのだろうか。いや、ここにいる。さすがは3Bα、今までの彼女たちに鍛えられた気遣いは技とも言える見事なもの。理央の視線に気が付き、優は一転して焦ったように神棚を片付け始めた。
「ごめん、これ、バーのお客さんとか学校の子にもらったやつで。捨てるのも罰が当たりそうだし、しまっとくのもなんだしってここに置いてて」
「いいよ、大丈夫、片付けないで。僕のことは気にしないで。いい人たちに囲まれてるんだね。優君がみんなに愛されてると僕も嬉しいよ」
優の手に取られたお守りを抜き取り並べ直す。丁寧に並べた為か神棚感がより増してしまい、理央は眉間をむずむずさせた。
自分のお守りもこの中の一部のように飾られるのだろうか。複雑だが、彼が無意識の内にかき集めてしまう好意にはどうあがいたって勝てない。理央は努めて大人になり、最後に残った自分のお守りもそこに並べた。つきん。静かに胸が痛んだが、理央は素知らぬふりをして微笑んだ。
「理央さん、俺、頑張る」
優はやけに真剣な面持ちでそう言った。「優君なら大丈夫」握られた両手に応えてそう囁くと、優は理央に膝を突き合わせた。
「俺、片親なんだよね。シングルファザーってやつ。俺の親父は腕だけは良い理容師で、鋏一本で三人の子どもを養う以上の金を稼いでた」
握った手に視線を落とし、昴は滔々と語った。いつも朗らかな彼が表情を硬くしているのを理央はただ黙って見つめた。
「こう聞くと綺麗な話に聞こえるけど、父親としては最悪な人間だった。ギャンブルはするわ、酒癖は悪いわ、家に寄り付かないわ、女をとっかえひっかえするわ……。金を稼いでたのは確かに親父だったけど、実質俺たちを育て上げたのはばあちゃんだった」
明るい母と家庭を思いやる父の間で一人っ子として育まれた理央には、優の言っていることが異国の物語のように感じた。けれど理央は、優の手を握り返しながら耳と心を彼の話に傾けた。
「絶対に親父みたいにはなりたくないって思ってた。俺はスーツを着てでっかいビルを行き来してバリバリ働くんだって、ずっとそう思ってたのに……。気がついたら、鋏を握る親父の背中を夢中で追ってた」
眼差しを上げた彼は困ったように微笑み、「妹の髪は俺が切ってたんだよ。スマホで動画見て、見様見真似でさ。妹が小学生の頃はヘアアレンジとかもしてあげてたよ。これでもいいお兄ちゃんしてたんだよ、俺」と明るく振舞った。
「親父があまりにも簡単そうに鋏動かすもんだから、俺、ナメてたよね。……なんか俺、ヤバいかも。ちょっとだけ、へこんでる。こんなんで本当に美容師になれんのかなって、思っちゃってる」
優の額が理央の肩にこてんと落ちて来た。語尾がうち震えていたような気がして、理央は彼の背を抱き寄せ、反対の手でそっと彼の髪を撫でた。
「話してくれて、ありがとう。優君、しんどくなっちゃうくらい頑張ってたんだね。気付かなくてごめんね……」
ゆっくりと頭を撫でる。心を込めて、優しく、そっと。心に溜まった疲れが少しでも軽くなりますように。長い間抱えて来た気持ちやこれまでの努力が報われますように。そう願いながら、理央は優の身体を支えるように抱いた。
「僕に出来ることがあったら言って。なんだってするよ」
耳元に囁くと、優は肩口からぱっと面を上げ瞳を瞬かせた。「なんでも?」「うん」優は眼差しを伏せ、「じゃあ……」と理央の前髪に触れた。
「理央さんの前髪、俺に切らせてくれない?伸びてるなって、気になってて」
「え?前髪?そんなのでいいの?僕、本当になんでも……」
肘をくいと引くと優はむず痒そうに笑って「ううん。これがいい」と額にキスをしてくれた。
「どうする?分け目を変えて流すのもアリだし、下ろしてもきっと可愛い」
どこからともなく現れる卓上ミラーとコーム。髪の流れをなぞるように旋毛から梳かれ、理央は視界を掠める前髪越しに鏡の中の優を見つめた。優の利き手に絆創膏の巻かれた指があることに気が付き振り返ると、目を細めた優が人差し指で額に触れた。
「このおでこ、可愛いよね。ゆで卵みたいにつるつるしてる。……俺のおまかせってことでいい?希望あれば言って」
次第に光を取り戻していく鳶色の瞳を見ていると、理央の胸も高鳴っていく。「おまかせでお願いします」鏡に向かって頭を下げれば、優は歯を見せて笑った。
チラシを敷いた上に丸椅子を置き腰掛ける。白いカットクロスがふうわりと理央の身体を包み込んだ。姿見に映る優と自分があまりにも特別な空間に居るものだから、理央の胸がじんわりと熱くなってしまう。
「襟足も伸びてる。こっちから切るね。ちょっと濡らすよ」
ダッカールで留められた濡れ髪、その下をコームと鋏が滑っていく。鋏を持つ優の手の様子は美しかった。シャキシャキと耳に心地いい音がよどみなく続き、理央はうっとりと瞼を下ろした。なんて贅沢な時間なのだろう。二人きりのサロンで髪を整えてくれるのは愛しい優。理央はいっそ切なくなった。
「前髪切るね。目、閉じて」
前髪をくぐった手指が額に触れる。銀色の鋏がひらりと光り、理央はそれを合図に瞳を閉じた。
僕はきっと、この瞬間を一生忘れられない。
強くそう思えて、理央は彼が言うよりも早く瞼を上げた。コームが額の傍を走る。瞳に入る光が、先ほどとは少し変わった視界からチカチカと溢れた。
「前髪あるの、似合うね……」
姿見の中の優は眩しそうに目を細めそう呟いた。眉下でそろえられた前髪が、恋人の柔らかな視線が、くすぐったい。少し重ための前髪が、彫りが淡く、それでいてくりくりとして幼げな瞳を持つ理央にはよく似合っていた。
ドライヤーとブラシで軽くブローすると天使の輪が頭部を彩る。カットクロスを取り外し、優は理央の目の前に姿を現した。鏡の中の恋人がやっとこちらに出て来てくれた気になって、理央の口元が自然に緩む。
「理央さんのおでこを独り占めしたいって下心もあったんだけど……。前髪下ろすと余計に可愛くなっちゃったね」
悩ましげに微笑み両肩に触れる優。理央は面を熱くしながらも「切ってくれてありがとう」と囁いて、優の手に自分の手を重ねた。眉根を寄せて笑みを深めた昴は、そのまま理央を自分の腕の中へと引き寄せた。
「テンチョ、今日デートっすか?」
振り返れば、服を畳んでいたアルバイトの佐々木がかかと笑った。
「エリアマネージャーが店舗に顔出すって言ってたから時間気にしてただけ。もう、年上をからかわないの」
「えー?でも、テンチョ最近彼氏できたでしょ?なんか輝いてるもん」
佐々木は理央より五歳年下のアルバイトだ。夕方になっても崩れないミックス巻きが得意のコテコテギャルだが、子ども服を取り扱う職場に合わせてネイルは短く、ピアスも外してくるという真面目な一面も持っている。
「もお。僕のことはいいから真面目に仕事しなさい」
理央は佐々木をいなしてタブレットに視線を落とした。
……そんなにバレバレだろうか。理央は内心で赤面した。
二十七歳で初めてできた彼氏だもん、浮かれて当然じゃない!でもでも、こんなんじゃ大人っぽくないかな?優君に釣り合わないかな?……ポーカーフェイスの裏でぐずぐずと思考を巡らせている内に休憩時間がやってくる。「休憩行ってきます!」理央は弾かれたように職場を飛び出した。
「あ、あの、合格祈願のお守りはどれですか……」
勤める百貨店から徒歩十分の神社で尋ねると、巫女さんはにっこりと微笑んだ。
「ピンクと水色がございます。どちらにされますか?」
「じゃあ、水色で……」
お守りの入った白い包みを受け取ると勝手に顔がにやついてしまった。理央は慌てて手で口元を覆った。
「巡礼祈願所に合格開運のしゃもじがございます。代理人様の参拝でも効果がございますので、よろしければ寄られてください」
休憩時間は一時間で余裕もなかったが、理央はいそいそとしゃもじに向かった。大きなしゃもじの像に手を合わせ「優君の試験が上手くいきますように」と切に願う。買っていたサンドイッチを頬張りながら職場に戻ると、佐々木から「テンチョ、口の端っこにタマゴついてますけど」と笑われてしまった。
明日は優の実技試験の日だ。少しでも力になれればと思う一方で彼のプレッシャーになってもいけないと自分を戒め、理央は優に内緒で彼のアパートへと向かった。
このお守りだけ、郵便受けに入れて帰ろう。
明かりの漏れていない窓に胸を撫で下ろし、息を潜めて郵便受けを開ける。古めかしいそれはぎっこぎっこと音を立てて開いた。中にお守りを入れ蓋を閉めようとしたところで、理央は異変に気が付いた。郵便受けの蓋が上手く嚙み合わない。
「あっ、あれ?……あれ?どうしちゃったのかな……」
暗闇の中ひとり郵便受けと格闘している姿は、キビキビと働いていた昼間の姿とは重ならない。「や、やだ、どうしよう、壊れちゃったらどうしよう」独り言が激しいのは理央の素の癖。そうこうしている内に理央の背に影が落ちて来た。
「理央さん?どーしたの?」
掛けられた声に振り向き、理央は肩をびくつかせた。……視線の先では、優本人が瞳を丸くして小首を傾げていた。
「や、あの、その、ゆ、郵便受けがっ」
「ああ、これね。ちょっとクセがあって、ここをこーするとちゃんと閉まるよ」
伸びて来た手は器用に郵便受けを閉め、再度開けてしまう。中に入っていた包みを手に取った優は、中身を手のひらに出してくすぐったそうに微笑んだ。
「このお守り入れてくれたの、理央さん?」
彼の前に居るとばつが悪いことばかり。理央は頬を真っ赤にして俯いた。優が帰宅する前にと急いでいたからメイクだって直していないし、髪はぼさぼさだし、仕事服だから彼の隣に並ぶには系統が違い過ぎるし……。けれど何より、年上のくせにスマートさに欠ける自分が恥ずかしい。
「ん、や、ちがう……」
首を振ると、彼は笑みを深くした。
「え?そーなの?じゃあ、ねぼすけのサンタかな」
恨みがましく見つめれば、彼は理央の額に柔らかなキスを落とした。
「すごく嬉しい。ありがとう。……時間ある?もう少し一緒にいたい」
腰にするりと回される腕。理央はあれよあれよと部屋の中へ吸い込まれてしまった。玄関の鍵を後ろ手で閉めながら、もう片手では理央を引き寄せて小さなキスを降らせる器用な恋人。理央は彼の胸を両手で押し、こちらを覗き込んでいる瞳を見上げた。
「明日、試験だから、」
「うん、だから少しだけ。寂しくさせてごめんね。……って、寂しかったのは俺か」
と言っても、会ってないのは一週間くらいなのだが。理央は憂いと熱を帯びた視線に押され、両手をおずおずと彼の背に伸ばした。
愛しい彼の温みに感じ入ると、自分も寂しかったことに気が付いた。一週間会っていなかったのに、その間に自分の心を占める彼の割合が増えている。会えない時間が愛を育てる、なんて歌詞があったけれど、それを実感する日が来ようとは……。
「何か飲む?あったかいもの。俺が作ってあげる」
冬の冷気に満ちた部屋も、火照った今の理央にはちょうどいい。「座って待ってて」と言われベッドの縁に腰掛けた、その時だった。
理央は息を飲んだ。教科書や問題集の並んだカラーボックスの上が、無数のお守りやお札で神棚と化している。「すぐる♡がんばれ♡ あおい」「試験終わったら連絡ください♡♡♡LINE ID:XXXX なな」「うかったらごはんいこうね ♡美羽♡ 090-……」お守りは紙袋に入れたままになっているようで、そこに走り書きされたメッセージや電話番号、ラインのID、♡などが生々しく理央に迫って来た。
3Bαの名は伊達じゃない。嫉妬や怒りを通り越し、理央は粛々とその神棚を受け入れた。
「もう夜だからハーブティーでいい?」
夜だからハーブティーとか、淹れられる男の子がいるのだろうか。いや、ここにいる。さすがは3Bα、今までの彼女たちに鍛えられた気遣いは技とも言える見事なもの。理央の視線に気が付き、優は一転して焦ったように神棚を片付け始めた。
「ごめん、これ、バーのお客さんとか学校の子にもらったやつで。捨てるのも罰が当たりそうだし、しまっとくのもなんだしってここに置いてて」
「いいよ、大丈夫、片付けないで。僕のことは気にしないで。いい人たちに囲まれてるんだね。優君がみんなに愛されてると僕も嬉しいよ」
優の手に取られたお守りを抜き取り並べ直す。丁寧に並べた為か神棚感がより増してしまい、理央は眉間をむずむずさせた。
自分のお守りもこの中の一部のように飾られるのだろうか。複雑だが、彼が無意識の内にかき集めてしまう好意にはどうあがいたって勝てない。理央は努めて大人になり、最後に残った自分のお守りもそこに並べた。つきん。静かに胸が痛んだが、理央は素知らぬふりをして微笑んだ。
「理央さん、俺、頑張る」
優はやけに真剣な面持ちでそう言った。「優君なら大丈夫」握られた両手に応えてそう囁くと、優は理央に膝を突き合わせた。
「俺、片親なんだよね。シングルファザーってやつ。俺の親父は腕だけは良い理容師で、鋏一本で三人の子どもを養う以上の金を稼いでた」
握った手に視線を落とし、昴は滔々と語った。いつも朗らかな彼が表情を硬くしているのを理央はただ黙って見つめた。
「こう聞くと綺麗な話に聞こえるけど、父親としては最悪な人間だった。ギャンブルはするわ、酒癖は悪いわ、家に寄り付かないわ、女をとっかえひっかえするわ……。金を稼いでたのは確かに親父だったけど、実質俺たちを育て上げたのはばあちゃんだった」
明るい母と家庭を思いやる父の間で一人っ子として育まれた理央には、優の言っていることが異国の物語のように感じた。けれど理央は、優の手を握り返しながら耳と心を彼の話に傾けた。
「絶対に親父みたいにはなりたくないって思ってた。俺はスーツを着てでっかいビルを行き来してバリバリ働くんだって、ずっとそう思ってたのに……。気がついたら、鋏を握る親父の背中を夢中で追ってた」
眼差しを上げた彼は困ったように微笑み、「妹の髪は俺が切ってたんだよ。スマホで動画見て、見様見真似でさ。妹が小学生の頃はヘアアレンジとかもしてあげてたよ。これでもいいお兄ちゃんしてたんだよ、俺」と明るく振舞った。
「親父があまりにも簡単そうに鋏動かすもんだから、俺、ナメてたよね。……なんか俺、ヤバいかも。ちょっとだけ、へこんでる。こんなんで本当に美容師になれんのかなって、思っちゃってる」
優の額が理央の肩にこてんと落ちて来た。語尾がうち震えていたような気がして、理央は彼の背を抱き寄せ、反対の手でそっと彼の髪を撫でた。
「話してくれて、ありがとう。優君、しんどくなっちゃうくらい頑張ってたんだね。気付かなくてごめんね……」
ゆっくりと頭を撫でる。心を込めて、優しく、そっと。心に溜まった疲れが少しでも軽くなりますように。長い間抱えて来た気持ちやこれまでの努力が報われますように。そう願いながら、理央は優の身体を支えるように抱いた。
「僕に出来ることがあったら言って。なんだってするよ」
耳元に囁くと、優は肩口からぱっと面を上げ瞳を瞬かせた。「なんでも?」「うん」優は眼差しを伏せ、「じゃあ……」と理央の前髪に触れた。
「理央さんの前髪、俺に切らせてくれない?伸びてるなって、気になってて」
「え?前髪?そんなのでいいの?僕、本当になんでも……」
肘をくいと引くと優はむず痒そうに笑って「ううん。これがいい」と額にキスをしてくれた。
「どうする?分け目を変えて流すのもアリだし、下ろしてもきっと可愛い」
どこからともなく現れる卓上ミラーとコーム。髪の流れをなぞるように旋毛から梳かれ、理央は視界を掠める前髪越しに鏡の中の優を見つめた。優の利き手に絆創膏の巻かれた指があることに気が付き振り返ると、目を細めた優が人差し指で額に触れた。
「このおでこ、可愛いよね。ゆで卵みたいにつるつるしてる。……俺のおまかせってことでいい?希望あれば言って」
次第に光を取り戻していく鳶色の瞳を見ていると、理央の胸も高鳴っていく。「おまかせでお願いします」鏡に向かって頭を下げれば、優は歯を見せて笑った。
チラシを敷いた上に丸椅子を置き腰掛ける。白いカットクロスがふうわりと理央の身体を包み込んだ。姿見に映る優と自分があまりにも特別な空間に居るものだから、理央の胸がじんわりと熱くなってしまう。
「襟足も伸びてる。こっちから切るね。ちょっと濡らすよ」
ダッカールで留められた濡れ髪、その下をコームと鋏が滑っていく。鋏を持つ優の手の様子は美しかった。シャキシャキと耳に心地いい音がよどみなく続き、理央はうっとりと瞼を下ろした。なんて贅沢な時間なのだろう。二人きりのサロンで髪を整えてくれるのは愛しい優。理央はいっそ切なくなった。
「前髪切るね。目、閉じて」
前髪をくぐった手指が額に触れる。銀色の鋏がひらりと光り、理央はそれを合図に瞳を閉じた。
僕はきっと、この瞬間を一生忘れられない。
強くそう思えて、理央は彼が言うよりも早く瞼を上げた。コームが額の傍を走る。瞳に入る光が、先ほどとは少し変わった視界からチカチカと溢れた。
「前髪あるの、似合うね……」
姿見の中の優は眩しそうに目を細めそう呟いた。眉下でそろえられた前髪が、恋人の柔らかな視線が、くすぐったい。少し重ための前髪が、彫りが淡く、それでいてくりくりとして幼げな瞳を持つ理央にはよく似合っていた。
ドライヤーとブラシで軽くブローすると天使の輪が頭部を彩る。カットクロスを取り外し、優は理央の目の前に姿を現した。鏡の中の恋人がやっとこちらに出て来てくれた気になって、理央の口元が自然に緩む。
「理央さんのおでこを独り占めしたいって下心もあったんだけど……。前髪下ろすと余計に可愛くなっちゃったね」
悩ましげに微笑み両肩に触れる優。理央は面を熱くしながらも「切ってくれてありがとう」と囁いて、優の手に自分の手を重ねた。眉根を寄せて笑みを深めた昴は、そのまま理央を自分の腕の中へと引き寄せた。
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