褐色の天使は、僕の裏切りを赦さない。

野中にんぎょ

文字の大きさ
上 下
8 / 10

あの日の君を迎えに行くよ

しおりを挟む
 ユウとは連絡が取れなくなってしまったらしい。ラインをブロックされてしおれている瑠璃の傍へずぶ濡れの啓介がすり寄っていく。
「なあ、瑠璃、このまま乾くの待ってたら干物になっちゃうよ」
「その辺で大の字にでもなってなまっちろい肌焼いといたら?」
 漁港のおじさん達に助けてもらった二人は命に別条がないと見られると船から放り出されてしまった。革靴を脱ぎ捨て海に飛び込んだ啓介に、泳いでいる内にビーチサンダルを失った瑠璃。二人は裸足のまま港に立ち尽くしていた。
「あ。雨」
 そんな二人の頭上に雨が降り始める。何もかも諦めた顔で港を去る瑠璃。啓介も慌ててその後を追った。
「スマホ、防水のやつってマジで防水なんだ。泳いでも壊れてないってすごい」
「……着いて来ないで」
 速足で歩道を行く瑠璃の隣へ並び、啓介は「なんで僕を助けたの?」と尋ねた。瑠璃はむっと啓介を睨み、それから前を向いた。
「そんなの、俺にも分からない。……身体が勝手に動いてた」
 二人は海からそう離れていない小さなアパートに辿り着いた。「ここが瑠璃の家?」啓介の問いに無視を決め、瑠璃はずぶ濡れのボディバックから取り出した鍵で一階の角部屋の扉を開けた。啓介は思わず瑠璃のTシャツの裾を引っ張った。
「瑠璃、僕、入っちゃだめ?」
 一瞥もくれず中に入ってしまった瑠璃を玄関先から不安げに見つめていると、奥から戻って来た瑠璃が啓介にタオルを投げつけた。
「そこで突っ立ってたら不審者だから。……服乾いたらすぐに出てって」
 瑠璃の部屋は閑散としていた。ベッドにローテーブル、ちょっとした棚。啓介は部屋を見渡し「瑠璃の部屋ってもっと物に溢れてるかと思ってた」と呟いた。濡れたTシャツを脱ぎ捨て瑠璃はかすかに笑う。その笑みは寂しかった。
「傍にあると愛着わくから。物はあんまり持たないようにしてる。捨てられないし、壊れると悲しくなっちゃうから」
 表情を隠すかのようにバスタオルを頭から被り濡れた髪を拭く瑠璃。啓介はゆっくりと瑠璃に近づき、その手に触れた。ひくりと震えた手からタオルが落ちていく。
「それって、僕のせい?」
「……自意識過剰」
「あんな男がいっぱいいるの?」
「だったら悪い?お前も変わったけど俺も変わったってこと。それだけだよ。お前の思う純粋な俺はもういない。……分かったらもう黙って。俺に触らないで」
「いやだ」
 啓介は鳶色の瞳を見つめて瑠璃の手を握った。
「すきだ。瑠璃。すきだよ」
 愛を吹きかけるように囁き、もう片方の手で頬に触れる。瑠璃は吊り上げていた眉を崩して視線を逸らした。
「やめて、けい、やだ」
 今度は瑠璃が「いやだ」と言う。啓介は瑠璃の視線を追い探るようにして唇を重ねた。
「僕、瑠璃しかいらない」
「うそだ。また俺をこの島に置いて行くくせに」
「僕たち、同じことをしてただけだ。本当は瑠璃だって僕を想ってただろう」
「前も言った通り、恨んでたよ。憎んでた」
「でもそれと同じくらいすきだった。すきだからこそ憎んでた。……そうじゃないの?」
 瑠璃の心にさざ波が立つのが分かる。啓介は瑠璃の冷たくなった身体を抱きしめた。頭を振り立てている瑠璃の両頬を両手で包み込み何度も唇を押し付ける。
「何度他の男に抱かれたって、僕を憎んでいたって、瑠璃が美しいことは変わらない。瑠璃はきれいだ。僕には、この島で一番きれいなものに見える」
「ばか、けい、俺はそんなんじゃない。俺はお前が思うよりずっとたくさんの男に抱かれた。自分で望んでそうした。俺はお前がすきだった頃の俺じゃない」
「そんなこと、どうだっていい」
 クリーム色のシーツに瑠璃を組み敷き、啓介は彼の感情を探る為に瞳を覗き込んだ。
「いま僕の目の前に瑠璃がいる。それで十分だ」
 唇を押し付けた場所が、ゆっくりと柔らかく開いていく。花開く蕾のような唇を、啓介は夢中になってノックし続けた。この欲望が、心が、瑠璃に受け入れられている。ほんのわずかでもそう感じると、身体が一気に熱を帯びた。
「瑠璃、瑠璃、るり、すきだ、お前がすき、ずっとすきだった、あの頃からずっと」
 愛を紡ぎながら頬に首筋に鎖骨に唇を滑らせる。冷えて固くなっていた瑠璃の身体も次第に温みを帯び、くったりと弛緩した。
「頼むから僕を受け入れて……」
 頑なだった心と身体が、自分の手で、唇で、言葉で、開いていく。「瑠璃」啓介は何度もその名を呼んで瑠璃を求めた。
「けい」
 その声はか細く震えていた。啓介は瑠璃の心と声に感覚を研ぎ澄ませた。
「けいのせいだよ。俺、けいのせいでこうなっちゃったんだよ」
「……うん、分かってる。僕のせいだ。だから、責任は僕が取る」
 見つめ合い重ねた唇は、互いに無い部分を補い合うようにぴたりと重なった。背中に腕の重みを感じて背筋が戦慄くほど嬉しくなる。啓介は濡れたシャツを脱ぎ捨てて瑠璃に覆い被さった。
「ああ、瑠璃、すごく綺麗だ。アンデルセン童話の人魚姫みたい」
「なに、その気持ち悪い口説き文句……。そーゆーので女の子口説いてたの?」
「気持ち悪い自覚ならある。お前にしか言わない、こんなこと」
 ふっくらとした胸に触れ、その奥の心音を感じたくて下から揉み上げる。「んっ」悔しそうに歪む唇の色は海の底にあった桃色珊瑚のそれに似ていた。啓介はそんな唇をやわやわと食みながら手のひらと唇から伝う瑠璃の温みに感じ入った。
「瑠璃は優しくて温かい」
「……さっきから何言ってんの、わけわかんない……」
 言葉でツンケンしても頬はじんわりと赤い。頬や顎、額、鼻先に小さなキスを落としながら両手で胸を揉む。「ン、ばか、胸、やめて」「なんで?こんなに気持ちいいのに」触れているのはこちらなのに、ふわふわとしたそこはしっとりと手に添って心地いい。
 胸の突起を眺めるように見つめてから唇と舌で慈しむ。海の味と肌の香りがして頭の芯がじんとした。柔かったそれが次第に固く絞れていく。突起を吸い上げると細い腰がぴくんと跳ねた。啓介は胸の突起を何度も吸い上げ、両手で瑠璃の身体をまさぐった。
「う、もう、そんな、触んないでっ……」
「なんで?僕、ずっと、こうやって触れたかった。そういう目で瑠璃のこと見てた。触りたい。見てるだけだった場所、触れなかった場所、全部」
 突起から唇をずらし、鳩尾から臍、下腹へ舌を這わせる。瑠璃の手が啓介の髪をくしゃりと撫でるように掴み、震え始めた。
「けい、男とエッチしたことある?」
 その言葉に面を上げれば、瑠璃は潤んだ瞳で恨めしそうにこちらを見つめていた。
「……ない。ないけど、僕、別にちんこ挿れられなくたって大丈夫。こうやってしてるだけですごく幸せ。きっと、セックスってこういう行為のことを言うんだな」
 瑠璃の気持ちを推し量ったつもりでそう言えば、瑠璃はなぜか眉を吊り上げて不機嫌オーラを発し始めた。
「全部触りたいんじゃなかったの?」
「触りたいけど、瑠璃の負担になるならそういうこと出来なくても大丈夫」
「……キスしたくせに。おっぱい揉むみたいにしたくせに。ちんこガッチガチにしてるくせに。海で俺の裸じろじろ見てたくせに」
 小さな唇をへの字にして啓介の胸を押し返す瑠璃。啓介は困ってしまって、けれど今度こそ小さなすれ違いに気が付いて瑠璃の瞳を覗き込んだ。熱っぽく潤む瞳はあの時の海面のようにちらちらと光を抱えている。眉根を寄せて、口元は不機嫌そうで、けれど胸は期待に反っている。啓介は瑠璃の胸にそっと耳を押し当てた。どく、どく、どく……。自分のそれと同じく早鐘を打つ心臓。啓介は面を上げて微笑んだ。
「ごめん。僕、嘘吐いた。本当は瑠璃と、そういうこともしたい。かっこつけて、ごめん。遊びだって思われたくなかった。男同士で、どうすればセックスできんの?僕に教えて」
「……」
「……瑠璃?」
 瑠璃はぎゅっと眉間に皺を寄せ、「やだ」と消え入りそうな声で訴えた。堰を切ったように瑠璃の眦から涙が溢れる。
「えっ、瑠璃、どうした、なんで泣いてんの」
 啓介は次々と頬に転がっていく瑠璃の涙を親指で拭った。触れた涙は温かかった。……ああ、あの時と、一緒だ。啓介はおばけトンネルの中で泣いていた瑠璃を思い起こし、指先を濡らす雫を見つめた。
 出向する船をおばけトンネルから見た瑠璃も、こうやって泣いたのだろう。果たされなかった約束と啓介を想って泣いたのだろう。
 こうやって何度も泣かせてしまう自分に、瑠璃を留める資格はあるのだろうか。啓介は瑠璃を抱き上げ自身の膝に乗せた。向き合い、涙を拭いながら背を撫でる。
「どうしていやなの?」
「だって……」
 瞼を下ろせば玉になった雫がほろほろと頬を伝う。啓介は夢中になってその様を見つめた。
「やったらきっと、俺のこと、どうでもよくなる。手に入ったって、思っちゃう。けいが本当に帰って来なくなっちゃう」
 うち震えた声で吐露された心に啓介の胸がきつく締め付けられた。「どうでもよくなんか、ならない」「うそだ」食い気味に否定され啓介は瑠璃の頬に両手を添えた。
「瑠璃のことがどうでもよかったことなんか一度もない」
 眼差しを擦り合わせ、瑠璃が自分を見つめていることを何度も確認する。
「あの時、おばけトンネルに置き去りにして、ごめん」
「う……、っく、うう、」
「一人にして、ごめん。長い間待たせてごめん。約束破ってごめん。俺の身勝手な気持ちを、寂しさを、瑠璃一人に背負わせて、ごめん。本当にごめん」
「ひっ、っく、う、う、うぅ~……」
 しゃくりあげる瑠璃をそうと抱き寄せる。腕の中に納まった身体は熱を帯び震えていた。
「瑠璃、すきだよ。これからは、瑠璃一人を見つめるよ。瑠璃一人を大切にするよ。何度だって会いに来る。何度だって、すきだって伝えるよ。瑠璃、だから、泣かないで……」
 濡れた睫毛の帳が上がり、薄紅色に縁どられた鳶色の瞳が啓介ただ一人を映す。その眼差しに応えるように、啓介は瑠璃の頬から顎のラインをそっと撫でた。瑠璃の瞳が閉じられて、それを合図にして深いキスを交わす。後頭部を支えてシーツに縫い付け、眼差しで、唇で、手で、離れていた心を手繰り寄せるように愛撫する。
「僕、瑠璃が欲しいけど、瑠璃の心の準備をいつまででも待つよ」
「する、なんて、いってない、ちょーしのんな」
 ぐずぐずになった面でこちらを睨む瑠璃は、どうしたって可愛い。濡れて額に下りた前髪を指先で払い、額に口づけを落とす。瑠璃の睫毛が瞬いて啓介の唇を擽った。涙で湿った頬に、赤くなった鼻先に、玉になった涙の乗った睫毛に、硝子細工にするように唇を触れさせる。
「瑠璃、あいしてる」
 顔を背けた瑠璃の耳元へ口づける。柔らかなキスと愛の言葉で心の扉を叩き続ける。
 瑠璃に跪いて愛を乞う。ここにナイフを突き立てても構わないよと心を差し出して、愛を乞う。この心を傷つけられるのは、自分に心を傷つけられた、彼だけだから。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

壁乳

リリーブルー
BL
俺は後輩に「壁乳」に行こうと誘われた。 (作者の挿絵付きです。)

時計の針は止まらない

朝顔
BL
付き合って一ヶ月の彼女に振られた俺。理由はなんとアノ声が大きいから。 自信を無くした俺は、トラウマ脱却のために、両刀だと噂の遊び人の先輩を頼ることにする。 だが先輩はただの遊び人ではなくて……。 美形×平凡 タグもご確認ください。 シリアス少なめ、日常の軽いラブコメになっています。 全9話予定 重複投稿

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

運命のアルファ

猫丸
BL
俺、高木颯人は、幼い頃から亮太が好きだった。亮太はずっと俺のヒーローだ。 亮太がアルファだと知った時、自分の第二の性が不明でも、自分はオメガだから将来は大好きな亮太と番婚するのだと信じて疑わなかった。 だが、検査の結果を見て俺の世界が一変した。 まさか自分もアルファだとは……。 二人で交わした番婚の約束など、とっくに破綻しているというのに亮太を手放せない颯人。 オメガじゃなかったから、颯人は自分を必要としていないのだ、と荒れる亮太。 オメガバース/アルファ同士の恋愛。 CP:相手の前でだけヒーローになるクズアルファ ✕ 甘ったれアルファ ※颯人視点は2024/1/30 21:00完結、亮太視点は1/31 21:00完結です。 ※話の都合上、途中女性やオメガ男性を貶めるような発言が出てきます(特に亮太視点)。地雷がある方、苦手な方は自衛してください。 ※表紙画像は、亮太をイメージして作成したAI画像です。

【完結】何一つ僕のお願いを聞いてくれない彼に、別れてほしいとお願いした結果。

N2O
BL
好きすぎて一部倫理観に反することをしたα × 好きすぎて馬鹿なことしちゃったΩ ※オメガバース設定をお借りしています。 ※素人作品です。温かな目でご覧ください。 表紙絵 ⇨ 深浦裕 様 X(@yumiura221018)

【完結】悪役令息の従者に転職しました

  *  
BL
暗殺者なのに無様な失敗で死にそうになった俺をたすけてくれたのは、BLゲームで、どのルートでも殺されて悲惨な最期を迎える悪役令息でした。 依頼人には死んだことにして、悪役令息の従者に転職しました。 皆でしあわせになるために、あるじと一緒にがんばるよ! 本編完結しました! 『もふもふ獣人転生』に遊びにゆく、舞踏会編、はじめましたー! 他のお話を読まなくても大丈夫なようにお書きするので、気軽に楽しんでくださったら、とてもうれしいです。

悪役令息の七日間

リラックス@ピロー
BL
唐突に前世を思い出した俺、ユリシーズ=アディンソンは自分がスマホ配信アプリ"王宮の花〜神子は7色のバラに抱かれる〜"に登場する悪役だと気付く。しかし思い出すのが遅過ぎて、断罪イベントまで7日間しか残っていない。 気づいた時にはもう遅い、それでも足掻く悪役令息の話。【お知らせ:2024年1月18日書籍発売!】

【完結】悪役令息の役目は終わりました

谷絵 ちぐり
BL
悪役令息の役目は終わりました。 断罪された令息のその後のお話。 ※全四話+後日談

処理中です...