恋するおれは君のオモチャ

野中にんぎょ

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最恐な彼と初めてのデート

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 土曜日の午前十時。圭司の家のインターホンを押すと扉はすぐさま開いた。
「遅い。十時に集合って言ったじゃん。なんでちょうどに来んの」
 真緒は斜め掛けにしたカバンの紐を握りしめて「ごめん」と俯いた。圭司は深い溜息を吐いて「車出してあげるから先乗っといて」と車の鍵を投げて寄越した。
 車で一体どこへ行こうというのか。真緒は戦々恐々としながら黒の軽自動車に乗り込んだ。
 失恋したばかりだというのに、ここ三日ずっとこの日のことで頭がいっぱいだった。圭司とは出来る限り関わり合いたくなかった。彼が高校を卒業してからは、京一の部屋以外で会うことがないように注意深く避けていたのに。
「あれ?真緒!圭司とおでかけかー?」
 愛犬のメリーの散歩に出て来た京一が真緒に気付き手を振ってくれた。「きょーちゃん!」真緒は途端に嬉しさをはじけさせ車から飛び出ようとする。……が、失恋したことを思い起こし躊躇ってしまう。迷っている間にメリーの方が手綱を引っ張って京一を真緒に近づけてくれた。
「こら、メリー!ったく、メリーは真緒がすきだなあ」
 興奮気味のメリーが車体を引っ掻く前にと車を出る。「あはは、メリー、くすぐったいよ」メリーとじゃれていると、あの優しい眼差しが自分を見つめていることにふと気が付いてしまった。真緒はおもむろに視線を上げ、京一と見つめ合う。
「圭司と二人で出かけるなんて珍しいな」
「え、いや、違う、これはっ」
「俺抜きなんて水臭い。どこに行くんだ?」
 真緒はこの状況を弁解する為に言葉を重ねようとした。けれどすぐに気が付いてしまう。弁解する必要なんてない。京一は自分のことなど露ほども想っていないのだから。
 頬に籠っていた熱が引いていく。今になって再び悲しみが押し寄せて、真緒はその鮮度に驚きを隠せなかった。何日か経って胸の痛みもましになったと思っていたのに。
「ストップ。そこまでにしといて」
 涙で滲み始めた視界に手のひらの遮断機が下りてくる。俯いていた顔を上げれば、京一と真緒の間に割って入るようにして圭司が手を伸ばしていた。
「京一。悪いけど、時間に遅れるから。……真緒もほら乗って」
 メリーが圭司にわおんわおんと吠えたてる。圭司は舌打ちをして「相変わらずしつけのなってねえ犬」とぼやいた。涙目の真緒は後部座席へ、圭司は運転席へ。メリーに吠えられながら車は私道へ滑り出す。
「……乗っとけって言ったでしょ。勝手に出るからあんなことになる」
 京一の前では堪えていた涙がぽつぽつと膝に落ちた。京一の顔を見ると失恋したことがまざまざと蘇ってきて心が震えてしまう。いっそ、樹海や波止場にでも連れて行ってくれたらいいのに。真緒は返事もせずに車窓の向こうを見つめた。
 車が停まったのは樹海でも波止場でもなく、この辺りで一番大きな映画館だった。呆然と建物を見上げている真緒の肩を圭司が軽く小突く。
「なに突っ立ってんの。時間に遅れる。席も取ってんだから」
「え?な、なに?なんで映画……」
 圭司は無言で映画館の階段に貼り出されているポスターを指差した。真緒は瞳と口をぱっかんと開けたまましばらくフリーズしてしまう。
 小学生の頃から読んでいるファンタジー小説『魔法の王国』の映画シリーズ第二弾、『キングダムオブマジック偉大なる王の帰還』のポスターだ。二作目が制作されていることは知っていた。けれど、受験が終わるまではとその後は一切の情報を遮断していて……。
「行くよ」
 手を取られ、真緒はひやりと背筋を凍らせた。手の甲をつねられるか、骨が軋むまで握り込まれるか……。予想に反して手は柔らかく握られたまま。二人はすでに薄暗くなっているシアター内へと駆け込んだ。
「真緒、Lの十五の席だから。俺は別のとこだから、終わったら入り口で待ってて」
「え、けい君、でも」
「いいから早く行って」
 指定された席は映画好きの真緒でも座ったことのないプレミアボックスシート。予告が流れる館内で、真緒は何度も座席番号に目を凝らした。追加料金のことを頭に巡らせて青ざめる。映画のチケットと合わせると五千円はするのでは……。
 ――こいつ、俺のおもちゃだから。勝手にいじめないでね。よろしく。
 高校の入学初日、わざわざ一年生の教室にまで来て圭司はそんなことをのたまった。ここ三年間は無視されていたのにと額に脂汗が浮かんだのを覚えている。中学時代、気の弱い真緒はクラスのカースト上位にいいように使われていた。が、ここで高校カースト最上位の不良である圭司の降臨。真緒は卒業まで、いじめられることはおろか友達さえもできなかった。
 圭司のことだ。何か裏があるに違いない……。
 真緒はレザーシートに埋もれながら目を白黒させた。とにかく、映画が終わったら手持ちのお金がそんなにないことを謝らなきゃ……。つらつらと考え事をしている間に映画が始まり、真緒の意識はそちらに持っていかれた。驚いたり、笑ったり、泣いたりして二時間半が過ぎていく。エンドロールが流れる頃には、持って来ていたポケットティッシュが全部なくなっていた。
「きったない顔。人前で泣いて恥ずかしくないの?」
 目を腫らした真緒に浴びせられる暴言。真緒はシアターを出てしまった圭司の背をそろそろと追った。映画館を出たところで三千円を手に意を決し、胸いっぱいに息を吸った。
「けい君ごめん、俺、お金……そんな持ってなくて。さ、三千円しか……」
 あんな感動巨編を観た後だというのに、振り返った圭司の瞳はいつものように冷めていた。
「別に。そんなくしゃくしゃになった千円札なんかいらない」
 白のスウェットに黒のミリタリージャケットを羽織った彼は、それだけで様になる。こんなにも冷たいことを言っているのに、少し離れた場所に居る女の子たちは「あの人カッコよくない?」とはしゃいでいる。真緒は「あ、そうですか」と口端を震わせながら千円札を財布に戻そうとした。
「あ、ちょっと待って。やっぱもらっとく」
 財布にねじ込もうとしていた三千円は華麗に圭司の手へ。真緒は眉間に刻んだ皺をますます深くした。
「どっかメシ食い行こ。映画長すぎてだるかったし腹減った」
 圭司と居る限りイニシアチブが回ってくることはない。
 普段なら気後れして入れないようなお洒落なカフェに到着する頃、真緒はどっと疲れていた。圭司に対するアレルギー反応だ。
「そんなに緊張すんなって」
 お洒落で味付けしたようなパスタを前に固まっている真緒を圭司は笑う。きっと嫌がらせの一環だ、こんな場所に俺を連れて来るなんて。パスタを箸で胃に押し込み、真緒はこの時間が早く終わりますようにと切に願った。
「……観やすかった?」
 出し抜けに問われ、びくりと肩が揺れてしまう。何のことかと尋ねる意味で見つめれば、彼は不機嫌そうに唇をへの字にした。まずい。真緒は頭をフル回転させる。
「うん、観やすかった」
 ようやくプレミアボックスシートのことだと思い至り、パスタを飲み下しながら答える。「あ、そう」どうやら不機嫌の爆発は回避できたらしかった。
 会話らしい会話もなく、先に食べ終わってしまった真緒は背を丸めて手元を見つめた。京一とならどれだけ二人で居てもあっという間なのに、圭司と居ると三十分が永遠にも感じる……。
「前も言ったけどさ、俺って京一と背格好が似てるんだよね」
 急に始まる話に着いて行けず、真緒は置いてきぼりを食らった。「高校の時、俺、短髪だったじゃん。あん時なんか、親も俺と京一をしょっちゅう間違えてたくらいで」次第に苛々を放ち始める圭司。真緒は緊張してしまい相槌も打てない。
「……俺のこと、京一って思ってくれていいよ」
 思わず「え?」と聞き返す。圭司の眉がぎゅんと吊り上がった。
「だから、俺のこと京一って思っていいっつってんの。……二人で居る時は俺のこと“きょーちゃん”って呼べば?」
 ますます真意が分からない。「なんで?」と聞き返したい気持ちでいっぱいだったけれど、圭司の表情が見たことのない歪み方をしていたので真緒は口を噤んだ。眉根を寄せて、けれど眉尻は吊り上げて、下瞼をきゅっと縮ませて、どこか苦しそうな彼。
「仕方ないから、これからもちょいちょい慰めてあげる。俺が誘ったら絶対来い。断るなんて選択肢、お前にはないから」
「……」
「分かった?返事は?」
 鋭く尋ねられコクコクと頷けば、やっと眼差しから解放された。真緒は汗をたっぷりと滲ませた手のひらでデニムの膝を握りしめる。
「ま、長くてだるかったけど、ストーリーは悪くなかったね」
 いつの間にか直っている圭司の機嫌。真緒は彼に悟られないようにこっそりと溜息を吐いた。


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