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ちょっと卑屈だけど、誰より男前な騎士様
しおりを挟む自分の家のそれより馴染みのあるインターホンを押す。「こんばんは、茜です。紫苑いますか」問いかけると、スピーカーから息を飲む音が聞こえた。茜は咄嗟に「紫苑」と呼びかけた。
「紫苑。昨日はごめん。そのこと、謝りたくて」
はあ、と、安堵の息がスピーカーを震わせた。「待ってて、茜。すぐに出るよ。中で話そう」「待って」茜は紫苑の声に被せるように言った。
「優成君も一緒なんだ。会うか会わないか、紫苑が決めて。いやだったら、優成君には帰ってもらう。どうする?」
沈黙が過ぎ、茜は優成を気にした。優成は瞳を閉じ、項垂れている。……おねがい紫苑。茜は扉を見つめ、祈った。おねがい、紫苑、この恋を手放さないで――。
音もなく、扉が開く。優成の面がやおら上がった。
優成の視線の先には、紫苑が立っていた。茜から微笑みかけると、紫苑は下瞼を膨らませた。
「あかね……!」
茜は紫苑へ駆け寄り、紫苑は迷うことなく茜の腕の中へ飛び込んだ。
「バカ! なんでボクをあんな場所に置いて行ったの!」
「ごめん。おれが悪かった。紫苑は何も悪くない」
「いい、いいよ、許してあげる。その代わり、もうボクを置き去りにしないで!」
涙を拭ってやると、紫苑は茜をひたと見つめ、それから茜の肩口に鼻先を擦り付けた。茜と紫苑は抱きしめ合い、微笑みを一つ交わして互いの身体を離した。
「紫苑……」
優成に呼ばれ、紫苑は優成に向き合った。紫苑の眼差しが緊張を帯びているのに気付き、茜は紫苑の手にそっと触れた。
「紫苑。お願い、優成君の話を聞いてあげて」
「茜は……」
「おれも一緒にいるよ。だから大丈夫。な?」
紫苑は視線をさまよわせ、そして優成を見つめた。
「寒いし、二人とも中に入って」
茜は許しを得てもなお躊躇う優成に向けて一つ頷き、門をくぐった。
「茜君、いらっしゃい。焼き立てのマドレーヌがあるから持って行くわね」
焼き菓子の香りが漂うリビング。茜は微笑みかけてくれた紫苑の父親に会釈を返し、二階へ上がった。紫苑はこの場所で、たいせつに育てられてきた。
「紫苑。昨日は、ほんとうに悪かった」
紫苑の自室に入るなり、優成は紫苑に向かって深く頭を下げた。紫苑は優成の肩に手を添え、「ボクこそ、ごめん」と言って、あの日の優成を許した。
「茜に置いて行かれると思ったら、優成君の話が耳に入らなくなって、優成君の気持ちに向き合えなかった。そこは、ごめんなさい。……でも、その後のキスは、ほんとうにいやだった。だけどそれは、行動を起こした優成君だけじゃなく、ボク自身にも原因があるの」
紫苑があの夏のことを打ち明けようとしているのに気付き、茜は「しおん」と頼りない声で紫苑を呼んだ。
「茜に話さなきゃならないことがあるの」
紫苑は真剣な顔で茜に向き合った。
「ボクと茜は惚れっぽいところが似てて、中学校に上がってすぐ、同じ人を好きになった。茜、覚えてる? 弓道部の……、」
その先輩のことは今でも覚えている。文武両道を地で行く彼は、みんなの憧れの的だった。
「ボクと茜は競い合うように先輩にアタックしたんだけど、結局、夏休みを目前に二人してフラれて。……でも、それから数日して、先輩から連絡が来た。ずっとボクが気になってた、茜に内緒で付き合おうって、そういう内容だった」
茜は言葉を失い、紫苑を見つめた。「ごめん、茜。ボクが今から言うことは、きっと茜を傷付ける。でも、言わなくちゃならないことなの」紫苑の声が震えているのに気付き、茜は頷いた。もう、紫苑を置いてきぼりにしたくないし、されたくない。
「ボクは、茜に内緒で先輩の恋人になった。……ボク、焦ってた。茜は人の良い所を見つけるのが得意で、自分から心を開ける子で、明るくてさっぱりしてるから皆に好かれてて……。茜に置いて行かれたらどうしようって、ずっと不安だった。だったら茜を追い越して、その先で待っていればいいじゃないって、浅はかな思い付きで、先輩の気持ちを受け入れた。……茜。ボク、最低でしょ?」
紫苑の笑みが拙くて、茜はふるふると首を振った。紫苑が打ち明けようとしている過去がどんなものであっても、紫苑の輝きは失われたりしない。
「夏休みの前半は毎日のように先輩と会ってた。楽しいこともあったけど、疲れることの方が多かった。だんだん誘いを断るようになって、夏休みが開ける直前、学校で会って気まずくなるのはいやだからっていう理由で、先輩と会うことにした。招かれた自宅には誰もいなくて、二人きりで。先輩は、付き合ってるんだからいいだろう、君の気持ちがほんものなのか知りたいって、ボクの服を」
「しおんっ」
茜は紫苑の手を掴んだ。優成の瞳も震えていた。
「大丈夫。服を脱がされて、触られて、キスされて、でも、それ以上のことはなかったから」
笑みさえ浮かべて茜を宥める紫苑に、茜は「なに笑ってんだよ!」と悲鳴を上げた。
「ショックだった。寝つけずにいたら熱が出て、始業式は学校に行けなかった。そしたら、担任から連絡が来て、不審者とボクの間でトラブルがあったって噂が流れてるけど、ほんとうなのかって……。後で分かったんだけど、その噂を流したのは先輩だった。ボクがあのことを誰かに言うんじゃないかって、怖かったんだろうね。だんだんと、なにもかもどうでもよくなった。学校も、家族も、恋愛も、自分も、ぜんぶ」
沈黙が過ぎていく。マドレーヌがこの部屋に届くことも、きっとない。
「茜は毎日ここに来てくれたけど、ボクはずっと苦しかった。茜の純真さが眩しくて、そんな茜を裏切った自分が情けなくて、何度も時を巻き戻したいって思った。……茜が来ない日は、もっと苦しかった。茜に忘れられたら生きていけないって思った。茜の隣にいられるような自分になろうって、フリースクールにも通ったけど、うまくいかなくて。茜、そのこと、ほんとうは知ってたんでしょ?」
茜は頑なに首を振った。その拍子に涙が散った。ダイヤモンドみたいな紫苑が、自分の知らないところで砕けていて、悲しくて悔しくてやりきれなかった。
「結局、茜に掬い上げられて、高校に通い始めて、止まってた日常が回り始めて。自分でも呆れちゃうけど、また好きな人ができて、その人も茜と被っちゃって、二人揃ってフラれたよね。……楽しかったし、嬉しかった。涙が出るほど。茜といるだけでボクはこんなに強くなれるんだって知って、今度はボクが茜を守る番だって思った。真実は、伝えられないまま」
洟を啜ると、紫苑は眉を寄せて微笑んだ。「ほら、ティッシュ。顔拭きな」そう言うのに涙を拭いてくれるところは、昔から変わってない。
「茜、ボクのこと、嫌いに、」
「嫌いになるわけないだろ!」
その頃の紫苑を想うと胸が張り裂けそうだった。あの頃、どうして、学校に行けない理由を紫苑に尋ねられなかったのだろう。勇気がなかった、全てを受け止めるだけの度量が自分にあるのか分からなかった、あの頃の紫苑を受け入れるので精いっぱいだった。心のどこかで、紫苑に学校に来てほしい、不登校になる前の紫苑に戻って欲しいと思っていた。紫苑はこんなにも苦しんでいたのに!
大粒の涙をこぼす茜を、紫苑は抱き寄せようと腕を伸ばし、けれど躊躇った。「だきしめてよっ!」茜は叫んだ。
「今までみたいに抱きしめてよ! おれの気持ちを疑うな!」
紫苑は茜を掻き抱いた。ぎゅうっと引き寄せられ、茜は瞼を下ろして紫苑に縋りついた。紫苑に、こんな力があったんだ。そう思ってしまうほど、きつい抱擁だった。
「紫苑、ごめん。おれ、紫苑にそんな過去があったのに、無理やりキスして……」
優成は俯き、膝の上の拳を震わせた。紫苑は首を振った。
「悪いのは、ボクもだよ。……茜にさんざん優成君をすすめておいて……、ボクも……優成君を……、」
弱弱しく吐露された本心に、茜は顔を上げた。
「ほら、やっぱり!」
その声は、明るかった。雨上がりの空のように、高々と吹き抜けていた。
「おれたち、好みが似てるもんな。二人して、白馬の王子様がタイプだもんなっ」
紫苑の瞳が次第に潤み、「あかね」と震える声が茜を呼んだ。
「おれ、紫苑と優成君が並んでる姿、好きなんだ。なんていうか、宝物って感じがする。それは……、おれのたいせつな人たちって意味と、紫苑と優成君が互いにそう想い合ってるっていう意味な。紫苑だって言ってたじゃん、優成君とだったらは話し合って問題を解決していけるって。おれもそうだと思う。だって、こうやって謝りに来てくれた」
茜は紫苑の目を見て、「紫苑」と、心を込めて名前を呼んだ。
「優成君と二人で話さなきゃいけないこと、あるんじゃないの。おれがここにいてもいいけど、それだと、紫苑と優成君が前に進めないんじゃないかって思う。置き去りにするんじゃないよ。おれはどこにいても紫苑を想ってる」
茜は紫苑の手に触れ、「どうする?」と紫苑に尋ねた。
「紫苑がおれにいてほしいなら、おれはここにいるよ。紫苑の気持ちが最優先だから」
紫苑は茜の頬に触れ、それから、愛しむように金色の髪を梳いた。「あかね」その声が心に沁み入っていくのが分かる。
「優成君。二人で話そう。……茜、ボクは大丈夫。茜も、行かなきゃならないんでしょう」
茜は頷き、立ち上がった。「あかね」呼ばれるたび、何度でも振り向く。
「茜、最近、すごくかっこよくなった。ボクが何言っても卑屈なこと言ってたのに、最近はそういうの少なくなった。茜をそうしたのは、ボクじゃない。茜を誰かに渡すのはほんとうに悔しいけど、茜の気持ちを尊重するよ。茜がボクに、そうしてくれたように……」
茜は笑った。目頭がこれ以上なく熱くて、けれど今は笑っていたかった。
「優成君、紫苑をよろしくな」
茜は紫苑と優成に向かって手を振り、ドアを開けた。ここには茜を想っていてくれる幼馴染がいて、夕暮れの街のどこかには今すぐにでも会いたい人がいる。そのことが、何より嬉しく、誇らしかった。
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