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君のいなくなった家(佳澄視点)

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 マネージャーに無理を言ってヒロを受け取る時間を設けてもらった。マネージャーは佳澄に気を遣ってか「別の者に受け取らせようか」と提案したが、佳澄は頑なに頷かなかった。
 自分の目で確かめられなかった、廣田の死。彼の葬儀は身内のみで行われた。
 愛しい人がある日突然いなくなってしまう現実が存在することを、佳澄は知っている。廣田に抱いていたのは恋なのか憧れなのか分からないような気持ち。それでも伝えられなかった気持ちは胸に残って、差し出せる相手ももういない。
 帰って来たヒロを自分の目で確かめたい。見て、触れて、声をかけて、感じたい。ヒロが戻って来たのだと。
 出会った時と同じ白い箱の中に眠るヒューマノイド。佳澄は膝を着いて傍に寄った。
「この子の手に触れてあげてください」
 杉崎の言葉に導かれ、白い手に触れる。微かな電子音の後、ヒューマノイドはゆっくりと瞼を上げた。
「ヒロ」
 佳澄は呼びかける。ヒューマノイドは、もう一度瞬きをして、主人を見止めた。
「……ヒロ?」
 佳澄の瞳に戸惑いが漲っていく。
「マスター、作り置き……足りました?」
 ヒューマノイドは起き上がりヒロと寸分違わない微笑みを浮かべた。佳澄は立ち上がりヒューマノイドを見下ろした。
「お前……誰だ?」
 その呟きに杉崎の反応はない。その代わりか、篁がヒューマノイドの傍に駆け寄り佳澄の疑念を拭おうとした。
「周防様。点検はボディだけでなく記憶媒体やセキリュティーシステムなどのソフト関連も隅々まで行っています。目覚めたばかりで、この子も少し呆けて……」
「ヒロは?俺のヒロはどこに行った?」
 次第に険しくなっていく佳澄の表情。杉崎はヒューマノイドを一瞥し佳澄に歩み寄った。
「あなたのヒロはここにいる。この子こそが、あなたの望んだヒロです」
「違う。この子じゃない。この子はヒロじゃない」
「いいえ。この子はヒロです」
 佳澄と杉崎は睨み合い、ヒューマノイドは傍に居る篁の腕を縋るように掴んだ。
「この子の何が気に食わないんです?この子はヒロだ。彼の言動・情動・思考パターン、外的要因による身体の反応、対外的な性格印象。ありとあらゆるデータを算出した。そして、その全てを焼きつけてある。外見だって勿論そう。ヒロと寸分たりとも変わらない。事実上、この子はあなたの愛したヒロとなんら変わらないヒューマノイドなんです」
「違う。俺はヒロに似たヒューマノイドが欲しいんじゃない」
 杉崎はがっくりと項垂れ、肩を揺らした。「ふふ」その口からこぼれた笑みは、堅かった。
「ヒトは……ヒトの愛は、儚い。あなたはそれをよく知っているはず」
 篁は杉崎の前に立ちはだかった。
「杉崎さん、もう止めてください。貴方の望みは叶ったでしょう。この子を……これ以上……」
 杉崎とヒロの視線が交錯する。杉崎もまた、ヒロに微笑んでみせた。杉崎は立ちふさがる篁の身体を払い、佳澄ににじり寄った。
「あなたから離れるという選択をしたのは、他でもない彼だ。あなたの求める愛と、彼の施す愛は違う。そして愛は、時と共に劣化する。この子と居れば愛しいヒロと共に過ごした最愛の時間を、半永久的に続けることが出来るんですよ?」
「俺の気持ちは変わらない。ヒロを返してくれ」
「あなたのヒロは戻って来ない。少なくともあと三年はね。……長いでしょう。愛する者と離れれば一瞬だって長く感じるはずだ。だのに、三年も。ヒロのいない時間を、この子と過ごせばいいのでは?この子と二人で過ごせばあなたにも分かる。何も変わらないと。この子こそが、あなたの求めたヒロなのだと」
「三年……?」
「ヒロとオレの間には約束事がありましてね。あなたの傍にヒロを置いたことも私の指図です。ヒロには護るべきものがある。彼が私と交わした約束を破ることはまずないでしょう」
 三年。佳澄は玄関で自分を見送っていたヒロを思い返した。……三年。
「ふ」
 佳澄は俯き、噴き出した。上がった佳澄の面を見て、杉崎は表情を強張らせた。
「三年待てば会えるの?そのくらい、どうってことない。この世にいないのに、比べれば」
 挑発的な佳澄の眼差しに、杉崎は唇を噛んだ。
「あんたは勘違いしてる。俺はヒロの愛だけが欲しいんじゃない。傍にいて欲しいだけじゃない。ヒロは廣田さんの代わりじゃない。……廣田さんのこともそうだ。俺と廣田さんの何を調べたか知らないけど……、死んだから、傍にいないからそれで終わりだとか、俺は思わない。廣田さんは俺の中に生きてて、色々なことを教えてくれた」
 廣田の死を消化しきれないまま仕事に没頭してきた。そのくらい大切な人だったのだと気付いたのは彼がいなくなってからで、時間の経過と共に後悔が膨らんだ。
 そんな日々の連鎖に飛び込んできたのがヒロだった。ヒロの言動一つ一つに、佳澄のほの暗い安寧が優しくかき乱されて……。
 廣田がこの世にいないからこそ分かる、誰かが傍にいてくれることの温かさ。視界が開けると、亡くなった彼が残していってくれたものに気付けるようになった。ヒロが照らしてくれたから見つけることが出来た、受け取ることが出来た。
「きっと後悔する。あなたは……、この子の手を取るのだったと、そう、後悔する」
「かもしれない。でも、受け取れない。この子を俺の傍に置くことは出来ない」
 佳澄は座ったままのヒューマノイドの傍に寄り、抱き寄せた。
「ごめん。俺の為に生まれてきてくれたんだよな。……ありがとう」
 ヒューマノイドは両手を佳澄の背に迷わせたけれど、抱擁には応えなかった。佳澄はヒューマノイドから身体を離し、篁に視線を送った。
「なんで。……どうして!?オレの産んだこの子は!完璧なんだ!ヒトなんだ!キカイじゃない!愛してくれるヒトが必要なんだ!あなたが応えなければ誰が応えるの?誰がこの子を愛するの!?」
 頭を振り立てながら悲痛な叫びを上げる杉崎に、篁は早足で詰め寄った。「杉崎さん」篁の呼びかけに杉崎の視線が応えた、その時だった。パシン。乾いた音が、冷たい廊下に響き渡った。
「いい加減にしてください」
「篁、お前っ……」
「今、この子を悲しませているのは貴方だ」
 杉崎はハッとしてヒューマノイドを見つめた。ヒューマノイドは母親の視線に応え、立ち上がった。
「ママ」
 ヒューマノイドは杉崎に歩み寄り、その手を取った。
「ママ、おうちに帰ろう。……一緒に帰ろう」
 家と呼べる場所に帰っても、空っぽのその場所を「家」だと思えなかった佳澄の少年時代。ヒロが温もりを灯してくれた部屋が、いつの間にか「家」だと思えるようになった。自分の帰る場所はここなのだと思えるようになった。
 一緒に帰ろう。
 自分もヒロにそう声をかけられたら。佳澄は杉崎とヒューマノイドの後ろ姿に目を細めた。


 ヒロのいなくなった家は、やけに静かだ。
 あれだけ一緒にいたのに、ヒロのものはリビングに一つも増えていない。本当に存在していたのか分からなくなってしまうくらいだ。
 佳澄はソファーから腰を上げ、ヒロの部屋に向かった。
「床、ピカピカじゃん」
 褒めてあげたくても、撫でられる頭がない。
 ベッドに腰掛けてシーツを撫でてみる。もうヒロの匂いはそこになかった。しばらく部屋を見渡しておもむろに立ち上がり、クローゼットの扉に手をかける。
「お前以外……誰が着るんだよ」
 広いクローゼットにたった一着吊るしてあるスーツ。佳澄はそのスーツを抱き寄せた。ちゃんとヒロの匂いがした。
 どうしてお前は俺のところに来たんだ?どうして急にいなくなったんだ?
 佳澄はスーツを手に取って、自室に向かった。ヒロの気配が消えないようにどこかへしまわなければと気が急いた。
 自室のウォークインクローゼットに入り自分のスーツの隣へヒロのスーツを吊る。ハンガーに掛けられただけのネクタイを手に取りタイ類をしまっている棚を開け、佳澄は一瞬時を忘れた。
 平置きにして並べられたタイ。一か所だけ、空白がある。佳澄はその空白に触れた。
「やっぱり、ヒューマノイドじゃなかったんだな」
 主人のネクタイを勝手に持って出るなんて、ヒューマノイドだったら絶対にしないだろう。
 ばかだな。抜けてる。後先考えないのはヒロの悪いところ。
 なのに。そんなところが愛しい。そんなところこそが、たまらなく愛しい。
 意地っ張りで負けず嫌いなところがあって、言うことは聞かないし、生意気で……。真っ直ぐで、一生懸命で、思いやりがあって、ひとの期待に応えようとするところがあって。そんなヒロに、いつの間にか癒されていた。どうしようもなく、惹かれていた。
「ホント、俺を振り回すのが好きだよな、お前は……」
 ヒロの作った空白に持っていたネクタイを差し込む。落ち込んでいる時間も惜しい。
 照明の下で台本を広げる。四月の中盤から夏ドラマの収録が始まる予定だ。佳澄が演じるのは主要キャラクターの一人で、憎まれ役だからこそより深い役作りが必要だ。
 三年。佳澄は台本を捲り、視線を上げる。
 画面から消えてやるものか。
 この世界のどこかにいるヒロの視界に、これでもかと入ってやる。忘れたくても忘れられないくらいに。傍に居なくても、傍に居ると感じられるくらいに。
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