20 / 20
今だけは、シャッターを切らないで。
しおりを挟む
停滞していると思われた季節が、けれど確実に去って行き、道端に木の葉が舞い散る。秋の終わり、冬の始まり。薫は白い息を吐き、『くろき青果』の店内を覗き見た。……輔はいない。
「そんなとこでなに突っ立ってんの?」
背中越しに尋ねられ薫の身体が跳ねた。振り返れば、輔がにんまりと笑っていた。
「もしかして、おれのこと探してた?」
意地悪く問われて、頬から耳がカーッと熱くなっていく。輔の瞳がその一部始終を楽しんでいるのが伝わって来て、薫は輔を睨んだ。
「母さんに大根頼まれたから来ただけ。今日はおでんなんだって」
「大根ね。ちょっと待ってな」
入口のカゴをひょいと取り、「一本?半分?」と尋ねる輔。「一本」「了解」薫の代わりにとっておきの一本を選び抜き、輔は得意気に口端を上げた。
「多分これが一番おいしい。辛子味噌もあるけどどうする?辛さ控えめでおまえ好みだと思うけど」
「じゃあ、それも」
薫は商品をエコバックに詰めている輔の様子をじいと見つめた。夏よりも厚みを増した肩を眺めていると、ふっと眼差しが通う。薫は慌ててレジの傍に置かれた紙袋を指差した。
「これを買う為に出てたの?水泳の雑誌?」
「いや。……えーと……、これは……、」
視線を彷徨わせ紙袋を背後に隠す輔。その後ろで伝票を整理していた輔の母がくすりと笑った。
「アンタ、なに恥ずかしがってんの。薫君の載ってる雑誌でしょ。メンズビーだっけ?」
薫は目を丸くして肩を緊張させ、輔は思い切り顔を顰めた。「この子、薫君が専属モデルになってから一号も欠かさず買ってるのよ。定期購読すればーって言ったら、それはヤダって。意味わかんないわよねぇ」彼女は伝票にハンコを押し、突風のように売り場へ駆けて行った。
「定期購読の方が、ちょっとだけ、安いけど……」
顰めた顔のまま、輔は「知ってる」と捨て鉢に言った。けれど彼の頬は先ほどの薫と同じくらいに赤くなっていて、これ以上なく可愛かった。
「ねえ、輔君。部屋、寄って行ってもいい?」
「……別に、いいけど」
不機嫌そうな返事とは裏腹に、薫のエコバックを持ち、手まで引いてくれる輔は、本当に愛らしい。きゅっと握られた手が熱くて、薫はそれだけで嬉しくなった。
「輔君、これ……」
ドアを開け、薫は瞳を見開いた。ローテーブルに置かれていたのは最新号の『Men’s BE』。積まれたものを数えてみれば七冊もある。ベッドに腰掛けた輔を見つめると、彼は観念したように紙袋の中身を取り出した。こちらも、最新号の『Men’s BE』だった。
「それも今月号?こんなにどうするの?誰かに配る……とか?」
とんちんかんなことを言っている自覚はある。けれど薫だってこの状況に困惑していた。「あのなぁ」呆れたように首を傾げ、輔は頁を捲った。
「こんなん、配れるわけねぇだろ。逆だよ、逆。集めてんの!」
開かれた頁一面で、文彦と薫が見つめ合い絡み合っている。撮影当時は夢見心地で分からなかったけれど、二人の唇が今にも触れそうなポーズもあった。“憧れを手にする”というテーマだと聞いていたのに、紙面には『憧れるだけで満足できる?』というなんとも煽情的なフレーズがついていた。亮や編集部の社員から聞いた話では、この特集がSNSで話題になっているらしい。『これ、抱いてる 絶対抱いてる』『綺麗とエロスの暴力』『伊月文彦、エロい』亮がスクロールするたびに現れた呟きはどれもこれもピンと来なかったのに、こうして見ると……。
「これさ、おれ、どー受け止めればいいの?おまえの彼氏として……」
テーブルに頬杖を突き目をすがめる輔。薫は抱えた膝をぎゅっと引きつけ、「どうって……」とまごついた。
紙上の文彦は美しかった。
美しいものが並んでいるとしても、文彦の美には薫以上の奥行きがあった。文彦の纏っている衣装がようやっと満たされ艶めいている。薫の心はじわりと熱を帯びた。それは紛れもない嫉妬だった。紙面で薫以上に輝く文彦はもはや伊月文彦という芸術で、この芸術はいつだって不特定多数の目に晒されている。一瞬にして膨れ上がった嫉妬が文彦へも読者へも注がれ、薫は表情を曇らせた。文彦は、薫だけの宝石でなく、一人一人に違った輝きを注ぐ星のような存在だったのだ。
僕に辿り着けるだろうか。
不安が押し寄せ、薫は頭を振った。きっと、この足で辿り着いてみせる。あの人の元まで――。
「文彦君は、確かに特別だよ。僕、この撮影がきっかけでモデルの仕事をもっと突き詰めたいって思ったんだ。だってこの日、僕は文彦君にリードされて、ただうっとりしてただけだったから。モデルっていう肩書を持つ人間じゃなくて、本当の意味で文彦君の隣に立てるモデルにならなきゃって……」
「……なるほどね」
ぼやいても、頁を捲る輔の指は蝶の羽に触れるように密やかで注意深い。特集の記事すべてに目を通し、輔は「確かに」とため息交じりに呟いた。
「この薫、綺麗だ。なんつーか、神秘的。今までとは全然違う」
ここまでの絡みいるかとは思うけど。そう付け加え、輔の瞳が薫をひたと見つめた。自分が乞われていることを感じ、薫は机に身を乗り出して輔の唇を啄んだ。見つめて、そこから心を注ぐ。ありのままの心を。
「僕がこうやってキスしたいって思うのも、触れたいって思うのも、これが恋だって思うのも、輔君だけだから」
両手で輔の両頬を包み込み、額にも唇を押し付ける。「誓うよ、神様に」鼻先に囁けば、今度は輔が唇を啄んでくれた。机を隔てて、互いの手指を絡ませて唇を奪い合う。
「可愛いおまえは、誰にも見せたくない。おれだけの、可愛い薫でいて」
今だけ、この瞬間だけは、シャッターで切り取らないで。
薫は愛しい人の瞳の中で微笑んで、瞼を下ろした。
【終】
「そんなとこでなに突っ立ってんの?」
背中越しに尋ねられ薫の身体が跳ねた。振り返れば、輔がにんまりと笑っていた。
「もしかして、おれのこと探してた?」
意地悪く問われて、頬から耳がカーッと熱くなっていく。輔の瞳がその一部始終を楽しんでいるのが伝わって来て、薫は輔を睨んだ。
「母さんに大根頼まれたから来ただけ。今日はおでんなんだって」
「大根ね。ちょっと待ってな」
入口のカゴをひょいと取り、「一本?半分?」と尋ねる輔。「一本」「了解」薫の代わりにとっておきの一本を選び抜き、輔は得意気に口端を上げた。
「多分これが一番おいしい。辛子味噌もあるけどどうする?辛さ控えめでおまえ好みだと思うけど」
「じゃあ、それも」
薫は商品をエコバックに詰めている輔の様子をじいと見つめた。夏よりも厚みを増した肩を眺めていると、ふっと眼差しが通う。薫は慌ててレジの傍に置かれた紙袋を指差した。
「これを買う為に出てたの?水泳の雑誌?」
「いや。……えーと……、これは……、」
視線を彷徨わせ紙袋を背後に隠す輔。その後ろで伝票を整理していた輔の母がくすりと笑った。
「アンタ、なに恥ずかしがってんの。薫君の載ってる雑誌でしょ。メンズビーだっけ?」
薫は目を丸くして肩を緊張させ、輔は思い切り顔を顰めた。「この子、薫君が専属モデルになってから一号も欠かさず買ってるのよ。定期購読すればーって言ったら、それはヤダって。意味わかんないわよねぇ」彼女は伝票にハンコを押し、突風のように売り場へ駆けて行った。
「定期購読の方が、ちょっとだけ、安いけど……」
顰めた顔のまま、輔は「知ってる」と捨て鉢に言った。けれど彼の頬は先ほどの薫と同じくらいに赤くなっていて、これ以上なく可愛かった。
「ねえ、輔君。部屋、寄って行ってもいい?」
「……別に、いいけど」
不機嫌そうな返事とは裏腹に、薫のエコバックを持ち、手まで引いてくれる輔は、本当に愛らしい。きゅっと握られた手が熱くて、薫はそれだけで嬉しくなった。
「輔君、これ……」
ドアを開け、薫は瞳を見開いた。ローテーブルに置かれていたのは最新号の『Men’s BE』。積まれたものを数えてみれば七冊もある。ベッドに腰掛けた輔を見つめると、彼は観念したように紙袋の中身を取り出した。こちらも、最新号の『Men’s BE』だった。
「それも今月号?こんなにどうするの?誰かに配る……とか?」
とんちんかんなことを言っている自覚はある。けれど薫だってこの状況に困惑していた。「あのなぁ」呆れたように首を傾げ、輔は頁を捲った。
「こんなん、配れるわけねぇだろ。逆だよ、逆。集めてんの!」
開かれた頁一面で、文彦と薫が見つめ合い絡み合っている。撮影当時は夢見心地で分からなかったけれど、二人の唇が今にも触れそうなポーズもあった。“憧れを手にする”というテーマだと聞いていたのに、紙面には『憧れるだけで満足できる?』というなんとも煽情的なフレーズがついていた。亮や編集部の社員から聞いた話では、この特集がSNSで話題になっているらしい。『これ、抱いてる 絶対抱いてる』『綺麗とエロスの暴力』『伊月文彦、エロい』亮がスクロールするたびに現れた呟きはどれもこれもピンと来なかったのに、こうして見ると……。
「これさ、おれ、どー受け止めればいいの?おまえの彼氏として……」
テーブルに頬杖を突き目をすがめる輔。薫は抱えた膝をぎゅっと引きつけ、「どうって……」とまごついた。
紙上の文彦は美しかった。
美しいものが並んでいるとしても、文彦の美には薫以上の奥行きがあった。文彦の纏っている衣装がようやっと満たされ艶めいている。薫の心はじわりと熱を帯びた。それは紛れもない嫉妬だった。紙面で薫以上に輝く文彦はもはや伊月文彦という芸術で、この芸術はいつだって不特定多数の目に晒されている。一瞬にして膨れ上がった嫉妬が文彦へも読者へも注がれ、薫は表情を曇らせた。文彦は、薫だけの宝石でなく、一人一人に違った輝きを注ぐ星のような存在だったのだ。
僕に辿り着けるだろうか。
不安が押し寄せ、薫は頭を振った。きっと、この足で辿り着いてみせる。あの人の元まで――。
「文彦君は、確かに特別だよ。僕、この撮影がきっかけでモデルの仕事をもっと突き詰めたいって思ったんだ。だってこの日、僕は文彦君にリードされて、ただうっとりしてただけだったから。モデルっていう肩書を持つ人間じゃなくて、本当の意味で文彦君の隣に立てるモデルにならなきゃって……」
「……なるほどね」
ぼやいても、頁を捲る輔の指は蝶の羽に触れるように密やかで注意深い。特集の記事すべてに目を通し、輔は「確かに」とため息交じりに呟いた。
「この薫、綺麗だ。なんつーか、神秘的。今までとは全然違う」
ここまでの絡みいるかとは思うけど。そう付け加え、輔の瞳が薫をひたと見つめた。自分が乞われていることを感じ、薫は机に身を乗り出して輔の唇を啄んだ。見つめて、そこから心を注ぐ。ありのままの心を。
「僕がこうやってキスしたいって思うのも、触れたいって思うのも、これが恋だって思うのも、輔君だけだから」
両手で輔の両頬を包み込み、額にも唇を押し付ける。「誓うよ、神様に」鼻先に囁けば、今度は輔が唇を啄んでくれた。机を隔てて、互いの手指を絡ませて唇を奪い合う。
「可愛いおまえは、誰にも見せたくない。おれだけの、可愛い薫でいて」
今だけ、この瞬間だけは、シャッターで切り取らないで。
薫は愛しい人の瞳の中で微笑んで、瞼を下ろした。
【終】
4
お気に入りに追加
67
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
虐げられている魔術師少年、悪魔召喚に成功したところ国家転覆にも成功する
あかのゆりこ
BL
主人公のグレン・クランストンは天才魔術師だ。ある日、失われた魔術の復活に成功し、悪魔を召喚する。その悪魔は愛と性の悪魔「ドーヴィ」と名乗り、グレンに契約の代償としてまさかの「口づけ」を提示してきた。
領民を守るため、王家に囚われた姉を救うため、グレンは致し方なく自分の唇(もちろん未使用)を差し出すことになる。
***
王家に虐げられて不遇な立場のトラウマ持ち不幸属性主人公がスパダリ系悪魔に溺愛されて幸せになるコメディの皮を被ったそこそこシリアスなお話です。
・ハピエン
・CP左右固定(リバありません)
・三角関係及び当て馬キャラなし(相手違いありません)
です。
べろちゅーすらないキスだけの健全ピュアピュアなお付き合いをお楽しみください。
***
2024.10.18 第二章開幕にあたり、第一章の2話~3話の間に加筆を行いました。小数点付きの話が追加分ですが、別に読まなくても問題はありません。
悪役令嬢のビフォーアフター
すけさん
恋愛
婚約者に断罪され修道院に行く途中に山賊に襲われた悪役令嬢だが、何故か死ぬことはなく、気がつくと断罪から3年前の自分に逆行していた。
腹黒ヒロインと戦う逆行の転生悪役令嬢カナ!
とりあえずダイエットしなきゃ!
そんな中、
あれ?婚約者も何か昔と態度が違う気がするんだけど・・・
そんな私に新たに出会いが!!
婚約者さん何気に嫉妬してない?
君に望むは僕の弔辞
爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。
全9話
匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意
表紙はあいえだ様!!
小説家になろうにも投稿
完結・オメガバース・虐げられオメガ側妃が敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン王から溺愛されました
美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!

夢では溺愛騎士、現実ではただのクラスメイト
春音優月
BL
真面目でおとなしい性格の藤村歩夢は、武士と呼ばれているクラスメイトの大谷虎太郎に密かに片想いしている。
クラスではほとんど会話も交わさないのに、なぜか毎晩歩夢の夢に出てくる虎太郎。しかも夢の中での虎太郎は、歩夢を守る騎士で恋人だった。
夢では溺愛騎士、現実ではただのクラスメイト。夢と現実が交錯する片想いの行方は――。
2024.02.23〜02.27
イラスト:かもねさま
後輩に嫌われたと思った先輩と その先輩から突然ブロックされた後輩との、その後の話し…
まゆゆ
BL
澄 真広 (スミ マヒロ) は、高校三年の卒業式の日から。
5年に渡って拗らせた恋を抱えていた。
相手は、後輩の久元 朱 (クモト シュウ) 5年前の卒業式の日、想いを告げるか迷いながら待って居たが、シュウは現れず。振られたと思い込む。
一方で、シュウは、澄が急に自分をブロックしてきた事にショックを受ける。
唯一自分を、励ましてくれた先輩からのブロックを時折思い出しては、辛くなっていた。
それは、澄も同じであの日、来てくれたら今とは違っていたはずで仮に振られたとしても、ここまで拗らせることもなかったと考えていた。
そんな5年後の今、シュウは住み込み先で失敗して追い出された途方に暮れていた。
そこへ社会人となっていた澄と再会する。
果たして5年越しの恋は、動き出すのか?
表紙のイラストは、Daysさんで作らせていただきました。

【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる