おれの愛する不機嫌なクピド

野中にんぎょ

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「可愛い」

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「なんでいきなりスイッチ入っちゃうの?この部屋、床軋むし、声もちょっと大きくしただけで筒抜けになっちゃうから」
「僕、静かにするし、あんまり動かないようにする。ちゃんとできるか、分かんないけど……」
 この覚悟が本物だということを分かって欲しくて、薫はシャツとインナーを脱ぎ捨てボトムスのボタンに手を掛けた。「分かった」輔は溜息を吐き、Tシャツを脱いでくれた。
「おれたち、タイミング合わねえなあ」
「すれ違っちゃうね、すぐ」
 互いを引き寄せ、肌と肌を重ねる。肌はもうすでに汗ばんで、熱い。そう感じられることが、こんなにも嬉しい。
「クーラー、寒くない?温度上げる?」
 耳元で優しく囁かれ、首を振る。輔がくすくす笑うから肌を離して見つめれば、「髪、くすぐったい」と甘く微笑んだ彼がいた。
「すれ違っちゃっても、いいじゃん。こーやって、ちょっと遅れて足並み揃うのが、おれたちらしいよ。おれ、ちゃんと待つようにするから。それでも急ぎ過ぎてたら、今日みたいに教えてよ。おまえのペースでいい。それで十分だから」
 輔の言葉が胸にストンと落ちて、薫は頷いた。そうだ。すれ違ってもいいじゃないか。互いに歩み寄って手と手を取れる喜びがそこにある。
「う、ン」
 唇から頬、耳元から首筋へ熱い唇が伝う。ちゅっ、と小さな音を立てて、慈しむようなキスがまばらに素肌へ降り注ぐ。輔は男二人の体重には耐えられそうにないパイプベッドから掛け布団を下ろし、その上に薫を横たえさせた。
「輔君、布団、汚しちゃうかも」
「このままじゃ背中痛いだろ。汚れたっていいよ」
 ギッ。組み敷かれるだけで床が鳴る。最小限の動きで互いの肌に手を伸ばし、温みと感触に感じ入る。何度も見てきた輔の上半身。褐色の首筋、盛り上がった肩から、骨ばった鎖骨、胸の中心から鳩尾へ深く落ちた影、割れた腹筋。夕闇の中で蠱惑的な肉体が呼吸している。寛げられたボトムスからショーツが覗いて、素肌とショーツの境の白さに視線が吸い込まれた。そういえば、冬の輔は色白だ。
「なぁに見てんだよ。薫のエッチ」
「……だって、なんか、」
 薫の視線を詰った彼は目の前の薄い胸へ手を伸ばした。むに、と両脇から胸を揉むようにされ、どうにかこの胸でも許してくれないかと、薫は無い胸を寄せてみた。
「ふは。そんなこと、しなくていーよ」
「え、でも、身体薄っぺらいし、触るとこ全然ないから……」
 きつく寄せても影さえ浮かばない。おずおずと輔の表情を確かめれば、彼は目を細めて微笑んでいた。とろりと甘く潤った輔の瞳が薫の胸をときめかせた。
「可愛い」
 ぽそ、と呟かれた言葉は、この距離でなければきっと聞こえなかった。自分の瞳に驚きが漲って行くのが分かる。
「おれにとっては触りたいとこばっかだよ。……そのまま寄せてて」
 戸惑っている内に、胸の突起の傍に唇が落ちた。多少は肉が寄っているのか、輔が「柔らかい」と呟く。胸や鎖骨に唇が落ちるたびに腕が緩みそうになり、薫は胸を反らして両腕をきつく寄せ直した。
「薫のおっぱい、他のヤツには作んなよ。分かった?」
「なにそれ、おっぱいじゃないし、こんなのっ」
 突起を吸われ、「あっ」と声が立つ。腕が力をなくして開いても、輔は「可愛い」と囁きながら薫の薄い胸を愛した。その言葉が薫の心臓に沁み込んで、鼓動が速くなっていく。
「こっち、脱がしていい?」
 ショーツを指差され頷くと、ウエストのゴムと素肌の間に親指が潜り込んだ。ショーツを脱がされると、熱で膨らんだものがまろび出て涙が滲んだ。「たすくくん」縋るように名前を呼べば、輔もボトムスとショーツを脱いでくれた。自分のものとは、形も、色も、反り方もまるで違う。輔もそれを感じたのか、薫のものと自分のものを比べるように擦り合わせた。
「下の毛も金色なんだ?」
「やだ、もう、恥ずかしい」
「おまえのと比べると、おれのって、グロくね?……怖くない?」
 充血して膨れたそこは、水着の陰に隠れた素肌より濃い色をしていた。輔の牡(おす)の部分を自分のものに添えられ、薫の咥内に唾液が滲んだ。
「怖くない。輔君のだから。反応してくれて、嬉しい」
「おれも、薫のだから可愛く見えるよ」
「さっきから、可愛い可愛いって、言い過ぎだよ。可愛くなんてないから」
 自分で言って、きゅうっと眉根が寄る。布団を握りしめて視線を逸らすと、それを咎めるように輔の腰がゆるりと振られた。竿と竿が擦れて、もどかしくも糸を引くような性感が訪れる。
「ほんとは、ずーっと、可愛いって思ってた。でも、純粋な可愛いじゃなくなっちゃったから、言えなかった。今は下心、入っててもいいよな?」
「う……、や、はぁ……、」
「なあ、おれとおまえの、一緒に握って。いつも自分でしてるみたいにして」
 陰茎を輔のもので擦られ、薫の理性がじんわりと蕩けていく。言われた通りに両手で互いのものをひとまとめにしてゆるゆると扱く。輔の腰が次第に突き上げるような動きに代わり、その摩擦が薫の手のひらを愛撫した。
「ン、や、はっ、あっ、ぁあっ」
 声が勝手に漏れてしまい、薫は唇を噛みしめた。途端に、はっ、はっ、と小刻みだった息が、フーッ、フーッ、と獣じみたそれになって恥ずかしくてたまらなくなった。陰茎も手のひらも互いの先走りで濡れそぼち、薫の目の前が真っ白になった。
「んんっ、ン、ふーっ、フッ、フッ、あ、んぅ~……っ!」
 鈴口から白濁した欲望が吐き出されると、目の前も真っ白に濡れた。緊張していた身体がとろとろと弛緩する。「よかった。ちゃんとイってくれた」心底ホッとしたように呟かれ、薫は輔を睨んだ。
「僕だって男だよ。好きな人にこんなことされたら出るよ」
「そっか。ちょっと不安だったから、よかった」
 吐露された不安が、切ないやら悔しいやら愛しいやらで、薫は布団から起き上がり輔に向かい合った。
「輔君、小学生の僕で夢精したって、罪悪感あるみたいだけど……。僕だって、精通、輔君だったから。ふ、布団を脚に挟んでこすったら気持ちよくって、布団に入った時にそうしてたら、輔君の水着姿が浮かんで、止まんなくなって……。僕だってその時、神聖なものを穢したような気分だったんだから」
「え……。ホント?それ、いつの話?」
「小学校の卒業前」
「ヤバ。同じ時期じゃん」
 見つめ合うと互いの表情がゆっくりとほどけていくのが分かった。
「なんかちょっと……ホッとした。なんて言ったら、だめだよな」
「なんで?だめじゃないよ!」
 輔の顔に罪悪感が滲んだのを見逃せず、薫は輔の両腕を掴んだ。
「僕は嬉しかった。同じ気持ちだったんだって、そういうこともしてもらえるんだって」
「してもらえるって、おまえな……」
「大事なことでしょ、こういう欲を受け取ってもらえるかそうでないかって。輔君だってさっき、ちょっと不安だったって言ったじゃん。……ホッとして、いい。僕は輔君のそういう欲も欲しかった」
 輔は唇を薄く開けたまま薫をつくづくと見つめた。
「おまえ、思ってることをこんなにはっきり言葉にするヤツだったっけ」
その言葉に微笑みで応える。足並みが揃わないことも多いけれど、ずれて、ずれて、カッキリと噛み合うこともある。
 臨海公園でシャッター音を聞いた瞬間から、目まぐるしく夏が過ぎて行った。もうずっと、輔に対しても自分に対しても諦めの気持ちばかり抱いていたのに、今は違う。
 今の自分をまるごと受け止めてくれた彼と、想いを抱えながら待っていてくれた彼がいたから。やっと、前へ進める。
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