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交錯するデートとデート、はじまるトライアングル
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伊月文彦、十九歳。デンマーク人の父親と、イギリス・日本のハーフの母親の間に産まれ、幼少期をイギリスで過ごし、両親の離婚で母親の生まれ故郷である日本に渡る。母親の帰化に伴い自身も日本国籍に帰化。医療機器の開発に携わる母親と共に北欧を転々としながらも、モデルや俳優として活躍の場を広げている。
待ち合わせ時間に相手のプロフィールを検索できるなんて、なんて世の中だろう。薫はスマートフォンから視線を上げ、人混みの向こうから手を振っている文彦を見やった。
「ごめん。待たせちゃったかな」
「全然。っていうかさ、この画像、いつの文彦さん?」
プロフィールの隣に表示された“かつての文彦”を指差し尋ねれば、文彦はこれまでにない量の皺を眉間に寄せ「待ち合わせの相手を検索にかけるなんて悪趣味だよ!」と声を荒げた。そんな目の前の彼とは対照的に、画像の彼は銀色の長髪を後ろで束ね涼しく微笑んでいる。
「こんなに髪長かったの?役作りとかで?」
「もうその話はナシ。行くよ」
スマートフォンごと手を掴まれ、雑踏の中へ引っ張られる。一人で歩いているとジロジロ見られたり話し掛けられたりするのに、文彦がセットになると人混みが二人を避けて行くという奇妙な現象が起こった。
「この辺、スカウトが多くて通るのが嫌だったんだけど、薫といるとそうでもないな。むしろ道を開けてくれてるって感じだ」
「それはドーモ……。もう、手、離してって」
言えばすぐに離れていく手。「薫はいつもの休日みたいに自由にしてもらっていいから」受け取る相手によっては「冷たい」と評される薫のコミュニケーションにも、文彦は柔らかく応えた。
『いつもの公園とは別の場所にいる薫を撮りたいんだけど、だめかな』
昨日の夕方、文彦からそんなメッセージが届いた。『いいけど、その日は仕事の為の買い物もしたいから、夕方からでいい?』『薫さえよければその買い物に同行したい。薫は自由にしてもらって、おれはその時その時の薫を撮る。どうかな』やりとりするうちに集合時間や待ち合わせ場所が決まり、あれよあれよと夜が明けた。昨日はなぜかよく眠れなかった。
「仕事の為の買い物って、服?」
「そう。『ぼくらのリアルクローズ』ってコーナーで七日分の私服コーデが必要になって。僕、あんまり服に興味なくて、私服は撮影でもらったやつばっかりだから、一から揃えなきゃいけなくて」
百貨店のメンズ館に入れば店員たちの眼差しが一斉に文彦へ集まった。注目されていることなどどこ吹く風で、文彦は一番手前にある店舗に入り「予算は?」と尋ねた。
「母さんからは七万円もらってるんだけど、ボトムス二本と靴だけ良いの買って、後は適当に揃えようかなって」
「ボトムスと靴は大事だよね。靴はどんなのが欲しいの?」
「靴は家に紺のジャックパーセルと白のヴァンズがあるから、革靴が欲しくて」
「オーケー、見繕ってあげる」
そう言うなり、文彦はハンガーを捲り始めた。「これだ」黒のスラックスを一本手に取ったかと思えば、「これもいいね」と軽いダメージの入ったインディゴブルーのデニムにも手を伸ばしている。
「試着しよう。サイズ感だけ確認したい」
文彦は新作から毛足の長いモカのニットまで手に取り、「すみません」と店員を呼び止めた。「え、ちょっと、」値段に青ざめ文彦の腕を引っ張れば、彼は「薫を着せ替え人形にできるチャンスなんてみすみす逃せない」といたずらっぽく笑った。
試着室に押し込まれ、「インナーはこれね」とカーテンの隙間から白のカットソーまで渡されてしまう。しぶしぶ着替え店員の声に応えてカーテンを開けると、瞳を輝かせた店員が「とてもよくお似合いです……」と吐息交じりに褒めてくれた。
「どーすんの。全部試着しちゃったじゃん。四着で七万越えてるよ」
「おれが払うよ。……すみません、試着した分、全部ください。一括でお願いします」
薫が言葉を失っているうちに、魔法のカードが切られ、会計は終わってしまった。購入品を詰めたショッパーを受け取れば、店員が「あの」と薫を呼び止めた。
「プライベートなのにすみません。でもあの、僕、ずっと『Men’s BE』を愛読してて。もしかして、専属モデルの薫君じゃないですか?違ってたらすみません」
「あ、はい、そうですけど……」
潤んだ瞳を見開き、店員は「やっぱり!」と声を弾ませた。
「俺、いや、僕、薫君より三つ年上なんですけど、自分を持ってる薫君みたいになりたいって、憧れてて。去年リアルクローズのコーナーで紹介してたシルバーアクセも、かっこいいって思って、同じの買いました……。あの、頑張ってください!応援してます!」
旋毛から爪先までキメている年上の男性からエールを送られ、薫は「ありがとうございます……」と応えつつ呆気に取られた。
「すごい見てくるなと思ってたら、薫のファンだったね」
店を出てから文彦が嬉々として囁く。「しかも、結構な熱量のファンだった。こういうこと、よくあるの?」「ないよ。こんなの初めてで、僕も驚いてる」向けられた眼差しがむず痒く視線を跳ね上げれば、文彦はやっぱり微笑んでいた。
「ていうか、僕の買い物なんだから、文彦さんがお金使う必要ないから」
「プレゼントだよ。いつも撮らせてもらってるお礼」
飄々と言ってのけ、「次は靴か。軽い羽織も欲しい所だな」と呟き靴売り場に吸い込まれて行ってしまう九頭身のショーモデル。薫は慌ててその後を追った。
結局、黒革のローファーと、ブラウンのカーディガン、黒のスウェットにヴィンテージ風のチェックシャツと白シャツを購入し、二人はメンズ館を後にした。
百貨店を出た途端、二人に強烈な日差しが降り注いだ。「ちょっと休憩しようか」薫の荷物を抱えた文彦がオープンテラスのあるカフェを指差した。
「なんでこの暑いのに外なの」
「パラソルもあるし冷気も来てるよ。そうだ、冷たい飲み物でも飲もうよ。ここはおれが持つから」
ここも、の間違いだろう。思いながらも薫はアイスカフェオレを注文し、漂ってくる冷気とミストシャワーに息を吐いた。
「薫のコーナー楽しみだな。何月号になるのかな」
「さあ?秋冬ごろ……、十月とか十一月じゃないの?」
メニュー表に落ちていた青い視線が止まる。「その頃には、おれ、こっちにいないな」その呟きに、背もたれに預けていた薫の背が浮いた。
「一時帰国って言ってたよね。いつ頃向こうに行くの?」
「季節が変わる前には。と言っても、母の事情とおれの仕事で常にあっちこっち移動してるから。雑誌はその時にいる場所で取り寄せるよ」
下ろした荷物より重いものが薫の胸に降り積もる。何か言いたくて、けれど言えなくて、迷っている間に「薫」と呼び掛けられた。視線を上げれば文彦はすでにカメラを構えていて、薫はホッとしたような呆れたような妙な心地になった。
「またかって顔だ」
レンズ越しに微笑みの気配。頬杖を突きレンズの向こうを見つめれば、シャッター音が続いた。「あのニット、薫にすごく似合ってた」「文彦君の方が似合いそうだけど」「色違いで買おうかな」会話を編みながら撮られていると、コーヒーとカフェオレがやって来た。シロップを垂らす姿まで連写され、薫は声を立てて笑った。
「カメラ、前と違うね。シャッター音が違う」
「うん。今日のはデジカメ」
「ブランドは同じだね。そこのが好きなの?」
「父のおさがりなんだ」
両親の離婚、というワードが記憶から飛び出て、薫は黙りこくった。「母も今の方が父と仲が良いんだ。デンマークにいる時は父の家に泊るくらいだから。家族って言っていいのか分からないけど、仲は良好だよ」「へぇ……」ストローを食みカフェオレを飲む。シャッター音が間を置いて一つ鳴り、薫の頬が熱くなった。直接見つめられるよりも深く覗き込まれているような気がした。
「薫」
同じ名前を、同じ発音で、違う声が紡ぐ。文彦と二人で声のする方を見やれば、そこにはオリーブ色の開襟シャツを着た輔がいた。
「えっぐいイケメン連れてんな。モデル仲間?」
輔は視線を文彦へやり、人の好い笑みを浮かべた。どうして輔がこんなところに?薫が呆然としていると、輔の背後からテイクアウトのドリンクを手にした女の子が駆けて来た。
「黒木さん、待たせちゃってごめんなさい」
透け感のあるレモンイエローのブラウスに白のペンシルスカート。ロングヘアをヘアクリップでまとめた彼女の項からは計算し尽くされたようなおくれ毛が覗いていた。
「モデルは、モデルなんだけど……、同じ雑誌の子じゃない」
薫の視線は輔の隣に立った女の子に釘付けになった。小動物のようなまん丸の瞳にカールした睫毛、優しげなアーチ眉にぽってりとした唇。絵に描いたような“可愛い”女の子だ。
「そうなの?友達?」
「友達……かどうか、分かんない人」
失礼だろ、と言いたげに歪む輔の顔。けれど文彦は快活に笑い、輔へ手を差し出した。
「初めまして。伊月文彦です。薫の言うことは合ってますよ。おれにも、薫は友達かどうか分からない。薫がおれにいろんな刺激をくれてるってことは分かりますけど」
差し出された手を取り、輔は真っ直ぐに文彦を見つめた。「背、高いですね。二メートル超えてる?」「いや、その手前で止まってて」「黒木輔です。突然割って入ってすみません。そこの美人がおれの幼馴染で」美人という単語と共に指を差され、薫は身の置き場がなくなっていくように感じた。ロングヘアの彼女の方がよほどその言葉が似合っていた。
「確かに。薫は綺麗だ」
満足げに頷く文彦の周りだけ空気が和らいでいる。輔の「美人」には揶揄が見え隠れしているのに、文彦の「綺麗」は真っ直ぐ過ぎて反応に困る。
「黒木さんはデートですか?こんなに可愛い人と休日を過せるなんて、なんて幸福な方だ」
文彦の海外ドラマ的な言い回しに、輔は目を点にし、女の子は顔を赤くした。ずき。胸が痛んで、けれどそれをこの場の誰にも気付かれてはならないと、薫も笑みを浮かべた。
「や、こっちはデートとかそういうのじゃなくて。仕事の関係っていうか、おれの生徒さんで。水着とかゴーグルとか買い換えようと思ってるって話したら、着いて来てくれて……」
人の好意に疎い輔は彼女の迷惑にならないようにとしどろもどろになりながら否定した。けれど、女の子が輔に好意を寄せていることは薫の目にも明らかだった。
「てか、なに、そっちのがデートでしょ。目を惹く男二人がカフェで向かい合って写真撮ってんだもん、二人の世界って感じで話し掛けづらかったわ」
空気に耐えかねてふざけた輔がそんなことを言う。けれど文彦は涼しい顔をして「そう。デートしてて、今は休憩中」と薫に視線を向けた。文彦と眼差しが触れ合うと、耳の先から熱が滲んだ。
「へー。やっぱデートなんじゃん。……邪魔しちゃった?」
ゆるやかなカーヴを描いて跳ねた目尻が一瞬鋭くなる。けれど次の瞬間には元の柔らかな輔に戻っていて、一瞥された薫はどうしたらいいのか分からなくなった。
「じゃ、おれらは行くわ。デートの続き、楽しんで」
去って行く輔のシャツがはためく。
輔君、あんな色のシャツ持ってるんだ。
ほぼ毎日顔を合わせているのにそのシャツの存在さえ知らなかった自分と、そのシャツを着た彼と二人で出かけられる女の子。文彦の眼差しに上気する頬、輔と女の子の後ろ姿に締めつけられる胸。一つの身体がちぐはぐに熱を抱え、薫は汗を掻いたグラスを睨み続けた。
待ち合わせ時間に相手のプロフィールを検索できるなんて、なんて世の中だろう。薫はスマートフォンから視線を上げ、人混みの向こうから手を振っている文彦を見やった。
「ごめん。待たせちゃったかな」
「全然。っていうかさ、この画像、いつの文彦さん?」
プロフィールの隣に表示された“かつての文彦”を指差し尋ねれば、文彦はこれまでにない量の皺を眉間に寄せ「待ち合わせの相手を検索にかけるなんて悪趣味だよ!」と声を荒げた。そんな目の前の彼とは対照的に、画像の彼は銀色の長髪を後ろで束ね涼しく微笑んでいる。
「こんなに髪長かったの?役作りとかで?」
「もうその話はナシ。行くよ」
スマートフォンごと手を掴まれ、雑踏の中へ引っ張られる。一人で歩いているとジロジロ見られたり話し掛けられたりするのに、文彦がセットになると人混みが二人を避けて行くという奇妙な現象が起こった。
「この辺、スカウトが多くて通るのが嫌だったんだけど、薫といるとそうでもないな。むしろ道を開けてくれてるって感じだ」
「それはドーモ……。もう、手、離してって」
言えばすぐに離れていく手。「薫はいつもの休日みたいに自由にしてもらっていいから」受け取る相手によっては「冷たい」と評される薫のコミュニケーションにも、文彦は柔らかく応えた。
『いつもの公園とは別の場所にいる薫を撮りたいんだけど、だめかな』
昨日の夕方、文彦からそんなメッセージが届いた。『いいけど、その日は仕事の為の買い物もしたいから、夕方からでいい?』『薫さえよければその買い物に同行したい。薫は自由にしてもらって、おれはその時その時の薫を撮る。どうかな』やりとりするうちに集合時間や待ち合わせ場所が決まり、あれよあれよと夜が明けた。昨日はなぜかよく眠れなかった。
「仕事の為の買い物って、服?」
「そう。『ぼくらのリアルクローズ』ってコーナーで七日分の私服コーデが必要になって。僕、あんまり服に興味なくて、私服は撮影でもらったやつばっかりだから、一から揃えなきゃいけなくて」
百貨店のメンズ館に入れば店員たちの眼差しが一斉に文彦へ集まった。注目されていることなどどこ吹く風で、文彦は一番手前にある店舗に入り「予算は?」と尋ねた。
「母さんからは七万円もらってるんだけど、ボトムス二本と靴だけ良いの買って、後は適当に揃えようかなって」
「ボトムスと靴は大事だよね。靴はどんなのが欲しいの?」
「靴は家に紺のジャックパーセルと白のヴァンズがあるから、革靴が欲しくて」
「オーケー、見繕ってあげる」
そう言うなり、文彦はハンガーを捲り始めた。「これだ」黒のスラックスを一本手に取ったかと思えば、「これもいいね」と軽いダメージの入ったインディゴブルーのデニムにも手を伸ばしている。
「試着しよう。サイズ感だけ確認したい」
文彦は新作から毛足の長いモカのニットまで手に取り、「すみません」と店員を呼び止めた。「え、ちょっと、」値段に青ざめ文彦の腕を引っ張れば、彼は「薫を着せ替え人形にできるチャンスなんてみすみす逃せない」といたずらっぽく笑った。
試着室に押し込まれ、「インナーはこれね」とカーテンの隙間から白のカットソーまで渡されてしまう。しぶしぶ着替え店員の声に応えてカーテンを開けると、瞳を輝かせた店員が「とてもよくお似合いです……」と吐息交じりに褒めてくれた。
「どーすんの。全部試着しちゃったじゃん。四着で七万越えてるよ」
「おれが払うよ。……すみません、試着した分、全部ください。一括でお願いします」
薫が言葉を失っているうちに、魔法のカードが切られ、会計は終わってしまった。購入品を詰めたショッパーを受け取れば、店員が「あの」と薫を呼び止めた。
「プライベートなのにすみません。でもあの、僕、ずっと『Men’s BE』を愛読してて。もしかして、専属モデルの薫君じゃないですか?違ってたらすみません」
「あ、はい、そうですけど……」
潤んだ瞳を見開き、店員は「やっぱり!」と声を弾ませた。
「俺、いや、僕、薫君より三つ年上なんですけど、自分を持ってる薫君みたいになりたいって、憧れてて。去年リアルクローズのコーナーで紹介してたシルバーアクセも、かっこいいって思って、同じの買いました……。あの、頑張ってください!応援してます!」
旋毛から爪先までキメている年上の男性からエールを送られ、薫は「ありがとうございます……」と応えつつ呆気に取られた。
「すごい見てくるなと思ってたら、薫のファンだったね」
店を出てから文彦が嬉々として囁く。「しかも、結構な熱量のファンだった。こういうこと、よくあるの?」「ないよ。こんなの初めてで、僕も驚いてる」向けられた眼差しがむず痒く視線を跳ね上げれば、文彦はやっぱり微笑んでいた。
「ていうか、僕の買い物なんだから、文彦さんがお金使う必要ないから」
「プレゼントだよ。いつも撮らせてもらってるお礼」
飄々と言ってのけ、「次は靴か。軽い羽織も欲しい所だな」と呟き靴売り場に吸い込まれて行ってしまう九頭身のショーモデル。薫は慌ててその後を追った。
結局、黒革のローファーと、ブラウンのカーディガン、黒のスウェットにヴィンテージ風のチェックシャツと白シャツを購入し、二人はメンズ館を後にした。
百貨店を出た途端、二人に強烈な日差しが降り注いだ。「ちょっと休憩しようか」薫の荷物を抱えた文彦がオープンテラスのあるカフェを指差した。
「なんでこの暑いのに外なの」
「パラソルもあるし冷気も来てるよ。そうだ、冷たい飲み物でも飲もうよ。ここはおれが持つから」
ここも、の間違いだろう。思いながらも薫はアイスカフェオレを注文し、漂ってくる冷気とミストシャワーに息を吐いた。
「薫のコーナー楽しみだな。何月号になるのかな」
「さあ?秋冬ごろ……、十月とか十一月じゃないの?」
メニュー表に落ちていた青い視線が止まる。「その頃には、おれ、こっちにいないな」その呟きに、背もたれに預けていた薫の背が浮いた。
「一時帰国って言ってたよね。いつ頃向こうに行くの?」
「季節が変わる前には。と言っても、母の事情とおれの仕事で常にあっちこっち移動してるから。雑誌はその時にいる場所で取り寄せるよ」
下ろした荷物より重いものが薫の胸に降り積もる。何か言いたくて、けれど言えなくて、迷っている間に「薫」と呼び掛けられた。視線を上げれば文彦はすでにカメラを構えていて、薫はホッとしたような呆れたような妙な心地になった。
「またかって顔だ」
レンズ越しに微笑みの気配。頬杖を突きレンズの向こうを見つめれば、シャッター音が続いた。「あのニット、薫にすごく似合ってた」「文彦君の方が似合いそうだけど」「色違いで買おうかな」会話を編みながら撮られていると、コーヒーとカフェオレがやって来た。シロップを垂らす姿まで連写され、薫は声を立てて笑った。
「カメラ、前と違うね。シャッター音が違う」
「うん。今日のはデジカメ」
「ブランドは同じだね。そこのが好きなの?」
「父のおさがりなんだ」
両親の離婚、というワードが記憶から飛び出て、薫は黙りこくった。「母も今の方が父と仲が良いんだ。デンマークにいる時は父の家に泊るくらいだから。家族って言っていいのか分からないけど、仲は良好だよ」「へぇ……」ストローを食みカフェオレを飲む。シャッター音が間を置いて一つ鳴り、薫の頬が熱くなった。直接見つめられるよりも深く覗き込まれているような気がした。
「薫」
同じ名前を、同じ発音で、違う声が紡ぐ。文彦と二人で声のする方を見やれば、そこにはオリーブ色の開襟シャツを着た輔がいた。
「えっぐいイケメン連れてんな。モデル仲間?」
輔は視線を文彦へやり、人の好い笑みを浮かべた。どうして輔がこんなところに?薫が呆然としていると、輔の背後からテイクアウトのドリンクを手にした女の子が駆けて来た。
「黒木さん、待たせちゃってごめんなさい」
透け感のあるレモンイエローのブラウスに白のペンシルスカート。ロングヘアをヘアクリップでまとめた彼女の項からは計算し尽くされたようなおくれ毛が覗いていた。
「モデルは、モデルなんだけど……、同じ雑誌の子じゃない」
薫の視線は輔の隣に立った女の子に釘付けになった。小動物のようなまん丸の瞳にカールした睫毛、優しげなアーチ眉にぽってりとした唇。絵に描いたような“可愛い”女の子だ。
「そうなの?友達?」
「友達……かどうか、分かんない人」
失礼だろ、と言いたげに歪む輔の顔。けれど文彦は快活に笑い、輔へ手を差し出した。
「初めまして。伊月文彦です。薫の言うことは合ってますよ。おれにも、薫は友達かどうか分からない。薫がおれにいろんな刺激をくれてるってことは分かりますけど」
差し出された手を取り、輔は真っ直ぐに文彦を見つめた。「背、高いですね。二メートル超えてる?」「いや、その手前で止まってて」「黒木輔です。突然割って入ってすみません。そこの美人がおれの幼馴染で」美人という単語と共に指を差され、薫は身の置き場がなくなっていくように感じた。ロングヘアの彼女の方がよほどその言葉が似合っていた。
「確かに。薫は綺麗だ」
満足げに頷く文彦の周りだけ空気が和らいでいる。輔の「美人」には揶揄が見え隠れしているのに、文彦の「綺麗」は真っ直ぐ過ぎて反応に困る。
「黒木さんはデートですか?こんなに可愛い人と休日を過せるなんて、なんて幸福な方だ」
文彦の海外ドラマ的な言い回しに、輔は目を点にし、女の子は顔を赤くした。ずき。胸が痛んで、けれどそれをこの場の誰にも気付かれてはならないと、薫も笑みを浮かべた。
「や、こっちはデートとかそういうのじゃなくて。仕事の関係っていうか、おれの生徒さんで。水着とかゴーグルとか買い換えようと思ってるって話したら、着いて来てくれて……」
人の好意に疎い輔は彼女の迷惑にならないようにとしどろもどろになりながら否定した。けれど、女の子が輔に好意を寄せていることは薫の目にも明らかだった。
「てか、なに、そっちのがデートでしょ。目を惹く男二人がカフェで向かい合って写真撮ってんだもん、二人の世界って感じで話し掛けづらかったわ」
空気に耐えかねてふざけた輔がそんなことを言う。けれど文彦は涼しい顔をして「そう。デートしてて、今は休憩中」と薫に視線を向けた。文彦と眼差しが触れ合うと、耳の先から熱が滲んだ。
「へー。やっぱデートなんじゃん。……邪魔しちゃった?」
ゆるやかなカーヴを描いて跳ねた目尻が一瞬鋭くなる。けれど次の瞬間には元の柔らかな輔に戻っていて、一瞥された薫はどうしたらいいのか分からなくなった。
「じゃ、おれらは行くわ。デートの続き、楽しんで」
去って行く輔のシャツがはためく。
輔君、あんな色のシャツ持ってるんだ。
ほぼ毎日顔を合わせているのにそのシャツの存在さえ知らなかった自分と、そのシャツを着た彼と二人で出かけられる女の子。文彦の眼差しに上気する頬、輔と女の子の後ろ姿に締めつけられる胸。一つの身体がちぐはぐに熱を抱え、薫は汗を掻いたグラスを睨み続けた。
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