5 / 20
「可愛くない」なんて、言わないで
しおりを挟む
『ベンチに座ってたらハトが寄って来た』
下校中にスマートフォンが震え取り出せば、文彦からメッセージと画像が来ていた。グレースケールの鳩が革靴の傍からこちらを見上げている。羽の模様がカッキリと浮き上がり、野性味ある気高さを湛えていた。『物欲しそうな眼。ベンチで何か食べてたの?』『サンドイッチ食べてた。気付かなかった、パンを分けてあげればよかった』二人は“仲直り”をした日に連絡先を交換し、それから一日に一度はメッセージを送り合っている。
「かーおる。スマホ見ながら歩いてたらこけるぞー」
呼び掛けに応えてそちらを向けば、輔が駆けて来た。輔の手が肩に触れ、薫の喉がコクンと鳴る。彼の視線がスマートフォンの画面に注がれているのに気付き、薫は画面を自分の胸へ押し付けた。
「スマホ勝手に覗かないでよ」
「なに慌ててんの?もしかして彼女とラインでもしてた?」
肩に置かれた手が薫を引き寄せる。水の匂いを纏った身体が近づき、やけに熱っぽい温みが触れた部分から伝播していく。「そんなのいない」肘で輔を押しやれば、彼はつまらなそうに唇を尖らせた。
「輔君、今日もスイミングスクールの仕事だったの?」
「ん?いや、休みだったけど」
「でも、プールの水の匂いがする」
泳いでいたことがばれ、一転して口を噤む輔。休日まで泳いでいるなんて……。薫は険しくなっていく表情を俯いて隠し、無言でその場を去ろうとした。余計なことを言って輔の決断に水を差すのは嫌だった。
「薫、待てって、」
ぱしっ。乾いた音から遅れて、手首に熱が這う。輔に手首を掴まれたのだと分かると、首から上がカッと熱くなった。
「なにムスッとしてんの。言いたいことあるなら言えよ」
「言いたいことなんてないよ。宿題もあるし週末は仕事だったし、早く帰りたいんだけど」
手を払いのけ強い調子で言えば、輔は溜息を吐いた。
「チビの頃は輔君輔君って寄って来て、ただただ可愛かったのにな。ムスッとしてばっかじゃ可愛くねーぞ。少しは口角上げとけって」
ずきっ。ずきっ、ずきっ、ずきっ……。
鼓動が刃になって薫の胸を刺す。かつて「可愛い」と言ってくれた唇が、今は「可愛くない」と薫を一蹴する。軽口だと分かっているのに、足が地面に張り付いたようになった。こんな些細な一言で、時に嫌だとさえ思いながらもカメラの前に立ち続けた自分が足元から崩れていく。
「な。薫、おれの部屋寄ってかない?『Men’s BE』の最新号買ったよ。おまえ、結構載ってたね。昔みたいにさ、一緒に読もうよ」
頭がぐるぐるして、輔の言葉が理解できない。声が意味を成してくれない。
「浜辺で他のモデルと並んでる頁あるじゃん?なんかおまえだけツンってしてて、笑ったわ」
なに言ってるの。なに笑ってるの。輔君、僕ってもう、可愛くないの。
「こんな顔整ってんのにさ、ちょっとの演技するだけでいいのにさ、みーんな笑顔なのに一人だけ不機嫌そうで、なんか久々に腹から笑ったわ。スキンケアの頁もなんかぶすくれててさ。ふてぶてしいっつうか、なんつうか……。薫はどこにいても薫だなって。逆になんか、おれ的には、」
「したくてやってるわけじゃない」
快活な声の狭間に呟く。「え?」笑った顔のまま聞き返した輔の目を見て「帰る」と言い放ち、薫は商店街を駆け抜けた。
いつからか、カメラの前に立つと、逃げたいと思うようになった。こんな自分を確かに切り取られて、記録されて、それは自分の全てではないはずなのに、全て以上のものが写っていて。いつかレンズを通して何もかも暴かれてしまいそうで、そうなる日が刻一刻と近づいているようで、怖い。モデルなんか、キッズの頃でおしまいにしておけばよかった。
「まだ鳩撮ってるんだ」
自宅を通り過ぎ、駅を過ぎて、臨海公園に着く頃には夕日が沈みかけていた。背後から声を掛けたのに、文彦は笑顔で振り向いた。
「うん。なんか、懐かれちゃった」
文彦の足元に散らばったパンくずを見ると肩から力が抜けていった。彼はこちらを見つめたまま立ち上がり「どうしたの」と尋ねた。
答える代わりに、薫はベンチに座りパンくずをつつく鳩を見つめた。そんな薫をひと時見つめ、文彦は再びベンチに腰を下ろした。
「ずっとここにいたの?文彦君って真性の暇人だね」
自分の声がか細く聞こえてむず痒くなる。相槌も文句も返って来ず文彦の様子を確かめれば、彼は瞳を瞬かせていた。
「名前、初めて呼ばれた」
「……え?そうだっけ?」
「アンタ、とか、ねえ、とか、そんなのばっかりだったのに」
肩に文彦の手が触れ、今度は薫が瞳を瞬かせた。
「もう一回呼んでよ」
「なんで。やだ。用もないのに呼べない」
断れば、何かを堪えるように俯いた彼は「まあ、それもそうか……」と簡単に丸め込まれてしまった。肩から離れていく文彦の手を追うように見つめ、薫の視線はしゅんとした肩へ辿り着いた。そのさまを見ていると、どうしてか胸がキュッとなった。
「僕が呼びたいときにそう呼ぶよ」
自分で落ち込ませたくせに、今度は元気づけたくてそう言葉にする。文彦は視線を上げて、「きっとだよ」と念を押した。
下校中にスマートフォンが震え取り出せば、文彦からメッセージと画像が来ていた。グレースケールの鳩が革靴の傍からこちらを見上げている。羽の模様がカッキリと浮き上がり、野性味ある気高さを湛えていた。『物欲しそうな眼。ベンチで何か食べてたの?』『サンドイッチ食べてた。気付かなかった、パンを分けてあげればよかった』二人は“仲直り”をした日に連絡先を交換し、それから一日に一度はメッセージを送り合っている。
「かーおる。スマホ見ながら歩いてたらこけるぞー」
呼び掛けに応えてそちらを向けば、輔が駆けて来た。輔の手が肩に触れ、薫の喉がコクンと鳴る。彼の視線がスマートフォンの画面に注がれているのに気付き、薫は画面を自分の胸へ押し付けた。
「スマホ勝手に覗かないでよ」
「なに慌ててんの?もしかして彼女とラインでもしてた?」
肩に置かれた手が薫を引き寄せる。水の匂いを纏った身体が近づき、やけに熱っぽい温みが触れた部分から伝播していく。「そんなのいない」肘で輔を押しやれば、彼はつまらなそうに唇を尖らせた。
「輔君、今日もスイミングスクールの仕事だったの?」
「ん?いや、休みだったけど」
「でも、プールの水の匂いがする」
泳いでいたことがばれ、一転して口を噤む輔。休日まで泳いでいるなんて……。薫は険しくなっていく表情を俯いて隠し、無言でその場を去ろうとした。余計なことを言って輔の決断に水を差すのは嫌だった。
「薫、待てって、」
ぱしっ。乾いた音から遅れて、手首に熱が這う。輔に手首を掴まれたのだと分かると、首から上がカッと熱くなった。
「なにムスッとしてんの。言いたいことあるなら言えよ」
「言いたいことなんてないよ。宿題もあるし週末は仕事だったし、早く帰りたいんだけど」
手を払いのけ強い調子で言えば、輔は溜息を吐いた。
「チビの頃は輔君輔君って寄って来て、ただただ可愛かったのにな。ムスッとしてばっかじゃ可愛くねーぞ。少しは口角上げとけって」
ずきっ。ずきっ、ずきっ、ずきっ……。
鼓動が刃になって薫の胸を刺す。かつて「可愛い」と言ってくれた唇が、今は「可愛くない」と薫を一蹴する。軽口だと分かっているのに、足が地面に張り付いたようになった。こんな些細な一言で、時に嫌だとさえ思いながらもカメラの前に立ち続けた自分が足元から崩れていく。
「な。薫、おれの部屋寄ってかない?『Men’s BE』の最新号買ったよ。おまえ、結構載ってたね。昔みたいにさ、一緒に読もうよ」
頭がぐるぐるして、輔の言葉が理解できない。声が意味を成してくれない。
「浜辺で他のモデルと並んでる頁あるじゃん?なんかおまえだけツンってしてて、笑ったわ」
なに言ってるの。なに笑ってるの。輔君、僕ってもう、可愛くないの。
「こんな顔整ってんのにさ、ちょっとの演技するだけでいいのにさ、みーんな笑顔なのに一人だけ不機嫌そうで、なんか久々に腹から笑ったわ。スキンケアの頁もなんかぶすくれててさ。ふてぶてしいっつうか、なんつうか……。薫はどこにいても薫だなって。逆になんか、おれ的には、」
「したくてやってるわけじゃない」
快活な声の狭間に呟く。「え?」笑った顔のまま聞き返した輔の目を見て「帰る」と言い放ち、薫は商店街を駆け抜けた。
いつからか、カメラの前に立つと、逃げたいと思うようになった。こんな自分を確かに切り取られて、記録されて、それは自分の全てではないはずなのに、全て以上のものが写っていて。いつかレンズを通して何もかも暴かれてしまいそうで、そうなる日が刻一刻と近づいているようで、怖い。モデルなんか、キッズの頃でおしまいにしておけばよかった。
「まだ鳩撮ってるんだ」
自宅を通り過ぎ、駅を過ぎて、臨海公園に着く頃には夕日が沈みかけていた。背後から声を掛けたのに、文彦は笑顔で振り向いた。
「うん。なんか、懐かれちゃった」
文彦の足元に散らばったパンくずを見ると肩から力が抜けていった。彼はこちらを見つめたまま立ち上がり「どうしたの」と尋ねた。
答える代わりに、薫はベンチに座りパンくずをつつく鳩を見つめた。そんな薫をひと時見つめ、文彦は再びベンチに腰を下ろした。
「ずっとここにいたの?文彦君って真性の暇人だね」
自分の声がか細く聞こえてむず痒くなる。相槌も文句も返って来ず文彦の様子を確かめれば、彼は瞳を瞬かせていた。
「名前、初めて呼ばれた」
「……え?そうだっけ?」
「アンタ、とか、ねえ、とか、そんなのばっかりだったのに」
肩に文彦の手が触れ、今度は薫が瞳を瞬かせた。
「もう一回呼んでよ」
「なんで。やだ。用もないのに呼べない」
断れば、何かを堪えるように俯いた彼は「まあ、それもそうか……」と簡単に丸め込まれてしまった。肩から離れていく文彦の手を追うように見つめ、薫の視線はしゅんとした肩へ辿り着いた。そのさまを見ていると、どうしてか胸がキュッとなった。
「僕が呼びたいときにそう呼ぶよ」
自分で落ち込ませたくせに、今度は元気づけたくてそう言葉にする。文彦は視線を上げて、「きっとだよ」と念を押した。
22
お気に入りに追加
67
あなたにおすすめの小説
虐げられている魔術師少年、悪魔召喚に成功したところ国家転覆にも成功する
あかのゆりこ
BL
主人公のグレン・クランストンは天才魔術師だ。ある日、失われた魔術の復活に成功し、悪魔を召喚する。その悪魔は愛と性の悪魔「ドーヴィ」と名乗り、グレンに契約の代償としてまさかの「口づけ」を提示してきた。
領民を守るため、王家に囚われた姉を救うため、グレンは致し方なく自分の唇(もちろん未使用)を差し出すことになる。
***
王家に虐げられて不遇な立場のトラウマ持ち不幸属性主人公がスパダリ系悪魔に溺愛されて幸せになるコメディの皮を被ったそこそこシリアスなお話です。
・ハピエン
・CP左右固定(リバありません)
・三角関係及び当て馬キャラなし(相手違いありません)
です。
べろちゅーすらないキスだけの健全ピュアピュアなお付き合いをお楽しみください。
***
2024.10.18 第二章開幕にあたり、第一章の2話~3話の間に加筆を行いました。小数点付きの話が追加分ですが、別に読まなくても問題はありません。
悪役令嬢のビフォーアフター
すけさん
恋愛
婚約者に断罪され修道院に行く途中に山賊に襲われた悪役令嬢だが、何故か死ぬことはなく、気がつくと断罪から3年前の自分に逆行していた。
腹黒ヒロインと戦う逆行の転生悪役令嬢カナ!
とりあえずダイエットしなきゃ!
そんな中、
あれ?婚約者も何か昔と態度が違う気がするんだけど・・・
そんな私に新たに出会いが!!
婚約者さん何気に嫉妬してない?
君に望むは僕の弔辞
爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。
全9話
匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意
表紙はあいえだ様!!
小説家になろうにも投稿
完結・オメガバース・虐げられオメガ側妃が敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン王から溺愛されました
美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!

夢では溺愛騎士、現実ではただのクラスメイト
春音優月
BL
真面目でおとなしい性格の藤村歩夢は、武士と呼ばれているクラスメイトの大谷虎太郎に密かに片想いしている。
クラスではほとんど会話も交わさないのに、なぜか毎晩歩夢の夢に出てくる虎太郎。しかも夢の中での虎太郎は、歩夢を守る騎士で恋人だった。
夢では溺愛騎士、現実ではただのクラスメイト。夢と現実が交錯する片想いの行方は――。
2024.02.23〜02.27
イラスト:かもねさま
後輩に嫌われたと思った先輩と その先輩から突然ブロックされた後輩との、その後の話し…
まゆゆ
BL
澄 真広 (スミ マヒロ) は、高校三年の卒業式の日から。
5年に渡って拗らせた恋を抱えていた。
相手は、後輩の久元 朱 (クモト シュウ) 5年前の卒業式の日、想いを告げるか迷いながら待って居たが、シュウは現れず。振られたと思い込む。
一方で、シュウは、澄が急に自分をブロックしてきた事にショックを受ける。
唯一自分を、励ましてくれた先輩からのブロックを時折思い出しては、辛くなっていた。
それは、澄も同じであの日、来てくれたら今とは違っていたはずで仮に振られたとしても、ここまで拗らせることもなかったと考えていた。
そんな5年後の今、シュウは住み込み先で失敗して追い出された途方に暮れていた。
そこへ社会人となっていた澄と再会する。
果たして5年越しの恋は、動き出すのか?
表紙のイラストは、Daysさんで作らせていただきました。

【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる