おれの愛する不機嫌なクピド

野中にんぎょ

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「可愛くない」なんて、言わないで

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『ベンチに座ってたらハトが寄って来た』
 下校中にスマートフォンが震え取り出せば、文彦からメッセージと画像が来ていた。グレースケールの鳩が革靴の傍からこちらを見上げている。羽の模様がカッキリと浮き上がり、野性味ある気高さを湛えていた。『物欲しそうな眼。ベンチで何か食べてたの?』『サンドイッチ食べてた。気付かなかった、パンを分けてあげればよかった』二人は“仲直り”をした日に連絡先を交換し、それから一日に一度はメッセージを送り合っている。
「かーおる。スマホ見ながら歩いてたらこけるぞー」
 呼び掛けに応えてそちらを向けば、輔が駆けて来た。輔の手が肩に触れ、薫の喉がコクンと鳴る。彼の視線がスマートフォンの画面に注がれているのに気付き、薫は画面を自分の胸へ押し付けた。
「スマホ勝手に覗かないでよ」
「なに慌ててんの?もしかして彼女とラインでもしてた?」
 肩に置かれた手が薫を引き寄せる。水の匂いを纏った身体が近づき、やけに熱っぽい温みが触れた部分から伝播していく。「そんなのいない」肘で輔を押しやれば、彼はつまらなそうに唇を尖らせた。
「輔君、今日もスイミングスクールの仕事だったの?」
「ん?いや、休みだったけど」
「でも、プールの水の匂いがする」
 泳いでいたことがばれ、一転して口を噤む輔。休日まで泳いでいるなんて……。薫は険しくなっていく表情を俯いて隠し、無言でその場を去ろうとした。余計なことを言って輔の決断に水を差すのは嫌だった。
「薫、待てって、」
 ぱしっ。乾いた音から遅れて、手首に熱が這う。輔に手首を掴まれたのだと分かると、首から上がカッと熱くなった。
「なにムスッとしてんの。言いたいことあるなら言えよ」
「言いたいことなんてないよ。宿題もあるし週末は仕事だったし、早く帰りたいんだけど」
 手を払いのけ強い調子で言えば、輔は溜息を吐いた。
「チビの頃は輔君輔君って寄って来て、ただただ可愛かったのにな。ムスッとしてばっかじゃ可愛くねーぞ。少しは口角上げとけって」
 ずきっ。ずきっ、ずきっ、ずきっ……。
 鼓動が刃になって薫の胸を刺す。かつて「可愛い」と言ってくれた唇が、今は「可愛くない」と薫を一蹴する。軽口だと分かっているのに、足が地面に張り付いたようになった。こんな些細な一言で、時に嫌だとさえ思いながらもカメラの前に立ち続けた自分が足元から崩れていく。
「な。薫、おれの部屋寄ってかない?『Men’s BE』の最新号買ったよ。おまえ、結構載ってたね。昔みたいにさ、一緒に読もうよ」
 頭がぐるぐるして、輔の言葉が理解できない。声が意味を成してくれない。
「浜辺で他のモデルと並んでる頁あるじゃん?なんかおまえだけツンってしてて、笑ったわ」
なに言ってるの。なに笑ってるの。輔君、僕ってもう、可愛くないの。
「こんな顔整ってんのにさ、ちょっとの演技するだけでいいのにさ、みーんな笑顔なのに一人だけ不機嫌そうで、なんか久々に腹から笑ったわ。スキンケアの頁もなんかぶすくれててさ。ふてぶてしいっつうか、なんつうか……。薫はどこにいても薫だなって。逆になんか、おれ的には、」
「したくてやってるわけじゃない」
 快活な声の狭間に呟く。「え?」笑った顔のまま聞き返した輔の目を見て「帰る」と言い放ち、薫は商店街を駆け抜けた。
 いつからか、カメラの前に立つと、逃げたいと思うようになった。こんな自分を確かに切り取られて、記録されて、それは自分の全てではないはずなのに、全て以上のものが写っていて。いつかレンズを通して何もかも暴かれてしまいそうで、そうなる日が刻一刻と近づいているようで、怖い。モデルなんか、キッズの頃でおしまいにしておけばよかった。
「まだ鳩撮ってるんだ」
 自宅を通り過ぎ、駅を過ぎて、臨海公園に着く頃には夕日が沈みかけていた。背後から声を掛けたのに、文彦は笑顔で振り向いた。
「うん。なんか、懐かれちゃった」
 文彦の足元に散らばったパンくずを見ると肩から力が抜けていった。彼はこちらを見つめたまま立ち上がり「どうしたの」と尋ねた。
 答える代わりに、薫はベンチに座りパンくずをつつく鳩を見つめた。そんな薫をひと時見つめ、文彦は再びベンチに腰を下ろした。
「ずっとここにいたの?文彦君って真性の暇人だね」
 自分の声がか細く聞こえてむず痒くなる。相槌も文句も返って来ず文彦の様子を確かめれば、彼は瞳を瞬かせていた。
「名前、初めて呼ばれた」
「……え?そうだっけ?」
「アンタ、とか、ねえ、とか、そんなのばっかりだったのに」
 肩に文彦の手が触れ、今度は薫が瞳を瞬かせた。
「もう一回呼んでよ」
「なんで。やだ。用もないのに呼べない」
 断れば、何かを堪えるように俯いた彼は「まあ、それもそうか……」と簡単に丸め込まれてしまった。肩から離れていく文彦の手を追うように見つめ、薫の視線はしゅんとした肩へ辿り着いた。そのさまを見ていると、どうしてか胸がキュッとなった。
「僕が呼びたいときにそう呼ぶよ」
 自分で落ち込ませたくせに、今度は元気づけたくてそう言葉にする。文彦は視線を上げて、「きっとだよ」と念を押した。
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