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プリンスとプリンスの和睦
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今までであれば登校時と下校時に輔を目にすることができたのに、ここ数日一度も顔を見ていない。店の中を気にしている薫を見かねてか、輔の母が声を掛けてくれた。
「あの子、スイミングインストラクターの仕事始めてね。そしたらパーソナルレッスンしてほしいって、競泳してる大学生の子から声が掛かったみたいで。そんなだから、店に立つ暇がないみたい」
本人の母親に気遣われ、薫は足早にその場を去った。家に帰って鏡を見ると案の定、額から首まで真っ赤になっていた。これだからこの肌は嫌なのだ。
輔の前に居ると苦しいのに、輔に会えない日々が続くともっと苦しい。布団を被って瞼を下ろしても、苦しさは胸に重く圧し掛かったままだった。
「また会えた」
臨海公園のベンチで一人佇んでいると、知ったばかりの声が薫の背中に投げかけられた。
「こんな時間に公園にいるなんて、アンタもしかして暇人?」
文彦は眉根を寄せて微笑み、薫の隣に腰掛けた。「こっちって、いつも何かしていないといけないっていう圧を感じるんだけど」「海外は違うの?」「あっちはもうちょっとのんびりしてるよ」文彦がカメラを持っていないことを確認し気を抜いた瞬間、彼はスマートフォンを取り出し空に翳した。
「薫。おもしろいんだよ。スマホで撮ると、全てにピントが合うんだ。どれもこれもはっきり映る。……これって、この機械で撮るのは被写体じゃなく思い出って意味だね」
嬉々としてそう語る文彦に辟易しつつ、彼の撮ってくれた写真を思い出す。ただ一点にピントの合う世界と、全てにピントの合う世界、どちらが息をしやすいのだろうか。
「あとこれ。コンビニで見つけて思わず買っちゃったよ」
トートバッグから何を取り出すかと思えば、それは薫が専属モデルを務めている『Men’s BE』の最新号だった。
「薫はスチールモデルだったんだな。仕種に雰囲気があるのにもったいない」
「何買ってんの、友達でもないのに」
雑誌を奪おうとすれば、文彦は立ち上がり頁を捲り始めた。
「笑ったりキメたりしてるのに、薫の心はやっぱり曇り空だ。見て。この、みんなで海辺で並んでる見開きなんか、薫一人がムスッとしてる。おれ、この雑誌を見つけて、可笑しくって……」
ムスッとなんかしてない、遠くを見てるだけだ。薫はそう言おうとして、止めた。「金原君、もうちょっと柔らかい感じで、リラックスしてー」というカメラマンの声が蘇り、薫はやっぱりムスッとした。
「スチールモデルなんかもっと向いてないよ。一度コレクションに出てみれば?そっちの方がいくらか向いてる」
「ご忠告どうも。けど生憎、モデルはこの雑誌の契約期間が終わったら辞める気でいるんで」
「え?どうして?」
「モデルは向いてないって、おれにだって分かってる。ショーモデルになれるような才覚なんておれにはない。母親に連れて行かれたオーディションに偶然受かってずるずる続けてただけだし、この顔も身体も気が付いたらこうなってただけだし」
薫はレモンイエローのワンピースが載ったカタログを思い出した。「薫は可愛い」チラシやカタログ、CMを見て、愛を囁くようにそう言ってくれた輔。もう一度、あの「可愛い」が聞きたかった。それだけの為に続けてきた仕事だった。
「でも、」
きれぎれになったプライドや古びた恋心、飼い慣らしたフラストレーション、そういうものを、文彦は二文字で薙ぎ払った。
「オーディションに連れて行ったのは君の母親かもしれないけど、仕事をしていたのは君だろう?この雑誌に載っているのも君だ。……撮られるのは疲れるよ。嫌々カメラの前に立ってきたのなら、なおさらだ。君は十分に努力してきた。おれにはそれが、よく分かる」
モデルの仕事を“人生イージーモードの連中のイージーなお仕事”と思っている人間は多い。特に、美貌とスタイルを兼ね備えた薫に対しての周囲の目は、冷めているか異常に熱っぽいかの二択だ。こんな言葉で真っ直ぐに労われたのは初めてで、薫は半ばひるんだような心地になった。
「おれは好きだよ。みんなが笑ってる中で一人ムスッとしてる薫が、撮られることに快感を覚えている人たちの中で一人考え込んでいる薫が」
「褒められてるのか、けなされてるのか、分かんないんだけど……」
「褒めてるんだよ。少なくともおれは好きだ。木の葉は風の吹く方へそよぐでしょう。薫はそれと同じことをしているだけ。カメラの前にいるとだんだんそういうことを忘れちゃうのに、薫はちゃんと覚えてる。そういう薫は、おれにはすごく綺麗に見える」
「そういうの、現場では歓迎されないし、プロとは言えない」
「モデルならそうだろうね。でも、世界の一部としての被写体ならプロである必要なんてどこにもない。……この雑誌のカメラマン、君にやきもきしてるんじゃない?よく指示が飛んで来るでしょう?その時のピークの君を撮りたいのにそうできないって、歯痒い気持ちが紙上に出てる。五人で浜辺にいるのに、君を撮ったものだけがやけに試行錯誤されてる」
言われて頁を覗いても素人目には分からない。むっつりと唇を結んだまま文彦を見つめれば、彼はスマートフォンをカメラのように翳した。
「今日色々撮ってみて思ったよ。スマホって便利だね。デジカメなんて目じゃない」
「撮る前に本人の了解を得るのがマナーじゃないの?」
「薫を撮ってもいい?」
「……別に、いいけど」
自分でもどうしてそう答えたのか分からない。ショーモデルの彼を前にもったいぶるのもどうかと思ったのは確かで、けれど思考はシャッター音を聞くうちに遠のいて行った。
フェンスに手を掛け夕日の落ちた水面を眺める。「薫、見て、よく撮れてるだろ?」振り向き画面を覗き込めば、フィルムカメラとは違う線を描いた自分がいた。
「前の方が好きかも」
薫は呟き、ハッとした。文彦を確かめれば、彼は屈託のない笑みを浮かべて「おれもそう思う。けど、こっちの方が隅々まではっきり写るよ。ほら、こうやって拡大もできるし」と横顔の薫を親指と人差し指で拡大した。眼鏡のフレームに隠れた目元を見つめ、文彦は「んんむ」と息を漏らした。
「なに?眼鏡、ない方がいい?」
その眼鏡、外した方がいいよ。
そう言われるかと思い先回りして尋ねれば、文彦は首を振った。
「ううん。なんか、この眼鏡がいいなって。君の頑なで臆病な部分がここに詰まってる。これを含めて君だ」
川から吹き上げた風が文彦の髪を水面の模様のように乱す。
薫は今度こそ返す言葉を失った。黙っているうち、つかえるようだった喉も、小石が詰まったようになっていた胸も、いつの間にか楽になっていた。
「あの子、スイミングインストラクターの仕事始めてね。そしたらパーソナルレッスンしてほしいって、競泳してる大学生の子から声が掛かったみたいで。そんなだから、店に立つ暇がないみたい」
本人の母親に気遣われ、薫は足早にその場を去った。家に帰って鏡を見ると案の定、額から首まで真っ赤になっていた。これだからこの肌は嫌なのだ。
輔の前に居ると苦しいのに、輔に会えない日々が続くともっと苦しい。布団を被って瞼を下ろしても、苦しさは胸に重く圧し掛かったままだった。
「また会えた」
臨海公園のベンチで一人佇んでいると、知ったばかりの声が薫の背中に投げかけられた。
「こんな時間に公園にいるなんて、アンタもしかして暇人?」
文彦は眉根を寄せて微笑み、薫の隣に腰掛けた。「こっちって、いつも何かしていないといけないっていう圧を感じるんだけど」「海外は違うの?」「あっちはもうちょっとのんびりしてるよ」文彦がカメラを持っていないことを確認し気を抜いた瞬間、彼はスマートフォンを取り出し空に翳した。
「薫。おもしろいんだよ。スマホで撮ると、全てにピントが合うんだ。どれもこれもはっきり映る。……これって、この機械で撮るのは被写体じゃなく思い出って意味だね」
嬉々としてそう語る文彦に辟易しつつ、彼の撮ってくれた写真を思い出す。ただ一点にピントの合う世界と、全てにピントの合う世界、どちらが息をしやすいのだろうか。
「あとこれ。コンビニで見つけて思わず買っちゃったよ」
トートバッグから何を取り出すかと思えば、それは薫が専属モデルを務めている『Men’s BE』の最新号だった。
「薫はスチールモデルだったんだな。仕種に雰囲気があるのにもったいない」
「何買ってんの、友達でもないのに」
雑誌を奪おうとすれば、文彦は立ち上がり頁を捲り始めた。
「笑ったりキメたりしてるのに、薫の心はやっぱり曇り空だ。見て。この、みんなで海辺で並んでる見開きなんか、薫一人がムスッとしてる。おれ、この雑誌を見つけて、可笑しくって……」
ムスッとなんかしてない、遠くを見てるだけだ。薫はそう言おうとして、止めた。「金原君、もうちょっと柔らかい感じで、リラックスしてー」というカメラマンの声が蘇り、薫はやっぱりムスッとした。
「スチールモデルなんかもっと向いてないよ。一度コレクションに出てみれば?そっちの方がいくらか向いてる」
「ご忠告どうも。けど生憎、モデルはこの雑誌の契約期間が終わったら辞める気でいるんで」
「え?どうして?」
「モデルは向いてないって、おれにだって分かってる。ショーモデルになれるような才覚なんておれにはない。母親に連れて行かれたオーディションに偶然受かってずるずる続けてただけだし、この顔も身体も気が付いたらこうなってただけだし」
薫はレモンイエローのワンピースが載ったカタログを思い出した。「薫は可愛い」チラシやカタログ、CMを見て、愛を囁くようにそう言ってくれた輔。もう一度、あの「可愛い」が聞きたかった。それだけの為に続けてきた仕事だった。
「でも、」
きれぎれになったプライドや古びた恋心、飼い慣らしたフラストレーション、そういうものを、文彦は二文字で薙ぎ払った。
「オーディションに連れて行ったのは君の母親かもしれないけど、仕事をしていたのは君だろう?この雑誌に載っているのも君だ。……撮られるのは疲れるよ。嫌々カメラの前に立ってきたのなら、なおさらだ。君は十分に努力してきた。おれにはそれが、よく分かる」
モデルの仕事を“人生イージーモードの連中のイージーなお仕事”と思っている人間は多い。特に、美貌とスタイルを兼ね備えた薫に対しての周囲の目は、冷めているか異常に熱っぽいかの二択だ。こんな言葉で真っ直ぐに労われたのは初めてで、薫は半ばひるんだような心地になった。
「おれは好きだよ。みんなが笑ってる中で一人ムスッとしてる薫が、撮られることに快感を覚えている人たちの中で一人考え込んでいる薫が」
「褒められてるのか、けなされてるのか、分かんないんだけど……」
「褒めてるんだよ。少なくともおれは好きだ。木の葉は風の吹く方へそよぐでしょう。薫はそれと同じことをしているだけ。カメラの前にいるとだんだんそういうことを忘れちゃうのに、薫はちゃんと覚えてる。そういう薫は、おれにはすごく綺麗に見える」
「そういうの、現場では歓迎されないし、プロとは言えない」
「モデルならそうだろうね。でも、世界の一部としての被写体ならプロである必要なんてどこにもない。……この雑誌のカメラマン、君にやきもきしてるんじゃない?よく指示が飛んで来るでしょう?その時のピークの君を撮りたいのにそうできないって、歯痒い気持ちが紙上に出てる。五人で浜辺にいるのに、君を撮ったものだけがやけに試行錯誤されてる」
言われて頁を覗いても素人目には分からない。むっつりと唇を結んだまま文彦を見つめれば、彼はスマートフォンをカメラのように翳した。
「今日色々撮ってみて思ったよ。スマホって便利だね。デジカメなんて目じゃない」
「撮る前に本人の了解を得るのがマナーじゃないの?」
「薫を撮ってもいい?」
「……別に、いいけど」
自分でもどうしてそう答えたのか分からない。ショーモデルの彼を前にもったいぶるのもどうかと思ったのは確かで、けれど思考はシャッター音を聞くうちに遠のいて行った。
フェンスに手を掛け夕日の落ちた水面を眺める。「薫、見て、よく撮れてるだろ?」振り向き画面を覗き込めば、フィルムカメラとは違う線を描いた自分がいた。
「前の方が好きかも」
薫は呟き、ハッとした。文彦を確かめれば、彼は屈託のない笑みを浮かべて「おれもそう思う。けど、こっちの方が隅々まではっきり写るよ。ほら、こうやって拡大もできるし」と横顔の薫を親指と人差し指で拡大した。眼鏡のフレームに隠れた目元を見つめ、文彦は「んんむ」と息を漏らした。
「なに?眼鏡、ない方がいい?」
その眼鏡、外した方がいいよ。
そう言われるかと思い先回りして尋ねれば、文彦は首を振った。
「ううん。なんか、この眼鏡がいいなって。君の頑なで臆病な部分がここに詰まってる。これを含めて君だ」
川から吹き上げた風が文彦の髪を水面の模様のように乱す。
薫は今度こそ返す言葉を失った。黙っているうち、つかえるようだった喉も、小石が詰まったようになっていた胸も、いつの間にか楽になっていた。
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