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二匹の獣(上)
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夏の盛りを過ぎた頃、北山雷は北山組組長の座を退いた。
雷と喜重の尽力によって北山組と仁楼会の全面戦争は避けられたものの、一連の騒動によって生じた混乱は双方の根底を揺るがした。仁楼会では現会長の手腕に不満を持つ直系の中核組織が会を離脱し、派閥争いが激化。結果として全盛期からは四割弱の会員数にまで落ち込んだ。また、北山組でも、清水一派の破門により多くの組員とシノギを失うことになった。組長の座を退いた雷を追うように、喜重もまた相談役を引退し、仁楼会を去った。
これが雷なりの望と悟への償いなのかは分からない。けれど組から一切の手を引いた雷からは、組を守るためであれば手段を選ばなかった過去への後悔が感じられた。
「ったくよぉ、面倒なことになっちまった……」
紋付き袴を着た鏑木は忌々しそうに呟いた。おろしたての袴に身を包んだ慈雨はそんな鏑木の前へ出て、深く頭を下げた。
「御大。襲名式、お疲れ様です」
「おまえに御大なんて呼ばれる筋合いはねぇよ。気持ち悪ぃったらねぇから止めろっ」
更に小さな所帯となってしまった北山組。「苦労をかけるが後を頼む」と雷に肩を叩かれたのは、鏑木だった。引退間近とまで言われていた鏑木の跡目相続に、若衆はもちろん、彼と懇意にしていた幹部でさえ目を丸くした。
「引退したら釣りでもするかって、竿まで買ってんのによぉ……」
「釣りなら引退しなくてもできますよ。なんならおれが付き合います」
鏑木は舌打ちを返し、手でシッシと慈雨を払った。「おめでとうございます」慈雨はもう一度頭を下げ、縁側から庭を眺めている祖父の元へと向かった。
「ああ、慈雨か。似合っているじゃないか」
組んでいた腕をほどき、雷はいつもの調子で微笑んだ。数分前まで組の全てを背負っていた男に、慈雨は「お疲れ様でした」と頭を下げた。
「じいちゃん、よかったの?」
「なに、遅すぎたくらいだよ。トップに立つには勘が鈍った。潮時だな」
空を仰ぎ息を吐いた雷の横顔は、いつか見た父の横顔に似ていた。
「鏑木さんと盃を交わしてたじいちゃん、すごくかっこよかったよ」
雷は目尻の皺を深め、「何か欲しいものでもあるのかな」と軽口を叩いたが、ひたと慈雨を見つめ、「ありがとう」と言った。
「じいちゃん。おれ、しばらく鏑木さんの下で勉強させてもらおうと思う」
ぱっと見開かれる瞳。驚いている祖父が珍しく、慈雨は「一番下っ端からでいいならって条件付きだけど……」と言って笑った。
「将来なんて、いまのおれには分からない。だけど、見て見ぬふりをしてきた世界をちゃんとこの目で見ておかなきゃって思うんだ。透明人間はもうやめる」
再び遠い場所を見つめ、雷は「そうか」とだけ言った。かつてこの世界から足を洗った息子のことを考えているのかもしれなかった。
悟を組の一員と認めてもなお、ヒトの組員を守るためにイヌを前線に出していた雷。自身の矛盾と望の憎しみを感じていたからこそ、心の隅につかえるものがあったのだろう。慈雨の傍に静を置いたのは、自身のそんな矛盾が引き起こした悲劇を孫に繰り返して欲しくなかったからではないのだろうか。
「あの子はまだ療養中か?」
「うん。いくら獣人でも治癒力には限界があるし、無理させちゃったから。……それに……、」
いつだって逞しく働いていた静の左腕には、梢に切り付けられた傷が原因で軽度の麻痺が残った。慈雨は俯いてしまいそうになる面をパッと上げた。
「静にはこれからもおれの傍にいてもらうんだから、大切にしなきゃ」
自身の小さな手のひらに感じた、いつかの温もり。そのささやかな温もりは一瞬にして奪い去られ、慈雨は一人になった。差し出された手を取り雷の屋敷に迎えられても、あの温度は慈雨の手のひらに戻って来なかった。
静の手は熱かった。
静はぼんやりと投げ出されたこの手を力強く握って、決して自分からは離さなかった。その熱が、慈雨の心を揺さぶった。瞼の帳を上げ、慈雨は静に手を引かれ外へと飛び出した。
外の世界は、目も眩むほど鮮烈だった。目を覚ました小さな獣は、瞳を瞬かせ光の方へと駆けて行った。
「静によろしく伝えてくれ」
慈雨は祖父の言葉に頷き、頭を下げた。
あんなにも頑なに慈雨の傍を離れなかった静が、療養に入ってからずっと慈雨の訪問を拒んでいる。何度も門前払いを食らい痺れを切らした慈雨は、襲名式で人手の少なくなる今日の日を狙って宿舎のドアを叩いた。狙い通り、管理人がいるはずの場所は空になっており、慈雨はほくそ笑んだ。
「わっ、若!どうされ、」
慈雨に気付き驚きの声を上げたイヌの口を塞ぎ、「シィー」と人差し指を立てる。「静の部屋が知りたいんだ。教えてもらってもいいかな?」囁けばイヌはコクコクと頷き、奥の部屋を指差した。「ありがとう。このお駄賃は君の好きにお使い」イヌの胸ポケットにお礼を差し込み、慈雨は静の部屋へ向かった。
ノックをしても返事がなく、匂いで感づかれてしまったかとドアを引く。……が、部屋の中に静はいなかった。
本人が不在でも、ここは静の匂いに満ちていて、慈雨はベッドと机だけが置かれた簡素な部屋を見渡し、ベッドに腰を下ろした。清潔な白のシーツに手のひらを滑らせると、あの雨の日のことが思い起こされ、頬がにわかに熱くなった。
カチャン。
ドアノブが捻られた音にピンと背が立つ。手は勝手にシーツを握りしめ、心臓は深く脈打ち始めた。「しずか」その名を呼ぶと、ドアがゆっくりと開いた。
静は至極きまり悪そうな面持ちをドアの隙間から覗かせた。それまでの焦燥も忘れ、慈雨は思わず噴き出した。
「ふふっ。なんだ、その顔は。来ない方がよかったか?」
いつも撫でつけていた前髪が額に下りているからか、静をいつもより年相応に感じる。トレーニングウェア姿の静に近づき額に浮かんだ汗を拭ってやれば、静は耳をぺとんと寝かせた。
「療養中なのにトレーニングなんかして。安静にしていなきゃいけないだろう」
「いや、これは、」
慈雨は静の握り込まれた左手を取り、指先で擽るようにして開いてやった。竹刀を握った後なのか、静の手のひらには痕が赤く伸びていた。静は恥じ入るように拳を固く握り、慈雨を見下ろした。その瞳は淡く潤んで揺れていて、慈雨はその瞳に見入って胸を熱くした。
「慈雨、おれは、左腕は駄目になってしまったけれど、右腕だけでも貴方を守れるように、きっとなってみせる。……今はまだ十分ではないから、おれには今まで以上の鍛錬が必要で、だから、」
「静」
慈雨は静の左手に触れ、撫でた。
ゆっくりと繰り返し撫で続けると、固くなっていた拳がかすかに緩んだ。
「おれがおまえの左側に立てばいい。それに、おまえの手は駄目になったりしていない。……この手を開いて、おれの手を握ってごらん」
手のひらを添えてはじめて気が付いた。軽い麻痺の残った静の手は小刻みに震えていて、けれど懸命に動いている。ゆるゆると開かれた手指は相変わらず熱くて、慈雨は静の手指が自分の手指に絡むのを待った。
「ほら。おれの言う通りにできる」
以前と違っている仕種が、変わらない温度が、慈雨には切ない。握った手に反対の手を添え、口づける。啄むたびに静の指がぴくんと跳ねて、慈雨はほのかに微笑んだ。
「麻痺って、どんな感じなんだ?痛い?びりびりする?」
「時々、肘から下がまばらに痺れる。日によっては、ずっと痺れていることもある。強い力を加えられると、動かなくなることもある……。痺れ始めると、まるで手に膜が張ってるみたいだ」
「……苦しい?」
「貴方を守れないかもしれないと思うと、苦しい」
静らしくもなく歪んだ瞳にハッとして、慈雨は静を掻き抱いた。抱き寄せたつもりでも、体格差のために慈雨が静の胸へ飛び込んだようなさまになってしまう。それでも慈雨は静をきつく抱きしめた。
「静、おれこそ、おまえの隣に立つには十分でないかもしれない。でも、」
あれからずっと思っていたことだった。おれが静を守れたら――。
「おれが、おまえを、守りたい」
静の戸惑いを感じ、慈雨は彼の腕の中で面を上げた。眼差しを重ね、声に想いを込める。
「おまえの半身をおれに預けて。おれをおまえの、番にして」
どっ、どっ、どっ……。
互いの鼓動が逸っていくのが手に取るように分かる。静は慈雨を深く見つめ、慈雨もまたそうした。心を重ねたくて、静の瞳に飛び込むように眼差しを注ぐ。
「おまえは、盃を交わす血の契りを『そんなもの』と言っていたよね。でも、本物ならどう?本物なら……欲しい?」
「慈雨、おれは、庇護の本能でおれ自身を守りたいわけじゃない。おれが守りたいのは、」
「違う」
言い放ち、慈雨は静の言葉の続きを奪い去った。
「おれが、おまえを守りたいんだ。それがどんな方法だって構わない。おまえにずっと傍にいて欲しいから。おまえを……愛しているから」
静の左手をきつく握り、指を絡め、何度も角度を変えて静の手指へ口づける。そこまでしても静はまだ虚を衝かれたようになっていて、慈雨はたまらなくなって詰るように静を睨んだ。
「おまえ、死んでもおれの傍にいると言ったよね?約束を破るのか?……それとも、おれの隣に他の誰かを招いてもいいのか?おまえは他の誰かと番になれるのか?おれはそんなの、絶対に嫌だ。おれの隣は、おまえがいい。静がいい」
本人の前ではっきりと欲しがってしまい、頬どころか首まで熱くなってくる。
静の左手が慈雨の唇に触れ、そこから伝うように顎の輪郭を撫でた。
「おれと番になったらどうなるか、分かるか?」
「そんなの分かってる。心も身体も結ばれて、一つになって、」
「そうだ。おれはイヌだがオオカミでもある。オオカミの番は生涯一匹だけ。貴方がおれを厭うようになっても、おれは貴方を離さない。獣人と番うことはヒト同士の婚姻のように簡単な話じゃない」
「おれとは番になれないって、そう言いたいの?」
ぶつけた問いに怒りが滲んでしまい、慈雨は眉を歪めた。静は慈雨の拙い怒りを受け止め、切なげに微笑んだ。
「違う。そういう覚悟をしろ、という話だ」
静の右手が慈雨の袴の紐の内へ沈む。左手はかすかな力でもって慈雨の顎を引きつけ、二つの唇を重ねた。
雷と喜重の尽力によって北山組と仁楼会の全面戦争は避けられたものの、一連の騒動によって生じた混乱は双方の根底を揺るがした。仁楼会では現会長の手腕に不満を持つ直系の中核組織が会を離脱し、派閥争いが激化。結果として全盛期からは四割弱の会員数にまで落ち込んだ。また、北山組でも、清水一派の破門により多くの組員とシノギを失うことになった。組長の座を退いた雷を追うように、喜重もまた相談役を引退し、仁楼会を去った。
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紋付き袴を着た鏑木は忌々しそうに呟いた。おろしたての袴に身を包んだ慈雨はそんな鏑木の前へ出て、深く頭を下げた。
「御大。襲名式、お疲れ様です」
「おまえに御大なんて呼ばれる筋合いはねぇよ。気持ち悪ぃったらねぇから止めろっ」
更に小さな所帯となってしまった北山組。「苦労をかけるが後を頼む」と雷に肩を叩かれたのは、鏑木だった。引退間近とまで言われていた鏑木の跡目相続に、若衆はもちろん、彼と懇意にしていた幹部でさえ目を丸くした。
「引退したら釣りでもするかって、竿まで買ってんのによぉ……」
「釣りなら引退しなくてもできますよ。なんならおれが付き合います」
鏑木は舌打ちを返し、手でシッシと慈雨を払った。「おめでとうございます」慈雨はもう一度頭を下げ、縁側から庭を眺めている祖父の元へと向かった。
「ああ、慈雨か。似合っているじゃないか」
組んでいた腕をほどき、雷はいつもの調子で微笑んだ。数分前まで組の全てを背負っていた男に、慈雨は「お疲れ様でした」と頭を下げた。
「じいちゃん、よかったの?」
「なに、遅すぎたくらいだよ。トップに立つには勘が鈍った。潮時だな」
空を仰ぎ息を吐いた雷の横顔は、いつか見た父の横顔に似ていた。
「鏑木さんと盃を交わしてたじいちゃん、すごくかっこよかったよ」
雷は目尻の皺を深め、「何か欲しいものでもあるのかな」と軽口を叩いたが、ひたと慈雨を見つめ、「ありがとう」と言った。
「じいちゃん。おれ、しばらく鏑木さんの下で勉強させてもらおうと思う」
ぱっと見開かれる瞳。驚いている祖父が珍しく、慈雨は「一番下っ端からでいいならって条件付きだけど……」と言って笑った。
「将来なんて、いまのおれには分からない。だけど、見て見ぬふりをしてきた世界をちゃんとこの目で見ておかなきゃって思うんだ。透明人間はもうやめる」
再び遠い場所を見つめ、雷は「そうか」とだけ言った。かつてこの世界から足を洗った息子のことを考えているのかもしれなかった。
悟を組の一員と認めてもなお、ヒトの組員を守るためにイヌを前線に出していた雷。自身の矛盾と望の憎しみを感じていたからこそ、心の隅につかえるものがあったのだろう。慈雨の傍に静を置いたのは、自身のそんな矛盾が引き起こした悲劇を孫に繰り返して欲しくなかったからではないのだろうか。
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「うん。いくら獣人でも治癒力には限界があるし、無理させちゃったから。……それに……、」
いつだって逞しく働いていた静の左腕には、梢に切り付けられた傷が原因で軽度の麻痺が残った。慈雨は俯いてしまいそうになる面をパッと上げた。
「静にはこれからもおれの傍にいてもらうんだから、大切にしなきゃ」
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静の手は熱かった。
静はぼんやりと投げ出されたこの手を力強く握って、決して自分からは離さなかった。その熱が、慈雨の心を揺さぶった。瞼の帳を上げ、慈雨は静に手を引かれ外へと飛び出した。
外の世界は、目も眩むほど鮮烈だった。目を覚ました小さな獣は、瞳を瞬かせ光の方へと駆けて行った。
「静によろしく伝えてくれ」
慈雨は祖父の言葉に頷き、頭を下げた。
あんなにも頑なに慈雨の傍を離れなかった静が、療養に入ってからずっと慈雨の訪問を拒んでいる。何度も門前払いを食らい痺れを切らした慈雨は、襲名式で人手の少なくなる今日の日を狙って宿舎のドアを叩いた。狙い通り、管理人がいるはずの場所は空になっており、慈雨はほくそ笑んだ。
「わっ、若!どうされ、」
慈雨に気付き驚きの声を上げたイヌの口を塞ぎ、「シィー」と人差し指を立てる。「静の部屋が知りたいんだ。教えてもらってもいいかな?」囁けばイヌはコクコクと頷き、奥の部屋を指差した。「ありがとう。このお駄賃は君の好きにお使い」イヌの胸ポケットにお礼を差し込み、慈雨は静の部屋へ向かった。
ノックをしても返事がなく、匂いで感づかれてしまったかとドアを引く。……が、部屋の中に静はいなかった。
本人が不在でも、ここは静の匂いに満ちていて、慈雨はベッドと机だけが置かれた簡素な部屋を見渡し、ベッドに腰を下ろした。清潔な白のシーツに手のひらを滑らせると、あの雨の日のことが思い起こされ、頬がにわかに熱くなった。
カチャン。
ドアノブが捻られた音にピンと背が立つ。手は勝手にシーツを握りしめ、心臓は深く脈打ち始めた。「しずか」その名を呼ぶと、ドアがゆっくりと開いた。
静は至極きまり悪そうな面持ちをドアの隙間から覗かせた。それまでの焦燥も忘れ、慈雨は思わず噴き出した。
「ふふっ。なんだ、その顔は。来ない方がよかったか?」
いつも撫でつけていた前髪が額に下りているからか、静をいつもより年相応に感じる。トレーニングウェア姿の静に近づき額に浮かんだ汗を拭ってやれば、静は耳をぺとんと寝かせた。
「療養中なのにトレーニングなんかして。安静にしていなきゃいけないだろう」
「いや、これは、」
慈雨は静の握り込まれた左手を取り、指先で擽るようにして開いてやった。竹刀を握った後なのか、静の手のひらには痕が赤く伸びていた。静は恥じ入るように拳を固く握り、慈雨を見下ろした。その瞳は淡く潤んで揺れていて、慈雨はその瞳に見入って胸を熱くした。
「慈雨、おれは、左腕は駄目になってしまったけれど、右腕だけでも貴方を守れるように、きっとなってみせる。……今はまだ十分ではないから、おれには今まで以上の鍛錬が必要で、だから、」
「静」
慈雨は静の左手に触れ、撫でた。
ゆっくりと繰り返し撫で続けると、固くなっていた拳がかすかに緩んだ。
「おれがおまえの左側に立てばいい。それに、おまえの手は駄目になったりしていない。……この手を開いて、おれの手を握ってごらん」
手のひらを添えてはじめて気が付いた。軽い麻痺の残った静の手は小刻みに震えていて、けれど懸命に動いている。ゆるゆると開かれた手指は相変わらず熱くて、慈雨は静の手指が自分の手指に絡むのを待った。
「ほら。おれの言う通りにできる」
以前と違っている仕種が、変わらない温度が、慈雨には切ない。握った手に反対の手を添え、口づける。啄むたびに静の指がぴくんと跳ねて、慈雨はほのかに微笑んだ。
「麻痺って、どんな感じなんだ?痛い?びりびりする?」
「時々、肘から下がまばらに痺れる。日によっては、ずっと痺れていることもある。強い力を加えられると、動かなくなることもある……。痺れ始めると、まるで手に膜が張ってるみたいだ」
「……苦しい?」
「貴方を守れないかもしれないと思うと、苦しい」
静らしくもなく歪んだ瞳にハッとして、慈雨は静を掻き抱いた。抱き寄せたつもりでも、体格差のために慈雨が静の胸へ飛び込んだようなさまになってしまう。それでも慈雨は静をきつく抱きしめた。
「静、おれこそ、おまえの隣に立つには十分でないかもしれない。でも、」
あれからずっと思っていたことだった。おれが静を守れたら――。
「おれが、おまえを、守りたい」
静の戸惑いを感じ、慈雨は彼の腕の中で面を上げた。眼差しを重ね、声に想いを込める。
「おまえの半身をおれに預けて。おれをおまえの、番にして」
どっ、どっ、どっ……。
互いの鼓動が逸っていくのが手に取るように分かる。静は慈雨を深く見つめ、慈雨もまたそうした。心を重ねたくて、静の瞳に飛び込むように眼差しを注ぐ。
「おまえは、盃を交わす血の契りを『そんなもの』と言っていたよね。でも、本物ならどう?本物なら……欲しい?」
「慈雨、おれは、庇護の本能でおれ自身を守りたいわけじゃない。おれが守りたいのは、」
「違う」
言い放ち、慈雨は静の言葉の続きを奪い去った。
「おれが、おまえを守りたいんだ。それがどんな方法だって構わない。おまえにずっと傍にいて欲しいから。おまえを……愛しているから」
静の左手をきつく握り、指を絡め、何度も角度を変えて静の手指へ口づける。そこまでしても静はまだ虚を衝かれたようになっていて、慈雨はたまらなくなって詰るように静を睨んだ。
「おまえ、死んでもおれの傍にいると言ったよね?約束を破るのか?……それとも、おれの隣に他の誰かを招いてもいいのか?おまえは他の誰かと番になれるのか?おれはそんなの、絶対に嫌だ。おれの隣は、おまえがいい。静がいい」
本人の前ではっきりと欲しがってしまい、頬どころか首まで熱くなってくる。
静の左手が慈雨の唇に触れ、そこから伝うように顎の輪郭を撫でた。
「おれと番になったらどうなるか、分かるか?」
「そんなの分かってる。心も身体も結ばれて、一つになって、」
「そうだ。おれはイヌだがオオカミでもある。オオカミの番は生涯一匹だけ。貴方がおれを厭うようになっても、おれは貴方を離さない。獣人と番うことはヒト同士の婚姻のように簡単な話じゃない」
「おれとは番になれないって、そう言いたいの?」
ぶつけた問いに怒りが滲んでしまい、慈雨は眉を歪めた。静は慈雨の拙い怒りを受け止め、切なげに微笑んだ。
「違う。そういう覚悟をしろ、という話だ」
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