一途な獣は愛にこそ跪く

野中にんぎょ

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負け犬の遠吠え(上)

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 商店街の路地裏からパチンコ店『パーラーかすが』へ入り、奥の台で打っている男の人相を確認する。慈雨は男の隣へ座り、サンドに千円札を突っ込んだ。
「おう、生きとったか。悪運の強いやっちゃなぁ……」
 稲妻のような閃光を上げて台が稼働し始める。男・鏑木から声をかけられても、慈雨は前を睨んだまま「じいちゃんは無事ですか」と問うた。
「ここがよう分かったな」
 予想通りはぐらかされ、かえって笑いがこみ上げる。
「じいちゃんがよく言ってました。鏑木さんはギリギリでシノギを回す天才だって。貴方がここの上前ハネてお気に入りの台で打ってることも、その台が店のどこにあるのかも、じいちゃんはちゃんと知ってますよ」
 脅しと取れるように囁けば、鏑木は片頬で笑った。
「もうちぃと静かにおしゃべりできる場所に行こうや」
 鏑木に続き腰を上げれば、静が鏑木と慈雨の間に割って入った。鏑木は喉で笑い、「よぉワンコ。ちぃとは賢くなったか」と静を揶揄った。
 鏑木はワゴンに乗り込むが早いか煙草に火をつけた。ハンドルを握る若衆はフロントミラー越しに慈雨を一瞥し、車を出した。
「じいちゃんは無事ですか」
「んなの俺が聞きてぇよ」
 鏑木は吸いかけの煙草を窓から放り、肘掛に頬杖を突いた。
「屋敷が襲われた日からオヤジもおまえも行方知れず。清水の野郎、俺がオヤジを探し回ってる間に、これは仁楼会の仕業だの十五年前の報復だの、古参や若いモンをたきつけて、今では組のアタマ気取ってやがる」
慈雨の知る限り、鏑木もまた兄貴分である清水に尊敬の念を抱いているようだったが……。あまりの言い草に驚いている慈雨を鏑木は一笑した。
「今じゃ俺も半分隠居生活みてぇなモンだからよぉ、組のことに口出しするわけにもいかねえ。清水の右腕である望はオヤジの右腕でもあり大きなシノギをいくつも掛け持ってる。若いモンは望の描いた画に夢中で俺の話なんぞ聞きやしねえ。今や組は清水の天下よ」
「今回のことに仁楼会は関係ない!屋敷が襲われた日もネコの獣人なんて一匹も見なかった!」
 語気を強めれば、鏑木はフロントミラー越しに慈雨を見やった。
「関係なくてもな、そうなっちまうんだよ。……桂の屋敷で発見された銃が、うちで使っている型のものだった。ご丁寧に、事務所にその銃が送られて来たよ。その直後にオヤジの屋敷であんなことがあっちゃあ、こっちも“そういうつもり”になっちまうわな。そのうちに北山組と仁楼会で抗争になる。そうなりゃおめぇ、命がいくつあっても足りねぇよ」
「無意味だ」
 押し出すように呻けば、車内の空気が張りつめた。
「そんなことをしたって、いなくなった人間や失った誇りは戻って来ない」
 血濡れた窓の向こう、幼い慈雨の目の前で、獣人は自身の頭を撃ち抜き命を絶った。
 獣は生きるために獣を殺める。殺めたものを食らい、生を繋ぐ。
 どうして、父と母を殺めたおまえは何も食らわずに逝ってしまうのか。何のために父と母は殺されたのか。……何のために、自分だけが生かされているのか。
「俺たちはな、単細胞なんだよ。組の面子を潰されたとなりゃ黙っておけねぇ。古い人間であればあるほど、自身の命よりも誇りを選ぶ」
 言葉はやけっぱちなのに、鏑木の声は弾んでいた。この男もまた、北山雷に忠誠を誓った獣だ。
「そのワンコ連れて、街を出な。少ないが俺からの手向けだ。アシはつかねぇようにしてある」
 慈雨の膝の上へ封筒が放られる。反動で滑り出た中身は帯付きのピン札で、この男はいつからこうなることが分かっていたのだろうかと、慈雨は拳を握った。
「いやだ」
 慈雨は首を振った。
「停めて!自分で歩ける!」
 慈雨は膝から札束が落ちるのにも構わず、運転席を揺すった。車はやがて路肩に停まり、先に車を出た静が慈雨側のドアに手を掛けた。
「待て」
 鏑木は手帳の一頁を破り、慈雨の胸ポケットへ押し込んだ。
「桂喜重を知ってるな?一緒にうめぇもん食ったろう?」
 内々に行った会食のことを言われ、慈雨は弾かれたように顔を上げた。「オヤジは隠し事が下手だからな」口端を片方だけ上げた鏑木は帯から万札を抜き、慈雨のチノパンのポケットへ突っ込んだ。
「七コール内で出なけりゃ諦めろ。間違ってもオヤジの屋敷や事務所に顔出すんじゃねえぞ。望を説得しようったって無駄だ。あいつは誰の手にも負えねえ。……オラ、自分で歩けるんだろ、俺の前からとっとと消えろ、この恩知らずが」
 鏑木は慈雨の背中を蹴り、運転席の男に「出せ」と顎をしゃくった。
「あばよ、箱入りの坊ちゃん」
 憎らしい笑みを残し去って行く男を、二人は視界から消えるまで見送った。
 二つ折りになった万札を静に押し付けても、慈雨の胸の靄は晴れなかった。悪態をつきたいのに、自分はその方法すら知らない。
「静」
「はい」
「おまえ、桂さんを信用に値すると言ったね」
「はい」
 時に冷たくさえ感じる静の声が心地良い。来いと言わずとも、イヌは路地裏に紛れていく主人の背中を追って来た。慈雨はいま、確かに、自分の足で歩いていた。


 五コール目で電話を取ったその男より先に、「北山慈雨です」と名乗る。受話器の向こう、男はしばしの沈黙ののち、「その田という店にいる」と言った。
 裏通りにひっそりとかかった紫の暖簾をくぐれば、喜重はお猪口を置いて慈雨を手招きした。「君もこちらにおいで」喜重の微笑みは店外に留まろうとする静にも向けられ、静は喜重が指差した通りに主人の隣へ腰を下ろした。
「電話に出て驚いたよ。電話越しだと、声が若い頃の雷にそっくりだ。思えばあの子の声も雷に似ていた。血は声に出るのだろうか」
「おれの父を知っているんですか」
「もちろん」
 空になったお猪口に冷酒を注ごうとした慈雨を制し、喜重は手酌で酒をあおった。
「最近の北山組はえらく賑やかだな」
 喜重が北山組内部の混乱を揶揄していることは明白で、慈雨は眉を歪めた。「調子外れの祭囃子のような騒ぎっぷりだ」喜重は可笑しそうに肩を揺すった。
「じいちゃんがどこにいるのか、知っていますか」
「さあ?なに、あの男のことだ、組員を置いて雲隠れするような真似はしない。神隠しにでも遭ったんじゃないのか」
「神隠し……」
「そう。あの男をいま死なせるのは惜しいと、神が袂に隠してしまったのさ」
 喜重はもう一つのお猪口に酒を注ぎ、慈雨に勧めた。「今日はうるさいおじいちゃんもいない。一杯どうかね」喜重の輪郭は弱い線を描き、だのに眼差しは刀の切っ先の如く光っている。慈雨はかち合うことのないその眼差しを確かめ、お猪口の中身を飲み干した。
「十五年前、」
 咽喉が焼けるような感覚と鼻の奥で膨らむ香りにむせかけながら声を押し出す。
「おれの両親を殺したのは、仁楼会のネコです」
 車を襲った獣人の襟元に着いたバッチの形を、慈雨は生涯忘れないだろう。
 慈雨の両親の命を奪った獣人は仁楼会のネコ。そのことを知っているのは生き残った慈雨と組長である雷だけ。十五年前の真実を喉元へ突き付ける若者に向き直り、喜重は目を細めた。
「父と母に置いて行かれたおれを少しでも哀れだと思うなら、十五年前のことを教えてください。なぜ今になって組の中でこんなことが起こっているのか、その発端を、おれは知りたい」
「そのことなら、私は償ったよ。十五年かけて、牢屋の中でね」
 絞り出された真実を、喜重は一蹴した。
 冷酒を傾けた隣の男を凝視し、慈雨はわが耳を疑った。
 この男が出頭したのは、北山組・県警、双方とのわだかまりを一滴でも拭うためだと思っていた。けれど違う。この男がその身を十何年と差し出したのは、ひとえに、一人の男への償いのため――。その男こそ自身の祖父であるということに、慈雨はすぐに思い至った。
「雷は私が君のために鉄格子の向こうへ行ったと思っているようだけどね。それは全くの見当違いだ。……雷がずっと大切にしてきたものを、うちの者が滅茶苦茶に踏み荒らしてしまったから。雷に償えるのなら会長の椅子を捨ててでもそうしたかった」
「貴方にとって仁楼会は……、」
「私は雷とは違う。あれは私の家ではないし、私が欲しいものは別にあった。だから今の北山組は見ていられない。あんなもの捨ててしまえばいいのに……」
 喜重が心からそう言っているのが、慈雨には分かった。指先は熱いのに頭はいやに冴えていて、慈雨は空になったお猪口の底を睨み続けた。
「雷は理性ある獣だ。美しく気高い、崇高なる獣。……けれど獣は往々にして頭が悪く立ち回りが下手。気を付けろと忠告したところで次の瞬間には火の中に突っ込んでしまう。私はそんなのは嫌なんだよ。こんなつまらないことであれを失いたくない」
 喜重ははたと顔を上げ、「いけない、おしゃべりが過ぎた。やはり酒は控えるべきだな」と苦笑した。
「君への贖罪がまだだったね」
 二つのお猪口に冷酒を注ぎ、喜重は静を見やった。
「君のイヌは悟に似ている」
 思わぬ言葉に、静は耳を立てた。
 十五年前、見つからない実行犯に代わり、替え玉出頭させた元若頭補佐・北山悟。三年前に心臓病で獄中死し、現在は北山組総本部の供養塔に眠っているが……。
「悟は元々、私が雷に世話を頼んだ子でね。あの頃、獣人の育つ環境は今よりもずっと劣悪だった。親の借金のカタに売られて来たのはよかったけれど、痩せっぽちで、とてもオオカミには見えなくてね。獣人も使いようだと言って雷に押し付けたんだ」
「悟さんはオオカミの獣人だったんですか?」
 組員の口ぶりからヒトだとばかり思っていた悟の正体。慈雨は思わず前のめった。「無理もない」喜重は緩く首を振り、静の耳を指差した。
「あの子は自身が獣人であることを恥じていたようでね。北山組のバッチを着けるために、耳と尾を切り落としちゃったんだよ。望ときたら、カンカンに怒ってね。耳と尾を切り落とすことを唯一知っていた雷に掴みかかったんだ」
 望が憤慨するところなど見たことがない。慈雨は戸惑い、喜重は笑みを深めた。
「雷はあれで古い人間だから、獣人の機微には鈍感だった。望に一発殴られてやっと、雷は本当の意味で悟を組に迎え入れたんだ」
「望と悟さんが懇意にしていたなんて、初めて聞きました」
 素直にそう言えば、喜重は砕けるように笑った。
「あれは懇意なんて生易しいものじゃない。悟は望の――、」
 店内の空気を裂くように引き戸が開く。現れた獣人を見て、静は立ち上がった。
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