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電話越しの拒絶(下)
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「紫苑、おめでと! ほんとうによかった」
「どうして最初からこうしなかったんだろ。いつの間にか視野が狭くなってたみたい。勉強も、し過ぎるとよくないね」
肩を竦める紫苑に、茜は笑った。優成はどこかすっきりとした面持ちで、紫苑と視線が合うと自然にその腰を引き寄せた。「お試し期間はダテじゃないね」茜がからかうと、二人は幸せそうに笑った。
「茜。小林のこと、気遣ってるのは分かるよ。でも、もう少し我儘になっていいんじゃない?」
「そうそう。茜は甘えただからさ。新はそれに慣れちゃってるから、今の状況を異常事態みたいに感じてるんだと思うよ。今はたぶん、いろんなことで煮詰まっちゃってるから、茜が、どうどうって落ち着かせてあげて」
「ボクから見ても、最近の小林は頑張り過ぎ。ブレーキのかけ方、忘れちゃってる。小林が止まれるのは茜の前でだけだから、茜がブレーキかけてあげて。茜だって、ほんとうは小林に会いたいんでしょ?」
腕の中の温もり。肩口の匂い。焦色の瞳。「あかね」と、包み込むように名前を呼ぶ声。会いたいよ。想いが溢れて、その想いにみるみる抗えなくなって……。ほんとうは、おれだって小林に――。
「いきなり会うのが怖かったら、電話してみたら。声を聞くだけで安らげることもあるよ。誰の前でも泣けなかったのに、茜の声を聞いて泣いちゃったボクみたいに」
会いたいって、言ってもいいのかな。
迷い、けれど紫苑と優成を見ていると胸が締めつけられた。……いいな。おれだって小林に会いたい。
小林がいてくれた夏を、この心に焼きつけたい。だって、これが最後かもしれない。旅立つ小林を、おれは止められない。
小林に会いたい。
茜は潮騒を出て、スマートフォンを耳に当てた。
プルル、プルル、プルル……。
呼び出し音はすぐに途切れた。
『……広尾? どうした?』
小林だ……。
この声を、ずっと聞きたかった。
茜は新の声に息を飲み、しばし沈黙した。『広尾?』再び呼びかけられ、茜は「こばやし」と、急いた声で新を呼んだ。
「ごめん、こんな時間に。勉強してた?」
どうしても気になって尋ねると、今度は新が沈黙した。紫苑と優成の言葉を思い起こし、返事をじっと待つ。新の心が、前に触れた時よりも固くなっているような気がした。
『復習の途中だった。けれど構わないよ。どうした、何かあった?』
目が覚めたような心地になった。おれ、また、小林の邪魔を……。そんな迷いを振り切り、茜は「何かあったわけじゃないんだけど、」と、話を切り出した。
「お盆も、カキコーシューある?」
『ふは。さすがに、お盆はないよ』
「そうなんだ」
ふっと心が浮き立って、スマートフォンを握りしめる。どく、どく、どく……。心臓がうるさい。
「あの、お盆だから、家族との予定があるかもしれないけど……。小林がヒマだったら、は……花火大会、一緒に行きたいなって……」
声が尻すぼみになり、けれど茜は繕わなかった。言えた……。
少しの沈黙の後、新は胸の奥にあるものを押し留めるように、注意深く息を吐いた。
『行けない。しばらく、おまえには会えない』
一瞬を、永遠にも感じた。
どうして。胸の中で問うたのに、新はそれをくみ取って、『悪い』と、先回りした。
「おれ、なんか、小林にしちゃった?」
声は震えて、瞳は熱くなっていく。新は『ちがう』と即座に否定した。
『おまえでなく、おれに問題がある。会えばまた、おまえを傷付ける』
「小林に傷付けられたことなんか、一度もないっ」
『いいや。おれはおまえを傷付けた。だからあの日、おまえは帰ってしまったんだろう。おれがおまえを、好き勝手に、暴いたり汚したりしたから』
雪乃が選んでくれたTシャツが脳裏に過った。確かに、あの日の新の行動には違和感があった。けれど、ちがう。あの日、おれが小林の前から逃げ出したのは、何度も小林の邪魔をしてしまう自分が、いやになったからで――。
『おれは、こんなおれじゃなかった。おまえをもっとたいせつにできるはずだったんだ。でも、おれは恋の先で、おまえをああやって扱って、自分の気を済ませるような男になった』
「おれ、傷付けられたなんて思ってないよ。小林はいつだっておれに優しかった」
『会えば、この前以上にひどくしてしまうと思う。だから、行けない。おまえを傷付けたくない』
茜は、ぎゅっと拳を握った。
「おれ、小林だったらいいよ。どんなに傷つけられても平気。だから、」
『だから、だめなんだ』
新の声は優しかった。愛されているんだと痛いほどに伝わって、それがかえって苦しかった。
『おまえはおれを深いところまで受け入れて、なのに、おまえ自身も満たされてしまうだろう。だから、だめだ。おれは、おまえから奪いたいわけじゃない。たいせつにしたいんだ。誰よりも……』
「じゃあっ、」
強い声なのに、震える。涙が頬を伝った。
「いつ、会える?」
沈黙が続く。新が、深く息を吸った。
『……悪い。勉強の途中だから』
押し返すように言われ、通話は切れた。
立ち尽くした足元が地面に飲み込まれていく。
ああおれ、ずっと会いたかった。何をしていても、誰といても、小林に会いたかった。
もっと早くに言えばよかった。意地を張らずに、会いたいけど邪魔をしたくない、どうすれば傍にいられるのって、訊けばよかった。結局おれは、小林がおれより将来を取るのを目の当たりにするのが怖くて、予防線を張ってただけなんだ。
「……茜? どうしたの?」
紫苑が扉から顔を出す。茜は紫苑の胸に飛び込んだ。
「茜……」
紫苑の胸に抱かれ、茜は声を殺して泣いた。そのうちにやって来た優成も、何も言わずに頭を撫でてくれた。大好きな二人にこんなにも優しくされても、涙は止まらなかった。
小林。茜は胸の中で新を呼び、かすかに微笑んだ。新がくれたものだと思うと、胸の痛みさえ愛しかった。
「どうして最初からこうしなかったんだろ。いつの間にか視野が狭くなってたみたい。勉強も、し過ぎるとよくないね」
肩を竦める紫苑に、茜は笑った。優成はどこかすっきりとした面持ちで、紫苑と視線が合うと自然にその腰を引き寄せた。「お試し期間はダテじゃないね」茜がからかうと、二人は幸せそうに笑った。
「茜。小林のこと、気遣ってるのは分かるよ。でも、もう少し我儘になっていいんじゃない?」
「そうそう。茜は甘えただからさ。新はそれに慣れちゃってるから、今の状況を異常事態みたいに感じてるんだと思うよ。今はたぶん、いろんなことで煮詰まっちゃってるから、茜が、どうどうって落ち着かせてあげて」
「ボクから見ても、最近の小林は頑張り過ぎ。ブレーキのかけ方、忘れちゃってる。小林が止まれるのは茜の前でだけだから、茜がブレーキかけてあげて。茜だって、ほんとうは小林に会いたいんでしょ?」
腕の中の温もり。肩口の匂い。焦色の瞳。「あかね」と、包み込むように名前を呼ぶ声。会いたいよ。想いが溢れて、その想いにみるみる抗えなくなって……。ほんとうは、おれだって小林に――。
「いきなり会うのが怖かったら、電話してみたら。声を聞くだけで安らげることもあるよ。誰の前でも泣けなかったのに、茜の声を聞いて泣いちゃったボクみたいに」
会いたいって、言ってもいいのかな。
迷い、けれど紫苑と優成を見ていると胸が締めつけられた。……いいな。おれだって小林に会いたい。
小林がいてくれた夏を、この心に焼きつけたい。だって、これが最後かもしれない。旅立つ小林を、おれは止められない。
小林に会いたい。
茜は潮騒を出て、スマートフォンを耳に当てた。
プルル、プルル、プルル……。
呼び出し音はすぐに途切れた。
『……広尾? どうした?』
小林だ……。
この声を、ずっと聞きたかった。
茜は新の声に息を飲み、しばし沈黙した。『広尾?』再び呼びかけられ、茜は「こばやし」と、急いた声で新を呼んだ。
「ごめん、こんな時間に。勉強してた?」
どうしても気になって尋ねると、今度は新が沈黙した。紫苑と優成の言葉を思い起こし、返事をじっと待つ。新の心が、前に触れた時よりも固くなっているような気がした。
『復習の途中だった。けれど構わないよ。どうした、何かあった?』
目が覚めたような心地になった。おれ、また、小林の邪魔を……。そんな迷いを振り切り、茜は「何かあったわけじゃないんだけど、」と、話を切り出した。
「お盆も、カキコーシューある?」
『ふは。さすがに、お盆はないよ』
「そうなんだ」
ふっと心が浮き立って、スマートフォンを握りしめる。どく、どく、どく……。心臓がうるさい。
「あの、お盆だから、家族との予定があるかもしれないけど……。小林がヒマだったら、は……花火大会、一緒に行きたいなって……」
声が尻すぼみになり、けれど茜は繕わなかった。言えた……。
少しの沈黙の後、新は胸の奥にあるものを押し留めるように、注意深く息を吐いた。
『行けない。しばらく、おまえには会えない』
一瞬を、永遠にも感じた。
どうして。胸の中で問うたのに、新はそれをくみ取って、『悪い』と、先回りした。
「おれ、なんか、小林にしちゃった?」
声は震えて、瞳は熱くなっていく。新は『ちがう』と即座に否定した。
『おまえでなく、おれに問題がある。会えばまた、おまえを傷付ける』
「小林に傷付けられたことなんか、一度もないっ」
『いいや。おれはおまえを傷付けた。だからあの日、おまえは帰ってしまったんだろう。おれがおまえを、好き勝手に、暴いたり汚したりしたから』
雪乃が選んでくれたTシャツが脳裏に過った。確かに、あの日の新の行動には違和感があった。けれど、ちがう。あの日、おれが小林の前から逃げ出したのは、何度も小林の邪魔をしてしまう自分が、いやになったからで――。
『おれは、こんなおれじゃなかった。おまえをもっとたいせつにできるはずだったんだ。でも、おれは恋の先で、おまえをああやって扱って、自分の気を済ませるような男になった』
「おれ、傷付けられたなんて思ってないよ。小林はいつだっておれに優しかった」
『会えば、この前以上にひどくしてしまうと思う。だから、行けない。おまえを傷付けたくない』
茜は、ぎゅっと拳を握った。
「おれ、小林だったらいいよ。どんなに傷つけられても平気。だから、」
『だから、だめなんだ』
新の声は優しかった。愛されているんだと痛いほどに伝わって、それがかえって苦しかった。
『おまえはおれを深いところまで受け入れて、なのに、おまえ自身も満たされてしまうだろう。だから、だめだ。おれは、おまえから奪いたいわけじゃない。たいせつにしたいんだ。誰よりも……』
「じゃあっ、」
強い声なのに、震える。涙が頬を伝った。
「いつ、会える?」
沈黙が続く。新が、深く息を吸った。
『……悪い。勉強の途中だから』
押し返すように言われ、通話は切れた。
立ち尽くした足元が地面に飲み込まれていく。
ああおれ、ずっと会いたかった。何をしていても、誰といても、小林に会いたかった。
もっと早くに言えばよかった。意地を張らずに、会いたいけど邪魔をしたくない、どうすれば傍にいられるのって、訊けばよかった。結局おれは、小林がおれより将来を取るのを目の当たりにするのが怖くて、予防線を張ってただけなんだ。
「……茜? どうしたの?」
紫苑が扉から顔を出す。茜は紫苑の胸に飛び込んだ。
「茜……」
紫苑の胸に抱かれ、茜は声を殺して泣いた。そのうちにやって来た優成も、何も言わずに頭を撫でてくれた。大好きな二人にこんなにも優しくされても、涙は止まらなかった。
小林。茜は胸の中で新を呼び、かすかに微笑んだ。新がくれたものだと思うと、胸の痛みさえ愛しかった。
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