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電話越しの拒絶(上)
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「紫苑、こっち」
ボサノヴァの流れる潮騒。こちらに向いた紫苑の瞳が見る間に引き締まり、茜は曖昧に微笑んだ。紫苑は茜の隣に腰掛けた優成に近づくと、「優成君、席を外して」と、優成の目を見て言った。
「じゃあ、おれはあっちにいるから。あとは二人で」
隣でなく向かいに座った紫苑を、茜は絵画にするように眺めた。美しいバラには棘があるなんて、誰が言い始めたのだろう。
「話って、なに」
努めて抑えた声が耳朶を刺す。茜は息を吐き、吸った。
「あれからずっと、紫苑が言ってたことについて考えてた。でもおれ、やっぱり、よく分かんない。紫苑がおれを思って言ってくれてるんだってことは分かるよ。でも、おれ、小林と同じ場所へは行けないと思う。それは、おれがばかだからじゃなくて、おれと小林は別の人間だから、辿り着く場所も違うって意味で……」
「それは、努力した末に行きつくケースの一つの話でしょ? 茜は努力してないじゃない。遊んでばっかりで。好きな人の傍にいられないつらさを知らないくせに、分かったような口きかないでよ」
一蹴され、茜は「努力って……」と、声を曇らせた。
おれたち、こんなにも離れてしまったんだ。紫苑との間に距離を感じ、茫洋とする。分かり合えるだろうか。にわかに不安になり、背筋を正す。分かり合おうとしなければ、分かり合えない。
「ちょっとだけ、おれの話に付き合って」
茜はノートを取り出し、白紙の頁を開いた。そこへ、「しおん」「ゆうせい」「こばやし」「あかね」と、名前を並べる。そして、スーッと、一本の線を「しおん」から伸ばした。
「これは、紫苑の人生ね。こっちに進むと、人生も進む。紫苑は世界に一人だから、この線も一本だけだよ。今までは、その近くにおれがいた」
「しおん」の隣に「あかね」の線を引く。紫苑は険しい表情をしつつも耳を傾けてくれた。
「紫苑は、未来に向かって目標を持って、毎日頑張ってる。だから、行きたい場所まで、ものすごいスピードでまっすぐに進める。でも……、」
「あかね」の線を止め、紫苑の目を見る。
「おれは止まってる……ように、紫苑からは見える。おれには将来の目標もないし、そのための勉強も、努力もしてないから。優成君も、小林も、どんどん先へ行く。でも、おれは……」
くにゃ、と「あかね」の線を曲げると、紫苑の眼差しが強張った。
「曲がって、まっすぐ前には行けないで、戻ったり、斜めになったりする。三人から、ちょっと離れたりもする」
「回りくどいよっ。何が言いたいのっ」
「しおん」「ゆうせい」「こばやし」から「あかね」の線を離すと、紫苑はたまりかねたように声を荒げた。
「そんなおれだって未来に向かって進んでるんだよってことを、言いたいんだ」
強く訴える。折れないんだよ、と、伝えたくて。
「おれのやり方は、三人とは違う。でも、進んでる。それを分かって欲しい。今のおれには、大きな目標はないかもしれない。でも、ちっちゃな、“やりたいこと”とか“好きなこと”は、いっぱいある。それは、誰かから見れば寄り道かもしんないけど、おれにとっては、たいせつなことなんだ。そうやって、おれは探してるつもりなんだ、紫苑が思い描いてるような、未来の自分みたいなものを……」
紫苑の瞳が揺れる。「なあ」茜は紫苑に語りかけた。
「紫苑はすごいよ、毎日頑張って。おれもそういうもの、いつか見つけたい。すぐには見つからないと思うけど、だから、じっくり探したい。冒険したい。宝探しみたいに、わくわくしながら。……その分、迷うことも、苦しいことも、いっぱいあると思うけど……」
「すごくないよ」
震えた声で、紫苑は言った。
「すごくないよ、ボクなんか。偏差値とか、志望校とか、そういう目標はあるけど、やりたいことがないんだもん。み、見つかんないの。っく、ひっ、優成君と一緒にいたいって、そういう気持ちしか、……ないの、ボクにはっ」
はぁっ、と、胸いっぱいに息を吸って、紫苑はしゃくりあげた。立ち上がり、紫苑に寄り添う。「泣くな。紫苑は頑張ってるんだから、泣く必要なんてない」言い含めると、紫苑は首を振った。「紫苑」茜は紫苑の視線を呼び戻した。
「紫苑が言ってたことは正しいよ。はっきりした目標がなくても、勉強を頑張っておくと、スタートが違うよな。大丈夫。紫苑はまっすぐ前に進んでるよ。そうやってるうちに、やりたいことも見つかるから」
「怖いのっ。み、みんなに置いて行かれるのがっ。みんなって誰か分かんない、でも、中学の時みたいになりたくない! だってすごく怖かった、ボクだけ置いてきぼりになっちゃって……」
かつて不登校だった紫苑。その苦しみに寄り添うことはできても、ほんとうの意味で理解することはできない。
「みんなと行けば大丈夫って走ってたらっ、茜はいなくてっ、違う場所で笑ってて、こっち来てって言っても聞かなくて……! なんで一緒にいてくれないのって必死になって、あ、あんなこと、言っちゃってっ」
肩を抱くと、紫苑は身を翻して茜の胸に縋りついた。
「ほんとうは、行きたい大学なんかない」
「うん」
「勉強、したくない」
「うん」
「でも、そうしないと、う、ひゔ、優成君が遠くへ行っちゃう。会えなくなる。だ、大好きなのに。こんなに一緒にいたいのに」
紫苑がこんなにも疲れ切っていることに気付けなかった。おれも、いつの間にか、自分のことで精いっぱいになってた……。
紫苑を抱き寄せ、「大丈夫だから」と囁く。まるで自分に言い聞かせているようで、自嘲気味な笑みがこみ上げた。
「見て、紫苑」
腕の中の愛しい子に囁く。紫苑は涙で濡れた睫毛を上げ、茜の手元を見つめた。
「一緒の線を同時に行くことはできないけどさ、こーやって、近くを走ったり、交わったり、そういうことはできるよ。もし距離的に離れても、心は傍にある。おれは、紫苑の傍にいるつもり。これからも、ずっと」
照れくさくて、「なんか、おれ、恥ずかしいこと言ってる?」と口元を覆うと、紫苑は茜の首に腕を回した。
「茜のばかっ。ボクをほっておくからだよっ。木下君をぶっちゃったじゃない」
「紫苑。会えたら謝らなきゃだよ。雪乃のほっぺ、紫苑の手形ついてたよ」
「えっ、うそっ」
紫苑の瞳がまんまるになって、茜は思わず噴き出した。
「うそ。でも、謝んなきゃだめだろ」
「うー……、」
珍しくぐずる紫苑に、茜は「“やりたいことリスト”、去年は二人で作ったよな?」と語りかけ、鞄からノートを取り出した。
「今年は一人だと思ったから、自分磨きリスト作ったんだ。見て。半身浴とか、ジョギングとか……。勉強頑張ってる紫苑からしたら、心配になっちゃうくらいだよな」
紫苑は、茜の目を見て首を振った。
「茜、ちょっとひきしまった。肌だって、つるつるじゃん。毎日、CLOSETにコーデ上げてるの、知ってるよ。スクラップブックだって、小四の頃からずっと続けてるよね。小林のことだって……、」
紫苑の頬に涙が転がっていく。「ごめんなさい」紫苑はギュッと面を伏せた。
「茜が小林のこと、ほんとうに好きで、だいじにしてること、知ってたのに……。茜が頑張ってること、少し考えれば分かるのに、ボク、自分のことばっかりで……」
「おれこそ、自分のことばっかりで、ごめん。ほんとは、夏休みも紫苑といっぱい遊びたいって思ってたんだ。ほら、こっちの頁には、もっといっぱい書いてあるだろ。一人じゃできないことばっかり。おれ、紫苑としたいことがいっぱいあったんだ」
紫苑はリストを覗き込み、「ほんとにいっぱいある」と声を明るくした。
「今からでも遅くないよなっ。勉強、大変だと思うけど、たまにはおれのことも構ってよ。手始めに夏服! セールも始まるし、秋服も見られるし、ちょうどいいよなっ」
紫苑は柔らかく微笑んだ。
「お泊りするなら、夜は花火がしたい。海にも行きたい。焼けるのは……いやだけど」
ぱあっと心が晴れて、茜は紫苑に抱きついた。「ふふ。茜ってば、苦しいよ……」そう言いながらも抱きしめ返してくれた紫苑に頬擦りしようとしたその時、抱き合う二人の肩を優成が叩いた。
「ストップ。おまえらが熱烈に仲良いのは知ってるけど、それ以上は妬く。嫉妬深い男ですみませんね」
割り込んできた優成に、茜は声を立てて笑い、紫苑は眉間に皺を寄せた。
「優成君に嫉妬する権利なんかないんだから。相手をほっとくよりタチ悪いことしてるって自覚あるのっ?」
元気を取り戻した紫苑は無敵だ。「いや、それは……あることには、あります」優成は改まり、項垂れた。
「塾勧めてくるくせに、勉強教えてくるくせに、オーキャン行こうって二泊三日の旅行にまで誘ってくるくせに、肝心なことは言ってくれないよね?」
二泊三日の旅行!? 茜は仰天し、優成を睨んだ。紫苑は弁明の余地を取り上げるように「言わせてもらうけど」と、声を低くした。
「ボク、待つの嫌いなの。取り残されるのも、一人ぼっちも嫌いなの。優成君、ボクに言いたいことがあるんじゃない?」
「でも、おれ的には、今のタイミングじゃなくて……」
ぶつん。紫苑のこめかみから、何かが切れる音がした。
「言い訳しろって、誰が言った?」
ダン! 紫苑は床を蹴って立ち上がり、優成の胸ぐらを掴んだ。
「優成君。ボクの成績知ってるでしょ? 優成君の第一志望なんか余裕だよね? ボク、やりたいことは確かに見つけられてないけど、こうなったらとことん上を目指すって決めたの。そんな中、やりたいことなんて見つけたら、どうなるか分かるよね? 置いて行かれるのは優成君の方かもよ?」
まさか、そんな状況だったとは。茜は紫苑の凛々しさに痺れつつ、優成を確かめた。「紫苑」優成は懇願するように紫苑を呼んだ。
「好きだ。おれを、おまえの恋人にして」
「……喜んで」
飛び上がり優成の首に腕を回した紫苑を、優成はしっかりと受け止めた。
「安心して。志望校は関西圏にするから。優成君が浪人したら、今度はボクが手厚くサポートしてあげるね」
「それはかなり心強いな」
どこまでも強気な紫苑に、優成は笑みを弾けさせた。
どこからともなく拍手が沸き起こって、茜も拍手で二人を祝福した。紫苑は面映ゆそうにはにかむと、優成の頬に口づけ、腕を解いた。
ボサノヴァの流れる潮騒。こちらに向いた紫苑の瞳が見る間に引き締まり、茜は曖昧に微笑んだ。紫苑は茜の隣に腰掛けた優成に近づくと、「優成君、席を外して」と、優成の目を見て言った。
「じゃあ、おれはあっちにいるから。あとは二人で」
隣でなく向かいに座った紫苑を、茜は絵画にするように眺めた。美しいバラには棘があるなんて、誰が言い始めたのだろう。
「話って、なに」
努めて抑えた声が耳朶を刺す。茜は息を吐き、吸った。
「あれからずっと、紫苑が言ってたことについて考えてた。でもおれ、やっぱり、よく分かんない。紫苑がおれを思って言ってくれてるんだってことは分かるよ。でも、おれ、小林と同じ場所へは行けないと思う。それは、おれがばかだからじゃなくて、おれと小林は別の人間だから、辿り着く場所も違うって意味で……」
「それは、努力した末に行きつくケースの一つの話でしょ? 茜は努力してないじゃない。遊んでばっかりで。好きな人の傍にいられないつらさを知らないくせに、分かったような口きかないでよ」
一蹴され、茜は「努力って……」と、声を曇らせた。
おれたち、こんなにも離れてしまったんだ。紫苑との間に距離を感じ、茫洋とする。分かり合えるだろうか。にわかに不安になり、背筋を正す。分かり合おうとしなければ、分かり合えない。
「ちょっとだけ、おれの話に付き合って」
茜はノートを取り出し、白紙の頁を開いた。そこへ、「しおん」「ゆうせい」「こばやし」「あかね」と、名前を並べる。そして、スーッと、一本の線を「しおん」から伸ばした。
「これは、紫苑の人生ね。こっちに進むと、人生も進む。紫苑は世界に一人だから、この線も一本だけだよ。今までは、その近くにおれがいた」
「しおん」の隣に「あかね」の線を引く。紫苑は険しい表情をしつつも耳を傾けてくれた。
「紫苑は、未来に向かって目標を持って、毎日頑張ってる。だから、行きたい場所まで、ものすごいスピードでまっすぐに進める。でも……、」
「あかね」の線を止め、紫苑の目を見る。
「おれは止まってる……ように、紫苑からは見える。おれには将来の目標もないし、そのための勉強も、努力もしてないから。優成君も、小林も、どんどん先へ行く。でも、おれは……」
くにゃ、と「あかね」の線を曲げると、紫苑の眼差しが強張った。
「曲がって、まっすぐ前には行けないで、戻ったり、斜めになったりする。三人から、ちょっと離れたりもする」
「回りくどいよっ。何が言いたいのっ」
「しおん」「ゆうせい」「こばやし」から「あかね」の線を離すと、紫苑はたまりかねたように声を荒げた。
「そんなおれだって未来に向かって進んでるんだよってことを、言いたいんだ」
強く訴える。折れないんだよ、と、伝えたくて。
「おれのやり方は、三人とは違う。でも、進んでる。それを分かって欲しい。今のおれには、大きな目標はないかもしれない。でも、ちっちゃな、“やりたいこと”とか“好きなこと”は、いっぱいある。それは、誰かから見れば寄り道かもしんないけど、おれにとっては、たいせつなことなんだ。そうやって、おれは探してるつもりなんだ、紫苑が思い描いてるような、未来の自分みたいなものを……」
紫苑の瞳が揺れる。「なあ」茜は紫苑に語りかけた。
「紫苑はすごいよ、毎日頑張って。おれもそういうもの、いつか見つけたい。すぐには見つからないと思うけど、だから、じっくり探したい。冒険したい。宝探しみたいに、わくわくしながら。……その分、迷うことも、苦しいことも、いっぱいあると思うけど……」
「すごくないよ」
震えた声で、紫苑は言った。
「すごくないよ、ボクなんか。偏差値とか、志望校とか、そういう目標はあるけど、やりたいことがないんだもん。み、見つかんないの。っく、ひっ、優成君と一緒にいたいって、そういう気持ちしか、……ないの、ボクにはっ」
はぁっ、と、胸いっぱいに息を吸って、紫苑はしゃくりあげた。立ち上がり、紫苑に寄り添う。「泣くな。紫苑は頑張ってるんだから、泣く必要なんてない」言い含めると、紫苑は首を振った。「紫苑」茜は紫苑の視線を呼び戻した。
「紫苑が言ってたことは正しいよ。はっきりした目標がなくても、勉強を頑張っておくと、スタートが違うよな。大丈夫。紫苑はまっすぐ前に進んでるよ。そうやってるうちに、やりたいことも見つかるから」
「怖いのっ。み、みんなに置いて行かれるのがっ。みんなって誰か分かんない、でも、中学の時みたいになりたくない! だってすごく怖かった、ボクだけ置いてきぼりになっちゃって……」
かつて不登校だった紫苑。その苦しみに寄り添うことはできても、ほんとうの意味で理解することはできない。
「みんなと行けば大丈夫って走ってたらっ、茜はいなくてっ、違う場所で笑ってて、こっち来てって言っても聞かなくて……! なんで一緒にいてくれないのって必死になって、あ、あんなこと、言っちゃってっ」
肩を抱くと、紫苑は身を翻して茜の胸に縋りついた。
「ほんとうは、行きたい大学なんかない」
「うん」
「勉強、したくない」
「うん」
「でも、そうしないと、う、ひゔ、優成君が遠くへ行っちゃう。会えなくなる。だ、大好きなのに。こんなに一緒にいたいのに」
紫苑がこんなにも疲れ切っていることに気付けなかった。おれも、いつの間にか、自分のことで精いっぱいになってた……。
紫苑を抱き寄せ、「大丈夫だから」と囁く。まるで自分に言い聞かせているようで、自嘲気味な笑みがこみ上げた。
「見て、紫苑」
腕の中の愛しい子に囁く。紫苑は涙で濡れた睫毛を上げ、茜の手元を見つめた。
「一緒の線を同時に行くことはできないけどさ、こーやって、近くを走ったり、交わったり、そういうことはできるよ。もし距離的に離れても、心は傍にある。おれは、紫苑の傍にいるつもり。これからも、ずっと」
照れくさくて、「なんか、おれ、恥ずかしいこと言ってる?」と口元を覆うと、紫苑は茜の首に腕を回した。
「茜のばかっ。ボクをほっておくからだよっ。木下君をぶっちゃったじゃない」
「紫苑。会えたら謝らなきゃだよ。雪乃のほっぺ、紫苑の手形ついてたよ」
「えっ、うそっ」
紫苑の瞳がまんまるになって、茜は思わず噴き出した。
「うそ。でも、謝んなきゃだめだろ」
「うー……、」
珍しくぐずる紫苑に、茜は「“やりたいことリスト”、去年は二人で作ったよな?」と語りかけ、鞄からノートを取り出した。
「今年は一人だと思ったから、自分磨きリスト作ったんだ。見て。半身浴とか、ジョギングとか……。勉強頑張ってる紫苑からしたら、心配になっちゃうくらいだよな」
紫苑は、茜の目を見て首を振った。
「茜、ちょっとひきしまった。肌だって、つるつるじゃん。毎日、CLOSETにコーデ上げてるの、知ってるよ。スクラップブックだって、小四の頃からずっと続けてるよね。小林のことだって……、」
紫苑の頬に涙が転がっていく。「ごめんなさい」紫苑はギュッと面を伏せた。
「茜が小林のこと、ほんとうに好きで、だいじにしてること、知ってたのに……。茜が頑張ってること、少し考えれば分かるのに、ボク、自分のことばっかりで……」
「おれこそ、自分のことばっかりで、ごめん。ほんとは、夏休みも紫苑といっぱい遊びたいって思ってたんだ。ほら、こっちの頁には、もっといっぱい書いてあるだろ。一人じゃできないことばっかり。おれ、紫苑としたいことがいっぱいあったんだ」
紫苑はリストを覗き込み、「ほんとにいっぱいある」と声を明るくした。
「今からでも遅くないよなっ。勉強、大変だと思うけど、たまにはおれのことも構ってよ。手始めに夏服! セールも始まるし、秋服も見られるし、ちょうどいいよなっ」
紫苑は柔らかく微笑んだ。
「お泊りするなら、夜は花火がしたい。海にも行きたい。焼けるのは……いやだけど」
ぱあっと心が晴れて、茜は紫苑に抱きついた。「ふふ。茜ってば、苦しいよ……」そう言いながらも抱きしめ返してくれた紫苑に頬擦りしようとしたその時、抱き合う二人の肩を優成が叩いた。
「ストップ。おまえらが熱烈に仲良いのは知ってるけど、それ以上は妬く。嫉妬深い男ですみませんね」
割り込んできた優成に、茜は声を立てて笑い、紫苑は眉間に皺を寄せた。
「優成君に嫉妬する権利なんかないんだから。相手をほっとくよりタチ悪いことしてるって自覚あるのっ?」
元気を取り戻した紫苑は無敵だ。「いや、それは……あることには、あります」優成は改まり、項垂れた。
「塾勧めてくるくせに、勉強教えてくるくせに、オーキャン行こうって二泊三日の旅行にまで誘ってくるくせに、肝心なことは言ってくれないよね?」
二泊三日の旅行!? 茜は仰天し、優成を睨んだ。紫苑は弁明の余地を取り上げるように「言わせてもらうけど」と、声を低くした。
「ボク、待つの嫌いなの。取り残されるのも、一人ぼっちも嫌いなの。優成君、ボクに言いたいことがあるんじゃない?」
「でも、おれ的には、今のタイミングじゃなくて……」
ぶつん。紫苑のこめかみから、何かが切れる音がした。
「言い訳しろって、誰が言った?」
ダン! 紫苑は床を蹴って立ち上がり、優成の胸ぐらを掴んだ。
「優成君。ボクの成績知ってるでしょ? 優成君の第一志望なんか余裕だよね? ボク、やりたいことは確かに見つけられてないけど、こうなったらとことん上を目指すって決めたの。そんな中、やりたいことなんて見つけたら、どうなるか分かるよね? 置いて行かれるのは優成君の方かもよ?」
まさか、そんな状況だったとは。茜は紫苑の凛々しさに痺れつつ、優成を確かめた。「紫苑」優成は懇願するように紫苑を呼んだ。
「好きだ。おれを、おまえの恋人にして」
「……喜んで」
飛び上がり優成の首に腕を回した紫苑を、優成はしっかりと受け止めた。
「安心して。志望校は関西圏にするから。優成君が浪人したら、今度はボクが手厚くサポートしてあげるね」
「それはかなり心強いな」
どこまでも強気な紫苑に、優成は笑みを弾けさせた。
どこからともなく拍手が沸き起こって、茜も拍手で二人を祝福した。紫苑は面映ゆそうにはにかむと、優成の頬に口づけ、腕を解いた。
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