卑屈ギャル♂、愛のために我慢する。

野中にんぎょ

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サイダーとアドバイス

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 小高い場所にある図書館からは、街と海が一望できる。茜は窓際でノートを広げ、ペンを走らせていた。おれにはまだ、「やりたいこと」と「やらなくちゃいけないこと」が、いっぱい残ってる。
「よ。珍しいな、こんなところでノート広げてるなんて」
 突然現れた人物に驚き、口がパカッと開く。その口から大声が出る前に、優成は茜の口に手のひらで蓋をして、「図書館ではお静かに」と、いたずらっぽく言った。
「ご、ごめん。驚いて。優成君は、自主勉しに?」
 ぎくしゃくしながら尋ねると、優成は外を指差した。
「外でジュースでも飲まない? クーラーの効いた静かな部屋もいいけど、おれはさすがに飽きちゃったよ」
 優成の砕けた様子に肩を撫で下ろし、茜は弾むように立ち上がった。
 図書館を出て、夏の日差しが降り注ぐ中庭へ出る。風がよく通る木漏れ日の下、茜と優成は隣り合ってサイダーを傾けた。
「受験勉強、大変?」
 優成は噴き出し、「茜まで受験の話?」と言って笑った。
「大変っちゃ大変だけど。なに? 茜、気になる大学でもあんの?」
「ない」
「あはは、即答か。芯があるよな、茜は」
 その言葉は明らかに茜と誰かを比べていて、ムッとする。
「紫苑の方が、しっかりしてるよ、おれより。紫苑が迷うのは、グラグラになっちゃうほど、優成君のことが好きだからじゃん……」
 優成は困ったように微笑み、「この間は、ごめんな」と言って、茜の頭を撫でた。
「そんなこと言うために、ここまで来たのっ? おれのことはいいから、紫苑の傍にいてあげてよっ。……偶然にしてはできすぎっ。おれの居場所、なんで分かったの?」
「いや? おれは年下のかわいい友だちが、インスタに黄昏れた風景ばっか上げてるから、そっちの方が気になって。リアルタイムで画像上げるの、やめといた方がいいよ。おれみたいなタチの悪い男に悪戯されるぞ」
 まさか、SNSの画像からこの場所を割り出して? 「優成君って、ほんとに頭いいんだね」茜は芯から感心した。
「ばか。言っとくけど、その反応は不正解だから。心配になんの、分かるわぁ……」
 呆れを通り越し、いっそ誰かを憐れんでいる優成。「悪かったな! ばかで!」茜は臍を曲げ、そっぽを向いた。優成はしばらく笑っていたけれど、「久々に太陽浴びた気がする……」と、ため息交りの声を出してベンチに背を預けた。
「この間、紫苑が色々言っただろ。あれ、おれのせいだから。茜は気にしないで」
 やっぱり、その話か。茜は靴先に視線を落とした。
「なあ、優成君は、紫苑が好き?」
「……うん。好きだよ」
「なら、言ってあげてよ。それだけで安心できるんだよ、紫苑はっ」
 目を見て訴えると、優成は聞き分けのない子どもにするように茜の頭をポンポンと撫でた。
「気持ちをあげるだけじゃ、ほんとうの意味では安心できないと思うから。そういう、ふわふわした、受け取る本人頼りの安心は、あげたくないんだ」
 優成の気持ちが、今の茜には分かってしまった。
 気持ちを伝えれば、紫苑は喜ぶだろう。けれど、離れている時間や距離を、その喜びで埋めることができるだろうか。……きっと、難しい。だから、優成は生半可な気持ちで紫苑を繋ぎ止めることをしない。でも……。
「じゃあ、いつ紫苑に応えてあげるの? 紫苑があんなに頑張ってるのは、優成君の傍にいたいからなんだよ」
「紫苑には一度話したんだけど。おれと紫苑の未来は、重なることはあっても、同一ではないから。紫苑には紫苑の未来があるってこと、分かって欲しいんだ。だから、伝えるのは今のタイミングじゃない。今の紫苑に伝えれば、紫苑は今以上に苦しむことになる」
「……うん」
「おれは意外だったんだ。茜がおれと同じような考えを持ってることが」
 新と同じ場所に行く。そうすることで得られる未来もある。けれど、その先は?
 あまりに違う二人だから、そう感じてしまうのかもしれない。新とは、どこかで離れてしまうのかもしれない。そんな予感が、茜には最初からあった。
 その予感が、この身体を猛烈に掻き立てた。終わりがあるのだと思うたびに、身も世もなく愛したくなって。離したくないという我儘を抑え込めば、泉のように欲望が噴き出して……。
 おれの我儘で、小林の邪魔をしたくない。小林の未来は、小林のものだ。
「新とは順調? ちょっと心配だよ。どっちかっつーと……新の方が」
 茜は少し考えて、「邪魔したくないから」と応えた。
「おれ、小林が好き。小林の思う場所へ羽ばたいて欲しいから、今は我慢しなきゃって思う」
「少しくらい、会ってあげられない?」
「会ったら、我慢できなくなるから。歯止め、効かなくなるから……」
 優成はぎくりとしたように口元を抑えた。
「おまえさ、そーゆー顔、誰にでも見せてんじゃないだろうな」
「そーゆー顔ってなんだよっ。ていうか、優成君に言われたくないっ。紫苑の気持ち、少しは分かってあげてよ。デートくらいしてくれたっていいだろ!」
「それがさあ。今は、そんな気分じゃないんだってさ」
「……へ?」
「おれもさ、正直、断られると思ってなかった。……忘れてたよ。紫苑の根っこには茜がいて、紫苑は茜がいてやっと安心できるんだってこと」
 水上公園で言い合ったあの日、紫苑の苛立ちは、優成との関係や将来への不安から来たものだと思っていた。……もしかして、紫苑が雪乃につっかかったのって……。
「紫苑、茜から当たり障りのないラインしか来ないって、ずっとメソメソしてたぞ。夏服も約束してたのに見に行けなかったって、そりゃまあ落ち込んで。かと思えば、茜が新しい友だちと遊んでる! ボクのことはほったらかしなのに! ってヒステリー起こして。女王様の機嫌取りしてたおれを褒めて欲しいくらいだよ」
「え? え? うそぉ」
「フリマで会ったのも偶然じゃないから。SNSと新から聞き出した情報から茜の予定を割り出して、見事に当てちゃって。彼氏の浮気現場に乗り込む彼女かっつーの……」
 茜は愕然とし、けれど拗ねたような優成の横顔を見て、「もしかして、ヤキモチ焼いてるの?」と尋ねた。
「おれがいなくても、紫苑には茜がいれば大丈夫なんだろうなって思うと、ホッとするような、惜しいような、ビミョーな気分になるんだよ。ワンワン泣かれても心配だけど、そっぽ向かれたままだと、それはそれで別の心配になっちゃうっていうか。気を遣われてるとしてもね」
 ニヤリと笑いかけられ、茜はみじろいだ。
「それって、おれのこと? そっぽ向いてなんか、」
「これはおれの話。おれだって紫苑と離れたくないんだよ。おれを追いかけるみたいにして同じ塾に入って頑張ってる紫苑を、心底かわいいって思ってる」
 茜は驚いて、優成をひたと見つめた。「まあ、要は、おれは紫苑とデートがしたいってこと!」優成は軽やかに笑い、立ち上がった。
「だからさ、茜、一つ頼むよ。時間取って、紫苑とゆっくり話したりできない?」
「でも、紫苑は勉強が……、」
「茜」
 手に触れられ、顔を上げる。「一人にして、ごめんな」優成は茜の目を見て、そっと囁いた。
「茜。ちょっとだけ、寂しかった?」
 首を振って、けれど目頭が熱くなって、優成から視線を逸らす。
「寂しくさせて、ごめんな。茜が一人で自分なりにやろうとしてたこと、分かってるよ。きっと、紫苑も新も、茜の頑張りを無駄にしたくなくて、頑張りすぎちゃってるんだ。……おまえらってさ、ほんとふしぎで。離れてても繋がってるんだよな」
 優成に抱き寄せられると、氷が融けるようにして涙が溢れた。
「おれも、優成君がいなくなるの、やだ」
「おいおい。まだいなくなるとは決まってないだろ。まあ、受験失敗して浪人になっても、おまえらがいると思えば、悪くはないけど」
 茜は思わず笑ってしまった。サイダーの泡が弾けたみたいに、胸の奥がくすぐったかった。
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