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野中にんぎょ

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あなたと、おれ

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「晴臣君、どっちの家計簿がいいと思いますか?」
 二人で訪れた本屋の片隅、純は二冊の家計簿を手に晴臣を振り返った。
「おれたち、家計簿つけるのが初めてだろ? こっちのシンプルなやつの方がいいんじゃない?」
「おれもそう思います」
 晴臣と共有している財布を手に、レジへ向かう。なんだか全てが誇らしかった。
 晴臣と想いを通わせてから、純は想像以上の現実に直面した。なんと、晴臣が借りた部屋は、家賃八万二千円・共益費四千円の新築物件だったのだ。光熱費や水道代まで晴臣に任せっきりだったことを考えると、純は自分の能天気さを恨まずにはいられなかった。
「あっ、履歴書買うの忘れてた! 晴臣君、ここで待っていて。すぐに戻って来るから」
「……あのさあ、マジでバイト始めるの?」
 純は頷いた。後期なんて待っていられない。
 この幸せを守らねばと、純はいくつかの施策を晴臣に提案した。
 家賃、光熱費、水道代は折半する。食費と衛生費は月の初めに二万円づつ共有の財布に入れ、そこから捻出し、出費の詳細を家計簿に記録する。互いの予定はスケジュールアプリで共有し、伝言があればリビングの壁に掛けたホワイトボードに書いておく。純はアルバイトを始め、晴臣はシフトを減らす。
 純の提案に、晴臣は驚きつつも頷いてくれた。
「大丈夫です。スーパーの品出しとか、総菜工場とか、おれにもできそうな仕事にするつもりですから!」
「そーゆー不安じゃなくて……。大学入ってから、いろんなヤツに絡まれてるの見てきたし……。片岡先輩とかさあ、知り合ったとしても、どうやってあそこまで仲良くなんの」
「え? 趣味の話で意気投合して、いろいろ教えてあげるから家に来ないかって誘われて、家に行って、映画観たり、おしゃべりしたり……」
「はぁっ!?」
 晴臣にものすごい剣幕で詰め寄られ、純は狼狽えた。
「片岡先輩は普通の友だちですっ」
「純さ、ネットフリックス・アンド・チルって、どういう意味か知ってる?」
 ネトフリ観て、おしゃべりしようってこと……?
 首を傾げる純に、晴臣は盛大なため息を吐いた。「あのさあ純。やっぱ……、眼鏡掛けといた方がいいんじゃない? 純は悪くないんだけど、なんていうか、そのおっきいうるうるの猫目と、困り眉がさぁ……、」晴臣は言い淀み、まだ怪訝な顔をしている純に向かってため息を追加した。
「純、ちゃんと鏡見てる?」
「鏡? 毎日見てますよ。顔洗った時とか、歯磨きの時とか」
「鏡に映った自分の顔を見て、なんか思わないの」
「くせっ毛すごいなとは思いますけど、顔にこれといった感想はないですね」
「あ、そう……」
 どうしてか晴臣が疲れた顔になってしまって、純は慌てて晴臣の腕を引き寄せた。
「せんぱい、怒らないで」
「怒ってないよ」
 おずおずと見上げると頭を撫でられ、純は「みずのせんぱい」と甘い声で晴臣を呼んだ。
「ったく、こういう場面では先輩先輩って……。分かっててやってんだろ、おい」
「だって、心細くなると、そう呼びたくなるんです」
「“晴臣君”じゃ、頼りない?」
 純はふるふると首を振った。
「水野先輩はかっこいいんですけど、晴臣君は可愛いから、守ってあげたくなるんです。おれだって男です、好きな人にそういう気持ちを抱いてもおかしくないでしょう?」
 周囲に誰もいないのを確認して晴臣の腕を引き、肩に頭を預ける。すりすりと猫のようにこめかみを擦り付けていると、ふとした拍子に額へ口づけられた。
「それ買って、スーパー寄って、帰ろっか」
「はい」
 二人の暮らしを二人で支えられる喜び。それは、同じ部屋に帰れる喜びにも勝る喜びで、純は幸せを噛みしめた。
 この人の、「おかえり」「ただいま」「好きだよ」を、ずっと独り占めできますように。
 また一つ増えた我儘と晴臣の腕を胸に抱き、純は晴臣に微笑みかけた。
「雨、すっかり上がりましたね」
「だな。……あっ。純。見て、虹が出てる」
 晴臣の指差した方を見て、純は目を細めた。
 雨上がりにかかった虹は、きっと、あの部屋へと続いている。

【終】
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