2L(OVE)DK

野中にんぎょ

文字の大きさ
上 下
8 / 12

会えないあなたと、ほんとうのきもち

しおりを挟む
 二人で暮らしているはずなのにタイミングが合わずすれ違う、そんな日々が単調に過ぎていった。
 そうか、あの時もあの時も、水野先輩がおれにタイミングを合わせてくれたから、同じ時間を過ごすことができたんだ。今になってそんなことに気付いて、純は胸を軋ませた。この部屋に一人でいるのは、部室に一人でいた頃より、寂しい。
「ベティーちゃん。なに見てんの?」
 大学の総合掲示板に張り出された物件情報を見ていると、背後から葵がやってきた。
「学生マンション? あ~、分かった、水野先輩とケンカしちゃったんだぁ?」
 おふざけで傷を抉られ、純は沈黙を貫いた。
「……え? マジ? もしかしなくても、おれのせい?」
「片岡先輩のせいじゃありません。おれ、自分勝手に和を乱して、モヤモヤしていたことをひどい形で水野先輩にぶつけてしまって、」
「待て待て待て。話が見えない。もっと具体的に言ってよ」
 思い出したくもないことを説明しろと言われ、純はむきになって「だから!」と声を張り上げた。
「水野先輩のお友だちがうちにいらっしゃったんですけど、おれ、それがなんか、すごくいやで、うちを飛び出してしまって……。そのあと、水野先輩と言い合いになって、ずっと思っていたことを勢いのまま水野先輩にぶつけてしまって……」
「ずっと思っていたことって、不満?」
「不満っていうか……。水野先輩、あの夜のこと、何も訊かないんです。そのことについて触れられたくないのかなって、モヤモヤするのに何も言えなくて……。水野先輩は、純は“ほんとうのおれ”を見てない、勝手に美化するなって、そういう目で見られるのがきつかったって言ってたけど、“ほんとうのおれ”を知って欲しいなら、なんで肝心な対話を避けるんだろうって……」
「はいはい、続けて」
「水野先輩、おれの世話をあれこれ焼くくせに、おれには何もさせてくれないんです。おれだって、水野先輩の役に立ちたいんです。おれ、そんなに何もできないように見えます!?」
「いやー? おれにはそー見えないけど」
「おれだって、そんなに鈍感じゃないですよ、コミュ力低いだけで! 水野先輩がおれの前で背伸びしてたこと、なんとなく分かってたけど、言ったらこの関係が崩れそうで、水野先輩に嫌な思いをさせてしまいそうで、」
「なるほどね。大筋は理解した。そんで、ベティーちゃんはどうしたいの? 先輩とどうなりたいの? 新しい物件探す前に、やれることがあるんじゃないの?」
 その言葉に、純はハッとして口を噤んだ。
 晴臣に嫌われてルームシェアを解消される、という最悪のパターンを何とかしのいで、できるだけ長く晴臣の傍にいたいと思っていた。けれど、晴臣に嫌われてしまったり、あるいは、晴臣に彼女なんかができたら、潔く身を引くつもりだった。
 でも、おれは今、こんな状態になっても、二の足を踏んでる……。
 純は矛盾している自分を直視できず、きつく瞼を下ろした。こんな時でも、瞼の裏に浮かぶのは晴臣で、純は喉元を熱くした。
 ――卒業、おめでとうございます。
 退場する卒業生を、在校生がアーチを作って見送る。目の前に来た晴臣にそう囁くと、彼は純をジッと見つめた。
 ――後でラインするから。
 そう言い残し去って行った彼は、見る間に人に囲まれて、こちらからは見えなくなって……。そんな二人の間の距離を埋めるように、メッセージはすぐに届いた。
〈夜七時に学校の裏門まで来れる? 純に見せたいものがある〉
 純は、生まれて初めて、両親の目を盗んで家を出た。
 学校の裏門に到着すると、すでに来ていた晴臣が手を振ってくれた。
 ――バレると厄介だから、静かにな。
 出会うなり手を引かれ、純は頬を熱くした。
 ――何か、悪いことするんですか?
 ――そう。悪いこと。先生に怒られることになったら、ごめんな。
 夜闇で優しく微笑む彼は、散りゆく夜桜より妖しかった。
 裏門からフェンスを伝い、低くなった場所を乗り越える。いよいよ夜の学校に忍び込んでしまい、純はしきりにフェンスを振り返った。
 ――純。行こ。
 晴臣に呼ばれ、手を引かれると、戸惑いや恐れが一瞬にしてほどけた。晴臣の手を握り返し、職員室の明かりから逃れるように非常階段を駆け上がる。白い息がこぼれるたび星に近づいて、純は晴臣の手をきつく握りしめた。
 ――いいこと教えてあげる。他の人には言っちゃだめだからな。
 職員室の明かりがついている間は防犯システムは作動しないこと。非常階段の三階のドアは壊れかけていて、ヘアピンで簡単に開けられてしまうこと。純は「いいこと」を二つ教わり、晴臣に続いて校舎に足を踏み入れた。
 ――目、瞑って。おれが案内してあげるから。
 瞼を下ろすと、そっと肩を抱かれた。晴臣の温もりに鼓動が深くなっていく。一段一段、階段を上がって、扉の開く音がして、冷たい夜気が頬を撫でて……。
 ――目、開けて。空、見て。
 瞼を上げ、夜空を仰ぐ。冬の澄んだ夜空には、幾千の星が浮かんでいた。「すごい……」「だろ」晴臣の微笑みが白い息になって夜に溶けていく。
 ――綺麗だよな。いつか純に見せたいって、ずっと思ってたんだ。
 卒業証書の入った筒よりも、学ランの胸に咲いたペーパーフラワーよりも、この言葉に、ああこの人は卒業するのだ、と実感させられた。
 ――先輩、学ランまで取られてましたね。
 ――ああ、見てた? おれ、ああいうの苦手で。あげちゃった方が早く解放してくれるから、つい……。
 晴臣はきまり悪そうに頭を掻き、「でもこれは残ってるよ」と言って、赤いペーパーフラワーを取り出した。
 ――これ、純にあげる。なんか、これ見た時、純にあげなきゃって思ったんだ。……ほら、よく似合ってる。
 ペーパーフラワーを純の耳元に当て、晴臣は微笑んだ。あったかくて、うるうるで、まっすぐな瞳に抱かれると、今にも涙が溢れそうになった。
 夜空に浮かんだどの星より、あなたが眩しい。
 水野先輩、大好きです。これからもずっと想っていていいですか。
 純はその気持ちを隠すように、受け取ったペーパーフラワーを両手で包み込んだ。
 ――先輩、ほんとうにありがとうございました。
 涙を見られないように、深く頭を下げる。すると、つむじをポンポンと撫でられ、堪えきれなかった涙が足元に弾けた。
 開いた両手の中では、ペーパーフラワーが蕾のようになっていた。伝えられなかった、この気持ちのようだった。
 どうして、水野先輩の元から潔く立ち去れないのか。その理由は、おれ自身がよく分かってる。
 葵は純の胸の内を悟ったのか、ため息を吐いた。
「あなたの役に立ちたいって、自分もこの暮らしを支えたいって、背伸びしないでいい、そのままのあなたがいいって、先輩に伝えた? まあ、彼はプライド高そうだから、伝えても跳ね返されちゃうかもしんないけど……。ベティーちゃんは、先輩が先輩がって言うけど、おれからすれば、ベティーちゃんだって、ほんとうに先輩のこと想ってんのかなって感じだよ。あの夜のことだって、話し合いたいなら、自分から切り出せばいいじゃん。ちょっと受け身すぎんじゃない? ベティーちゃん、自分は先輩にふさわしくないとか謙虚なこと言ってるけど、ほんとうは、先輩を失うのが怖くて核心に踏み込めないだけなんでしょ?」
「……失うのが怖くてしょうがないくらいには、彼のことを想っているつもりです」
 か細い声で吐露すると、葵はニヤッと笑った。
「ベティーちゃんさ、おれとルームシェアできる?」
「え?」
「部屋は……カップル御用達の2LDKなんかどう? 自室ありーの、その他は共有ってことで。いーじゃん、おれたち趣味が合うし、相性もまあまあいい。ベティーちゃんだって、おれと一緒にいると楽しいでしょ? 家賃も光熱費も水道代も半分こ。生活費、浮くよー? どう?」
「無理です」
 純はきっぱりと断った。葵は「どーして?」と問い、ニヤニヤ笑った。
「誰かとルームシェアするなんて、水野先輩でなければ無理です。おれは一人が好きなんです。パーソナルスペースが人一倍広いことも、人間関係にストレスを感じやすいことも自覚してます。おれは、無理をしてまで他人と暮らそうとは思わない。どんなに気の合う友だちでも、それは例外じゃない」
 葵は笑みを深め、「同感~」と声を弾ませた。
 あっ……。そうか、おれ……。
 ほんとうの気持ちが、心の扉から顔を出す。
 そうか、おれ、身を引きたいわけじゃないんだ。水野先輩の傍に、一番近くにいたいんだ。……水野先輩じゃなきゃ、だめなんだ。
「片岡先輩!」
 はっきりと呼べば、葵は片頬を上げ、軽やかに笑った。
「うじうじして、すみません! 話聞いてくれて、ありがとうございました!」
 純は弾かれたように駆け出し、大学を飛び出した。
 同じ、先輩と後輩という構図でも、晴臣といるのと葵といるのとでは全く違う。
 葵とケンカできるのは、友だちだから。そうやって分かり合うものだって知っているから。晴臣を慮って言いたいことを言えなかったのは、彼は自分にとって「友だち」ではなく「好きな人」で、衝突して彼を失うくらいなら、言いたいことを我慢する方がましだったから。
 でも、本音でぶつかり合わなければ、分かり合えない。あなたの言う「ほんとうのおれ」を、おれは知りたい。
 晴臣と分かり合いたいという気持ちが、晴臣を失う恐怖をはっきりと上回る。
 こんなおれは、あなたを困らせるだろうか? 
 でも、もう、この気持ちを誤魔化すことなんてできない。おれはあなたを知った。あなたの言う「ほんとうのおれ」の、ほんのひと欠片を掬い取った。無精ひげや、お節介なところ、先輩風を吹かせるところ、頑張っている姿を見せようとしないところ。おれはそれらを、愛おしく思ってる。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

後輩に嫌われたと思った先輩と その先輩から突然ブロックされた後輩との、その後の話し…

まゆゆ
BL
澄 真広 (スミ マヒロ) は、高校三年の卒業式の日から。 5年に渡って拗らせた恋を抱えていた。 相手は、後輩の久元 朱 (クモト シュウ) 5年前の卒業式の日、想いを告げるか迷いながら待って居たが、シュウは現れず。振られたと思い込む。 一方で、シュウは、澄が急に自分をブロックしてきた事にショックを受ける。 唯一自分を、励ましてくれた先輩からのブロックを時折思い出しては、辛くなっていた。 それは、澄も同じであの日、来てくれたら今とは違っていたはずで仮に振られたとしても、ここまで拗らせることもなかったと考えていた。 そんな5年後の今、シュウは住み込み先で失敗して追い出された途方に暮れていた。 そこへ社会人となっていた澄と再会する。 果たして5年越しの恋は、動き出すのか? 表紙のイラストは、Daysさんで作らせていただきました。

幼馴染みの二人

朏猫(ミカヅキネコ)
BL
三人兄弟の末っ子・三春は、小さい頃から幼馴染みでもある二番目の兄の親友に恋をしていた。ある日、片思いのその人が美容師として地元に戻って来たと兄から聞かされた三春。しかもその人に髪を切ってもらうことになって……。幼馴染みたちの日常と恋の物語。※他サイトにも掲載 [兄の親友×末っ子 / BL]

初恋はおしまい

佐治尚実
BL
高校生の朝好にとって卒業までの二年間は奇跡に満ちていた。クラスで目立たず、一人の時間を大事にする日々。そんな朝好に、クラスの頂点に君臨する修司の視線が絡んでくるのが不思議でならなかった。人気者の彼の一方的で執拗な気配に朝好の気持ちは高ぶり、ついには卒業式の日に修司を呼び止める所までいく。それも修司に無神経な言葉をぶつけられてショックを受ける。彼への思いを知った朝好は成人式で修司との再会を望んだ。 高校時代の初恋をこじらせた二人が、成人式で再会する話です。珍しく攻めがツンツンしています。 ※以前投稿した『初恋はおしまい』を大幅に加筆修正して再投稿しました。現在非公開の『初恋はおしまい』にお気に入りや♡をくださりありがとうございました!こちらを読んでいただけると幸いです。 今作は個人サイト、各投稿サイトにて掲載しています。

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

黄色い水仙を君に贈る

えんがわ
BL
────────── 「ねぇ、別れよっか……俺たち……。」 「ああ、そうだな」 「っ……ばいばい……」 俺は……ただっ…… 「うわああああああああ!」 君に愛して欲しかっただけなのに……

旦那様と僕

三冬月マヨ
BL
旦那様と奉公人(の、つもり)の、のんびりとした話。 縁側で日向ぼっこしながらお茶を飲む感じで、のほほんとして頂けたら幸いです。 本編完結済。 『向日葵の庭で』は、残酷と云うか、覚悟が必要かな? と思いまして注意喚起の為『※』を付けています。

オメガなパパとぼくの話

キサラギムツキ
BL
タイトルのままオメガなパパと息子の日常話。

雪は静かに降りつもる

レエ
BL
満は小学生の時、同じクラスの純に恋した。あまり接点がなかったうえに、純の転校で会えなくなったが、高校で戻ってきてくれた。純は同じ小学校の誰かを探しているようだった。

処理中です...