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おれが守りたかったもの
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「世帯主としての申請は通った。残りの手続きは理人と番になってからするとして……。ああ、新婚旅行はどうしようか。二人の希望があれば聞かせて」
法的な手続きを進めていたことをさらりと告白した都に、小雪と理人は目を丸くした。
「申請ならおれだって手伝ったのに」
「こゆにも後々書いてもらうものがあるけど、まずはおれのことを国に納得してもらわなきゃね」
一夫多夫制は誰にでも認められているわけではなく、世帯主を対象として国が審査を行ない、許可の下りた者だけが複数のパートナーを持つことを許される。申請手続きが複雑な上に、審査もシビアで、制度導入から現在まで若干名しか許可が下りていないらしい。
「さすが都さん。僕たちを射止めただけありますね」
「お褒めに与り光栄です。……二人の了解を得たし、できるだけことを進めておきたかったんだ」
「ふふ。頼れるあなたにご褒美をあげなくちゃ」
理人は都の唇へスマートにキスを落とした。美貌の二人がそうしているものだから、小雪はソファーでクッションを抱きしめ頬を上気させた。そんな小雪の旋毛へキスを落とし、都は出張用のボストンバッグを手に取った。
「明後日の夕方には帰って来られるんですよね?」
「そのつもりだから、いい子にして待っていて。お土産ももちろん買って帰るから」
いつもカジュアルな恰好で通勤している都がピシリとスーツを着ているものだから面映ゆくて、小雪は玄関先で理人の背後に隠れた。
「こゆ、どうしたの、二日も会えないんだから顔を見せて」
「都さんがそんな恰好してるからびっくりしちゃったんじゃないですか」
二人に揶揄われ、小雪はますます小さくなった。「いってらっしゃい」「いってきます」都は理人にハグを贈り、それから小雪に向かって腕を広げた。
「おいで、こゆ」
これ以上揶揄われてなるものかと胸に飛び込めば、都がその反動でよろけてしまった。
「あはは。こゆはイノシシだったのか。いってきます、おれの可愛い人」
こめかみへのキスに応え、小雪はコクリと頷いた。都が去り玄関扉が閉まると、理人と小雪は示し合わせた通りに理人の部屋へ向かった。
「待って待って。ちょっと上すぎじゃないですか?」
「え?こう?これでどう?」
「一旦映像流してみます?……あ、いい感じ。小雪さん、こっちにクッションありますよ」
「待って!シーツの上にブランケットを敷いておかないと!」
ホームプロジェクターで壁一面に映画を投影し、ベッドにブランケットを広げ、その上に小さなテーブルを置く。二人でケーキやらお煎餅やら紅茶やらを広げ、ヘッドボードと背の間にクッションを挟んでから、理人が「あ!」と声を上げた。
「カーテン閉めましょう。その方が映画館っぽい」
カーテンが閉まるとますます映像の色彩が際立って、二人は寄り添って光の伸びる先を見つめた。
「真夏にクリスマスの映画を観るなんて、最高」
「本当ですよね。……ねぇ、これも制覇しちゃいましょ」
得意気な理人がシリーズもののDVDを広げる。それは小雪の大好きな小説シリーズが映像化されたもので、小雪は「おれもそれ持ってる!」と声を弾ませた。
「理人君とおれ、すっごく趣味が合うと思わない?味の好みも似てるし、部屋のインテリアだって寒色系で似てるし、映画の趣味も被ってるし!」
力説すれば、理人はテーブルに頬杖を突いて「それから、男の趣味も」と付け加えた。理人なりの照れ隠しに、小雪は笑みを深めた。小雪も理人の真似をして頬杖を突き、理人を見つめ返した。
「理人君ってふしぎ」
「ふしぎ?僕には小雪さんの方がふしぎですけど」
「じゃあ、ふしぎちゃん同士、仲良くしなきゃ」
理人は「これ以上仲良くなったら都さんが卒倒しちゃいますね」と言ってショートケーキのイチゴを摘まみ、小雪の唇へ向けた。小雪は大きく口を開け、そのイチゴを迎え入れた。お行儀にうるさい都の前では絶対にできない振る舞いだ。
「いい子にしていて、なんて言われて、いい子にする子なんていないよね」
「そうそう。僕たちをいい子にしたかったら、ペットモニターでも置いとかなきゃ」
好き放題におしゃべりながらはしゃいで、好きな映画を観て好きな音楽を流して、ケーキを食べさせあって、夕ご飯にはピザとチキンと小籠包を宅配で頼んで、二人は家主のいなくなった家で存分に羽を伸ばした。
中からおもちゃが出て来るバスボムを入れ、二人で湯につかる。ざばあ、と逃げるように溢れたお湯が可笑しくて、二人はケラケラ笑った。
「あ、理人君見て、青のレンジャー出て来たよ」
「ホントだ。えーと?リュウキブルー……?」
バスボムのパッケージを前に理人が目をすがめる。「目、ホントに悪いんだ?」「悪くなきゃ眼鏡なんて掛けないでしょう」狭いバスタブの中で向かい合えば爪先が相手に触れる。小雪は理人の両脚の間で膝を抱えた。
「ねえ小雪さん。項噛まれたの、痛かった?」
「項?……う~ん……。怖くはなかったよ。都君が怖くないようにしてくれたから……」
小さなリュウキブルーを動かしながら答えれば、理人の指先がリュウキブルーを攫ってしまった。
「怖くないようにって、どういうことですか?抱きしめながらしてくれたとか?」
「ええ?ええ~……?ちゃんと声掛けして、ぎゅってして、してくれたかな。……どうしたの?理人君、噛まれるのが怖い?痛いの苦手?」
「怖くはないんですよ。ただ……、」
理人の手が湯から上がり、小雪の頬に触れた。
「僕、番になる都さんと僕を、小雪さんに見守っていてほしいって思ってて」
「え?おれも?……でも……、理人君その時はヒート中でしょう?そういうデリケートな時におれがいるっていうのも、いいのかなって心配になるというか……。都君と理人君の素敵な思い出になる日だから、おれは二人を邪魔したくないというか……」
「前のヒートの時にだって、色々見たでしょう?……僕は小雪さんにいてほしい。きっと都さんも同じ気持ちだと思う。僕と都さんはそういう気持ちでも結ばれてる」
「そういう気持ち?」
「小雪さんが大切だって気持ち。小雪さんに大切にされたいって気持ち。……小雪さんさえ嫌じゃなければ考えてみて」
きょとんとしていると、理人はどこか切なげに微笑んだ。その表情を見ていると、小雪の胸も切なくなった。
「あー、さっぱりした!」
敷いていたブランケットを畳み、理人のベッドに横になる。水色のシーツはしゃりしゃりして肌に心地よく、小雪はうっとりした。
ベッドの上で二人で寛いでいると、小雪は先日の約束を思い出した。
「ねえ。馴れ初め。いつ聞かせてくれるの?」
「……その話ですか。馴れ初めって、その場に小雪さんもいたでしょう」
「え?」
驚いて声を上げると、理人は眉を顰め、「なんです、忘れちゃったんですか」とむくれた声を出した。小雪は頭を振り立てた。
「その逆だよ。よく覚えてる。君は綺麗な建物を背にスッと立ってて、立ち姿の綺麗な人だなって思った。都君と理人君の視線が合った瞬間に星が散ったようになって、広い庭が二人の為の世界になった。前日の夜に雨が降ったから、芝生に残った雨粒がキラキラして、綺麗で。物語の始まりみたいだった。……理人君こそ、よくおれのことを覚えてたね。途中から席を外れたのに」
理人は表情を綻ばせ、「それが僕と都さんの、そして僕とあなたの馴れ初め」と小雪の鼻先へ囁いた。甘い声が鼓膜を擽り、小雪の心臓がどくんと跳ねた。理人は美しい。Ωの小雪でさえ、時折その瞳に吸い込まれそうになってしまう。
「都さんの姿を見止めると、すぐに分かった。この人が僕の番、運命の人なんだって。……都さんは指輪をしてなかったから、独身なんだって思ってたけど、都さんはすぐにあなたという夫がいることを僕に伝えてくれました。僕はそれを承知した上で、都さんに会っていました。……ごめんなさい」
理人は深く頭を下げ、「本当に、ごめんなさい」と重ねて謝罪した。
「理人君、顔を上げて。おれ、君に出会えてよかったって、心から思ってる」
膝立ちになって理人の肩に触れると、理人は導かれるように小雪を見上げた。
「僕は、僕の過去や、心に纏わりついたことについて、都さんに包み隠さず打ち明けました。いま思えば、僕は都さんの気を引きたかったのでしょう。けれど彼は、あくまでインタビュアーだった。過去を自慢げに広げても、都さんは親身なのに淡々としていて、僕に一線を引いていて、だから、この人だったら、と思いました」
「この人だったら、一緒に生きていけるってこと?」
「そうです。この人だったら、僕のΩの部分に惑わされず、折られず、ずっと傍にいてくれるんじゃないかって」
小雪はその言葉に息を飲んだ。先日の洋司の言葉が頭の中でリフレインする。
「僕は、悪魔なんです」
「……どうして?誰かに言われた?」
「ええ。でも、自分でもそう思っているんです。自分は、人の愛に意地汚い悪魔だと。……悪魔は人を惑わして喰らうから、ただの人とは一緒になれない。だから、あの人は、なんというか、僕にちょうどよかった。あの人も悪魔的なところがあるから」
「都君に?」
小雪は理人の言っていることが理解できず、表情を曇らせた。「小雪さんは分からなくていいんです。他でもない都さんが小雪さんをそうさせてるんですから。都さんが『どう思われるだろうか』と自分のふるまいを気にするのは、あなたの前でだけ」理人は小雪の動揺を穏やかに宥めた。
「僕がどんなエピソードを話そうと、都さんはそれをデータとしてまとめるだけで、何の感情も示しませんでした。もちろん、話を聞く姿勢や気遣いはありますよ。でも、それは心の動きでなく、技術です。……彼は第二の性への理解を深める為であれば、どんな手段も厭わない人。僕は、そういう都さんを、たった二時間で好きになりました。この人しかいないと、聞き取りが終わった時には、すでにそう思っていました」
都と理人の世界は二人だけのもの、という予感があったのは、二人と自分の間にこういう分断があったからなのかと、小雪は目の覚めるような心地になった。
「僕は、都さんに強烈に惹かれていく一方で、あなたのことも気になっていました。なぜかって、僕の話を聞くあなたが、綺麗だったから。あなたの穏やかで深い眼差しが、僕の瞼の裏に焼き付いていたから。……僕たちが出会った日、あなたは、自分の役割と下の名前を名乗っただけで、他に何もしゃべらなかった。僕はずっと、コユキというフレーズが忘れられなかった。だから、都さんに『夫を紹介する』と言われて連れて行かれた先であなたと再会して、本当に驚きました。……僕は、驚くと同時に妙な心地になりました。僕の愛しい人と忘れられない人が、僕の知らないところで繋がっていたなんてと、裏切られたような、それでいて運命的なような、妙な心地に……。それで、あんな態度に……」
互いの頬に熱が滲んで、小雪はとうとう俯いた。「小雪さん」理人の手が小雪の膝に触れ、むずがゆくて太ももを捩らせれば、理人の手が小雪の腕を掴んだ。
「僕には、都さんがあなたに心底惚れている理由が分かる」
「やだ、もう、そんなこと……、」
「だって、僕たちは赤の他人にどうされたって、極論、包丁で刺されたって、心までは傷付かないんです。でも、あなたはそんな僕たちを大切にしようと、いつだって一生懸命だ。……愛する人に愛される喜びを、あなたが都さんに教えたんです。都さんは運命の番の僕を前にしても、絶対にあなたを諦めようとしなかった。僕たちにとってあなたは、唯一無二の、かけがえのない人。都さんの本能がいくら僕を求めても、都さんの心は絶対にあなたから離れたりしない」
こんなにもたくさんの言葉を心に浴びたのはいつぶりだろう。小雪はいっぱいになった胸を押さえ、「おれはそんな大層なことはしてないよ」と首を振った。
「いいえ。あなたは、僕たちに毎日温かいご飯を作ってくれて、身の回りを整えてくれて、見守ってくれて、言葉で労ってくれて……。誰かからすれば小さなことでも、僕たちにとっては奇跡みたいなことなんです。僕たちはあなたの愛を浴びて、生きてていいんだって、愛する人に愛されているんだって、毎日実感してる。……あなたがいるから、日々が輝く。都さんの言う通り、あなたはこの家の一番星だ」
「……」
「都さんもそう思っているでしょうが、僕も、あなたを最期まで守るつもりです」
おれだって……。言いかけ、小雪はその言葉を微笑みに変えた。
「ありがとう。とっても嬉しい。理人君も、おれと都君にとって大切な人だよ。……それをきっと、忘れないでね」
胸の内を打ち明けるのに緊張していたのだろう、理人は話し終えると横たえ、小雪に髪を梳かれるうちに眠ってしまった。
小雪は月影が壁に描いた一筋の線を見つめ、シェルターの前に佇んでいた理人の姿を思い起こした。心細そうに、だのに真っ直ぐに凛と、理人は立っていた。
法的な手続きを進めていたことをさらりと告白した都に、小雪と理人は目を丸くした。
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「お褒めに与り光栄です。……二人の了解を得たし、できるだけことを進めておきたかったんだ」
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「明後日の夕方には帰って来られるんですよね?」
「そのつもりだから、いい子にして待っていて。お土産ももちろん買って帰るから」
いつもカジュアルな恰好で通勤している都がピシリとスーツを着ているものだから面映ゆくて、小雪は玄関先で理人の背後に隠れた。
「こゆ、どうしたの、二日も会えないんだから顔を見せて」
「都さんがそんな恰好してるからびっくりしちゃったんじゃないですか」
二人に揶揄われ、小雪はますます小さくなった。「いってらっしゃい」「いってきます」都は理人にハグを贈り、それから小雪に向かって腕を広げた。
「おいで、こゆ」
これ以上揶揄われてなるものかと胸に飛び込めば、都がその反動でよろけてしまった。
「あはは。こゆはイノシシだったのか。いってきます、おれの可愛い人」
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「待って待って。ちょっと上すぎじゃないですか?」
「え?こう?これでどう?」
「一旦映像流してみます?……あ、いい感じ。小雪さん、こっちにクッションありますよ」
「待って!シーツの上にブランケットを敷いておかないと!」
ホームプロジェクターで壁一面に映画を投影し、ベッドにブランケットを広げ、その上に小さなテーブルを置く。二人でケーキやらお煎餅やら紅茶やらを広げ、ヘッドボードと背の間にクッションを挟んでから、理人が「あ!」と声を上げた。
「カーテン閉めましょう。その方が映画館っぽい」
カーテンが閉まるとますます映像の色彩が際立って、二人は寄り添って光の伸びる先を見つめた。
「真夏にクリスマスの映画を観るなんて、最高」
「本当ですよね。……ねぇ、これも制覇しちゃいましょ」
得意気な理人がシリーズもののDVDを広げる。それは小雪の大好きな小説シリーズが映像化されたもので、小雪は「おれもそれ持ってる!」と声を弾ませた。
「理人君とおれ、すっごく趣味が合うと思わない?味の好みも似てるし、部屋のインテリアだって寒色系で似てるし、映画の趣味も被ってるし!」
力説すれば、理人はテーブルに頬杖を突いて「それから、男の趣味も」と付け加えた。理人なりの照れ隠しに、小雪は笑みを深めた。小雪も理人の真似をして頬杖を突き、理人を見つめ返した。
「理人君ってふしぎ」
「ふしぎ?僕には小雪さんの方がふしぎですけど」
「じゃあ、ふしぎちゃん同士、仲良くしなきゃ」
理人は「これ以上仲良くなったら都さんが卒倒しちゃいますね」と言ってショートケーキのイチゴを摘まみ、小雪の唇へ向けた。小雪は大きく口を開け、そのイチゴを迎え入れた。お行儀にうるさい都の前では絶対にできない振る舞いだ。
「いい子にしていて、なんて言われて、いい子にする子なんていないよね」
「そうそう。僕たちをいい子にしたかったら、ペットモニターでも置いとかなきゃ」
好き放題におしゃべりながらはしゃいで、好きな映画を観て好きな音楽を流して、ケーキを食べさせあって、夕ご飯にはピザとチキンと小籠包を宅配で頼んで、二人は家主のいなくなった家で存分に羽を伸ばした。
中からおもちゃが出て来るバスボムを入れ、二人で湯につかる。ざばあ、と逃げるように溢れたお湯が可笑しくて、二人はケラケラ笑った。
「あ、理人君見て、青のレンジャー出て来たよ」
「ホントだ。えーと?リュウキブルー……?」
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「ねえ小雪さん。項噛まれたの、痛かった?」
「項?……う~ん……。怖くはなかったよ。都君が怖くないようにしてくれたから……」
小さなリュウキブルーを動かしながら答えれば、理人の指先がリュウキブルーを攫ってしまった。
「怖くないようにって、どういうことですか?抱きしめながらしてくれたとか?」
「ええ?ええ~……?ちゃんと声掛けして、ぎゅってして、してくれたかな。……どうしたの?理人君、噛まれるのが怖い?痛いの苦手?」
「怖くはないんですよ。ただ……、」
理人の手が湯から上がり、小雪の頬に触れた。
「僕、番になる都さんと僕を、小雪さんに見守っていてほしいって思ってて」
「え?おれも?……でも……、理人君その時はヒート中でしょう?そういうデリケートな時におれがいるっていうのも、いいのかなって心配になるというか……。都君と理人君の素敵な思い出になる日だから、おれは二人を邪魔したくないというか……」
「前のヒートの時にだって、色々見たでしょう?……僕は小雪さんにいてほしい。きっと都さんも同じ気持ちだと思う。僕と都さんはそういう気持ちでも結ばれてる」
「そういう気持ち?」
「小雪さんが大切だって気持ち。小雪さんに大切にされたいって気持ち。……小雪さんさえ嫌じゃなければ考えてみて」
きょとんとしていると、理人はどこか切なげに微笑んだ。その表情を見ていると、小雪の胸も切なくなった。
「あー、さっぱりした!」
敷いていたブランケットを畳み、理人のベッドに横になる。水色のシーツはしゃりしゃりして肌に心地よく、小雪はうっとりした。
ベッドの上で二人で寛いでいると、小雪は先日の約束を思い出した。
「ねえ。馴れ初め。いつ聞かせてくれるの?」
「……その話ですか。馴れ初めって、その場に小雪さんもいたでしょう」
「え?」
驚いて声を上げると、理人は眉を顰め、「なんです、忘れちゃったんですか」とむくれた声を出した。小雪は頭を振り立てた。
「その逆だよ。よく覚えてる。君は綺麗な建物を背にスッと立ってて、立ち姿の綺麗な人だなって思った。都君と理人君の視線が合った瞬間に星が散ったようになって、広い庭が二人の為の世界になった。前日の夜に雨が降ったから、芝生に残った雨粒がキラキラして、綺麗で。物語の始まりみたいだった。……理人君こそ、よくおれのことを覚えてたね。途中から席を外れたのに」
理人は表情を綻ばせ、「それが僕と都さんの、そして僕とあなたの馴れ初め」と小雪の鼻先へ囁いた。甘い声が鼓膜を擽り、小雪の心臓がどくんと跳ねた。理人は美しい。Ωの小雪でさえ、時折その瞳に吸い込まれそうになってしまう。
「都さんの姿を見止めると、すぐに分かった。この人が僕の番、運命の人なんだって。……都さんは指輪をしてなかったから、独身なんだって思ってたけど、都さんはすぐにあなたという夫がいることを僕に伝えてくれました。僕はそれを承知した上で、都さんに会っていました。……ごめんなさい」
理人は深く頭を下げ、「本当に、ごめんなさい」と重ねて謝罪した。
「理人君、顔を上げて。おれ、君に出会えてよかったって、心から思ってる」
膝立ちになって理人の肩に触れると、理人は導かれるように小雪を見上げた。
「僕は、僕の過去や、心に纏わりついたことについて、都さんに包み隠さず打ち明けました。いま思えば、僕は都さんの気を引きたかったのでしょう。けれど彼は、あくまでインタビュアーだった。過去を自慢げに広げても、都さんは親身なのに淡々としていて、僕に一線を引いていて、だから、この人だったら、と思いました」
「この人だったら、一緒に生きていけるってこと?」
「そうです。この人だったら、僕のΩの部分に惑わされず、折られず、ずっと傍にいてくれるんじゃないかって」
小雪はその言葉に息を飲んだ。先日の洋司の言葉が頭の中でリフレインする。
「僕は、悪魔なんです」
「……どうして?誰かに言われた?」
「ええ。でも、自分でもそう思っているんです。自分は、人の愛に意地汚い悪魔だと。……悪魔は人を惑わして喰らうから、ただの人とは一緒になれない。だから、あの人は、なんというか、僕にちょうどよかった。あの人も悪魔的なところがあるから」
「都君に?」
小雪は理人の言っていることが理解できず、表情を曇らせた。「小雪さんは分からなくていいんです。他でもない都さんが小雪さんをそうさせてるんですから。都さんが『どう思われるだろうか』と自分のふるまいを気にするのは、あなたの前でだけ」理人は小雪の動揺を穏やかに宥めた。
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都と理人の世界は二人だけのもの、という予感があったのは、二人と自分の間にこういう分断があったからなのかと、小雪は目の覚めるような心地になった。
「僕は、都さんに強烈に惹かれていく一方で、あなたのことも気になっていました。なぜかって、僕の話を聞くあなたが、綺麗だったから。あなたの穏やかで深い眼差しが、僕の瞼の裏に焼き付いていたから。……僕たちが出会った日、あなたは、自分の役割と下の名前を名乗っただけで、他に何もしゃべらなかった。僕はずっと、コユキというフレーズが忘れられなかった。だから、都さんに『夫を紹介する』と言われて連れて行かれた先であなたと再会して、本当に驚きました。……僕は、驚くと同時に妙な心地になりました。僕の愛しい人と忘れられない人が、僕の知らないところで繋がっていたなんてと、裏切られたような、それでいて運命的なような、妙な心地に……。それで、あんな態度に……」
互いの頬に熱が滲んで、小雪はとうとう俯いた。「小雪さん」理人の手が小雪の膝に触れ、むずがゆくて太ももを捩らせれば、理人の手が小雪の腕を掴んだ。
「僕には、都さんがあなたに心底惚れている理由が分かる」
「やだ、もう、そんなこと……、」
「だって、僕たちは赤の他人にどうされたって、極論、包丁で刺されたって、心までは傷付かないんです。でも、あなたはそんな僕たちを大切にしようと、いつだって一生懸命だ。……愛する人に愛される喜びを、あなたが都さんに教えたんです。都さんは運命の番の僕を前にしても、絶対にあなたを諦めようとしなかった。僕たちにとってあなたは、唯一無二の、かけがえのない人。都さんの本能がいくら僕を求めても、都さんの心は絶対にあなたから離れたりしない」
こんなにもたくさんの言葉を心に浴びたのはいつぶりだろう。小雪はいっぱいになった胸を押さえ、「おれはそんな大層なことはしてないよ」と首を振った。
「いいえ。あなたは、僕たちに毎日温かいご飯を作ってくれて、身の回りを整えてくれて、見守ってくれて、言葉で労ってくれて……。誰かからすれば小さなことでも、僕たちにとっては奇跡みたいなことなんです。僕たちはあなたの愛を浴びて、生きてていいんだって、愛する人に愛されているんだって、毎日実感してる。……あなたがいるから、日々が輝く。都さんの言う通り、あなたはこの家の一番星だ」
「……」
「都さんもそう思っているでしょうが、僕も、あなたを最期まで守るつもりです」
おれだって……。言いかけ、小雪はその言葉を微笑みに変えた。
「ありがとう。とっても嬉しい。理人君も、おれと都君にとって大切な人だよ。……それをきっと、忘れないでね」
胸の内を打ち明けるのに緊張していたのだろう、理人は話し終えると横たえ、小雪に髪を梳かれるうちに眠ってしまった。
小雪は月影が壁に描いた一筋の線を見つめ、シェルターの前に佇んでいた理人の姿を思い起こした。心細そうに、だのに真っ直ぐに凛と、理人は立っていた。
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α、β、Ωの三つの性が存在する現代で、品野千秋(しなのちあき)は一番人口が多いとされる平凡なβで、これまた平凡な高校三年生として暮らしていた。
いや、正しくは"平凡に暮らしたい"高校生として、自らを『αアレルギー』と自称するほど日々αを憎みながら生活していた。
千秋がαアレルギーになったのは幼少期のトラウマが原因だった。その時から千秋はαに対し強い拒否反応を示すようになり、わざわざαのいない高校へ進学するなど、徹底してαを避け続けた。
そんなある日、千秋は体育の授業中に熱中症で倒れてしまう。保健室で目を覚ますと、そこには親友の向田翔(むこうだかける)ともう一人、初めて見る下級生の男がいた。
その男と、トラウマの原因となった人物の顔が重なり千秋は混乱するが、男は千秋の混乱をよそに急に距離を詰めてくる。
「やっと見つけた」
男は誰もが見惚れる顔でそう言った。
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