臆病な僕らは、健気なΩの愛を乞う

野中にんぎょ

文字の大きさ
上 下
3 / 19

はじまる、三人の日々

しおりを挟む
 熱が引いて一日経ち、ようやくゲストルームから出て来られるようになった理人は今、どんぶりの中を覗き込んでいる。小雪はエプロンを脱ぎながら微笑んだ。
「具が色々入ってるのが珍しい?しっぽくうどんって言うんだよ。おれの祖母がよく作ってくれて」
 油揚げ、かまぼこ、ニンジン、ダイコン、ネギ、豆腐、鶏肉。色とりどりの具材が入ったうどんを見つめ、理人は箸を手に取った。「いただきます」綺麗な姿勢で手を合わせた理人を打見し、小雪も自分の為にうどんをよそった。理人の向かいに座って手を合わせれば、ダイニングがいつもより温かいような気がした。
「あの」
 理人から話し掛けられ、小雪は慌てて麺を咀嚼した。喉を潤し表情と心を整えてから「なにかな」と話を促す。
「ご迷惑おかけして、すみませんでした」
 頭まで下げられ、小雪は「謝らないで!」と理人の肩に触れた。瞬間、理人の肩がピクンと跳ねた。小雪は手を引っ込め、改めて「謝らないでいいんだよ」と伝えた。
「一気に身の回りのことが変化して、季節の変わり目も重なって、疲れが出ただけ。誰も悪くない。ぶり返すといけないから安静にね」
 両手を膝の上にしまい穏やかに言えば、理人は「あの、色々、ありがとうございました」とぎこちなくお礼を言ってくれた。
「あのね、理人君。おれも君に謝らなきゃ。出会った日、ひどいこと言っちゃって、ごめんなさい」
 理人がしたように頭を下げ、おずおずと理人の表情を確かめる。視線が今日初めて触れ合って、小雪は思わず相好を崩した。
「二人でディナー?仲間外れは寂しいな」
 空気が緩んだかと見えたダイニングへ、台風の目が現れる。
 小雪は帰宅した都に無言で睨みを利かせた。都はそれぞれにハグと頬へのキスを送り、「おいしそうなうどん」と小雪に向かって目尻を下げた。
「おれ、小雪の作る料理が好きなんだ。理人、小雪の料理はおいしいだろう?」
 都の夕食を用意しながら、その問いはどうかとモヤモヤしていると、理人は案外素直に頷いた。理人の纏う空気が柔らかくなっているところを見ると、どうやら小雪の知らない間に“ヒト対ヒトのコミュニケーション”が成されたらしかった。
「あれ?おれはうどんじゃないの?」
「うどんは理人君にって作ったんです。都君、包み焼きのハンバーグ好きでしょう」
「好きだけど、おれだけメニューが違うなんて寂しい。敬語も寂しいよ。こゆ、まさかまだ怒ってるのか」
「わがまま言わないで、残さず食べてください」
 素気無く言いつければ、都は肩を落として手を合わせた。落ち込んでいたのも束の間、都は夕飯を平らげる頃にはすっかり調子が戻って、「こうやって三人で食卓を囲むのもいいな」と二人のΩを眺め頬を緩めた。
「そうだ。週末には三人でどこかに出かけよう。理人の部屋の家具を――、あ、いや、ゲストルームの模様替えをしたいと思っていたから、買い物でもどう?」
 そうか、ゲストルームはこれから理人の部屋になるのか。小雪は今になって気が付いて、けれど不思議と嫌ではなかった。
「いや、僕は、」
 理人が声を上げると、都は理人の唇を指先で塞ぎ、首を振った。
「理人、一宿一飯の恩義に家具の手配を手伝ってくれたっていいだろう?……込み入った話はそれからでも遅くない」
 戸惑い気味の理人が視線を向けたのは、都でなく小雪だった。小雪は理人を安心させたくて、「理人君が嫌でなければ」と言葉を添えた。理人にそういった視線を向けられると、胸がくすぐったくなった。


「ああ、それ、わたしにも覚えがあるわ」
 西崎さんは千代紙を破りながら微笑んだ。
「夫の弟は兄弟で一人だけ歳が離れててね。三十を過ぎてからお嫁さんをもらったんだけど、その子は義弟より八つも若くて。彼女、おぼこくて、一生懸命で、好奇心旺盛で。なんだか子猫拾ったみたいに可愛くって。兄弟の嫁同士で奪い合うように可愛がってね……」
 ああ、なんだか、分かるような気がする。小雪は頷きながら和紙を破き箱に入れていった。
「息子が成人してからは、彼女と遊ぶ方が楽しくて。日帰りのバス旅行でいろんなところへ行ったわ。富士山にだって登ったの。息子たちとじゃ絶対に登らなかったわ」
 西崎さんは千代紙を貼る手を止め、潤んだ瞳を誤魔化すように微笑んだ。
「あの子、今どこにいるのかしらね。わたしもボケちゃって、あの子もボケちゃって、もう、何がなんだか分かんないわね」
 しんみりした空気に隣のおじいさんが「ここにいるヤツらは皆ボケとる、俺なんぞ孫の名前も思い出せん」と明るく振舞った。西崎さんは「あらまあ」と口元を抑え、隣のおじいさんを見つめた。
「アンタは西崎さんっていうんか。えらい別嬪さんじゃのぉ。俺は何人も女泣かしてきたが、アンタじゃったら俺も忘れられんかもしれん」
「お上手ね。あなたみたいな方、ここにいたかしら」
 おじいさんは頭を掻き、「いたよ、三年も」と眉を上げた。目の前で繰り広げられるナンパに笑みを誘われつつ、小雪は理人を想った。ああ今日は、あの子の為に何を作ろうか。
 健康記録を書き上げ、定時きっかりに職場を出る。ツバメが軒先の巣を忙しく行き来しているのを見て、小雪は自転車のペダルを強く踏み込んだ。


「クーラーつけててよかったのに。暑かったでしょう」
 透かした掃き出し窓の傍で座り込んでいた理人に駆け寄れば、彼は首を振った。理人のもみあげに汗が光り、小雪は慌ててクーラーを稼働させた。「空調のリモコンはここね。テレビのリモコンはここ。床暖房のスイッチは……」言いかけ、今の関係では理人の負担になるかもしれないと口を噤む。
「お風呂沸かすから、沸いたら先に入って。その間にご飯作るから」
 まんまるに太った買い物袋から材料を取り出す。理人がいると思うと、ついつい買い込んでしまった。冷蔵庫と作業スペースを行ったり来たりしていると、いつの間にか理人がキッチンまで来て小雪を見つめていた。
「どうしたの?着替えとタオルは脱衣所に置いてあるから好きに、」
「僕も手伝います」
 出会った日に着ていたシャツの袖を捲り、理人は手を洗った。
「今日は何を作るんですか?」
「ああ、ええと、がんもどきと、キュウリの酢の物と、お吸い物でも作ろうかなって……」
「がんもどき?手作りで?」
やりとりをするほどに小雪の胸が温かくなっていく。小雪はタブレットを立て掛け、「このレシピが簡単で美味しいんだよ」と理人を手招きした。
「確かに家でも作れそうですね」
「余ったのを煮物にしても美味しいんだ」
 水切りしていた豆腐を冷蔵庫から取り出せば、「これを切ればいいですか」と理人がキュウリを手に取る。小雪はまな板と包丁を取り出し、「じゃあ、お言葉に甘えて」と理人に差し出した。
 一人で作れば時間のかかる献立も、二人で作ればあっという間だった。見る間におかずが出来上がり、シンクの洗い物が減っていく。
「理人君、料理が好き?すごく手際がいい」
 がんもどきを油から引き上げながら話しかければ、理人は「僕が中学に上がってからは、年の離れた兄と二人で家に居ることが多かったので」と抑揚のない声で答えた。
「ああ、料理は理人君、洗濯はお兄さんって、役割分担してたの?」
「……まあ、そうですね」
 理人の声がどこか曇ってしまい、小雪は油の中を気持ち良さそうに泳ぐがんもどきを見つめた。
「おれもね、長いこと祖母と二人で暮らしてたから、料理は子どもの頃からしてたよ」
「……あのうどんもその頃に?」
「そう。祖母が香川の人で。こっちに出て来るまで知らなかったけど、香川の郷土料理だったみたい」
 揚げ立てのがんもどきに生姜醤油を添え、「食べてみて」と理人に差し出す。「揚げ立ては格別。ほら、理人君、早く」小雪が急かすと、理人は躊躇いがちに箸を取った。
「ん、あつ、」
 理人がふと見せた年相応の表情に小雪の表情が蕩ける。「どう?おいしい?」前のめって尋ねれば、理人はコクコク頷いた。
「また仲間外れか」
 思わぬ声に二人でリビングの入り口を見やれば、いつの間に帰っていたのか、腕を組んだ都が壁にもたれていた。
「都君、帰って来たならただいまって言ってよ!」
「君たちがあまりにも仲睦まじくしているから、出るタイミングを失って」
 小雪と理人は顔を見合わせ恥じ入った。都は上機嫌で「ほら、こゆの好きなラ・ポールのケーキだよ。食事の後に食べよう」とケーキまで登場させた。
「おれも手伝うよ。こゆ、どの皿にしようか?」
 男三人でキッチンと食卓を行き来し、夕餉の支度をする。明日は祝日で、いつもであれば缶ビールの出番だけれど、小雪はそれらを冷蔵庫に閉じ込めたままにした。
「今も十分に美味しいけど、“揚げたては格別”だっただろうな」
 都に冷やかされ、小雪は妙な汗を掻いた。ちろりと理人を確かめれば、理人の瞳もまた小雪を確かめていて、二人は慌てて視線を逸らした。
 食事の後片付けをする際にも、理人は小雪を手伝ってくれた。「理人君、ありがとう」「いえ」素気無いようにも取れる返事にはほんのりと温みが乗っていて、それが小雪の胸を擽った。
「理人君、お風呂入っておいで。日中暑かったでしょう」
 理人はまたコクリと頷いた。なんだか今日はそんな小さなことが嬉しくて、小雪は理人が脱衣所に入るまでその後ろ姿を見つめ続けた。
「理人は可愛いだろ」
 背中に投げかけられ、小雪は不機嫌な顔で都を振り返った。近づいて来た都が小雪の頬を人差し指でつんと突く。
「理人が可愛くてたまらないって顔だ」
「十個近く年下なんだもん、可愛くなきゃ嘘でしょう」
「……おれの番になるかもしれなくても?」
 急に意地悪く問われ、小雪はますます眉間の影を濃くした。「そのつもりで呼んだんじゃないの?あの子は都君の運命の番なんでしょう?ちゃんと話し合って、その上で番に、」夫を諭そうとした小雪の唇を都の唇が塞ぐ。驚いているうちに唇が離れ、小雪の瞳へ甘い微笑みが注がれた。
「嫉妬してるこゆはとっても可愛かったんだけど。どうやらそのフェーズを過ぎちゃったみたいだな」
 同じ屋根の下に理人がいると思うと今まで通りには応えられず、小雪は都の胸を押し返した。都は小雪の両手首を掴み、抵抗が緩んだ瞬間に小雪を抱き寄せた。
「こゆ。今夜、おれの部屋に来て」
 耳元で囁かれ胸が高鳴る。「朝まで愛しても足りないよ」都の吐息と声音が耳朶に掛かり、小雪は背を震わせた。
理人君に悪い。そう思いながらも、都を欲してしまう。小雪は一番最後に風呂に入り、理人が眠っていることを願って都の部屋を訪れた。
「こゆ、おいで」
 求められると、抗えない。小雪は都に組み敷かれながら、理人も同じ光景を見たのだろうかと、天井から吊るされたシェードを見つめた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

しば犬ホストとキツネの花屋

ことわ子
BL
【相槌を打たなかったキミへ】のスピンオフ作品になります。上記を読んでいなくても理解できる内容となっています。 とりあえずビッグになるという目標の元、田舎から上京してきた小太郎は源氏名、結城ナナトと名乗り新人ホストをしていた。 ある日、店の先輩ホストであるヒロムが女の人と歩いているのを目撃する。同伴もアフターもしないヒロムが女の人を連れていることが気になり、興味本位で後をつけることにした小太郎だったが──

新訳 美女と野獣 〜獣人と少年の物語〜

若目
BL
いまはすっかり財政難となった商家マルシャン家は父シャルル、長兄ジャンティー、長女アヴァール、次女リュゼの4人家族。 妹たちが経済状況を顧みずに贅沢三昧するなか、一家はジャンティーの頑張りによってなんとか暮らしていた。 ある日、父が商用で出かける際に、何か欲しいものはないかと聞かれて、ジャンティーは一輪の薔薇をねだる。 しかし、帰る途中で父は道に迷ってしまう。 父があてもなく歩いていると、偶然、美しく奇妙な古城に辿り着く。 父はそこで、庭に薔薇の木で作られた生垣を見つけた。 ジャンティーとの約束を思い出した父が薔薇を一輪摘むと、彼の前に怒り狂った様子の野獣が現れ、「親切にしてやったのに、厚かましくも薔薇まで盗むとは」と吠えかかる。 野獣は父に死をもって償うように迫るが、薔薇が土産であったことを知ると、代わりに子どもを差し出すように要求してきて… そこから、ジャンティーの運命が大きく変わり出す。 童話の「美女と野獣」パロのBLです

合鍵

茉莉花 香乃
BL
高校から好きだった太一に告白されて恋人になった。鍵も渡されたけれど、僕は見てしまった。太一の部屋から出て行く女の人を…… 他サイトにも公開しています

エンシェントリリー

斯波良久@出来損ないΩの猫獣人発売中
BL
短期間で新しい古代魔術をいくつも発表しているオメガがいる。名はリリー。本名ではない。顔も第一性も年齢も本名も全て不明。分かっているのはオメガの保護施設に入っていることと、二年前に突然現れたことだけ。このリリーという名さえも今代のリリーが施設を出れば他のオメガに与えられる。そのため、リリーの中でも特に古代魔法を解き明かす天才である今代のリリーを『エンシェントリリー』と特別な名前で呼ぶようになった。

君に望むは僕の弔辞

爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。 全9話 匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意 表紙はあいえだ様!! 小説家になろうにも投稿

壁乳

リリーブルー
BL
俺は後輩に「壁乳」に行こうと誘われた。 (作者の挿絵付きです。)

君はアルファじゃなくて《高校生、バスケ部の二人》

市川パナ
BL
高校の入学式。いつも要領のいいα性のナオキは、整った容姿の男子生徒に意識を奪われた。恐らく彼もα性なのだろう。 男子も女子も熱い眼差しを彼に注いだり、自分たちにファンクラブができたりするけれど、彼の一番になりたい。 (旧タイトル『アルファのはずの彼は、オメガみたいな匂いがする』です。)全4話です。

今夜のご飯も一緒に食べよう~ある日突然やってきたヒゲの熊男はまさかのスパダリでした~

松本尚生
BL
瞬は失恋して職と住み処を失い、小さなワンルームから弁当屋のバイトに通っている。 ある日瞬が帰ると、「誠~~~!」と背後からヒゲの熊男が襲いかかる。「誠って誰!?」上がりこんだ熊は大量の食材を持っていた。瞬は困り果てながら調理する。瞬が「『誠さん』って恋人?」と尋ねると、彼はふふっと笑って瞬を抱きしめ――。 恋なんてコリゴリの瞬と、正体不明のスパダリ熊男=伸幸のお部屋グルメの顛末。 伸幸の持ちこむ謎の食材と、それらをテキパキとさばいていく瞬のかけ合いもお楽しみください。

処理中です...