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おもい、おもわれ、ふり、ふられ
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昨日よりずっと、心身がすっきりしている。
アラームより先に目が覚め、青磁はキッチンへ向かった。自分で朝食を作り、いつもより時間をかけて咀嚼する。そう悪くはないけれど、この舌には「明香の味」が記憶されていて、なんだか物足りなかった。身支度を整え、青磁は家を飛び出した。
「明香!」
家から出て来た明香に声を掛ければ、明香は瞳を大きくして「どうした?なんかあった?」と言って駆け寄って来た。
「明香を待ってた。……おはよ。一緒に学校行こ」
昨日は冷たく接してしまって後悔していた。理由も分からないのに明香に苛々して、当たって、後悔して余計に苛々して。頭が冴えると気持ちも晴れて、そうすると明香の顔が見たくてたまらなくなった。
一方で、「おかず」にしてしまった罪悪感も胸に残っている。睫毛の一本一本が分かるほど近くに寄ると、青磁は明香の目を見ていられなくなった。
「なんだよ、昨日は機嫌ワルかったくせに」
明香のむくれた声にハッと顔を上げる。視線が絡むと、明香は歯を見せて笑った。「まー、機嫌直ったんならいいよ。もう行こ」明香の頬に浮かんだえくぼを見て、ああこれもそうだ、と別の自分が声を上げた。青磁はその声を振り払い、明香の隣に並んだ。
「いや、仲直りすんのはやっ」
揃って教室に現れた二人を見て、照太郎がツッコミを入れた。「ほらな、おれの言った通りだろ。昨日のは青磁が一方的に怒ってただけだから」泉が揶揄ともフォローとも取れない一言を足すと、照太郎は「青磁、おめー、姫気分か?王子じゃなくて姫って呼ぶか?」とふざけて青磁の肩を揺すった。
「明香、思われニキビできてんじゃん」
する、と泉の手が明香の顎の先に触れた。青磁の緊張が一気に高まり、それを知っているかのように、指先が明香から離れて行く。
「ああ、これ?顎の?つか、思われニキビってなに?」
明香の顎にぽつぽつと灯ったようなそれを指差し、泉は「顎にできるニキビは、自分を想ってる誰かがいるってことなんだって」と言って視線を青磁へ流した。
「明香の顎には二つあるから、二人いるんじゃない?」
「え?マジ?やった。モテ期来たわ」
場のノリに合わせて明るくはしゃぐ明香がまた苛々を連れて来る。
「そんなん迷信でしょ」
冷え切った声がして、青磁は口を噤んだ。また苛立ちのままに言葉を発してしまった。
ばつが悪くなり照太郎の腕を払うと、場がシンとなった。一瞬の空白の後、照太郎が「やんっ。暴力反対っ」とふざけ、空気が再び和らぐ。なのに、青磁は全く笑えなかった。
「おーい。セイ君っ。一緒に弁当たーべよっ」
昼休みに入っても自分の席でぼうっとしている青磁の前へ、明香がやって来た。「セイ君って呼ぶな」睨めば、明香は呆れたように溜息を吐き、青磁の机に弁当を置いた。
「もう。なんなんだよ。機嫌良かったり悪かったり……。セーリかよ」
近くで机をくっつけ合っていたグループの女の子がそのぼやきを聞きつけ、「葉山、それ、サイテーだからね」と言って、明香の発言に釘を刺した。
「男が生理語んな。……葉山にそういう経験あんなら別だけど」
言ってきゃらきゃらと笑っている女の子に耐えかね、明香は顔を真っ赤にした。
「ごめん、おれ、デリカシーなかった」
明香は女の子に頭を下げ、弁当を胸に抱えた。羞恥と後悔が入り混じったその表情に、青磁の胸がどっと揺れた。
「さや……、」
首筋まで真っ赤にして、明香は教室を出て行った。青磁はじくじくと痛み始めた胸を押さえ、弾かれたように明香を追った。
明香は教室を出てすぐの曲がり角に凭れていて、青磁は急いで明香の元へ駆けつけた。
「おれ、モテ期じゃなかったん」
明香は恥じ入った表情を隠すように俯き、不器用に笑った。青磁の胸がズキッとした。はっきりとした怒りがあの女の子にこみ上げた。明香に感じた苛立ちとはまるで違った。
「あいつ、言い過ぎじゃない?当事者だからって人前でああいう言い方はどうかと思う」
明香の両肩に触れ、元気を出してほしくて真っ直ぐに強く見つめる。明香の顎には確かにニキビが二つ並んでいた。青磁はそれを疑るように見つめた。
「バカ。おれが悪いよ。分かんねーんだよ、女の子の気持ちが。兄弟も全員男だし、母さんは男みてーな女だし」
二人は顔を見合わせ、同時に噴き出した。「おまえ、他人の母親の悪口で笑ってんなよ」「明香が言ったんだろ」二人はひとしきり笑い、見つめ合った。
頬の赤みをそのままにした明香の目元は潤んでいて、青磁はその中に吸い込まれてしまいそうになった。顎のニキビが寄り添っているように見えて、温かく切ない気持ちがこみ上げる。
「ニキビ、そんな気になる?見すぎだって……」
あまりにも熱心に見つめていたからか、明香の手が自身の顎を覆った。潤んだ瞳で睨まれ、青磁はますます視線を逸らせなくなった。いつも明るい明香がこんな顔をするなんてと、頭を掻きむしりたくなった。
「マジで恥ずいから……、そんな見ないで」
青磁の視線に負け、明香がしなしなと俯く。旋毛が見え、項まで見えて、襟と項との境に黒子が見えて、明香の秘密を覗き見たような心地になった。
青磁は明香の瞳から涙がこぼれていないか確かめたくて、表情を覗き込んだ。瞼、睫毛、瞳、の順で明香の眼差しが露になる。その眼差しがサッカーの試合に負けては泣いていたあの頃の明香に重なって、青磁は明香に見入った。
「昼、一緒に食べよ。おれ、購買でパン買ってくるから、ここで待ってて」
明香に言い含めるように伝えてから、自分の声を別人の声のように感じた。かすかに動揺していると、明香は首を振り、「一緒に行く」と言って青磁の腕を掴んだ。明香の手は、少し震えていた。その震えが移ったのか、青磁の心も、うち震えた。
アラームより先に目が覚め、青磁はキッチンへ向かった。自分で朝食を作り、いつもより時間をかけて咀嚼する。そう悪くはないけれど、この舌には「明香の味」が記憶されていて、なんだか物足りなかった。身支度を整え、青磁は家を飛び出した。
「明香!」
家から出て来た明香に声を掛ければ、明香は瞳を大きくして「どうした?なんかあった?」と言って駆け寄って来た。
「明香を待ってた。……おはよ。一緒に学校行こ」
昨日は冷たく接してしまって後悔していた。理由も分からないのに明香に苛々して、当たって、後悔して余計に苛々して。頭が冴えると気持ちも晴れて、そうすると明香の顔が見たくてたまらなくなった。
一方で、「おかず」にしてしまった罪悪感も胸に残っている。睫毛の一本一本が分かるほど近くに寄ると、青磁は明香の目を見ていられなくなった。
「なんだよ、昨日は機嫌ワルかったくせに」
明香のむくれた声にハッと顔を上げる。視線が絡むと、明香は歯を見せて笑った。「まー、機嫌直ったんならいいよ。もう行こ」明香の頬に浮かんだえくぼを見て、ああこれもそうだ、と別の自分が声を上げた。青磁はその声を振り払い、明香の隣に並んだ。
「いや、仲直りすんのはやっ」
揃って教室に現れた二人を見て、照太郎がツッコミを入れた。「ほらな、おれの言った通りだろ。昨日のは青磁が一方的に怒ってただけだから」泉が揶揄ともフォローとも取れない一言を足すと、照太郎は「青磁、おめー、姫気分か?王子じゃなくて姫って呼ぶか?」とふざけて青磁の肩を揺すった。
「明香、思われニキビできてんじゃん」
する、と泉の手が明香の顎の先に触れた。青磁の緊張が一気に高まり、それを知っているかのように、指先が明香から離れて行く。
「ああ、これ?顎の?つか、思われニキビってなに?」
明香の顎にぽつぽつと灯ったようなそれを指差し、泉は「顎にできるニキビは、自分を想ってる誰かがいるってことなんだって」と言って視線を青磁へ流した。
「明香の顎には二つあるから、二人いるんじゃない?」
「え?マジ?やった。モテ期来たわ」
場のノリに合わせて明るくはしゃぐ明香がまた苛々を連れて来る。
「そんなん迷信でしょ」
冷え切った声がして、青磁は口を噤んだ。また苛立ちのままに言葉を発してしまった。
ばつが悪くなり照太郎の腕を払うと、場がシンとなった。一瞬の空白の後、照太郎が「やんっ。暴力反対っ」とふざけ、空気が再び和らぐ。なのに、青磁は全く笑えなかった。
「おーい。セイ君っ。一緒に弁当たーべよっ」
昼休みに入っても自分の席でぼうっとしている青磁の前へ、明香がやって来た。「セイ君って呼ぶな」睨めば、明香は呆れたように溜息を吐き、青磁の机に弁当を置いた。
「もう。なんなんだよ。機嫌良かったり悪かったり……。セーリかよ」
近くで机をくっつけ合っていたグループの女の子がそのぼやきを聞きつけ、「葉山、それ、サイテーだからね」と言って、明香の発言に釘を刺した。
「男が生理語んな。……葉山にそういう経験あんなら別だけど」
言ってきゃらきゃらと笑っている女の子に耐えかね、明香は顔を真っ赤にした。
「ごめん、おれ、デリカシーなかった」
明香は女の子に頭を下げ、弁当を胸に抱えた。羞恥と後悔が入り混じったその表情に、青磁の胸がどっと揺れた。
「さや……、」
首筋まで真っ赤にして、明香は教室を出て行った。青磁はじくじくと痛み始めた胸を押さえ、弾かれたように明香を追った。
明香は教室を出てすぐの曲がり角に凭れていて、青磁は急いで明香の元へ駆けつけた。
「おれ、モテ期じゃなかったん」
明香は恥じ入った表情を隠すように俯き、不器用に笑った。青磁の胸がズキッとした。はっきりとした怒りがあの女の子にこみ上げた。明香に感じた苛立ちとはまるで違った。
「あいつ、言い過ぎじゃない?当事者だからって人前でああいう言い方はどうかと思う」
明香の両肩に触れ、元気を出してほしくて真っ直ぐに強く見つめる。明香の顎には確かにニキビが二つ並んでいた。青磁はそれを疑るように見つめた。
「バカ。おれが悪いよ。分かんねーんだよ、女の子の気持ちが。兄弟も全員男だし、母さんは男みてーな女だし」
二人は顔を見合わせ、同時に噴き出した。「おまえ、他人の母親の悪口で笑ってんなよ」「明香が言ったんだろ」二人はひとしきり笑い、見つめ合った。
頬の赤みをそのままにした明香の目元は潤んでいて、青磁はその中に吸い込まれてしまいそうになった。顎のニキビが寄り添っているように見えて、温かく切ない気持ちがこみ上げる。
「ニキビ、そんな気になる?見すぎだって……」
あまりにも熱心に見つめていたからか、明香の手が自身の顎を覆った。潤んだ瞳で睨まれ、青磁はますます視線を逸らせなくなった。いつも明るい明香がこんな顔をするなんてと、頭を掻きむしりたくなった。
「マジで恥ずいから……、そんな見ないで」
青磁の視線に負け、明香がしなしなと俯く。旋毛が見え、項まで見えて、襟と項との境に黒子が見えて、明香の秘密を覗き見たような心地になった。
青磁は明香の瞳から涙がこぼれていないか確かめたくて、表情を覗き込んだ。瞼、睫毛、瞳、の順で明香の眼差しが露になる。その眼差しがサッカーの試合に負けては泣いていたあの頃の明香に重なって、青磁は明香に見入った。
「昼、一緒に食べよ。おれ、購買でパン買ってくるから、ここで待ってて」
明香に言い含めるように伝えてから、自分の声を別人の声のように感じた。かすかに動揺していると、明香は首を振り、「一緒に行く」と言って青磁の腕を掴んだ。明香の手は、少し震えていた。その震えが移ったのか、青磁の心も、うち震えた。
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