愛されたがりのオオカミは、愛したがりのトラに抱かれる。

野中にんぎょ

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もう一匹の「しっぽながおじさん」

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「もお、いやになっちゃう。毎日毎日、カブばっかり。カブのスープに、カブの煮物、カブのお漬物に、カブの葉の菜飯……。パパったら、メニューを考える私の身にもなってよね」
「春に近づけば採れる野菜も増えるさ。ほら、剥き終わったよ」
 皮を剥いたカブをエバーに差し出す。欠片ほどしかないベーコンをじっくりと炒めていた彼女は「六等分に切って。今日はカブのシチューにするわ」と開き直ったように胸を張った。
 冬は寒さのピークを迎え、窓辺からは氷柱が覗いている。裏口からパンの配送を受け取り厨房へ戻ると、エバーが大鍋をかき混ぜているところだった。
「リンゴはどうする?うさぎリンゴにする?」
「助かるわ。お願いしてもいい?」
 大きなボウルから真っ赤なリンゴを手に取った次の瞬間、厨房のドアが弾けたように開き、息せき切ったイヌの子が駆けて来た。
「シスター!マダラ!たいへんだよ!こっちに来て!」
「危ないから厨房に入ってはいけないと言っているのに。私とのお約束を忘れたんですか?」
 たしなめるエバーに焦れたのか、イヌの子はぴょんぴょんと飛び跳ねた。興奮の為に頬がリンゴのように真っ赤になっている。「いいからこっちに来て!」全体重をかけて腕を引っ張られたところでパジャマのままの子ウサギや子ネコも厨房へ飛び込んで来た。
「早く!たいへん!たいへんなの!」
 とうとう収拾がつかなくなり、マダラとエバーは幼子たちに手を引かれ孤児院の玄関扉を開けた。
「みて!きっと、“しっぽながおじさん”だよ!」
 マダラとエバーは目を見開いた。
 玄関先に積まれていたのは、色とりどりの箱を金色のリボンで飾った、絵に描いたような“贈り物”。それも、量が尋常ではない。この孤児院で暮らしている幼獣の数を優に超える贈り物が玄関先から溢れ外門へのアプローチにまではみ出していた。
 エバーは確かめるようにマダラを見つめ、それから、「あなたじゃなかったの?」とうち震えた声で囁いた。
「私はてっきり、あなただと――、」
 潤んだ赤い瞳がマダラを見つめる。マダラは何も言えなくなってしまった。自分の贈り物がエバーをひどく心配させていたのだと、今の今になって気が付いた。
「なんの騒ぎです、これは」
 昨夜から塗油に行っていたミラ神父が外門をくぐり、跳ね回っている幼子たちと贈り物を見渡した。「しんぷさま!みて!しっぽながおじさんだよ!今日はおてがみもついてる!なんてかいてあるの?」「どれ……私に見せてごらん」キツネの子が差し出したメッセージカードを手に取り、ミラ神父は笑みを浮かべた。
「“いつもきみのそばに。しっぽながおじさんより愛をこめて”」
 その一文に、マダラは言葉を失った。
 胸に下げた銀のロザリオをシャツの上から握りしめ、マダラは建物の中へと踵を返した。
 そばになんか、いないくせに。俺の欲しいものなんか、知らないくせに!
 悔しくて寂しくてたまらなくなって、マダラは自室へ駆け込みベッドに縋って熱くなっていく目頭をシーツに擦りつけた。
 シシだ。シシからの贈り物に違いない。マダラにはそう思えてならなかった。
 マッチ売りの少女が火の向こうに見たような贈り物は、幼子たちの表情をこれ以上なく綻ばせた。贈り物にはひとつひとつ直筆でメッセージが添えられていて、子どもたちはモノよりもそのメッセージカードに見入った。
『いつもぼくがきみをみてるよ』
『なきたくなったらぼくをおもいだして』
『あいたくなったらひとみをとじて、そうしたらいつだってあえる』
 幼い彼らは瞼を下ろし、それぞれのしっぽながおじさんを思い浮かべて微笑んだ。けれどマダラの硬く下ろした瞼の裏には、シシがいる。幼さを引きずったまま大人になってしまったかのような彼がいる。
「マダラ、入っても構わない?」
 返事の代わりにドアを開けたマダラに、エバーは眉根を寄せて微笑んだ。
「ねえ、これ、あなたにじゃないかしら」
 差し出されたのは藍色の細長い包みだった。差し込まれたカードには「僕の愛しい君へ」と綴られている。マダラは固い表情のまま視線を逸らした。エバーは困ったように肩を竦め、「ここに置いておくからね」とヘッドボードに包みを置いて行ってしまった。
 衝動のままにそれを鷲掴み、床に叩きつけようと振り上げたけれど、出来なかった。シシを「大嫌いだ」と言えなかったあの日と同じ歯痒さが込み上げる。
 姿も見せないのに、こんな贈り物だけを寄越して、「僕の」だなんて。
 早く、自分の家に、家族の元に、帰ってよ。俺の心に居座らないでよ。諦めさせてよ。終わったことなんだって、思わせてよ……。
 マダラは贈り物を引き出しの奥にしまい、滲んだ涙を拭った。黄金色の瞳が今でも自分の心を絡め取っていることが、苦しかった。
 贈り物は一度きりでは終わらなかった。
 マダラがしていたように、月に一度、繊月の晩の翌朝に贈り物が届くようになった。
「大変なことになってしまいましたねえ……」
 ミラ神父は突如中庭に現れた贈り物を見上げて顎を摩った。「みらしんぷー!おーい!」ネコの子が贈り物の“踊り場”から顔を出しミラ神父に両手を振る。
「気を付けて降りておいで」
 ミラ神父がそう声を掛ければ、ネコの子に続いてイヌ、トカゲ、ウサギが次々と滑走部を滑って行った。開いた口の塞がらないマダラの隣へやって来たエバーがヒュウと口笛を吹いた。
「遊具のプレゼントだなんて。本当、一体どこの誰なんでしょうね?新しい“しっぽながおじさん”は」
 シスターらしからぬ仕種に「口笛なんて行儀が悪い」とエバーを睨んだが、彼女は遊具に慣れていない幼子たちの元へ行ってしまった。
 二本の滑り台、トンネルネット、ステップ、クライムブリッジのついた大型のコンビネーション遊具が業者によって運び込まれたのは今朝のこと。喜び勇む彼らをたしなめているうちに組み立てが完了すると、今度は遊び回る彼らを監督することで手いっぱいになってしまった。その一部始終を見ていたかのように、昼時が近づけばどこからともなくケータリングが運ばれて来た。
「あっ、駄目だよ。このお鍋はまだ熱いんだ。ああだめ、そっちのワゴンには触れないで、焼き立てのミートグラタンが乗っているから。あ、あの……どちらにお運びしましょうか……」
 涎を垂らした幼獣たちに囲まれ、レストランの従業員らしきイヌはまだ温かさの残っている鍋を精一杯に持ち上げた。ミラ神父が幼子たちを庭に集め、マダラとエバーが食堂で昼食の準備に取り掛かる。ただでさえ賑やかな孤児院が今日は一段と騒がしい。
「もう!全く!何考えてんだ、あいつは!」
 食事の準備に取り掛かっているマダラの眉は滑り台のように吊り上がっている。エバーは笑みを堪えてスプーンとフォークをお膳に並べた。
「どうやらしっぽながおじさんは二匹いるみたいね。新しいおじさまの尻尾は何色なのかしら?」
 軽口を叩くエバーをきりりと睨み、マダラは溜息を吐いた。一体、なんのつもりでこんな贈り物を……。
「ねえ、しっぽながおじさんにおてがみのおへんじかこうよ!」
 ミートソースを口端につけたトカゲの子が食事の最中に声を上げた。「それいいね」「ぼく、字、かけないよ?」「わたしがおしえてあげる!」口々に始まるおしゃべりに「食事中はお静かに」と注意を促すエバー。マダラはクロワッサンを齧りながら何度目か分からない溜息を吐いた。
 幼子たちが拵えた手紙はぴかぴかの遊具に括りつけられ外で一夜を過ごした。翌日の早朝、子どもたちをがっかりさせてはいけないと手紙の回収に向かったマダラは目を丸くした。……あれだけ大量に括りつけられていた手紙が、ひとつ残らずなくなっている。それどころか……。
「“おへんじありがとう。ちいさなゆうじんたちのこころづかいにかんしゃします。またちかいうちに。しっぽながおじさんより愛をこめて”……」
 山積みの菓子箱に添えられた一枚のメッセージカード。マダラはそれを鼻先に近づけ瞼を下ろした。何か月かぶりに感じる懐かしい匂い。やっぱり……。マダラはメッセージカードを元の場所に置き、自室へと踵を返した。
 次の月も、その次の月も、季節が変わっても、ウサギのエルが水色のランドセルを背負って学校に通うようになっても、贈り物は続いた。
 庭は春めき、木漏れ日の下で幼子たちがはしゃぎ回る。マダラはずっと開けることのなかった引き出しを開き、藍色の包みを手に取った。
 贈られたそれは、漆黒の硝子珠で編まれたロザリオだった。箱の中に添えられたカードを手に取り、マダラは眉根を寄せて小さく溜息を吐いた。
「“君を愛してる”……」
 そんなこと、一度も言ってくれなかったくせに。
 贈り物に合わせてこんな言葉を差し出すなんて、彼はどれだけ臆病なのだろう。
 マダラは身につけていた銀のロザリオを外し、漆黒のそれを頭にくぐらせた。窓に反射する自分を見つめれば、そのロザリオは胸で重い輝きを放ち、こちらに何かを訴えかけて来る。マダラはロザリオを握りしめ、口付けた。今夜は繊月。もう心は決まっていた。
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