上 下
8 / 12

みなしごの懺悔

しおりを挟む
「おや。珍しい客人だ」
 日曜日の早朝、ミサを終えたミラ神父が教会の隅に佇んでいたマダラに声を掛けた。主よ、いつくしみをわたしたちに。教会の外で子どもたちが賛歌を口ずさんでいる。
「神父様」
 マダラがミラ神父をそう呼ぶときは告解を請うている時だ。ミラ神父は静かに頷き「あちらへ」とマダラを告解部屋へ導いた。
「神父様。私はずっと偽りを抱えて生きてきました。その偽りは何よりも優しく私を慰め、ある時には奮い立たせてくれました。
 私は、自分をたった一匹だとは思いたくありませんでした。自分が何者か分かっていながら、私は、自分の家族欲しさに――、自分を偽りました。
 家族の為にと行っていた善行は、善行ではありませんでした。自分の孤独を慰める為に、偽りを守る為にやっていたことでした。それに気が付くと、全てがどうでもよく思えて……。私のしていたことは、やはり善行ではなかったのだと思い知りました。
 私は大切なものを失いました。失ってから気が付きました、それがどれだけ大切なものだったのか、自分が大切に抱えていた偽りがどれだけちっぽけなものだったのか。そんなものを抱えなくても私は十分に愛されてきたのに……。
 神父様、私は、この部屋に来てもなお、許されてよいのか、分からないのです。罰をお与えください。どうか、どうかこのような私に、罰を……」
 握り合わせた両手を震わせ、マダラは飴色の格子の前で項垂れた。短い沈黙の後、格子の向こうから息を吸う音が聞こえ、マダラは背筋を硬直させた。
「父と子と精霊が万一あなたを許さずとも、私があなたを許します」
 ミラ神父の声に、マダラは顔を上げた。
「罰など、どうして与えられましょう。……どうかこの部屋を出て。子どもの頃のように抱きしめさせてください、マダラ」
 マダラは告解部屋を飛び出し、ミラ神父の胸に飛び込んだ。つんと跳ねた猫目がみるみる緩み、しとどに涙がこぼれ始める。
「神父、ミラ神父、俺、おれ、う、うぁあああ~っ!」
 声を上げしゃくりあげるマダラを庭で遊んでいた幼子たちが不思議そうに見つめた。ミラ神父は丸まったマダラの背をそっと撫でた。
「マダラ、お前はいつまでも私の子です。誰が何と言おうと、これから何があろうと、それはお前がこの世界のどこに居ても揺るがない事実です」
「しんぷさま、ごめんなさい、おれ、掟を、掟をたくさん破りました、」
「掟など生きることの前には霞です。それはお前が一番よく知っているでしょう。……飢えてなお、お前はパンを分けようとした。そのパンの価値をお前以上に知っている者はいないのに、お前はそうした。誰がお前を責められるというのです。もしそんな輩がいるのなら私に教えなさい。棍棒で正気に戻して差し上げます」
 涙と鼻水にまみれながらマダラは微笑んだ。
「俺だって、気付いていたんですか?」
「何のことですか?私には、さっぱり……」
 小首を傾げる神父もまた微笑んでいた。二匹の足元に幼子たちが群がり、「マダラ、どうして泣いてるの?」「おなかいたいの?」「なでなでしてあげる!」と口々にマダラを労わった。
「マダラ。また少し痩せたように見えますよ。温かいスープを用意しましょう。……ああ、エバー、ゲストルームが一つ空いていたよね?そこをマダラの部屋にしようと思うのだけど構わないかな?」
 瞳を見開いたマダラにエバーはこっくりと頷いて微笑んだ。「ミラ神父、俺っ、」マダラは慌ててミラ神父を振り返る。彼はマダラが肩に下げていたボストンバックを指差した。
「そんな鞄を下げて一体どこへ行こうというのです。……ほら、エバーについて行って厨房のお手伝いでもして来なさい。うちはいつでもネコの手でも借りたいくらい忙しいんですから……」
 三角の耳を震わせ、マダラは静かに頷いた。
 温かいスープを飲み清潔なベッドに横になると、マダラはすぐに寝息を立て始めた。オルガンの音色と賛歌のメロディーが夢の中に溶け込んで優しい色合いに変わる。懐かしい匂いのする寝床は、マダラを優しく抱きしめた。
 夕日の眩さに瞼を上げると、重かった身体が一匹の子ネコくらいに軽くなっていた。「ネコの手でも……」なんて言っていたミラ神父も、「換えて欲しい電球がいっぱいあるの」とウキウキしていたエバーも、マダラを一度も起こしに来なかったらしい。
 ボストンバックを開けてあのブラシを取り出す。マダラはベッドに腰掛け夕日を見つめながら尻尾を梳いた。
 シシ、俺、結局ここに戻って来ちゃった。お前がいなくなってから頭がボーッとして、仕事もポカばっかりやらかして、とうとうクビになっちゃった。こんなんだから家賃も払えなくなってあの家も出るしかなくなっちゃって。……だいぶ稼いでたはずなのに、少しは貯金しとけばよかったなって、今になって思うよ……。
「なおん、なおーん……」
 マダラはブラシを胸に抱きながら甘えた声で鳴いた。シシも同じ夕日を見ているかもしれない。そう思うと、マダラは夕日から目を離せなくなった。
 ああ、俺、ちゃんとシシがすきだったんだ。
 今になって気が付いて、マダラは自分の鈍さに呆れてしまった。シシがすきだった。さらさらの金髪も、黄金色の瞳も、よく動く唇も、怒るとぴくぴくする小鼻も、優しく笑った顔も、拗ねた顔も、振り返った時の何かを期待したような顔も。「ただいま」「おかえり」の声も。「マダラ」と名前を呼んでくれる声も。全部全部、大すきだった。
「あの時、子種分けてもらえばよかったなあ……」
 ぽつりと呟き、マダラは腹を撫でた。流れ星のきらめきのような一瞬の恋を、自分は一生忘れることが出来ないだろう。観念したように苦笑し、マダラはブラシに頬を擦り寄せた。
 孤児院に戻ってからは、こちらが引け目をなくすほど働かされた。電球の交換はもちろん、古びた屋根の修理、厨房の手伝い、庭木の剪定に幼子たちの相手……。けれど夜に働くよりも陽が昇っている間に汗水を垂らして働く方がいくらかマダラに合っていた。
「マダラが戻って来てこちらは大助かりです。少ないですが、これを」
 ミラ神父は掃き掃除をしていたマダラへ白い封筒を差し出した。中には“心付け”と言えるほどのお金が入っていた。
「ミラ神父、俺、受け取れません」
「いいえ、受け取ってください。そしてお前自身の為に使いなさい。いいですね?」
 マダラは躊躇った後に封筒を受け取った。「それから」ミラ神父は懐から白い布に包まれたロザリオを取り出した。
「昨日のミサで手に持っていなかったでしょう。肌身離さずつけていたかつてのロザリオの代わりに、これを。私が若い頃に使っていたものです」
 銀色のロザリオをいつもマダラがしていたように首に下げてやり、ミラ神父は微笑んだ。二匹が別れを選んだあの日、ロザリオもシシと共に消えてしまったのだ。
「ミラ神父、ありがとうございます。大切に使います」
 両手でロザリオを握って頭を下げれば、ミラ神父は笑みを深くして部屋から去って行った。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ひとりぼっちの嫌われ獣人のもとに現れたのは運命の番でした

angel
BL
目に留めていただき有難うございます! 姿を見るだけで失禁するほどに恐ろしい真っ黒な獣人。 人々に嫌われ恐れられ山奥にただ一人住んでいた獣人のもとに突然現れた真っ白な小さな獣人の子供。 最初は警戒しながらも、次第に寄り添いあい幸せに暮らはじめた。 後悔しかなかった人生に次々と幸せをもたらしてくれる小さな獣人との平和な暮らしが、様々な事件に巻き込まれていき……。 最後はハッピーエンドです!

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

平凡なSubの俺はスパダリDomに愛されて幸せです

おもち
BL
スパダリDom(いつもの)× 平凡Sub(いつもの) BDSM要素はほぼ無し。 甘やかすのが好きなDomが好きなので、安定にイチャイチャ溺愛しています。 順次スケベパートも追加していきます

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜

きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員 Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。 そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。 初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。 甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。 第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。 ※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり) ※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り 初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。

【完結】伴侶がいるので、溺愛ご遠慮いたします

  *  
BL
3歳のノィユが、カビの生えてないご飯を求めて結ばれることになったのは、北の最果ての領主のおじいちゃん……え、おじいちゃん……!? しあわせの絶頂にいるのを知らない王子たちが吃驚して憐れんで溺愛してくれそうなのですが、結構です! めちゃくちゃかっこよくて可愛い伴侶がいますので! 本編完結しました! 時々おまけを更新しています。

トップアイドルα様は平凡βを運命にする

新羽梅衣
BL
ありきたりなベータらしい人生を送ってきた平凡な大学生・春崎陽は深夜のコンビニでアルバイトをしている。 ある夜、コンビニに訪れた男と目が合った瞬間、まるで炭酸が弾けるような胸の高鳴りを感じてしまう。どこかで見たことのある彼はトップアイドル・sui(深山翠)だった。 翠と陽の距離は急接近するが、ふたりはアルファとベータ。翠が運命の番に憧れて相手を探すために芸能界に入ったと知った陽は、どう足掻いても番にはなれない関係に思い悩む。そんなとき、翠のマネージャーに声をかけられた陽はある決心をする。 運命の番を探すトップアイドルα×自分に自信がない平凡βの切ない恋のお話。

【書籍化確定、完結】私だけが知らない

綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
ファンタジー
書籍化確定です。詳細はしばらくお待ちください(o´-ω-)o)ペコッ 目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2024/12/26……書籍化確定、公表 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

【第1章完結】悪役令息に転生して絶望していたら王国至宝のエルフ様にヨシヨシしてもらえるので、頑張って生きたいと思います!

梻メギ
BL
「あ…もう、駄目だ」プツリと糸が切れるように限界を迎え死に至ったブラック企業に勤める主人公は、目覚めると悪役令息になっていた。どのルートを辿っても断罪確定な悪役令息に生まれ変わったことに絶望した主人公は、頑張る意欲そして生きる気力を失い床に伏してしまう。そんな、人生の何もかもに絶望した主人公の元へ王国お抱えのエルフ様がやってきて───!? 【王国至宝のエルフ様×元社畜のお疲れ悪役令息】 ▼第2章2025年1月18日より投稿予定 ▼この作品と出会ってくださり、ありがとうございます!初投稿になります、どうか温かい目で見守っていただけますと幸いです。 ▼こちらの作品はムーンライトノベルズ様にも投稿しております。

処理中です...