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みなしごの懺悔

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「おや。珍しい客人だ」
 日曜日の早朝、ミサを終えたミラ神父が教会の隅に佇んでいたマダラに声を掛けた。主よ、いつくしみをわたしたちに。教会の外で子どもたちが賛歌を口ずさんでいる。
「神父様」
 マダラがミラ神父をそう呼ぶときは告解を請うている時だ。ミラ神父は静かに頷き「あちらへ」とマダラを告解部屋へ導いた。
「神父様。私はずっと偽りを抱えて生きてきました。その偽りは何よりも優しく私を慰め、ある時には奮い立たせてくれました。
 私は、自分をたった一匹だとは思いたくありませんでした。自分が何者か分かっていながら、私は、自分の家族欲しさに――、自分を偽りました。
 家族の為にと行っていた善行は、善行ではありませんでした。自分の孤独を慰める為に、偽りを守る為にやっていたことでした。それに気が付くと、全てがどうでもよく思えて……。私のしていたことは、やはり善行ではなかったのだと思い知りました。
 私は大切なものを失いました。失ってから気が付きました、それがどれだけ大切なものだったのか、自分が大切に抱えていた偽りがどれだけちっぽけなものだったのか。そんなものを抱えなくても私は十分に愛されてきたのに……。
 神父様、私は、この部屋に来てもなお、許されてよいのか、分からないのです。罰をお与えください。どうか、どうかこのような私に、罰を……」
 握り合わせた両手を震わせ、マダラは飴色の格子の前で項垂れた。短い沈黙の後、格子の向こうから息を吸う音が聞こえ、マダラは背筋を硬直させた。
「父と子と精霊が万一あなたを許さずとも、私があなたを許します」
 ミラ神父の声に、マダラは顔を上げた。
「罰など、どうして与えられましょう。……どうかこの部屋を出て。子どもの頃のように抱きしめさせてください、マダラ」
 マダラは告解部屋を飛び出し、ミラ神父の胸に飛び込んだ。つんと跳ねた猫目がみるみる緩み、しとどに涙がこぼれ始める。
「神父、ミラ神父、俺、おれ、う、うぁあああ~っ!」
 声を上げしゃくりあげるマダラを庭で遊んでいた幼子たちが不思議そうに見つめた。ミラ神父は丸まったマダラの背をそっと撫でた。
「マダラ、お前はいつまでも私の子です。誰が何と言おうと、これから何があろうと、それはお前がこの世界のどこに居ても揺るがない事実です」
「しんぷさま、ごめんなさい、おれ、掟を、掟をたくさん破りました、」
「掟など生きることの前には霞です。それはお前が一番よく知っているでしょう。……飢えてなお、お前はパンを分けようとした。そのパンの価値をお前以上に知っている者はいないのに、お前はそうした。誰がお前を責められるというのです。もしそんな輩がいるのなら私に教えなさい。棍棒で正気に戻して差し上げます」
 涙と鼻水にまみれながらマダラは微笑んだ。
「俺だって、気付いていたんですか?」
「何のことですか?私には、さっぱり……」
 小首を傾げる神父もまた微笑んでいた。二匹の足元に幼子たちが群がり、「マダラ、どうして泣いてるの?」「おなかいたいの?」「なでなでしてあげる!」と口々にマダラを労わった。
「マダラ。また少し痩せたように見えますよ。温かいスープを用意しましょう。……ああ、エバー、ゲストルームが一つ空いていたよね?そこをマダラの部屋にしようと思うのだけど構わないかな?」
 瞳を見開いたマダラにエバーはこっくりと頷いて微笑んだ。「ミラ神父、俺っ、」マダラは慌ててミラ神父を振り返る。彼はマダラが肩に下げていたボストンバックを指差した。
「そんな鞄を下げて一体どこへ行こうというのです。……ほら、エバーについて行って厨房のお手伝いでもして来なさい。うちはいつでもネコの手でも借りたいくらい忙しいんですから……」
 三角の耳を震わせ、マダラは静かに頷いた。
 温かいスープを飲み清潔なベッドに横になると、マダラはすぐに寝息を立て始めた。オルガンの音色と賛歌のメロディーが夢の中に溶け込んで優しい色合いに変わる。懐かしい匂いのする寝床は、マダラを優しく抱きしめた。
 夕日の眩さに瞼を上げると、重かった身体が一匹の子ネコくらいに軽くなっていた。「ネコの手でも……」なんて言っていたミラ神父も、「換えて欲しい電球がいっぱいあるの」とウキウキしていたエバーも、マダラを一度も起こしに来なかったらしい。
 ボストンバックを開けてあのブラシを取り出す。マダラはベッドに腰掛け夕日を見つめながら尻尾を梳いた。
 シシ、俺、結局ここに戻って来ちゃった。お前がいなくなってから頭がボーッとして、仕事もポカばっかりやらかして、とうとうクビになっちゃった。こんなんだから家賃も払えなくなってあの家も出るしかなくなっちゃって。……だいぶ稼いでたはずなのに、少しは貯金しとけばよかったなって、今になって思うよ……。
「なおん、なおーん……」
 マダラはブラシを胸に抱きながら甘えた声で鳴いた。シシも同じ夕日を見ているかもしれない。そう思うと、マダラは夕日から目を離せなくなった。
 ああ、俺、ちゃんとシシがすきだったんだ。
 今になって気が付いて、マダラは自分の鈍さに呆れてしまった。シシがすきだった。さらさらの金髪も、黄金色の瞳も、よく動く唇も、怒るとぴくぴくする小鼻も、優しく笑った顔も、拗ねた顔も、振り返った時の何かを期待したような顔も。「ただいま」「おかえり」の声も。「マダラ」と名前を呼んでくれる声も。全部全部、大すきだった。
「あの時、子種分けてもらえばよかったなあ……」
 ぽつりと呟き、マダラは腹を撫でた。流れ星のきらめきのような一瞬の恋を、自分は一生忘れることが出来ないだろう。観念したように苦笑し、マダラはブラシに頬を擦り寄せた。
 孤児院に戻ってからは、こちらが引け目をなくすほど働かされた。電球の交換はもちろん、古びた屋根の修理、厨房の手伝い、庭木の剪定に幼子たちの相手……。けれど夜に働くよりも陽が昇っている間に汗水を垂らして働く方がいくらかマダラに合っていた。
「マダラが戻って来てこちらは大助かりです。少ないですが、これを」
 ミラ神父は掃き掃除をしていたマダラへ白い封筒を差し出した。中には“心付け”と言えるほどのお金が入っていた。
「ミラ神父、俺、受け取れません」
「いいえ、受け取ってください。そしてお前自身の為に使いなさい。いいですね?」
 マダラは躊躇った後に封筒を受け取った。「それから」ミラ神父は懐から白い布に包まれたロザリオを取り出した。
「昨日のミサで手に持っていなかったでしょう。肌身離さずつけていたかつてのロザリオの代わりに、これを。私が若い頃に使っていたものです」
 銀色のロザリオをいつもマダラがしていたように首に下げてやり、ミラ神父は微笑んだ。二匹が別れを選んだあの日、ロザリオもシシと共に消えてしまったのだ。
「ミラ神父、ありがとうございます。大切に使います」
 両手でロザリオを握って頭を下げれば、ミラ神父は笑みを深くして部屋から去って行った。


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