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君の唇はミルクの香り

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 仮眠から起き上がったマダラを、シシは涙を抱えた瞳で睨んだ。
「マダラ、赤ちゃんできたの?番がいたの?」
 一体何事かと狼狽えれば、シシは部屋の奥に積み上げられた紙おむつと粉ミルクの箱を指差した。「ちがう。これは、俺の家族に贈るもので……」どうしてか後ろめたくなって早々に否定すれば、シシは「家族?マダラ、小さな弟妹がいるの?」と涙をひっこめた。
「なんていうか、説明が……難しい」
 ウンウン悩んでいるマダラの心の準備を、シシはいつまでも待つつもりのようだった。そこまで打ち明ける気もなかったのだけれど、いずれは分かることと、マダラは“しっぽながおじさん”の秘密を打ち明けることにした。
「俺、孤児院育ちなんだ」
 シシはハッとした面持ちで膝に置いていた手を拳にした。「ほら、小川を越えたところに教会があるだろ。そこに置いてかれてた赤ん坊の俺を先代の神父様が拾ってくれたんだ」教会の方角を指差しなるべく明るい声で伝えれば、シシは眼差しを震わせた。「マダラ、ひとりぼっちなの?」言葉にせずとも、シシの瞳がそう尋ねている。
「実の親とか血のつながった兄弟はいないけど、あの孤児院が俺にとっての家なの。そこにいる皆が俺の家族。これは孤児院の皆への贈り物だよ。オオカミは家族を大切にする種族なんだ」
「オオカミ?」
 丸い耳がぴくんと震えた。「言ってなかった?俺、オオカミなんだ」自慢の大きな耳に触れながら言えば、シシは正座を崩してマダラににじり寄った。
「……シシ?」
 シシは鼻先をマダラの首筋に近づけ、ふんふんと匂いを嗅いだ。お返しにオオカミらしくシシの鼻先を甘噛みしてやれば、彼は飛び上がって驚き、目を白黒させた。
「これがオオカミの挨拶だよ」
 頬を熟れさせたシシは眉根を寄せて考え込み、それからいつものように柔らかく笑った。
「教えてくれてありがとう。マダラに赤ちゃんができたんじゃなくてよかった。……これ、重いでしょ。僕も運ぶの手伝うよ。いつ運ぶの?」
 この大荷物を一匹でどう運ぼうかと思案していたところにこの申し出はありがたかった。「実は、明日の夜明け前に運ぼうかと思ってて」「夜明け前?贈り物なのに?」首を傾げるシシ。マダラは彼に膝を突き合わせた。
「サプライズの贈り物なんだ。シシが手伝ってくれると助かる」
 声を潜めて言えば、シシは「もちろん!任せて!」と胸に手を当てて鼻を鳴らした。
 午前三時に起床しシシを揺すって起こす。寝ぼけ眼のシシにちょっとした不安を覚えつつ、マダラは最後の仕上げに麻の袋へ文房具やお菓子を詰め込んだ。
「春は物入りだもんなあ。あしながおじさんもラクじゃねえわな」
 車の鍵を借りに隣の部屋を訪れると、夜勤帰りのワニはあくびをしながらマダラを労ってくれた。シシはお菓子の袋を背負ったままマダラの横顔を確かめる。マダラはそんなシシに微笑みを返した。
「マダラはあしながおじさんなの?みんな、マダラからの贈り物だって知らないの?ねえ、どうして……」
 軽トラックの荷台に紙おむつの箱を積みながらシシは言葉を詰まらせた。「質問は帰ってからっ。早くしないと夜が明けちゃう」マダラは寂しい顔になってしまったシシを放って次々と荷物を積み込んだ。
 軽トラックが電灯の少ない道をのろのろと走っていく。教会の裏手に車を寄せ、マダラは大きな耳をキャスケット帽に押し込んだ。
「シシ、頼むぞ。絶対に見つかったらだめだからな」
 シシはフードを被って深く頷いた。その表情には、先ほどの寂しさはひとかけらも残っていなかった。
 孤児院の玄関先に十箱の紙おむつを並べる。おしりふきや粉ミルクの詰まった重い箱はシシが軽々と運んでくれた。最後に麻の袋を寄せて、マダラは額に浮かんだ汗を拭った。
「シシ、急いで帰ろう、朝日が昇る」
 車に乗り込もうとしたところで、シシがひったくるようにマダラの腕を掴んだ。
 マダラの小さな身体がシシの両腕に包み込まれる。ふわりとブランケットを羽織ったような感覚の後に掻き抱くようにされ、身長差の為にマダラはつま先立ちになってしまった。マダラの心臓が、どっくんと脈打った。それを皮切りに、全身が心臓になったように脈打ち始める。
「し、シシ、早くしないと」
 上ずった声で訴えれば、腕はすぐに離れて行った。シシは夜明け前の薄闇の中で微笑み、「帰ろう」と囁いた。
「帰ろうマダラ、僕たちの家に」
 真新しい朝日がフロントガラスを照らす。眩しくて目を細めている内にアパートに辿り着き、階段で煙草を吸っていたワニが二匹に手を振った。
「あしながおじさんも一匹より二匹の方がいいわな。ほれ、頑張ってる若者に爺から選別」
 車の鍵を返すと袋いっぱいの菓子パンが返って来た。シシの素直な腹の虫が鳴り、ワニはかかと笑いながら部屋へ戻って行った。
「あしながおじさんじゃなくて、“しっぽながおじさん”な」
「マダラ、尻尾長いもんね」
「……お前もな」
 二匹で微笑み合い、マダラはキャスケット帽を脱いだ。冬の朝のきりりとした風が心地いい。いつもなら贈り物をした後は「次はどんなものを贈ろうか」と考えを巡らせるのに、今日はただ疲労感と充実感で心身が満たされていた。
 部屋に戻ると、シシが砂糖を入れたホットミルクを作ってくれた。二匹は何の言葉も交わさずに寄り添い、ホットミルクを傾けた。マグカップの底にミルク色の三日月が浮かんだところで、シシがマダラの肩を抱き微笑んだ。
 マダラは一瞬、あの孤児院のことを忘れた。優しいミラ神父のことや、幼馴染のエバー、可愛い幼子たちのことも。
 二匹はミルクの香りのする口づけを交わした。
 ああ、どうしてだろう、本当は、出会った瞬間から、この部屋に彼を招いたときから、こうなることは分かっていたような気がする……。
「僕、ずっと、ここに居る。マダラの傍に居る」
 シシは何度もマダラの耳元へそう囁いた。マダラは困ったように微笑んで、目の前の大きな身体に縋りついた。
 外ではいつの間にか雨が降っていた。袂を濡らされていることにも気付けないような、霧のような雨だった。

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