いつもの毎日をきみと

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9. 《最終話》それから

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 それからあっという間に数カ月が過ぎ、維人は諒からのプロポーズを受け入れ、一週間ほど前から正式に同居を始めた。
 結婚を決めた後、オンラインで対面した維人の父親に顔を青くしながら土下座をしていた諒を思い出すと思わず苦笑いがこぼれる。あんなにも一生懸命想いを伝えてもらっては父親も許さないわけにもいかず、最後には「それが維人にとって一番幸せなのならば」と受け入れてくれた。
 この年末帰省する際の初対面が楽しみでもあり、少し緊張もする。諒は考えただけでおなかが痛くなる、と今は頭の中で見えないようにしまっているらしい。
 こうして、“恋人”や“真結の父親”として接する諒は案外知らない顔もたくさん持っていて、驚かされることもしばしばだ。
 正直、真結をかわいがってくれるかというのが一番の心配ではあったが、そんなもの一切無用だったかの如く溺愛している。
 もちろん、それに負けずとも劣らず、いや、それ以上に維人のことも大切に愛してくれている。
 むしろ愛が重すぎて、今日もあちこちが痛いくらいだ。

 諒は研修医として忙しくしていたし、再会してからもたくさん会えるわけではなかった。それに、真結だっているから、家に泊まりに来ても当然“そういう”雰囲気にはなかなかならない。
 たまに一が真結と出掛けていき、二人っきりになっても、お膳立てされた時間というのは逆に羞恥を駆り立てて、結局は何もできずに終わる。
 子供いるのに…? と七年前の事情を知らない佳乃さんには訝しがられたし、諒は一に「へたれ」なんて言われていた。
 えぇヘタレですよ、とは思うものの、まだ友達であった期間の方がずっと長いのだ。甘い空気になるとどうしても恥ずかしいし、諒は七年前のことがあるからか維人が少しでも躊躇ったりするとすぐにやめてしまう。正直ちょっとくらい強引に来てくれてもいいのに、と自分勝手に思ったりしていた。
 とは言え、こういうことは時間と雰囲気が解決するものだし、なんといっても諒はαで維人はΩ。自然とそうなる時が来るだろう、なんて悠長に構えていたら、それは突然訪れた。

 その日、たまたま諒は金、土と二日続けて休みが取れたからと木曜の夜から維人のアパートに泊りに来ていた。
 いつも次の日は仕事だからと一泊だけして、朝には慌ただしく帰っていく諒を寂しいながらも仕方ないと見送っていたところを、その日は朝ごはんを諒が作ってくれて、一緒に真結を学校に送り出した。それだけでも嬉しくて、浮かれていたんだ。

 真結が家を出てから少しして、ソファでテレビを見ている諒にコーヒーを運んだ時、唐突に“二人っきりだ”ということに気が付いた。
 少しぎこちなくコーヒーの入ったカップを渡し、諒がありがとう、と受け取ってカップに口を付ける。そのしぐさだけでも「僕の番カッコイイ」なんてドギマギとしてしまう。
 ぼうっと立ったまま諒の横顔を見つめていたら、突然こちらを向いて、「座らないの?」と不思議そうな顔で首を傾げるから、思わずビクッと過剰に反応してしまった。きっと顔も真っ赤だ。
 慌てて背を向けると、諒に手を引かれた。
「維人、こっち向いて?」
 真っ赤な顔を見せるのが嫌でそのまま黙っていると、後ろからそっと抱きしめられた。
 首に顔をうずめる諒の髪からする維人と同じシャンプーの香りと、諒の優しくて甘い香り。その香りにくらくらとしてしまう。
「……維人、もうすぐ発情期?」
「あぁ、そういえばそうかも」
 Ωに起こる発情期は大体三カ月に一回、一週間ほど続く。幸いにも症状は軽く、薬を飲んでいれば普段となんら変わりなく過ごせるから、これまではあまり気にすることもなかった。
 でも、今は発情期でなくとも、諒に触れられるだけでフェロモンが漏れ出てしまう。それはきっと“運命”なんていう強いつながりのせいで、決してやらしい気持ちになっているからじゃない。
 心の中でそんな言い訳をしていると、維人を抱える諒の腕に、さっきより少し力がこもった。
「やっぱり。いつもより甘い」
 諒が言うには、βだった頃から維人の香りは変わっておらず、フェロモンはそこに甘さがプラスされた感じだという。
 諒はΩの甘い香りが苦手だった。嫌悪していたと言ったほうが正しいくらい。だから、Ωになったとき、一番に思ったのは、Ωになった維人の香りを諒は受け付けないかもしれない、ということだった。
 諒がΩのフェロモンにあてられ、真っ青な顔で苦しんでいる様子を何度も見てきた。それなのに、今度は自分がそんな顔をさせてしまうかもしれない。
 七年前、諒に会わないことを決めたとき、「自分を責めてほしくない」とか「邪魔をしたくない」とか、あたかも諒を思いやるような理由ととってつけた。
 でも、本当は維人自身が諒を苦しめること、そして嫌悪されることが怖かっただけ。逃げただけだ。
 再会した時だってそれが怖くて、また逃げてしまった。

 それでも、諒はΩになった維人の香りも「いい香りだ」と言ってくれた。
 昔と同じように維人を抱きしめ、うっとりと表情が溶けていく様子を見た時、どれほど嬉しかったか、どれほど安堵したか。きっと諒は知らない。

 少し身じろぎして後ろから回されている腕を解き、正面からぎゅっと諒に抱き着く。
 ずっと欲しかった、晴れた春の日のように暖かくて優しい、甘い香りがする。
 あの日、諒が忘れていったマフラーは今もクローゼットの中にある。辛くて、寂しくて、堪らない時はそのマフラーから諒の面影を捜した。
 まさかそれを真結に知られているとは思わなかったが。もう匂いなんてとっくになくなっていたのに、よく真結は諒に気が付いたなと不思議に思う。
 でもきっと、それが運命で、必然だったんだろう。
 『真結』という名は二人の名前の意味を繋いで付けた名だ。その名の通り、離れてしまった諒と維人を繋いでくれた。
 真結のおかげで、恋しくてたまらなかったこの香りに、諒にまた会えた。

 ――真結が帰ってきたらまたいっぱいハグしよ。

 ぎゅっと諒に回した腕に力を入れると、諒も首にうずめていた顔をさらにグリっと維人に押し付けてくる。諒の顔が動くたびに唇が首筋をかすめ、ピクリと小さく震えた。
 それに気が付いたらしい諒が今度はわざと音を立てて軽く首筋をついばんだ。
「んっ」
 自分から出た甘い声に驚いてばっと体を離そうとすると、諒は逃がすまいと言わんばかりに背に回した腕に力を込めてくる。逃げ道をなくし、せめて赤くなった顔を隠そうと諒の胸に顔をうずめた。
「維人、好きだよ」
 耳元でいい声を出すのはずるい。またピクリと反応してしまった維人に追い打ちをかけるように諒は耳にそっとキスをした。
 ゾクリと背が粟立ち、また小さく声が漏れる。諒は少しずつ場所を変えながら維人の顔中にキスを落とし、またわざと音を立てながら唇をついばむとようやく顔を離した。
「やっと目が合った」
 確かにさっきから恥ずかしさが勝って一度も目が合わせられなかった。
 正面から維人を見つめる諒の少し色の薄い瞳はとても澄んでいて、そんなにも優しく見つめられたら溶けてしまいそうだ。
 吸い込まれるように見惚れていると、形の良い、薄い唇がそっと近づき、おもむろに唇が重なった。
 諒の唇は薄く、見た目にはマットな質感だが、重ねてみるとしっとりと柔らかい。七年前はそんなこと意識している暇もなかったから、これは“恋人”になった今、知ったこと。
 その柔らかさを堪能するように諒の上唇を食むと、諒も負けじと維人に食らいつく。それだけでは足らないと諒の舌が唇をなぞる。維人はそれにこたえるように道を開き、内へと迎え入れた。
 ゆっくりと先端を絡めながらその“侵入者”を噛む。ぐにぐにとしたその食感を楽しんでいると、先ほどまでは控えめだった侵入者は急に力強く動き始め、さらに維人の内へと入り込んだ。
 そのまま上あごを舐められればもうその食感を楽しむ余裕なんてすぐになくなってしまう。体の中心に熱がこもり始め、重なった唇の隙間からこぼれる息で何とかその熱を吐き出そうとするが、口内の侵入者がそれを許してくれない。息も、唾液もすべて舐めとるように這いまわり、蹂躙していく。
 その全てを味わい尽くしてもなお飽き足らず、維人の舌を吸い上げ、しごくように前後に動かし始めた。その動きがこの先の行為をほのめかしているようで、期待と興奮におぼれた身体はもう熱をとどめてはおけず、フェロモンとなって外に放たれていく。
「あっん、りょ、ちょっと、まって……」
「うん、」
 頷いたくせに、諒はしっかりと維人の頭をその大きな手で固定し、まだ執拗に維人の口内を貪っている。

 ――食べられちゃいそう。

 でも、気持ちいい。
 溶け始めた意識をまどろませながら、諒から与えられる快楽をされるがままに受け入れていると、それとは比べ物にならないほどの強い刺激が下半身に走った。
 諒がその長い脚を維人の股下に滑り込ませ、熱を持った維人の昂りを擦ったのだ。
 唇はまだ塞がれたまま、その下では固く弾力のある太ももを維人に押し付け、そして擦り上げる。諒は「維人以外とは経験がない」と言っていたが、嘘なんじゃないかと疑いたくなるほどのその絶妙な加減に耐え切れず、維人はガクンと膝を落とした。
「おっと」
 当然のように諒は維人が崩れ落ちる前に抱き留め、軽々と抱き上げると、そのままソファへと沈めた。
 諒も維人と同じように熱がこもった息を荒く吐き出している。きっと維人のフェロモンにあてられているんだろう。その様子は少し獣的で、思わずゴクリとつばを呑み込んだ。
「維人、続きしてもいい?」
 汗で額に張り付いた前髪をかき上げるしぐさも、必死に本能を押さえつけようと強張った肩が、それでも抗えない興奮で上下するさまも、その全てが美しくて、煽情的だ。
 維人は両手を伸ばし、そっと諒の諒の頬を包み、まだ内にとどまっていた全てをさらけ出すようにフェロモンを放った。
「きて」
 それに呼応するように一気に諒のフェロモンも強まる。それは『誰にも渡さない、俺の番だ』と、まるで檻に閉じ込めるかのように維人を包みこんだ。
 すでに昂っていた体の中心よりもっと奥がズクンと疼く。七年前にはわからなかったこの疼きの正体が今ならわかる。維人の中にあるΩの胎が番を求めているのだ。
 早くこの疼きを収めて欲しい、満たして欲しい。

 ――でもこれは“Ω”じゃなくて、“僕”の本能。

 諒を欲しているのは“Ω”という性別じゃなくて、桜庭 維人という人間だ。
 きっと、βのままであったとしても、こうして同じだけ諒を求めた。絶対に。

 ――それが僕たちの“運命”だ。

 気づけば身に着けていたものはすべて取り払われ、諒の指先が触れた場所から順に点灯していくかのように細胞が熱を持ち、色づいていく。その熱は全身に広がり、維人の白い肌は諒によって薄紅色へと染め上げられた。
「きれいだ、維人」
 獣のように息を荒げながらも、決して維人を傷つけまいと優しく触れるその指先が愛しい。
 こんな明るい時間に、いつものソファでこんなことをしているなんて恥ずかしくて仕方がないのに、それでも欲しくて欲しくてたまらない。

「諒、好きだよ。僕の運命」

◇◇◇◇
「お母さんどうしたの? お顔真っ赤だよ~?」
 件のソファに座っていたらつい起き抜けに“その日のこと”を思い出してしまっていた。

 ――絶対フェロモン出てる。

 顔の熱を払うようにパタパタと手で仰ぎ、「ちょっと暑いかな~」なんてごまかすと、真結は「そう?」と不思議そうに眉を八の字にした。
 今日も我が娘は最高にかわいい。
 諒と暮らし始めるにあたり、真結と二人で住んでいたアパートから少し広いところに引っ越した。そこで真結は初めてできた自分の部屋で寝ている。
 そのおかげか最近は起こしに行かなくても自主的に目覚ましを使って起きて来て、朝ごはんの支度を手伝ってくれるようになった。
 少し寂しいところもあるが、これも成長だし、まだたまに諒と維人の寝室に潜り込んでくることもある。ゆっくり大きくなって欲しいと願いながら、諒とその成長を見守っていけることがたまらなく嬉しい。
 でも、ちょっと前に「妹が欲しいな♡」なんて、一もいる前で言われ、何とも気まずい空気にしてくれた。まぁ一は「頑張って励め~」って呆れ気味に言ってたけど。
 あれ以来、一はどこか吹っ切れたように見える。多分、七年前の出来事は維人と諒だけではなく、一も一緒に縛り付けてしまっていたんだろう。
「“運命”なんかじゃなくて俺が維人を幸せにしてやるんだ、って半ば意地になってのかも」
 と少ししてから話してくれた。
 今も変わらず真結のことをかわいがっていて、二人でよく遊びに出かけているが、それを見るたびに諒がなんか微妙な顔をするのが少し面白い。お父さんは独占欲強めな上に、心配性だ。

「そろそろおなかすいたよ~」
 時計を見るともう八時半。いつもならとっくに朝ごはんを終えている時間だが、今日は近くにできたカフェに朝ごはんを食べに行こうと約束している。
「そうだね、そろそろ起こそうか」
 諒は真結が転校しなくてもいいようにと、維人が住む地域の総合病院に職場を変え、今も忙しく働いている。
 だから休みの日くらいはゆっくり寝かせてあげたいとは思うのだが、娘の空腹には変えられない。
 まだベッドの上でスヤスヤと寝息を立てる諒の側に腰を掛け、朝日に透ける髪に指を通す。相変わらず見とれてしまうほどに綺麗な寝顔だ。
 維人がこんなふうだから、諒はたまに「維人が好きなのは俺の顔だけなんじゃ……」なんてある意味自信にあふれた心配をしている。

 ――まぁ確かに一目惚れだもんね。

 高校生の時、初めて目にした諒のマスク越しにもわかる整った顔立ちと、秋の柔らかな日差しを灯したような淡い色の瞳から目が離せなかった。
 それは本能が無意識に運命を感じ取っていたのかもしれないが、きっとそれを含めて一目惚れ。
 サラサラと指から髪が流れ落ちていくのを一通り眺めてから、そっと頬に口付けた。
「そろそろ起きて。お姫様が待ってるよ」
 王子様をキスで起こすなんて童話と逆だな、とつい笑ってしまう。ところが、突然伸びてきた腕にガバっと拘束され、気づけばベッドに沈み込んでいた。
「おはよう、お姫様」
 寝起きでも完璧に美しい王子様に目を奪われているうちに、初めは軽くついばむだけだったキスがいつの間にやら首筋を這い始め、腰元からわき腹を添うように手が入り込んでいる。
「ストップ!! 真結が待ってるから!」
 そう、王子様の目覚めを待っているお姫様は維人ではなくて真結なのだ。
 そうだった、と言わんばかりに動きを止めた諒の下から這い出て、服を整える。
 最近はずっとこんな感じだ。
 一度してしまえば、それまでの遠慮は何だったのかと思うほどに諒はがぜん積極的に維人を求めてくるようになった。昨日だって維人的には充分したが、諒はまだいくらでもできると言わんばかりだ。全く油断も隙もない。
 もちろん嫌なわけではない。何やらドキドキさせられるのはいつもこちらなのが悔しいだけ。
「ま~だ~?」
 しびれを切らした真結がドアから寝室を覗き込んでいる。
「ごめん、ごめん。ほら、起きて諒」
 両親のイチャイチャをいつも待っていてくれる優しい娘には感謝しかない。


「おいしかったね!」
 今住んでいるところは田舎とは言え、意外と新しいお店も多い。今日朝ごはんを食べに来たお店も最近開店したばかりで、パンケーキがおいしいとご近所さんだった佳乃さんに教えてもらった。
 佳乃さんは同じΩであり、息子のけいくんが真結と同い年だったこともあって、あのアパートに引っ越してから随分と気にかけてもらった。
 今は少し家が離れてしまったが、それでも家族ぐるみでの付き合いは続いており、子育てのことも、パートナーとの関係も、何でも相談できる良い友達だ。
「おいしかったぁ! あっ帰る前におトイレ行ってもいい?」
「いいよ、じゃあ僕ついていくから、お会計お願いしていい?」
「わかった。終わったら外で待ってるね」
 こうして三人でのお出かけも随分板についてきた。
 ただ一つ問題があるとすれば、だ。

 トイレから戻り、店の外へ出ようとすると、諒が店の少し先に立っているのが見えた。ついでにその前には今時の格好をした若くてかわいらしい女の子が二人。
 諒を一人にすると大抵こうなる。
 以前は人を寄せ付けないような雰囲気だったから、遠巻きに見ている人の方が圧倒的に多かったが、最近は表情も雰囲気も柔らかくなったせいか、もうかわいい子ホイホイかよと思うくらいに気が付けば声を掛けられている。

 ――まぁ僕の番めっちゃイケメンですから?

 そう強がっては見ても、かわいらしい女子と一緒にいるところを見ると、どうしても心がざわつく。
 もちろん諒が浮気をするような人ではないとわかっている。
 それでもαはΩと違って何人でも番を作ることができるし、今の諒はフェロモンを過敏に感知してしまう体質も改善されている。
 それならばやっぱり平凡な男である維人よりも、フワフワのかわいい女の子の方が諒の隣にはふさわしいのではないかと思ってしまう。
 だから、初めのころは声を掛けられている諒をただ見ていることしかできなかった。
 でも、今は違う。
 もう諒のいない毎日を過ごすことなど絶対にイヤだ。
 だから、諒を誰にも奪われないために、最も効果的な"武器"と共に戦いを挑む。
「真結」
 そう声をかけ、顔を見合わせて互いにこくりと頷くと、真結は走り出し、諒の足にガバっとしがみついた。
「お父さんお待たせ~」
 よしよし、狙い通り前にいた女子たちが戸惑っている。
 そんなことに子供を使うなよ、という声が聞こえそうだが、諒の年齢の割には大きな子供な上に、明らかにそっくりな真結はどんな言葉よりも女子たちの戦意を削ぐ最高戦力だ。
 だから維人はその後をゆっくりと歩いていくだけでいい。
「お待たせ」
 余裕ありげにニッコリ笑って諒の腕をとれば、任務完了。
 気まずそうな顔をした女子たちはそそくさと後ずさりして、その場を去っていく。
 意地の悪いことをしてすみません、と心の中で呟きながら、完全勝利に胸をなで降ろすのだ。
 そんな密かな戦いを知ってか知らずか、諒は少し申し訳なさそうな顔で維人と真結の髪を撫でた。
「かわいい子達だったねぇ」
 不可抗力なのだから、文句なんて言わない。でも、ちょっと嫌味を言うくらいは許して欲しい。まぁそんなことをしても何の効果もないのだけれど。
「そう? 維人と真結よりかわいい子なんて見たことないよ」
 ほら、やっぱりドキドキさせられるのはこっちのほう。
 悔しくて少し拗ねた気持ちをぷくっと頬に詰め込ませる。その膨らんだ頬を見てまた諒は目じりを下げて維人の髪を撫でた。
 どうせまた「かわいいな」って思ってるんだろ。
 違う、そうじゃない。ドキッとさせたいんだ!
 だから、維人は思いっきり諒の腕を引き、耳元で囁いた。

「僕以外に番作ったら、殺してやる」

 掴んだ手をパッと離し、「これならどうだ」と言わんばかりに得意げな顔をして見せる。
 それでも、やっぱりだめ。効果なし。
 諒は一瞬驚いた顔をしたが、その後はもう、熱々のパンケーキにかけられたシロップ顔負けなほどに甘く、とろけた顔をした。
「ホントに、俺の番は世界一かわいい」

 ――あーあ、やっぱりドキドキさせられるのはいつも僕だ。

 でも、それでいいのかも。
 こんな日々がいつの間にかいつもの毎日になって、いつまでもドキドキしていられたら、きっととっても幸せだ。
 もちろん、たまにはこっちからもドキッとさせてみせるけどね。

 そんな、いつもの毎日をきみと。

【END】
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