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番外編.魔導士Ωはαの騎士様に溺愛されています?!
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まだ薄くて細い髪に黒目がちな瞳。それから、ぷにぷにの白いほっぺに小さな手足。その小さな手足をもぞもぞと一生懸命動かす様子に美織は思わず身もだえた。
「かぁわいい~~~~~」
ため息とともに見つめたその先にいるのは、三カ月ほど前に生まれたラナルドの長男だ。
誕生後、家が少し落ち着いたであろう時を見計らい、美織と美織の護衛騎士であるレオン、リシュカとその護衛騎士であるアーロン、そしてアレクシスとエルバルトという今やもうお馴染みのメンツで、赤ちゃんに会いにやってきていた。
エルバルトからしたら甥にあたるのだから、もう既に会っているかと思いきや、「なぜわざわざ会いにくる必要が?」といぶかしげな顔をされた。相変わらずアレクシス以外に興味がないらしい。今日だってアレクシスが行くと言わなければ、絶対に来なかっただろう。
それにしても、赤ちゃんというものがこれほどまでにかわいいものだとは思わなかった。ただただもぞもぞと動いているだけなのに、悶えてしまうほどにかわいいってすごい。
美織の隣でベビーベッドに寝かされた赤ちゃんを興味深そうに見つめるアレクシスですらも表情が緩んでいるから、その認識はきっと万人共通だ。まぁその後ろに立つ黒の騎士様はそんなアレクシスを見て目を細めているのだけれど。
きっと、赤ちゃんを見て微笑むアレクシスはとてもかわいい。でも、そんなふうに優しく他人を見つめて欲しくはない、なんて複雑な感情を抱えているのだろう。
あんたの甥でしょうが、と言いたくなるが、きっとアレクシスはアレクシスで、エルバルトに似ているなぁなんて思いながら赤ちゃんを見ている。結局はただのバカップルなのである。
でも、美織は気づいてしまった。
「瞳は紺色なんだな」
そうつぶやいたアレクシスが少し寂しげな顔をしたことに。
あぁこれは、もしエルバルトが子を持っていたら碧い瞳の子が生まれたのだろうか。なんて考えてしまったのかもしれない。
この世界には魔法はあるが、男性が妊娠できる、なんて美織が元居た世界で愛読していた小説にありがちなご都合主義のものは残念ながらない。
でも、つい想像してしまう。この二人ならやっぱりあれでしょう。
今やBL界の金字塔的存在。そう、オメガバース!
抗えない本能に翻弄されながらも、互いを求めずにはいられない、そんな切なくも淫靡な世界観が美織は大好きだった。元居た世界では、オメガバースを題材にした漫画やら小説やらをひたすらに読み漁ったものだ。
もしそれをこの二人に当てはめるなら、当然エルバルトがαで、アレクシスはΩ。
――俗世を捨て、塔に一人で暮らすΩの魔導士と偶然出会ったαの騎士。二人は運命の番だった。本能に翻弄されながらも心を寄せ合っていくが、国を背負う立場であったΩの魔導士はなかなかαの騎士の手を取れない。
そのうち、Ωの魔導士を我がものにせんとする王子様(これはやっぱりヴィンフリートが適任だな)なんかも出てきたりするが、すったもんだの末、最終的には互いに唯一だと認め合って結ばれる――
こんな感じでどうだろうか。ちょっと考えただけでも創作という名の妄想が止まらない。
本当に書いてみたら結構売れそうだな、なんて現金な考えも含めた考えが顔に出ていたのだろう。美織を見ていたレオンがチベットスナギツネのような顔をしている。でも所詮はイケメン。どんな顔をしようが目の保養にしかならない。
まぁ妄想は妄想に留めておくとして、それとは別に体を張って国を守ったアレクシスと、それを支えたエルバルトなにかご褒美があってもいいのではないか、と美織は常々思っている。
――そう思いませんか?ねぇ神様。
この時、美織は思ってもみなかった。
自分の妄想がのちにあんな騒動を起こすことになろうとは。
◆◆◆◆
夕食に使った食器を洗い終え、生ごみもまとめた。ダイニングテーブルもしっかりときれいに拭き上げ、ソファの周辺に散らばった本も片づけた。
これで一日の最後に行うエルバルトの家事仕事は終わり。もう一度手をきれいに洗い、エルバルトは寝室へと急いだ。
いつもなら、家事をするエルバルトを横目に、アレクシスはソファに転がって本を読むか、うとうととしているのだが、今日は「なんかだるい」と言って先に一人で寝室へと行ってしまった。
王都を守る結解を維持するために宿した建国の魔導士の魔力のせいで減り続けるアレクシスの魔力は、エルバルトが補填することで今のところは問題なく安定している。
だが、いつ、何が起こるかわからない。少しの不調でも心配で仕方がないのに、寝室へとついていこうとしたら「大丈夫だからちゃんと終わらせてからこい」、なんて言われしまった。
家事なんて明日でもいいのに、とは思うが、ここで無理についていくと、『俺の言うことが信じられないのか』と非常に機嫌を損ねてしまう。
アレクシスの身体のことは本人が一番わかっている。だから、アレクシスが大丈夫だというなら、大丈夫。決して強がっているわけでもない。そんなことエルバルトだってわかっている。
でも、だからと言って心配するな、というのは無理な話だ。
だって、エルバルトにとってアレクシスは命に代えてでも守ると誓った、最愛の人なのだから。
急く心をなだめつつ、静かに寝室のドアを開く。
その瞬間、花のような甘い香りが鼻をくすぐった。
――なんの香りだ?
嗅いだことのない香りに誘われるがまま部屋に足を踏み入れる。アレクシスのいるベッドに近づくにつれ、その香りは強さを増していくように感じた。
もう眠ってしまっただろうかとベッドをのぞき込むと、アレクシスは布団へと潜り込み、丸くなっていた。
その丸い塊はせわしなく上下に動き、それと同じ速度でアレクシスの荒い息遣いが聞こえてくる。
やはり具合が悪そうだ。エルバルトはそっとその塊に手を添えた。
「アレクシス様、大丈夫ですか?」
「エル……」
弱弱しい声とともにモゾりとアレクシスが布団から顔を出した瞬間、さらに強い香りがエルバルトを覆った。
甘い香りは熱を孕み、全身が撫ですくめられたかのようにゾクリと痺れる。エルバルトは無意識のうちに口内にたまった唾液をゴクリと飲み込んだ。
「体が熱い……」
ぐったりとベッドに身を沈ませたアレクシスは苦し気で、月明かりに照らされた顔はじんわりと赤く染まり、金の瞳は溶けたように潤んでいる。その姿があまりにも艶めかしくて、さっきからなぜか熱を持ち始めた体が露骨に疼いた。
――アレクシス様は具合が悪いのに、何を考えているんだ。
煩悩を払うように頭を振り、水を取りにその場を離れようとすると、にわかに服の裾を引かれた。
「行くな、ここに、こっちに来い」
そうアレクシスが指し示したのは、自身の横、甘い香りが漂うベッドの中。
入りたいのはやまやまだが、なぜかさっきから体が疼いて仕方がない。このままアレクシスの側で横になれば、欲を押さえられないかもしれない。
アレクシスが吐き出す浅い息を奪い取り、首筋へと顔をうずめ、さっきから体を痺れさせる甘い香りを存分に吸い込みたい。
赤く火照る白い肌を余すところなく舐めすくめ、そのなかへと割入り、奥を穿ちたい。
そんな浅ましい欲望が頭を埋めていく。
やはり少し離れた方がいいと、少し待っていてほしいとアレクシスに告げるが、かたくなにつかんだ服の裾を離してくれない。
それどころか、アレクシスが口にしたのは思いもかけない言葉だった。
「体が熱いと言っているだろ……何とかしろ」
恨めし気にじろりと睨みつけたその金色の瞳は、エルバルトと同じように欲に濡れていた。
◆◆◆◆
「アレクシス様の様子がおかしい?」
突然エルバルトに呼ばれたというリシュカについて塔に向かう途中、美織はその理由を聞いていた。
ちなみにだが、美織は呼ばれていない。エルバルトは美織の聖女としての力には信頼を置いてくれているようだが、相変わらず気を許してくれるようなことはない。それどころか、ノリが癇に障る、と言われたことすらある。
今日も、街に視察へ出ようかとしていたところで塔に行くというリシュカに会い、じゃあ一緒に行く、と勝手についてきた次第だ。
こういうところが多分エルバルトは嫌なんだろうな、と察してはいるが、その主人であるアレクシスには拒否されないからいいのだ。
だって、そもそもエルバルトはアレクシス以外には完全なる塩対応。そんな人の反応なんて気にしているだけ無駄。
それに、エルバルトは基本溺愛スパダリ属性ではあるが、アレクシスへの愛が激重すぎて、一歩間違えば監禁ルートまっしぐらのヤンデレに変貌しかねない。そんなことになってはせっかく貴重な生腐が摂取できなく、ゲフンゲフン、師匠でもあるアレクシスが幸せになれない。メリバはバッドエンドとみなす派だ。
だからちゃんと間違った方向にいかないよう見守ることが、この世界に聖女として召喚されたもう一つの使命だと美織は密かに思っている。
その甲斐あってか(美織には絶対声はかからないが)、エルバルトは医官であるリシュカにはちゃんと頼る。今日もどうやら体調が思わしくないアレクシスのために、リシュカを呼び出したようだった。
「エルくんが言うには、ずっと熱がこもったような状態らしいわ」
「こもる?熱があるってことですか?」
「う~ん、それがよくわからなくて…。あ、あとなぜか甘い香りがするって」
甘い香り、だと……?
思わず美織は固まった。つい先日、オメガバースの妄想をしたばかりで、なんともタイムリーだ。
そして、はっとした。
美織の持つ力は制約も制限もない。想像力次第で何でもできるまさに神の力。
まさか、妄想を現実にすることも……?
そんなわけない、という焦りと、マジか、というワクワクが頭の中でせめぎ合っている。
――ごめんなさい、嘘です。ほぼワクワクが占めています。
正直口角が上を向こうとするのを止められない。
そんなもぞもぞと勝手に動く口元と戦っている美織の様子をレオンが凪いだ瞳で見ている。
出会ったばかりのころのレオンはちょっとチャラ目のイケメン王子様キャラだと思ったものだが、なぜか最近はその瞳に静けさを湛えたアルカイックスマイルがデフォルトの表情になりつつある。彫像にしたらさぞかし神々しいだろう。
でも、そんな遠い目をしながらもしっかりと美織のお守り、ならぬ護衛をしてくれているのだから、心の中では毎日拝んでいるのだよ。と感謝をバチンとウィンクで飛ばしてみたら、さらに目を細め、ふうっとため息をつかれてしまった。
でも、仕方がないではないか。
異世界召喚された聖女と、魔法。そして、魔導士と護衛騎士のカップル。ただでさえラノベ設定てんこ盛りの世界観にさらにオメガバースまで上乗せしてしまったら、それはもうこぼれいくら丼どころの騒ぎではない。
あっいくら食べたい。こっちの世界、生の魚介を食べる習慣がないからたまに恋しくなっちゃう。
そんな感じで脳内フィーバーを起こしていたらあっという間に塔についていた。
「エルくん、アレクシス様は?」
「二階で休んでいます。っていうか、なぜ聖女がいるんですか」
こんなふうに冷たい視線を投げかけてくることくらい予想通り。だから、美織はお決まりのセリフを返してやる。
「私がいた方が、何かと助かるかもしれませんよ?」
先にも言った通り、エルバルトは美織のことは好いていないが、聖女の力については信頼してくれている。それは、アレクシスを救った実績があるからだ。
だから、こういえばエルバルトは何も言い返せない。だって、エルバルトは最愛のアレクシスのためなら悪魔にだって魂を売るだろうから。
――って、私は悪魔じゃなくて聖女だわっ!
とセルフ突っ込みをしておこう。
案の定、エルバルトはものすごく嫌そうな顔をしたが、それ以上は何も言わず、リシュカの方へ向き直した。きっと美織はスルーすることにしたのだろう。
「とりあえず、リシュカさんと聖女だけ来てください」
レオンとリシュカの護衛騎士であるアーロンは絶対に部屋に入るな、とエルバルトが言いなした理由は、寝室にいたアレクシスの様子を見ればすぐにわかった。
汗に濡れる銀色の髪に、涙に潤んだ金色の瞳。それから、赤く火照った頬に、熱のこもった息を吐きだすためにかすかに開いた唇。首筋から鎖骨にかけて服の隙間から無数に見える赤い痣は間違いなくキスマークだろう。
そしてほのかに香る花のような甘い香り。今のアレクシスは『匂い立つ美しさ』を比喩じゃなく体現している。
そりゃあこんなアレクシスを他の男どもになんか見せられるわけがない。
「アレクシス様、少し触れますよ」
「ん……」
ため息のように漏れた力ない声がこれまた色っぽい。そんなあられもないアレクシスの様子に、さすがのリシュカも若干気まずそうな顔をしているが、そこはやはり医官。脈をとったり、熱を測ったりと、てきぱきとアレクシスの様子を確認していく。
でも、美織が見た印象としては、やはり“具合が悪い”という様子とは少し違う気がする。それはどうやら、診察を終えたリシュカも同じ考えのようだ。
「風邪とか、体の具合が悪いって感じではありませんね……なんでしょう、一番的確な表現としては……」
「発情って感じですね」
言いづらそうにしていたリシュカに代わってその答えを口にすると、エルバルトがぎゅっと眉をひそめた。
「二日前の夜からそんな感じだ。ずっとぼんやりしているし、少し収まったと思っても気が付けばまたこうなってしまう」
心配で仕方がないのに、と唇を噛むエルバルトの言葉の続きは想像に難くない。
だって、女の美織から見ても、今のアレクシスはとてつもなくエロい。もうそう表現する以外ない。
アレクシスを溺愛するエルバルトからしたら堪らないだろう。ムラムラしちゃって当然だ。
「それに、この香りはいったい何なのかしら」
それはフェロモンじゃないかな、と言いたい、言いたいが、まだ確証がない。もし本当にそうだとしても、軽々しく口にしたら怒られる気しかしない。
ついつい出そうになる言葉を頬に詰めながら唇を引き結んでいると、エルバルトから何してんだこいつ、というドン引きした視線を送られた。安定の嫌われっぷりだ。
その後、この二日間で口にしたものを確認したいというリシュカの言葉を受け、ひとまず一階にある台所へ行くことになったらしい。美織も一階に戻るように言われたが、アレクシスが心配だからと非常に渋るエルバルトを説き伏せて、一人寝室に残ることに成功した。
アレクシスはぼんやりとしているが、意識はある。鬼の居ぬ間に探りを入れなければ。
「アレクシス様、今どういう感じですか」
「どういう……とにかく熱い……」
もう何をしても色気がすごい。思わず赤面しそうにはなるが、アレクシスからする甘い匂いを嗅いでも、美織自身がムラムラするということは今のところない。
リシュカもそんな雰囲気はなかったから、この香りには発情を誘発するような効果はないのかもしれない。
それならやっぱりアレクシスはΩになったわけではないのだろうか。
いや、もしかしたらもう既にエルバルトと番になっているから、他の人にはフェロモンが利かないという可能性もあるのではないか。
思い至ったのならばすぐに確認が信条。行動力の塊である美織は、有無を言わさず首筋にかかるアレクシスの銀色の髪をかき上げ、うなじをのぞき込んだ。
「な、何をする?!」
「うっわぁ、こっちもすっご」
首筋の前面と同じようにうなじから背にかけて、服の隙間から見える範囲だけでもキスマークだらけ。さらには嚙み跡もいくつかある。だが、少し赤くなっている程度で、歯形が残るほどがっつりと噛まれたものはなさそう。
――うーん、微妙。
結局これまた確信は持てない。
美織が首をかしげながら唸る様子をアレクシスは訝し気に見ている。
でも、この疑惑をはっきりとさせるためには、もうはっきりと聞くほかない。決して好奇心が勝っているわけではないぞ。
「アレクシス様、ぶっちゃけ聞いてもいいですか」
「……なんだ?」
「今、すっごいムラムラしてる感じですか?」
「ムラムラ?」
なんだそれは、という顔をされたんだが。
美織の言語は神様の加護のおかげで自動翻訳されるが、いわゆる日本の若者言葉や、俗っぽい言葉はたまに翻訳されず、相手に首を傾げられることがある。完全に神様の怠慢だ。ちゃんと訳してほしい。
「う~ん……、めっちゃイチャイチャしたいって感じ」
「イチャイチャ…?」
イチャイチャもだめなんかい!オノマトペがだめなのだろうか。こちとら、聖女でピュアな女子高生なんだぞ。あまりに直接的な言葉を使わせないでほしいんだが。
「あーもう!性欲爆発してる感じですか?!」
「爆発?!何言ってるんだお前……」
綺麗な顔でドン引きするのやめてもらっていいですか。この主従は本当に美織に容赦がない。
でも口から出た言葉はもう取り戻せない。で、どうなんですか、と顎をしゃくってみせると、アレクシスはまだドン引きしたままだった視線を少し下げた。
「……爆発はしていない」
爆発は、していない。つまり、たぎってはいると。
体から発せられる甘い香りに、発情状態。状況証拠だけで行けばΩのヒートだと言ってもよさそうなものだが、やっぱり確信が薄い。
再びう~むと唸る美織に、アレクシスは胡乱気な視線を向けた。
「お前、なんか知ってるな?」
ドキッ!なんて心臓が漫画みたいな音を立てて跳ね上がる。笑ってごまかそうとしてみたが、じろりと美織を睨む金色の瞳は許してくれそうにない。
これはもう話すしかないのか。だとしたら、どう説明したらいいのか。
またまた唸っていると、唐突に起き上がったアレクシスが美織の両肩をガシッとつかんだ。
「おい、吐け。何を知っている」
「わわわ、アレクシス様、お、落ち着いて」
つかまれた両肩をガクガク揺らされては話すに話せない。
っていうか、結構元気だな。確かこの状態になったのは二日前だと言っていたから、もしかしたらそろそろ落ち着いてきたのかも。
そこでまたはっとした。
「アレクシス様!避妊しました?!」
「はぁ?!な、なにを、」
「大事なことです!」
そう、大事なことだ。なんせ、ヒート中のΩが避妊せずにαと致しちゃった場合、妊娠する確率はほぼ100%。
まだ、アレクシスのΩ化が確定したわけではないが、もしもの場合は備えなければならない。
今度は美織の方からアレクシスの両肩をガシッとつかみ、じいっと真剣なまなざしで見つめる。その勢いにアレクシスは完全にタジタジだ。
「し、してない……」
「ですよねぇ」
ただでさえ、エルバルトはアレクシスにぞっこんなのだ。こんなエロいアレクシスを前に避妊に気が回るほどの理性が保てるわけない。愚問でしかなかった。
そうなるとやはり妊娠している可能性が出てくる。
どうしよう、どう伝えればいいんだ。美織は思わず頭を抱えた。
でも悩んだところで、仕方がない。もし本当に美織の妄想が現実となってしまったのならば、これまでと同じように、いや、それ以上にサポートをしていけばいい。
美織は腐女子で、好奇心と行動力の塊。さらに、切替も早い。
そうして導き出した結論とともにアレクシスの両手をぎゅっと握った。
「安心してください。責任は取りますから!」
「何をどう取るつもりだ?」
扉が開く音とほぼ同時に響いた不機嫌な声の主に、すごい勢いで握っていた手を奪われた。もちろん、声の主は黒の騎士様である。
どうやら、キッチンでの調査を終え、リシュカを置いたまま一足先に寝室へ戻ってきたようだ。
美織を見るエルバルトはなぜか後ろにたっぷりと黒いオーラをまとっている。まぁたいていそうなのだが、それでもいつもより二割り増しくらいで怒っている気がする。
――ま、まさか私のせいだってばれて……?!
多少は慣れたとはいえ、ガチギレのエルバルトは本当に怖い。本当に怖いんだよ。
エルバルトの凍り付いてしまいそうなほど冷たい視線に全身から汗が噴き出る。
何か言わなければ。そうだ、責任、責任の取り方。
「あっ無痛分娩とか……!」
「やっぱりこれだったわ!」
神力で無痛分娩とかできるかもしんない、と思いついたことを口にした言葉は、ちょうど部屋に入ってきたリシュカの言葉と被り、部屋にいた全員が「えっ?!」という顔をする事態に。少しの沈黙が広がった後、とりあえず美織はリシュカの言葉を先に促すことにした。
「えっと、ちょうど二日前から飲んでるっていうお茶に催淫作用のある成分が含まれてたのよ」
どうやら今のアレクシスの状態は、香りも含め、そのお茶の成分に過剰反応してしまったせいではないかということらしい。
普通はここまで顕著な反応は出ないのだが、アレクシスはもともとアルコールや薬などの効果が必要以上に出やすい体質らしく、今回もそのせいではないかとのことだった。
と、いうことは。結局、今回のことの原因は美織の妄想のせいではなく、もちろんアレクシスはΩにもなっていなかったとことだ。
「な~んだぁ」
よかった、と一安心してふうっと息を吐くと、ゾクリと悪寒のようなものが走った。ギギギっと音を立てながら横を見ると、般若の手本のような顔のエルバルトが美織を見ている。なぜだ、と考えを巡らせ、はっとした。
その催淫効果のある成分が入っているらしいお茶。見覚えがあります。
「もしかして……それ、私が持ってきたやつです?」
そう、それは少し前に遠征のお土産として美織が持ってきたものだったのだ。
そういえば、それを買ったお店の人が、「これを飲ませりゃ、想い人もイチコロさ☆」とか言っていたような。ちょっと待って、つまりはそのくらいおいしいよって意味だと思っていた。ガチの意味でイチコロにさせちゃうなんて思ってなかった。
だからわざとではない。決して、絶対にわざとではない!
「とりあえずはさっき言ったことも含めていろいろ説明してもらおうか?」
おまけに、リシュカの言葉でかき消してもらえたと思っていた言葉はしっかりと般若様には届いていたようだ。にっこり、と笑った顔がちびりそうなほどに怖い。
よし、こういう時は逃げよう。
「たーいへん、用事を思い出しちゃった!レオンさん、帰りますよ!」
「待て!」
今度、リシュカにはちゃんと話そう。そうすれば、そこを経由してきっとアレクシスにも伝わる。
結局は特大の雷を食らうことになるんだろうけど。
――でも、やっぱり、ちょっとだけ残念だったかな?
そうして、美織に雷が落ちたころには無事茶葉の効果は消え、アレクシスは元に戻っていた。
だが、この時アレクシスとエルバルトは思いもしなかった。
数か月後、王都で二人をモデルにした小説が密かに大流行することを。
「うーん、タイトルはどうしようかなぁ。そうだ!」
『魔導士Ωはαの騎士様に溺愛されています』
END
お読みいただきありがとうございました!
<おまけ>
美織「あのお茶って、結局どうしたんですか?」
エル「…………捨てた」
アレ「なんか間がなかったか?」
エル「気のせいです」
「かぁわいい~~~~~」
ため息とともに見つめたその先にいるのは、三カ月ほど前に生まれたラナルドの長男だ。
誕生後、家が少し落ち着いたであろう時を見計らい、美織と美織の護衛騎士であるレオン、リシュカとその護衛騎士であるアーロン、そしてアレクシスとエルバルトという今やもうお馴染みのメンツで、赤ちゃんに会いにやってきていた。
エルバルトからしたら甥にあたるのだから、もう既に会っているかと思いきや、「なぜわざわざ会いにくる必要が?」といぶかしげな顔をされた。相変わらずアレクシス以外に興味がないらしい。今日だってアレクシスが行くと言わなければ、絶対に来なかっただろう。
それにしても、赤ちゃんというものがこれほどまでにかわいいものだとは思わなかった。ただただもぞもぞと動いているだけなのに、悶えてしまうほどにかわいいってすごい。
美織の隣でベビーベッドに寝かされた赤ちゃんを興味深そうに見つめるアレクシスですらも表情が緩んでいるから、その認識はきっと万人共通だ。まぁその後ろに立つ黒の騎士様はそんなアレクシスを見て目を細めているのだけれど。
きっと、赤ちゃんを見て微笑むアレクシスはとてもかわいい。でも、そんなふうに優しく他人を見つめて欲しくはない、なんて複雑な感情を抱えているのだろう。
あんたの甥でしょうが、と言いたくなるが、きっとアレクシスはアレクシスで、エルバルトに似ているなぁなんて思いながら赤ちゃんを見ている。結局はただのバカップルなのである。
でも、美織は気づいてしまった。
「瞳は紺色なんだな」
そうつぶやいたアレクシスが少し寂しげな顔をしたことに。
あぁこれは、もしエルバルトが子を持っていたら碧い瞳の子が生まれたのだろうか。なんて考えてしまったのかもしれない。
この世界には魔法はあるが、男性が妊娠できる、なんて美織が元居た世界で愛読していた小説にありがちなご都合主義のものは残念ながらない。
でも、つい想像してしまう。この二人ならやっぱりあれでしょう。
今やBL界の金字塔的存在。そう、オメガバース!
抗えない本能に翻弄されながらも、互いを求めずにはいられない、そんな切なくも淫靡な世界観が美織は大好きだった。元居た世界では、オメガバースを題材にした漫画やら小説やらをひたすらに読み漁ったものだ。
もしそれをこの二人に当てはめるなら、当然エルバルトがαで、アレクシスはΩ。
――俗世を捨て、塔に一人で暮らすΩの魔導士と偶然出会ったαの騎士。二人は運命の番だった。本能に翻弄されながらも心を寄せ合っていくが、国を背負う立場であったΩの魔導士はなかなかαの騎士の手を取れない。
そのうち、Ωの魔導士を我がものにせんとする王子様(これはやっぱりヴィンフリートが適任だな)なんかも出てきたりするが、すったもんだの末、最終的には互いに唯一だと認め合って結ばれる――
こんな感じでどうだろうか。ちょっと考えただけでも創作という名の妄想が止まらない。
本当に書いてみたら結構売れそうだな、なんて現金な考えも含めた考えが顔に出ていたのだろう。美織を見ていたレオンがチベットスナギツネのような顔をしている。でも所詮はイケメン。どんな顔をしようが目の保養にしかならない。
まぁ妄想は妄想に留めておくとして、それとは別に体を張って国を守ったアレクシスと、それを支えたエルバルトなにかご褒美があってもいいのではないか、と美織は常々思っている。
――そう思いませんか?ねぇ神様。
この時、美織は思ってもみなかった。
自分の妄想がのちにあんな騒動を起こすことになろうとは。
◆◆◆◆
夕食に使った食器を洗い終え、生ごみもまとめた。ダイニングテーブルもしっかりときれいに拭き上げ、ソファの周辺に散らばった本も片づけた。
これで一日の最後に行うエルバルトの家事仕事は終わり。もう一度手をきれいに洗い、エルバルトは寝室へと急いだ。
いつもなら、家事をするエルバルトを横目に、アレクシスはソファに転がって本を読むか、うとうととしているのだが、今日は「なんかだるい」と言って先に一人で寝室へと行ってしまった。
王都を守る結解を維持するために宿した建国の魔導士の魔力のせいで減り続けるアレクシスの魔力は、エルバルトが補填することで今のところは問題なく安定している。
だが、いつ、何が起こるかわからない。少しの不調でも心配で仕方がないのに、寝室へとついていこうとしたら「大丈夫だからちゃんと終わらせてからこい」、なんて言われしまった。
家事なんて明日でもいいのに、とは思うが、ここで無理についていくと、『俺の言うことが信じられないのか』と非常に機嫌を損ねてしまう。
アレクシスの身体のことは本人が一番わかっている。だから、アレクシスが大丈夫だというなら、大丈夫。決して強がっているわけでもない。そんなことエルバルトだってわかっている。
でも、だからと言って心配するな、というのは無理な話だ。
だって、エルバルトにとってアレクシスは命に代えてでも守ると誓った、最愛の人なのだから。
急く心をなだめつつ、静かに寝室のドアを開く。
その瞬間、花のような甘い香りが鼻をくすぐった。
――なんの香りだ?
嗅いだことのない香りに誘われるがまま部屋に足を踏み入れる。アレクシスのいるベッドに近づくにつれ、その香りは強さを増していくように感じた。
もう眠ってしまっただろうかとベッドをのぞき込むと、アレクシスは布団へと潜り込み、丸くなっていた。
その丸い塊はせわしなく上下に動き、それと同じ速度でアレクシスの荒い息遣いが聞こえてくる。
やはり具合が悪そうだ。エルバルトはそっとその塊に手を添えた。
「アレクシス様、大丈夫ですか?」
「エル……」
弱弱しい声とともにモゾりとアレクシスが布団から顔を出した瞬間、さらに強い香りがエルバルトを覆った。
甘い香りは熱を孕み、全身が撫ですくめられたかのようにゾクリと痺れる。エルバルトは無意識のうちに口内にたまった唾液をゴクリと飲み込んだ。
「体が熱い……」
ぐったりとベッドに身を沈ませたアレクシスは苦し気で、月明かりに照らされた顔はじんわりと赤く染まり、金の瞳は溶けたように潤んでいる。その姿があまりにも艶めかしくて、さっきからなぜか熱を持ち始めた体が露骨に疼いた。
――アレクシス様は具合が悪いのに、何を考えているんだ。
煩悩を払うように頭を振り、水を取りにその場を離れようとすると、にわかに服の裾を引かれた。
「行くな、ここに、こっちに来い」
そうアレクシスが指し示したのは、自身の横、甘い香りが漂うベッドの中。
入りたいのはやまやまだが、なぜかさっきから体が疼いて仕方がない。このままアレクシスの側で横になれば、欲を押さえられないかもしれない。
アレクシスが吐き出す浅い息を奪い取り、首筋へと顔をうずめ、さっきから体を痺れさせる甘い香りを存分に吸い込みたい。
赤く火照る白い肌を余すところなく舐めすくめ、そのなかへと割入り、奥を穿ちたい。
そんな浅ましい欲望が頭を埋めていく。
やはり少し離れた方がいいと、少し待っていてほしいとアレクシスに告げるが、かたくなにつかんだ服の裾を離してくれない。
それどころか、アレクシスが口にしたのは思いもかけない言葉だった。
「体が熱いと言っているだろ……何とかしろ」
恨めし気にじろりと睨みつけたその金色の瞳は、エルバルトと同じように欲に濡れていた。
◆◆◆◆
「アレクシス様の様子がおかしい?」
突然エルバルトに呼ばれたというリシュカについて塔に向かう途中、美織はその理由を聞いていた。
ちなみにだが、美織は呼ばれていない。エルバルトは美織の聖女としての力には信頼を置いてくれているようだが、相変わらず気を許してくれるようなことはない。それどころか、ノリが癇に障る、と言われたことすらある。
今日も、街に視察へ出ようかとしていたところで塔に行くというリシュカに会い、じゃあ一緒に行く、と勝手についてきた次第だ。
こういうところが多分エルバルトは嫌なんだろうな、と察してはいるが、その主人であるアレクシスには拒否されないからいいのだ。
だって、そもそもエルバルトはアレクシス以外には完全なる塩対応。そんな人の反応なんて気にしているだけ無駄。
それに、エルバルトは基本溺愛スパダリ属性ではあるが、アレクシスへの愛が激重すぎて、一歩間違えば監禁ルートまっしぐらのヤンデレに変貌しかねない。そんなことになってはせっかく貴重な生腐が摂取できなく、ゲフンゲフン、師匠でもあるアレクシスが幸せになれない。メリバはバッドエンドとみなす派だ。
だからちゃんと間違った方向にいかないよう見守ることが、この世界に聖女として召喚されたもう一つの使命だと美織は密かに思っている。
その甲斐あってか(美織には絶対声はかからないが)、エルバルトは医官であるリシュカにはちゃんと頼る。今日もどうやら体調が思わしくないアレクシスのために、リシュカを呼び出したようだった。
「エルくんが言うには、ずっと熱がこもったような状態らしいわ」
「こもる?熱があるってことですか?」
「う~ん、それがよくわからなくて…。あ、あとなぜか甘い香りがするって」
甘い香り、だと……?
思わず美織は固まった。つい先日、オメガバースの妄想をしたばかりで、なんともタイムリーだ。
そして、はっとした。
美織の持つ力は制約も制限もない。想像力次第で何でもできるまさに神の力。
まさか、妄想を現実にすることも……?
そんなわけない、という焦りと、マジか、というワクワクが頭の中でせめぎ合っている。
――ごめんなさい、嘘です。ほぼワクワクが占めています。
正直口角が上を向こうとするのを止められない。
そんなもぞもぞと勝手に動く口元と戦っている美織の様子をレオンが凪いだ瞳で見ている。
出会ったばかりのころのレオンはちょっとチャラ目のイケメン王子様キャラだと思ったものだが、なぜか最近はその瞳に静けさを湛えたアルカイックスマイルがデフォルトの表情になりつつある。彫像にしたらさぞかし神々しいだろう。
でも、そんな遠い目をしながらもしっかりと美織のお守り、ならぬ護衛をしてくれているのだから、心の中では毎日拝んでいるのだよ。と感謝をバチンとウィンクで飛ばしてみたら、さらに目を細め、ふうっとため息をつかれてしまった。
でも、仕方がないではないか。
異世界召喚された聖女と、魔法。そして、魔導士と護衛騎士のカップル。ただでさえラノベ設定てんこ盛りの世界観にさらにオメガバースまで上乗せしてしまったら、それはもうこぼれいくら丼どころの騒ぎではない。
あっいくら食べたい。こっちの世界、生の魚介を食べる習慣がないからたまに恋しくなっちゃう。
そんな感じで脳内フィーバーを起こしていたらあっという間に塔についていた。
「エルくん、アレクシス様は?」
「二階で休んでいます。っていうか、なぜ聖女がいるんですか」
こんなふうに冷たい視線を投げかけてくることくらい予想通り。だから、美織はお決まりのセリフを返してやる。
「私がいた方が、何かと助かるかもしれませんよ?」
先にも言った通り、エルバルトは美織のことは好いていないが、聖女の力については信頼してくれている。それは、アレクシスを救った実績があるからだ。
だから、こういえばエルバルトは何も言い返せない。だって、エルバルトは最愛のアレクシスのためなら悪魔にだって魂を売るだろうから。
――って、私は悪魔じゃなくて聖女だわっ!
とセルフ突っ込みをしておこう。
案の定、エルバルトはものすごく嫌そうな顔をしたが、それ以上は何も言わず、リシュカの方へ向き直した。きっと美織はスルーすることにしたのだろう。
「とりあえず、リシュカさんと聖女だけ来てください」
レオンとリシュカの護衛騎士であるアーロンは絶対に部屋に入るな、とエルバルトが言いなした理由は、寝室にいたアレクシスの様子を見ればすぐにわかった。
汗に濡れる銀色の髪に、涙に潤んだ金色の瞳。それから、赤く火照った頬に、熱のこもった息を吐きだすためにかすかに開いた唇。首筋から鎖骨にかけて服の隙間から無数に見える赤い痣は間違いなくキスマークだろう。
そしてほのかに香る花のような甘い香り。今のアレクシスは『匂い立つ美しさ』を比喩じゃなく体現している。
そりゃあこんなアレクシスを他の男どもになんか見せられるわけがない。
「アレクシス様、少し触れますよ」
「ん……」
ため息のように漏れた力ない声がこれまた色っぽい。そんなあられもないアレクシスの様子に、さすがのリシュカも若干気まずそうな顔をしているが、そこはやはり医官。脈をとったり、熱を測ったりと、てきぱきとアレクシスの様子を確認していく。
でも、美織が見た印象としては、やはり“具合が悪い”という様子とは少し違う気がする。それはどうやら、診察を終えたリシュカも同じ考えのようだ。
「風邪とか、体の具合が悪いって感じではありませんね……なんでしょう、一番的確な表現としては……」
「発情って感じですね」
言いづらそうにしていたリシュカに代わってその答えを口にすると、エルバルトがぎゅっと眉をひそめた。
「二日前の夜からそんな感じだ。ずっとぼんやりしているし、少し収まったと思っても気が付けばまたこうなってしまう」
心配で仕方がないのに、と唇を噛むエルバルトの言葉の続きは想像に難くない。
だって、女の美織から見ても、今のアレクシスはとてつもなくエロい。もうそう表現する以外ない。
アレクシスを溺愛するエルバルトからしたら堪らないだろう。ムラムラしちゃって当然だ。
「それに、この香りはいったい何なのかしら」
それはフェロモンじゃないかな、と言いたい、言いたいが、まだ確証がない。もし本当にそうだとしても、軽々しく口にしたら怒られる気しかしない。
ついつい出そうになる言葉を頬に詰めながら唇を引き結んでいると、エルバルトから何してんだこいつ、というドン引きした視線を送られた。安定の嫌われっぷりだ。
その後、この二日間で口にしたものを確認したいというリシュカの言葉を受け、ひとまず一階にある台所へ行くことになったらしい。美織も一階に戻るように言われたが、アレクシスが心配だからと非常に渋るエルバルトを説き伏せて、一人寝室に残ることに成功した。
アレクシスはぼんやりとしているが、意識はある。鬼の居ぬ間に探りを入れなければ。
「アレクシス様、今どういう感じですか」
「どういう……とにかく熱い……」
もう何をしても色気がすごい。思わず赤面しそうにはなるが、アレクシスからする甘い匂いを嗅いでも、美織自身がムラムラするということは今のところない。
リシュカもそんな雰囲気はなかったから、この香りには発情を誘発するような効果はないのかもしれない。
それならやっぱりアレクシスはΩになったわけではないのだろうか。
いや、もしかしたらもう既にエルバルトと番になっているから、他の人にはフェロモンが利かないという可能性もあるのではないか。
思い至ったのならばすぐに確認が信条。行動力の塊である美織は、有無を言わさず首筋にかかるアレクシスの銀色の髪をかき上げ、うなじをのぞき込んだ。
「な、何をする?!」
「うっわぁ、こっちもすっご」
首筋の前面と同じようにうなじから背にかけて、服の隙間から見える範囲だけでもキスマークだらけ。さらには嚙み跡もいくつかある。だが、少し赤くなっている程度で、歯形が残るほどがっつりと噛まれたものはなさそう。
――うーん、微妙。
結局これまた確信は持てない。
美織が首をかしげながら唸る様子をアレクシスは訝し気に見ている。
でも、この疑惑をはっきりとさせるためには、もうはっきりと聞くほかない。決して好奇心が勝っているわけではないぞ。
「アレクシス様、ぶっちゃけ聞いてもいいですか」
「……なんだ?」
「今、すっごいムラムラしてる感じですか?」
「ムラムラ?」
なんだそれは、という顔をされたんだが。
美織の言語は神様の加護のおかげで自動翻訳されるが、いわゆる日本の若者言葉や、俗っぽい言葉はたまに翻訳されず、相手に首を傾げられることがある。完全に神様の怠慢だ。ちゃんと訳してほしい。
「う~ん……、めっちゃイチャイチャしたいって感じ」
「イチャイチャ…?」
イチャイチャもだめなんかい!オノマトペがだめなのだろうか。こちとら、聖女でピュアな女子高生なんだぞ。あまりに直接的な言葉を使わせないでほしいんだが。
「あーもう!性欲爆発してる感じですか?!」
「爆発?!何言ってるんだお前……」
綺麗な顔でドン引きするのやめてもらっていいですか。この主従は本当に美織に容赦がない。
でも口から出た言葉はもう取り戻せない。で、どうなんですか、と顎をしゃくってみせると、アレクシスはまだドン引きしたままだった視線を少し下げた。
「……爆発はしていない」
爆発は、していない。つまり、たぎってはいると。
体から発せられる甘い香りに、発情状態。状況証拠だけで行けばΩのヒートだと言ってもよさそうなものだが、やっぱり確信が薄い。
再びう~むと唸る美織に、アレクシスは胡乱気な視線を向けた。
「お前、なんか知ってるな?」
ドキッ!なんて心臓が漫画みたいな音を立てて跳ね上がる。笑ってごまかそうとしてみたが、じろりと美織を睨む金色の瞳は許してくれそうにない。
これはもう話すしかないのか。だとしたら、どう説明したらいいのか。
またまた唸っていると、唐突に起き上がったアレクシスが美織の両肩をガシッとつかんだ。
「おい、吐け。何を知っている」
「わわわ、アレクシス様、お、落ち着いて」
つかまれた両肩をガクガク揺らされては話すに話せない。
っていうか、結構元気だな。確かこの状態になったのは二日前だと言っていたから、もしかしたらそろそろ落ち着いてきたのかも。
そこでまたはっとした。
「アレクシス様!避妊しました?!」
「はぁ?!な、なにを、」
「大事なことです!」
そう、大事なことだ。なんせ、ヒート中のΩが避妊せずにαと致しちゃった場合、妊娠する確率はほぼ100%。
まだ、アレクシスのΩ化が確定したわけではないが、もしもの場合は備えなければならない。
今度は美織の方からアレクシスの両肩をガシッとつかみ、じいっと真剣なまなざしで見つめる。その勢いにアレクシスは完全にタジタジだ。
「し、してない……」
「ですよねぇ」
ただでさえ、エルバルトはアレクシスにぞっこんなのだ。こんなエロいアレクシスを前に避妊に気が回るほどの理性が保てるわけない。愚問でしかなかった。
そうなるとやはり妊娠している可能性が出てくる。
どうしよう、どう伝えればいいんだ。美織は思わず頭を抱えた。
でも悩んだところで、仕方がない。もし本当に美織の妄想が現実となってしまったのならば、これまでと同じように、いや、それ以上にサポートをしていけばいい。
美織は腐女子で、好奇心と行動力の塊。さらに、切替も早い。
そうして導き出した結論とともにアレクシスの両手をぎゅっと握った。
「安心してください。責任は取りますから!」
「何をどう取るつもりだ?」
扉が開く音とほぼ同時に響いた不機嫌な声の主に、すごい勢いで握っていた手を奪われた。もちろん、声の主は黒の騎士様である。
どうやら、キッチンでの調査を終え、リシュカを置いたまま一足先に寝室へ戻ってきたようだ。
美織を見るエルバルトはなぜか後ろにたっぷりと黒いオーラをまとっている。まぁたいていそうなのだが、それでもいつもより二割り増しくらいで怒っている気がする。
――ま、まさか私のせいだってばれて……?!
多少は慣れたとはいえ、ガチギレのエルバルトは本当に怖い。本当に怖いんだよ。
エルバルトの凍り付いてしまいそうなほど冷たい視線に全身から汗が噴き出る。
何か言わなければ。そうだ、責任、責任の取り方。
「あっ無痛分娩とか……!」
「やっぱりこれだったわ!」
神力で無痛分娩とかできるかもしんない、と思いついたことを口にした言葉は、ちょうど部屋に入ってきたリシュカの言葉と被り、部屋にいた全員が「えっ?!」という顔をする事態に。少しの沈黙が広がった後、とりあえず美織はリシュカの言葉を先に促すことにした。
「えっと、ちょうど二日前から飲んでるっていうお茶に催淫作用のある成分が含まれてたのよ」
どうやら今のアレクシスの状態は、香りも含め、そのお茶の成分に過剰反応してしまったせいではないかということらしい。
普通はここまで顕著な反応は出ないのだが、アレクシスはもともとアルコールや薬などの効果が必要以上に出やすい体質らしく、今回もそのせいではないかとのことだった。
と、いうことは。結局、今回のことの原因は美織の妄想のせいではなく、もちろんアレクシスはΩにもなっていなかったとことだ。
「な~んだぁ」
よかった、と一安心してふうっと息を吐くと、ゾクリと悪寒のようなものが走った。ギギギっと音を立てながら横を見ると、般若の手本のような顔のエルバルトが美織を見ている。なぜだ、と考えを巡らせ、はっとした。
その催淫効果のある成分が入っているらしいお茶。見覚えがあります。
「もしかして……それ、私が持ってきたやつです?」
そう、それは少し前に遠征のお土産として美織が持ってきたものだったのだ。
そういえば、それを買ったお店の人が、「これを飲ませりゃ、想い人もイチコロさ☆」とか言っていたような。ちょっと待って、つまりはそのくらいおいしいよって意味だと思っていた。ガチの意味でイチコロにさせちゃうなんて思ってなかった。
だからわざとではない。決して、絶対にわざとではない!
「とりあえずはさっき言ったことも含めていろいろ説明してもらおうか?」
おまけに、リシュカの言葉でかき消してもらえたと思っていた言葉はしっかりと般若様には届いていたようだ。にっこり、と笑った顔がちびりそうなほどに怖い。
よし、こういう時は逃げよう。
「たーいへん、用事を思い出しちゃった!レオンさん、帰りますよ!」
「待て!」
今度、リシュカにはちゃんと話そう。そうすれば、そこを経由してきっとアレクシスにも伝わる。
結局は特大の雷を食らうことになるんだろうけど。
――でも、やっぱり、ちょっとだけ残念だったかな?
そうして、美織に雷が落ちたころには無事茶葉の効果は消え、アレクシスは元に戻っていた。
だが、この時アレクシスとエルバルトは思いもしなかった。
数か月後、王都で二人をモデルにした小説が密かに大流行することを。
「うーん、タイトルはどうしようかなぁ。そうだ!」
『魔導士Ωはαの騎士様に溺愛されています』
END
お読みいただきありがとうございました!
<おまけ>
美織「あのお茶って、結局どうしたんですか?」
エル「…………捨てた」
アレ「なんか間がなかったか?」
エル「気のせいです」
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