星の降る日は

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5. 月の明るい夜は

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 エルバルトが大けがを負ってから二年の時が立ち、本年の討伐遠征を終えた騎士団の凱旋に、王都フィーレンは大いに沸いていた。
「見えたぞ! 騎士団だ!」
 騎士団の行列は、民衆の歓声に包まれながら、王都の南方にある王宮を目指し進んでいく。
 その行列の中に、黒馬に乗り、漆黒に輝く甲冑を身に着けた黒髪碧眼の騎士を見つけると、民衆はひときわ大きな歓声を上げた。
 だが、エルバルトは民衆には微塵の興味を示さず、深い海のような碧眼を前にだけ向け馬を進める。
「おいエルバルト、そんなに急がなくてもいいだろ。民は黒の騎士様を拝めるのを楽しみに集まっているんだから」
 黒馬の一つ後ろの位置から民衆に手を振っていた金髪の騎士、レオン・アーベルは、自らが乗る栗毛の馬を前に寄せ、足早に進む黒馬の主、エルバルトの鼻筋の通った横顔に耳打った。
 黒の騎士、金の騎士とそれぞれが呼ばれ、実力も、国民からの人気も高い騎士二人が横に並んだことで、民衆の歓声はさらに大きくなる。
 レオンはその歓声に手を振ってこたえるが、エルバルトは相変わらず前を見据えたまま無言である。レオンは肩をすくめ、大げさにため息をついて見せた。
「そんなに早く帰りたいかねぇ」
 当然だというがごとく、横並びだった位置から黒馬をさらに先に進めるエルバルトに、レオンはやれやれ、と再度ため息をつく。
 ところが、これまで民衆を一瞥もしなかったエルバルトが急に視線を横にやり、速度を緩めた。
「どうかしたか?」
 エルバルトの視線の先には、国民の憧れである黒の騎士様から急に目線を送られ、耳をつんざくような悲鳴を上げる街の女性たちがいるだけのように見える。
「おい、隊列を乱すな!」
 レオンの後ろに位置していた赤毛の騎士、オスカー・イステルが怒鳴り声をあげた。
「お前はいつ怒ってばっかりだな」
 レオンは軽くあしらうが、逆効果でしかない。そんな二人のいつものやり取りを無視し、エルバルトは視線を前に戻してまた足早に黒馬を進めた。


「ケガはないようだな…」
 窓からも道からもあふれる民衆から隠れるように黒いマント頭からを被り、暗く狭い路地から、アレクシスは歓声の中心を進む黒の騎士を見つめる。
 エルバルトが王都を発ったのは一カ月前のまだ強い日差しが街を爛爛と照り付ける頃であった。
 それが今では街に差し込む日差しは柔らかさを含み、心地よい風が吹く。
 今回の討伐は以前より少し期間が長かった。
 魔獣の数は少ないと言っていたから、強い奴がいたか…アレクシスは出立前にエルバルトと交わした会話を思い出していた。


「前回は二週間ほどだったな。今回もそのくらいか?」
「どうでしょうか…、数は少ないと聞いていますが、討伐期間は数よりも魔獣が持つ力によりますからね」
 食卓に向かい合い、エルバルトが作ったスープを口に運こぶ。アレクシスはふーん、と気にもかけない様子でパンに手を伸ばす。
「俺がいなくても、ちゃんとご飯食べてくださいね」
 そう言ってエルバルトは手を伸ばし、顎の先あたりまで伸びたアレクシスの銀の髪をそっと耳にかけ、指で口元についたスープをぬぐった。
「あなたはすぐに自分をないがしろにするから…」
 スープをぬぐった指をなめ、アレクシスに向けた眼差しには不安が灯っている。
「俺の心配をしている場合じゃないだろ。前に大けがして帰ってきたのは誰だったか」
 二年前、騎士となって三度目の討伐で、エルバルトは同僚の騎士を庇い大けがを負った。
 それ以降は鍛錬を重ね、この国最強の騎士とまで呼ばれるようになったが、今でもアレクシスはその時のことをからかうように口にする。
 不満を隠さず口をとがらせるアレクシスに、エルバルトはまた手を伸ばしてそっと髪をなでた。
「もうあんなヘマはしませんよ。だって、あなたを独りにはできませんから」
 そう優しく微笑むエルバルトに、アレクシスは何も言い返すことができなかった。


 騎士団の凱旋に沸く民衆のボルテージは黒の騎士の登場により最高潮に達していた。
 そろそろ戻ろうとアレクシスはその熱気に背を向け、自身が住まう塔へと歩みを戻す。普段から塔にこもりっきりで人と接することの少ないアレクシスは、群衆の熱に当てられ、重くなった体を引きずりながらも何とか塔の部屋にたどり着き、ぐったりとソファに倒れこんだ。
 騎士団はこれから王宮で今回の討伐の報告を行う。その次の日には無事の帰還を祝う祝賀パーティが開かれるだろう。
 そうなるとエルバルトがここに戻って来るのは早くても明日か、明後日。
 先ほどちらりと見えた黒の騎士の端正な横顔を思い浮かべながらアレクシスは瞼を閉じた。


 目を覚ますと辺りはすでには闇に染まっていた。
 ソファで寝ていたはずのアレクシスは、いつの間にかベッドに移動している。それはアレクシスを包むこの精鍛な男の仕業だろう。

 ――なんでいるんだよ…。

 アレクシスは起き上がろうとするが、その華奢な体を拘束するように乗せられた逞しい腕や足がそれを許さない。
 抵抗をあきらめ、月明りに照らされ美しく光る黒髪に手を伸ばす。髪を撫でる手が、少しだけ痩せたように見える頬に差し掛かかると月明かりが揺れた。
「起きましたか」
 長い睫毛に縁どられた瞳の中にある碧色は、月明りの中で見ると闇夜の海のように深い。アレクシスはその美しい海の中に沈むように、エルバルトの胸に顔をうずめた。
「今日戻って来るとは思わなかった」
 まだ少しぼんやりとしたままのエルバルトはアレクシスの髪にキスを落としていく。
「今日、街にいたでしょう」
 予想していなかった返答にアレクシスがガバっと顔を上げると、そこには前と変わらぬ優しい眼差しがあった。
「人混みは苦手なのに無理して……。急いで来たら、案の定倒れてるし……」
 エルバルトは心配そうな顔でアレクシスの髪をなで、その手を頬に添える。その指は細く長いが、ごつごつとした剣を扱う騎士の手だ。
「倒れてない。寝ていただけだ」
 いたずらが見つかった子供のように拗ねた顔をするが、それでもアレクシスは頬に添えられた手にすり寄り、素直にエルバルトに甘えた。すると、アレクシスを抱きしめる腕に力がこもった。
「寂しくありませんでしたか?」
 アレクシスは今度こそ拘束を解いて自由になった体ごとエルバルトの上に乗っかり、上から顔を見下ろした。
 逞しく鍛えられた体は、華奢なアレクシスが乗ったところでびくともしない。
「寂しかったのはお前だろう?」
 その金色の瞳を光らせ、不遜気に言い放つアレクシスの姿は眩暈を覚えるほど美しくて、エルバルトは目を細めた。
「そうですね……会いたくておかしくなりそうだった」
 離れていた時間を埋めるように二人は唇を重ねた。


 自身にとって五回目の魔獣討伐遠征終え、昨日塔に戻ったばかりのエルバルトは、今日一日をアレクシスが荒らした部屋の掃除に費やした。
「アレクシス様、ソファで寝ると風邪をひいてしまいますよ。寝るならベッドに行きましょう」
「んー……」
 すっかりきれいになった部屋のソファで本を読んだままウトウトとするアレクシスをエルバルトは抱きかかえ寝室へと運んでいく。こうするのはいつものことだが、一カ月ぶりかと思うと余計に愛おしさが増す。エルバルトはアレクシスを抱える腕に力を入れ、ぎゅっと自分に引き寄せた。

「アレクシス様、おやすみなさい」
 アレクシスをベッドにおろして額にキスをするとエルバルトはそのまま立ち上がろうとしたが、アレクシスに服の裾を引かれた。
「ここで寝ればいいだろ」
「……いえ、自分の部屋に戻ります」
「どうして」
「えっと…二人で眠るにはこのベッドは小さいですし、アレクシス様の邪魔にはなりたくないので…」
 アレクシスとエルバルトの寝室は別にある。でも、以前はこうして抱きかかえてベッドに運んだあとはそのままエルバルトもアレクシスのベッドで眠ることがほとんどだった。
 だが、最近のエルバルトはいろいろ理由を付け、自室に戻っている。
「昨日はここで寝ていただろ」
「そ、それはさすがに疲れていて……」
 昨日、遠征から帰還したエルバルトは、その足ですぐに塔に戻った。
 すると、案の定アレクシスはソファで眠っていた。だからいつものように抱えてベッドに運んだのだが、久々に会えた最愛の人からなかなか離れられず、そのまま一緒に眠ってしまったのだ。
「昨日はよくて今日はダメな理由はなんだ」
「うっダメってわけじゃないんですけど……」

 もう五年も一緒に暮らし、ハグもすればキスもするのに、二人の関係には明確な名がない。
 あえて言うなら、塔の主とその世話人、良くて同居人だ。
 だから何となく、これ以上のことを求めることは躊躇われ、一線を引くためにも一緒に寝るのはやめよう、とエルバルトは少し前に心に決めたばかりだった。
 エルバルトがアレクシスに向ける想いも、決して一方通行ではないことは二年前のあの出来事でわかっている。
 それでも、自分の想いとアレクシスの想いでは違いがあるような気がして、どうしてもあと一歩が踏み出せずにいた。
 とは言え、アレクシスからの“お願い”を拒むこともできない。だからせめてもの抵抗としてなるべくアレクシスに触れないよう、エルバルトは大きな体をベッドの端に寄せて横になった。
 だが、そんなエルバルトの心の機微を、この美しい銀髪の小悪魔は少しも考慮してくれない。
「なんでそんな端にいるんだ」
「えっいや…なるべくアレクシス様の邪魔にならないようにと思って」
「昨日とは違ってずいぶんしおらしいな」
 エルバルトの気持ちなどお構いなしに、アレクシスは昨日と同じようにひょいっとエルバルトの上に乗っかった。
 いつもは見下ろすことの多いアレクシスの美しい顔を見上げるのは悪くないが、この体勢はあまりよろしくない。密着度が高すぎる。
 窓から差し込む月の光に照らされ、アレクシスの美しい銀の髪が透けて見えた。
「あの、アレクシス様……降りてください」
「嫌だ」
 そう言ってエルバルトの逞しい胸に顔をうずめるアレクシスに、落ち着かない鼓動に気が付かれないか気が気ではない。
「何がダメなんだ」
「えっ?」
「何時もあれだけベタベタ触ってくるくせに、なんで一緒に寝るのはダメなんだ」
 エルバルトはいつもことあるごとにアレクシスを抱きしめ、隙あらばキスをする。確かにアレクシスからすれば、それはよくてなぜこれはダメなのか、と思うかもしれない。でも、エルバルトにとっては全然違うのだ。
 こういう些細な感覚の違いが、エルバルトの思いを留まらせる理由の一つでもある。
 そんな説明のしようがない感情に口を噤むしかないエルバルトを置き去りにして、アレクシスは珍しく甘えた声を出した。
「俺は一緒に寝たい。なぁいいだろう…? エル」

 今までどんなにねだってもアレクシスは、『おい』、とか、『お前』、とかで頑なにエルバルトの名を呼ばなかった。
 それなのに、ここで手札として切ってきた。
 最強の一手にぎゅうっと胸が締め付けらる。
 エルバルトは勢いよく起き上ってアレクシスを自分の胸の上からおろし、押し倒してキスで口を塞いだ。
「んっ…何をいきなり……」
「俺だって一緒に寝たいですよ……! でも、俺が、何を考えているかなんてあなたは知らないでしょう? 俺は…『ただ一緒に寝るだけ』なんて、無理なんです」

 エルバルトの切実な物言いに、アレクシスはハッとした。
 その碧い瞳に灯るものを以前にも見たことがある。
 それは、初めて唇にキスをされた時と同じ、欲のこもった瞳だ。
 エルバルトが望んでいることにようやく気が付いたアレクシスは、恥ずかしいような、嬉しいような、これもあの時と同じ感情だ。
 そして、今回も決して嫌ではない。
 だが、それを素直にいわないのが小悪魔たるゆえんである。
「何がしたいんだ?」
 エルバルトの望みと、自分の気持ちに気が付いた恥ずかしさをごまかすように、少しいたずら心が疼き、アレクシスはからかうように唇の端を上げた。
「……! あなたって人はほんとに……」
 エルバルトもアレクシスがわかって聞いていることを察する。アレクシスはこういう人なのだということをもう学習済みだ。
 そんなところもかわいくて、愛しくてたまらない。
 エルバルトはアレクシスの髪を指で掬い、その先にキスをした。
「愛しています、アレクシス様。あなたの全てを俺に下さい」
「フフッ、許してやる」
 もう一度優しいキスを交わし、月夜の明るい闇の中に二人は重なり合った。


 次の日の朝、まぶしい朝の光がアレクシスの瞼を開かせる。
 まだぼんやりとする頭で、横で眠ったままのその美しい顔を眺めながら、アレクシスは昨夜の出来事を思い出していた。
 それにはあまり現実感がなく、夢だったのではないかと思うほどだ。でも、体を動かしたときに感じる確かな違和感に、そうではないことを知らされる。
 昨夜、エルバルトからの溜まりに溜まった思いを全力でぶつけられ、アレクシスは途中で気を失ってしまった。
 なんとなく悔しくなり、未だ夢の中のエルバルトの腕に噛みついてみた。
「いっ! ん……? アレクシス様? おはようございます」
 寝ぼけ眼のエルバルトの胸に、何事もなかったようにすり寄る。
「……体、大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃない。立てない」
 半分は冗談ではあるが、嘘ではない。
 いつもは動かさないような場所があちこち痛むし、だるい。
 でも、気持ちは満たされている気がした。
「すみません……朝食を作ってきますので、休んでいてください」
「まだ腹は減ってない。だからもう少しここにいろ。今日も休みなんだろう?」
 アレクシスはエルバルトの背に手をまわし、素直に甘えるが、エルバルトは少し気まずそうに身をよじった。
「はい。でも…あの…ここにいたいのは山々なんですが…このままだとあなたにまた無理をさせてしまいそうなので……」
 ハッとしたアレクシスは、エルバルトの背に回した手をパッと離す。
「む、無理だからな」
「わかっています……だから朝食を作りに行っています」
 しょんぼりと部屋を出るエルバルトを見送りながら、アレクシスの頭に、一抹の不安がよぎる。
 その予想通り、次の日の朝もアレクシスはベッドから起き上がることができなかった。
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