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ヴィルハント平原(現在、書き直し作業中)

1-8.果てに咲く桜の前で

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 ――そのローブはすでにボロボロに擦り切れていて、マントを羽織っているようにも見える。ローブの下からはカビが生えた茶色いシャツが覗き、痛みきった黒いズボンはところどころからねずみ色の肌を露出させている。
 余すことなく色の落ちた白髪が風になびき、一切水気のない空っぽの眼窩がこちらを向いた。

「あっ、あれが……?」

 山中はその生気のない見た目に気圧されたようで、それだけで若干自分の馬を後退させていた。
 ――それだけじゃない、何か尋常でないものが俺には感じ取れた。こんなところで一人なんだ、寧ろ何かなければおかしいだろう。

「――おわっと! ストップストップ!」

 突如シンキが息を荒げて前進を始めようとしたところで、ヨトが制御しその歩みを止めたようだった。

「……どうしよっか、タジ? このまま向かい合ってるだけじゃ何も始まらないと思うけど」
「とりあえず穏便に済ませられるルートがあるならそっちを取りたいんだけどなぁ」

 俺は馬から降りて、その爺さんに近付こうとした。するとヨトも降りたようで俺の後をついてきた。山中は少々気が引けるようで、馬に乗りっぱなしだ。というより逃げる準備をしているようにも見えるが、まぁ、彼がそうするような状況になったらそうさせるべきだろう。

 ……一歩が、とてつもなく重い。翁に近付けば近付くほど緊張が強くなり、しっかり動かそうという意識を持たないと動かせないほど足が重くなっていた。
 その翁は、ただただこちらを、眼球のない空っぽな目で見つめてくる。それも、しっかりとこちらの目を捉えて――

「――人、か」

 しゃがれた声が、老人の喉から突然発せられ、思わず身体がびくつく。

「あっ、えっと……ひ、人です!」

 愛想笑いをしてそう応えるが、特にこれといった反応は示さず、ただただ言葉が続いた。

「人のお前が辿り着くとは――とどのつまりは、変わらぬということか」

 老人の右手がゆっくりと腰元に伸びる。

「それも良い、それこそが末裔の性であろう……お前も結局、変わっちゃいないのさ」

 老人の手が瞬時に伸ばされ、その手元には、身の錆きったぼろぼろな刀があった。

「今日ここで、全て終わらせよう――よ」

 ――老人の身体が跳ねたかと思えば、刀身がすぐ真横に――ヨトがその刃をサイカで受け止め、弾き返した。

「えっ?」

 俺が呆気に取られている内に、またも老人は若々しい雄叫びを上げながらヨトに向かい刀を振り続ける。ヨトはそれを全て、後退しながら受けきって対処していた。
 片手で重々しく振られた錆刀は遂にサイカを弾き、ヨトの隙を作る。そのまま刀はヨトの腹を貫き――貫こうとした刃を、俺は長槍で上へと弾いていた。

「ヨト、大丈夫か!?」
「あぁうんっ、ちょっと誤解されてるっぽいかなぁ、あはは」

 翁の標的は飽くまでもヨトのようで、俺の存在が無視されたかのようにまたも錆刀はヨトに向かって振られていた。
 ――唐突に始まった戦いで混乱しているが、とりあえずは彼を落ち着けるしかない。

「ちょ、ちょっと話し合いましょうよ! その娘を一方的に敵だと見なす前に、ね?」

 ヨトに向かって振られる刀を、今度は俺が彼女の前に出て全て盾で受け止める。
 ――まるで骨と皮しかないような見た目、更には錆びた刀ときたのに攻撃は随分と重い。このままでは盾すら弾かれるかもしれないが、そこは俺の技量でカバーだ。
 一直線すぎる攻撃を見ると、目が見えてないのは確実。恐らくは彼女の気配を感じ取って攻撃しているのだろう。

「お爺ちゃん、私はサイカじゃないよ。多分お爺ちゃんの言ってるのは、あの人の事だと思うけどさ」

 俺の後ろでヨトが優しく翁に諭すと、翁の攻撃が若干緩んだように感じる。
 そのまま一つ、二つと切り返した後、翁の動きが完全に止まった。

「……その血は、なんだ」
「え、血? あぁっ、これは――しょ、しょうがなかったんだよ! そもそも私が頼んだわけじゃ――」
「――小娘、もしもお前が本当に奴でなくのなら、ここで儂の介錯を受けろ」
「はぁ……? やだよそんなの」

 翁は刀を仕舞うと、後ろを向いてまた桜の方へと戻っていった。

はまだ血を求めておるのだ、お前に流れる末裔の血を。お前の首が無くなって、はじめて世界には真の安寧というものが訪れるのだよ」
「……やだよっ、そんなよく分かんない理由で死にたくないし、今まで大丈夫だったんならそれでいいじゃん!」

 翁はまた、後ろを向いたまま刀を引き抜いた。

「もう時間がない。儂の命も、このままではじき消えることとなる。お前がここで拒むのであれば、もはや何も語ることはない」
「――待ってよ、納得いかない。その下にある箱とか、この世界の事とか全部教えてくれなきゃそんな要求呑めないよ」

 ――翁の錆刀から、じわりと黒い液体が滲み出ていた。ここに来る前、あるいはここに来た後で見たことのある液体だ。

「良い。語る意味などとうになかった。しかしただ、冷徹にお前を殺すような事はしない」

 翁が振り向くと、そこにはしっかりと水分を含んだ白い身体があった。相変わらず細い腕ではあるが、その手にはすっかり錆の落ちた黒身の刀が握られていた。

「慈悲深く、葬ろう。愛しい娘を抱くように」

 ――既視感。どこかで見たことのある光景だった、俺は過去に一度こんな体験をしたことがある。ただ……

「……ごめんなさい、私はまだ生きていたいかな」

 ――ここでは、少女は命を捨てなかった。
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