ロイレシア戦記:赤の章

方正

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第二十三話

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 窓の外から秋の始まりを告げる暖かくも乾燥した風に顔を当てた。澄み渡った群青の空に果てまで伸びている入道雲が目に映る。
 戦勝の宴から大体1カ月半が過ぎた。ライトランス帝国はガルバード大要塞の奪還戦は行わなかったという報告を受けて、帝国の領土奪還は成功したのだった。しかし、私はまだこの小さい離宮に閉じ込められたまま。
 あれから事実確認の為に何度も取り調べと様々な書類を書いたが私の扱いについてはまだ決まっていない。戦後処理に関してはイネヴァ姉様が代理として管理しているらしい。
 暇な時間は壁一面にずらりと並べられている本を読んで過ごした。小説から古文書に兵法書まで様々な書物は私を飽きさせる事は無い。
 1日に1時間ほど城の中を監視の兵士が2人連れて運動がてら散歩する事は許された。しかし、誰かに声をかける
事は出来ない。まるで私だけが誰からも見えていないかのような感覚を受けた。世話になった使用人も私の兵士達も頭を下げて視線を反らすのだった。
「あれだけ誇らしかった王族としての血筋も、今となっては憎いものですね」
誰も部屋の中にいないのについ言葉を口にしてしまう。
 小さなテーブルの上に興味を持った本を複数積み上げていたが、今は読む気になれなかった。ヴァンや私の兵士達はどんな風に過ごしているのだろうかと毎日考えてしまう。
 ヴァンは任務がない日は食事を運ぶ際に、私に城内の状況を簡単に書かれた紙を監視の兵士達に隠して渡してくれる。無い様に目を通した後は、細かく裂いてから窓の外へと捨てる。窓の外は幸いにも崖になっており、風に流されて散り散りになる。
 流石に気付く物はいないだろう。
 いつもよりも何故か気分が憂鬱で、こんなに暇に感じる日は久しぶりだ。 こんな昼下がりはこの窓から外を眺めながら、紅茶と茶菓子を楽しめれば良かったのにと考えてしまう。
 扉をノックする音が聞こえて、鍵を開ける音がした。
「今度はどんな御用でしょうか?」
食事の時間ではない。こんな時間に来るとなると取り調べか新しい書類を渡しに来た調査員だ。軍服に眼鏡をかけたいかにも真面目そうな雰囲気をした若い将校が2人。1人が無表情で手に持っていた紙の筒を私に渡す。
 いつもの文字だけが書き連ねられた書類では無かった。炎の印が押された封蝋で閉じられた紙という事は公文書で決定事項という事。
 筒状の紙を開くと私は目を大きく開いて、書かれているものが本当なのかと疑ってしまった。だが、父様のサインが書かれているという事は実際にペンを持って書いたという事だ。
「マクバーン様からの書状です。正式な発表は1週間後になります」
そう言って、2人は出て行った。破り裂いてしまいたかったが、ぐっとこらえてテーブルの上に置いた。
 そして、硬いベットへと力なく倒れこむ。悔しさでシーツを思いっきり掴んで皺を作る。声も出さずに遠くを見つめたまま、目から涙で筋を作って頭を乗せているクッションに流れていく。
 何も考えたくなった。
 そして、もう一人の私が目の前に現れて、ベットの端に腰を落とした。力なく開いていた手に重ねると冷たい視線で私を見ている。
「私に何をして欲しいのですか?何を望むのですか?」
私が尋ねるとただただ微笑んでいるだけだった。その微笑みには優しさは全く感じられない。そして、顔をゆっくりと耳に近づけて囁くように語り掛ける。
ーーーこの小さな部屋では無くて、王の座席が欲しいです。
そう一言だけ語り掛けて、霧の様に姿を消した。その声は私自身が望んでいることでもある。間違いなく私の欲望の声だ。
 張り詰めた糸がプツンと切れる様にいつの間にか眠ってしまった。
 真っ暗な意識の海を漂うかのように身を任せて、浮き沈みを繰り返して漂っている。
 冷たさも暖かさも感じずに真っ暗な空に向かって仰向けで浮かんでいた。やがて、海中へと体が吸い込まれていく。
 どれだけ体が沈んでも底は見えない。どこまでも沈んでいく。
 背中から抱きしめられるような感覚を感じた。それは誰でもないもう一人の私が受け止めているのだとわかった。
 もう信じられるのは私だけだ。
 そう確信して目を覚ました。ベットから窓の外を見ると雨が降り出している。屋根や草木に落ちる音だけが響いていた。
「姫様。お食事をお持ちしました」
ヴァンが夕食を持って中へと入ってきた。私もベットから体を起こしてテーブルの上に盆ごと置くのを目で追う。
 いつもの様に王城内の様子を知らせてくれる紙を渡してはくれなかった。
 どこか悔しそうな表情をヴァンは浮かべていた。
「私の処遇について既に耳に入れているようですね。私は王位継承権は剥奪されることになりました」
父上からの書状に書かれていた事を簡単に伝えた。この先は隣国の同盟関係強化として、今まで会った事も無い王子と婚姻を結ばされるだろう。
 私に残ったのは王族という肩書だけで、政治利用される存在だけになってしまった。
 そして、第5師団は解体されて全員が別の軍隊への配属されるだろう。皆がバラバラになる。
「姫様の処遇と自分も含めた皆についても本日聞かされました。今日中に全員に連絡が行っているかと思います」
ヴァンは第5師団長という実績からして別師団の副団長か、地方軍の指揮官辺りに編入されるだろう。
 後者となればもう二度とヴァンと顔を合わせる事はないだろう。
 私に最も中世を誓ってくれた騎士すらも奪われる。小説で読んだ全てを奪われた貴族とはこんな感じなのだろうか。
「私はこの数年の間、姫様の騎士として仕えさせて頂いた事はとても光栄でした。私は軍を辞めようかと思います」
彼の言葉に私はハッとしてヴァンを見つめた。今回の事でヴァンも軍務からも離れようとしている。
 私は彼の腕を無意識に掴んでいた。筋肉質で岩の様に硬く鍛えられた腕を。
 ヴァンは驚いた表情を見せて体を硬直させている。その反応は当然だろう。私から直接触れる事はほとんど無かったのだから。
 私に流れている血が憎い。何よりも私から奪おうとする人達が許せない。
「もし、私がどんな決断をしてもヴァンは来てくれますか?」
彼だけは手放すという選択は私には無理だった。
 ヴァンが目を閉じてから表情を険しくする。そして、しばらくして目を開いてから決心した表情へと変わった。
「いつでも姫様のお側にいる事が一番の望みです」
恐らく私が何を考えているのか察しているはずだ。それでもなお、私の側に居てくれる事を選んでくれた。
「良かった……もし、ヴァンに拒否されたらと思ったら不安でした」
彼の胸に飛び込むように体を預けた。私のその言葉は忠誠心を利用した、悪魔の囁きのようなものだと理解はしている。
 彼の服の胸元をきつく掴み離れないようにと心から願う。再び部屋の中が雨音だけに包まれる。少しだけ勢いは弱まったが、空は暗いままだ。
 そんな中で外にいた衛兵達の断末魔が響く。ヴァンがショートソードを抜いて扉を開いた。
「皆も同じ気持ちのようです」
そこには私の兵士達、第5師団の皆がフードコートで雨に打たれながら並んでいる。私と自分達に対する処遇の報告を受けて、真っ先に駆けつけて来たのだろう。
 雨に打たれている皆に姿が見れるように扉の外へと出た。
 衛兵2人を切り裂いたであろう剣を握りしめた先頭の兵士長が、私を見ると自分の胸に手を当てる。
「自分達はヴァイオレット様以外にお仕えする気はありません!」
屈強な兵士達が私に忠誠心を示してくれている。皆が私に視線を向けて言葉を待っている。
 私の望みは王になること。
 その為であれば、どんな障害に対しても打ち勝つこと。
「兵士長!皆を徴集しなさい!ヴァンは部隊の編制と統率をお願いします」
大丈夫、彼らならどんな境地でも切り開けるはず。
 私が今やるべき事は勝利するための戦略と戦術を考える事だ。
 戦う必要がある敵は第1師団、第3師団、第4師団、王都を守る近衛師団。正式通達されるまで1週間しかない、各個撃破よりも支柱を崩して指揮を混乱させる方がいいだろう。
 奇襲と短期決戦で全て終わらせる。私ができる最後の足掻きだ。
 皆が蜘蛛の子を散らす様に解散した。
 私の隣にヴァンと並んでいるのみ。
「私に賛同してくれている貴族方に対して、書状を書く必要がありますね。それと私の装備もここへ運んでおいてください」
ヴァンが使用人に用意させると伝えて、雨の中を駆けて行った。
 また1人だけになった。部屋の中へと戻ると届けてくれた食事に手を付ける。豆のスープにパンと焼いた魚の切り身。少しだけ冷えていたが、それらを胃の中へと押し込んだ。
 ヴァンの連絡では使用人達の中でも私に賛同している者と反対している者で割れているという。
 フランツ伯爵やサマル軍師に戦いに参加してくれた貴族達は私の呼びかけにきっと答えてくれるはず。
 フィオは答えてくれるだろうか?
 いや、彼女は私の友だと行ってくれた。必ず答えてくれるはずだ。
 先の戦いでは私のために武器を取ってくれた。今回も私のために握ってくれるはず。
 後は時間が過ぎるのを待つだけ。
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