ロイレシア戦記:青の章

方正

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第十八話

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 剣を振るう。突き刺しては切り裂く。血で赤く濡れていく青いバスタードを握り占めて。
 黒いコートには新しい血液が古い血液の上に返り血を浴びては固まる。
 戦いが始まって次々に送り込まれる兵士達。いつ死んでもおかしくない環境が続く。
 私の馬にも疲れが見えている。体中の所々に既に切り傷が出来て、薄っすらと血を流していた。
「お嬢!」
クロウの声に反応すると槍の切先が目の前に迫っている。兜の奥から鋭い眼光が見えた。
 風切り音だけが聞こえるが、体が反応しない。
 このままでは殺されるとだけ思考が走る。思いっ切り目を閉じるが痛みはない。
 少しして瞼を開くと、その眼光は消えていた。
 いや、兜ごと無くなっている。切り分けられた胴体は糸の切れた人形の様に馬から落ちていく。
 残された馬は死体へ頭を下げてから鼻先で突いていた。
「クロウ、ごめん」
コートの左袖で刀に付いた血を拭き取っている。口を覆っていた黒いバンダナに指を掛けて下にずらした。
 ため息をついてから、少しだけ飽きれた表情を見せるといつもの表情に戻った。
 無表情で何も考えていない様に見える顔。
「こんな死地のど真ん中で考え事で?」
「別になにも。ただ、少し……疲れただけだと思うから」
右手から左手に刀を持ち替えると、クロウに槍の切先を向けていた兵士の喉元に突き刺した。
 クロウは常に冷静に動いている。戦場で生きてきた差だろう。その血に濡れた刀と同じぐらいに頭の中を冷たくして脅威に対して最も適切に対応する事ができていた。
 敵兵はクロウの刀を握ったが、握り占めた腕をだらりと下げて馬から体ごと地面へと落ちる。
 地面に横たわる新しい死体へと視線を向けた。
 さっき、クロウが助けてくれなかったら同じように横たわっているのは私だったはず。
 どれだけ頑丈な鎧に身を包んでも、死ぬのは一瞬だ。
 他人の死を見て、安心している私が嫌になる。
「そうすっか」
頬に付いた血を指で払うと、黒いバンダナで再び口を覆うと新しい獲物を探しに馬を走らせて行った。
 クロウに試されているように感じた私がいる。
 空を仰ぐように見て、前髪をかき上げた。
 同時に風で揺れていた旗が動きが止まると地響きが鳴り響く。
 視線を音がする方へと向けた。
 兵士達を指揮していた指揮官を先頭にして、黒い軍勢が私達へと迫る。
 追加の軍勢だ。それに指揮官自身が前線に出てきたという事は予備の人員がいないか、勝負に出たと言ったところだろうか。
 後方へ援軍を指示したが、判断が遅れた。
 黒き軍勢は歩兵や騎馬兵ごとなぎ倒すようにこの乱戦状態の中を突き進んでくる。
 半月型の刃を二枚槍に備え付けたハルバード。真っ黒な重鎧でドラゴンを思わせるデザイン。
 間違いない。この迎撃軍の大将だ。
 ハルバードを横なぎに振り、鎧を割っては身体を突き飛ばす。
 次の狙いは私に向けられた。矛先を真っ直ぐ私に向けて次はお前だと言わんばかりに。咄嗟に右手で握り占めているバスタードの盾の様に前に出して、刀身を左手で抑える。
 ハルバードの矛先が刀身に当たると激しい衝突音が響く。
「女の身で俺の槍を受け止めるか」
両手が痺れる。これだけの痛みを手に受けたのは初めてだ。
 正面に居る彼をきつく睨む。ここで彼を止めるのは私の役割だろう。両手をバネにして矛先を押し返す。下から上への切り上げてみるが、ハルバードの矛先で制される。
 ハルバードとバスタードが重なった位置を中心に、お互いに武器を押し付け合いながら右回りに動く。
「ハヤブサ騎士団長、ガルバード要塞将軍オズワルドだ。イエルハート家の者よ」
彼の言葉と同時にバスタードの刃をハルバードから放した。
 私が知られている。ドラゴンの顔を模した兜から聞こえる低い声で私に語りかける。
 武器を握り直す。 今までは帝国軍の兵士達は好戦的な印象があった。
 何というか、戦場で成り上がり腕っぷしの強さで物を言わせているように見えていた。
 このオズワルドという男は違う様に見える。
「古き英雄であるバンディット将軍の代わりになるのは俺だ。仇であるイエルハート家の当主を討ち取れば、皇帝陛下も俺をバンディット将軍の後任として認めてくれるだろう。いい筋書きだと思わないか?」
よくしゃべる奴だ。夢見る少年が鎧を身に着けているという印象。
 けれど、軍隊を指揮できる権限を持っているという事は腕も頭も良いのだろう。
 野心的で英雄になるという憧れだけで戦場に立ち続ける。
「生憎、私は誰の手柄になるつもりもないけど?勝利の時が訪れるのを待っていればいいのに」
私がここに居る目的を思い出す。
―――迎撃軍を一体でも多く要塞から引き出す事。
 ここからは我慢比べ。最後まで立っていた方が勝者。けれど、正面に居るこの男はダメだ。ここで倒さねば戦場を食い荒らされる。
 騎馬兵は速さと攻撃力は正直言ってずば抜けている。神話の時代から馬に乗って戦う壁画や伝承は残されており、古代からどれだけ驚異的だったかは戦場に立つ者としては常識だろう。
 馬に剣と槍だけだったのが、今では走らせながら弓を射る者、マスケット銃を撃つ者など多彩。
 お互いに武器を構え直してから、ゆっくりと右回りに円を描くように馬を歩かせる。
 槍を握り占める瞬間を見て、両手でバスタードを握り占めてからオズワルドに切先を向けて構えた。
「おおおおぉぉぉぉおおお!」
まるで熊の咆哮だ。
 私に対して向けられた必ず殺すぞという殺意。
 そして、勝利に対する熱意を感じた。
 馬の走る速さと彼の戦闘能力を考えれば私の体をそのハルバードで貫くことは容易だろう。
 息を止めて、タイミングを計る。
 もう少し、もう少しだ。
 精神を鋭く研ぎ澄ませ、瞼を少し閉じて瞳を細めた。
 ハルバードの矛先をすくい上げる様にかちあげる。
 矛先は私から上へと反れて、左頬を掠めた。
 これで、彼の腹部はがら空き。
 斜め下へ斬り込むが、伝わるのは肉と骨を断ち切る感触では無くて、硬い鎧だった。
「うっ!硬っ!」
バスタードを手から落としてしまいそうになったが、なんとか堪えた。
 左側を通り抜けるとお互いに距離を取って向き合う。
 当てた腹部を見てみたが、私が当てたほぼ水平に切り傷が鎧に残り、わずかに凹んでいる程度だった。
 私の腕力でも馬に乗っている時の速度を利用すれば、いくら鎧の上からでも凹ませて圧迫死させる事は容易だった。
 彼の鎧は今まで戦ってきた相手に比べて遥かに硬い。装甲が厚いのだろうか。
 もう一度時計回りでお互いを睨みつける時間が始まる。
「驚いた。この槍の軌道を反らして、腹に打ち込む技術。面白い、実に見事だ」
私が使った技は不意打ちの様なものだ。同じような方法は通用しないだろう。
 まして、相手は将軍だ。下手に同じような方法を取ると返り討ちに合うのは目に見えている。
 切る。突く。割る。
 相手の動きを予測する。ハルバードを片手で握りめて、大きく振り上げると同時に馬を走らせて、私に向けて振り下ろす。バスタードを軌道に合わせて阻止した。
 重い!
 まるで岩が上から落とされたみたいだ。全身に痛みが走り抜ける。
 今度は切り合い。刃と刃が重なる。
 歯を食いしばって、武器を振るった。
 相手の攻撃は止まらないが捌けなくはない。
 視線が重なる。このような状況でも彼の兜から光る視線は鋭く冷ややかだ。
 オズワルドはハルバードを振り上げた。
 この攻撃は隙が大きい。
 かと言って、どこを狙う?
 どこなら、致命傷を与えることができる?
 そもそも、私の力でこのチャンスをモノにできるのか?
 次は何をするべきかという思考が遅れた。
 相手の行動を読み、対策を行う事は当たり前。要するに決断の速さが生死を決める。今の様な一騎打ちの状況であれば露骨に表れる。
 咄嗟にバスタードを盾にした。力強く握りしめるが、ぶつかった音はしなかった。それどころか感触が無かった。
 ……どういうこと?
 馬が悲鳴を上げると、世界が傾いた。
 いや、違う。私が傾いたのだ。彼の攻撃は私に対して向けられたのではなく、馬に対して向けられたものだった。
 左前脚が丸々切り離されている。バランスを崩した私は地面を転がってしまった。
「くっ!」
立ち上がると彼に対して向き直った。バスタードは握りしめたまま。
 私が乗っていた馬は残った三本の足を小刻みに動かしていたが、やがて動かなくなった。
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