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しおりを挟む「……はぁ。」
溜息をつくと、静かな空間にやけに大袈裟にその音が聞こえる。
「今日で7回目ですよ、それ。何かあったんですか。」
大量の書類をファインダーに整理している刈谷が手を止めて俺の方を向く。
その顔はややうんざりとした表情だ。
なんだその顔は。別に俺は聞いてほしくてわざとため息をついてるわけじゃないぞ、めんどくさい彼女でもあるまいし。
「別になんでもねぇよ。」
「…そうですか。」
なにか言いたげな顔をしつつ、刈谷は手を動かし目の前の書類の束をとってぺらぺらめくり始める。
そして、ふと気付いたようにまた顔を上げて刈谷は俺を見た。
「そういえば、書記様への説得はうまくいったんですか?」
書記、という単語に肩がぴくっ、と反応する。
「……上手くいってたら、今頃この仕事も終わってるわな…。」
ぶっきらぼうに刈谷を見ずに答え、ひたすら目の前の文字の羅列を凝視する。
呆れたような刈谷のため息が聞こえたが俺は聞こえないふりをした。
あの後矢野に仕事の話をせずに自室に戻ってきて自分が何のために矢野に会いに行ったか思い出し、ベッドの上でうずくまった。
なにやってんだ俺。
なんだか内容のねえ話をそのあとしばらくしてた気がする。
それで、結局俺から仕事のしの話をすることもなく帰ってきてしまったのだ。
くそっ…俺はなんて馬鹿なことを…。
普段の俺ならあんなミスはしない。ただ、あのときはなぜかあの空間が心地良くて、なんだか仕事の話をする気にならなかったんだ。
「あー!くそ!!」
「っ!ちょっと、びっくりするでしょう。」
なんだか恥ずかしくなってつい声に出た言葉がいやに大きく部屋に響き渡る。
「わ、わるい…」
情緒不安定かよ俺…。
もう一度書類に目を向けて集中しようとするが、書類の文章が意味をなさない文字の羅列に見えてしまう。
しょうがない、集中できねぇし一旦休憩にしようかな。
ちらと時計を見ると丁度昼時になったようで、食堂はもう勘弁だなと思いながら刈谷に買ってきてもらうかと思い刈谷に声をかけようとして
「あ、ていうかお前。」
「…なんです?」
そうだ、こいつの方はどうなったんだ。
「アイツの件、お前の方はどうなったんだよ。」
アイツ、ともう名前も言いたくないので代名詞を使って言うと刈谷はすぐに理解したのか、ああと言ってそのまま続けた。
「貴方が気にするようなことは何もありませんでした。」
なんだと?
全く腑に落ちない解答が返ってきて思わず刈谷を見つめるが、刈谷はこれで話はしまいだという風に手を動かす。
「いやいや、絶対あいつ何か勘ぐってるって…俺がオメガだって思ってないにしろ、もっとこう、なんかあんだろ。」
だってあいつ俺の匂い嗅ぎまくって妙なこと言っていたし、思い出したくもない俺の気持ち悪い声。しまいには負け犬みたいに猛ダッシュして逃げたんだぞ。
刈谷にそのことは言えないが、そんだけのことがあったら感の鋭いアイツなら何か企むかと思ったんだが…。
「……そんな様子ではなかったですよ。まあ、からかってやるぐらいの気持ちだったのにきもちわりい声が聞こえて死ぬほど気持ち悪かった、会長様は首が性感帯か、とは言ってましたけど」
ガタッ
「なんだそれ!だ、だ、だれが、せ、せいせ、せ」
おそらくアイツの言ったセリフをかなりそのまま再現した刈谷の声が脳内で奴に変換され、動揺で椅子から落ちそうになる。いや、落ちた。
ていうか、あいつ刈谷に余計なこと言いやがって!
「落ち着いてください雫様。はぁ、雫様はもう少し下の話に耐性をつけてください。それじゃ童貞丸出しですよ。」
憐れむような目をした刈谷の口から童貞という言葉が聞こえて俺はなんだか親の下ネタを聞いたような気分になる。
「ちょっと驚いただけだ!…ていうか童貞は関係ねえだろ!いやいや、それよりあいつはそれ以外になんて言ってたんだ。」
刈谷に余計なことを言ってないかひやひやしながら聞くとソレ以外はなにも、とあっけらかんに言い放ち、作業に集中し始める。
な、なんだよ、そっけないな。
結局俺が一番気にしていた匂いについては、本当に俺を冷やかすためのことに過ぎなかったってことか?
医者も特に異常はないと言っていたし、アイツの常の茶化しがいつもより酷かった、てことでいいの、か?
なんだか釈然としないなあと思いつつもまあ、刈谷が言っているしそうなのかな。
ギィッと椅子が悲鳴をあげるほどもたれかかると眠気が襲ってくる。
昼飯、くわねぇとと一瞬思ったがどうやら緊張の糸が切れたようで、瞼がやたら重い。
俺が思っているよりあいつのこと気にしてたんだな。
まあ、刈谷もああ言ってるし、とりあえず大丈夫ってことにしとく、か………。
「雫様」
ふと、急に静かになったと思えば規則正しい寝息が小さく、でも確かに聞こえる。
その音の正体に目を向けると椅子にもたれかかって無防備に寝ている主人の姿。
毛布、確かあっちにあったけ。
起こさぬように静かに毛布を取り出し、寝息と共に上下に動く胸元にかける。
「……貴方の秘密は必ず俺が守ります。」
だから、安心して眠ってください。
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