鴉取妖怪異譚

松田 詩依

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第伍話「血ヲ吸ウ鬼」

血ヲ吸ウ鬼・参

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 そして、鴉取の推理は現実となってしまった。

「号外、号外! 通り魔事件、新たな被害者が出ました! 号外! 号外!」

 八咫烏館の前での殺人事件以来、通り魔事件の被害者は加速の一途を辿っていた。
 連日駅前でばら撒かれる号外新聞。一面記事はどれももちろん通り魔事件についてのものだ。
 殺人事件は例の一件のみだが、通り魔に襲われた人数が桁違い。この一週間ほどで十人もの人間が通り魔に襲われ、貧血の症状で病院に運び込まれたらしい。
 最初は若い女性だけが狙いかと思われたが、次第に青年、男子学生、さらには子供までと性別問わず被害を増やしていった。
 なりふり構わない犯行に警察も混乱しているようだ。被害者の数が増えたというのに、一向に犯人の証拠は見つからず、目撃証言もないという。唯一の手がかりは被害者皆に共通している首筋に開いた二つの小さな穴のみ。
 誰もが被害者になりかねない状態。正体不明、神出鬼没の通り魔は東都を一気に恐怖の底へと陥れた。

「三毛縞先生、近頃も物騒になりましたね」
「……そうですね」

 昼下がりの喫茶スクイアル。三毛縞は井守と新連載の打ち合わせ会議のために店にやってきた。
 しかし中々本題に入ることなく、井守はここに来る間に貰ったであろう号外新聞を三毛縞に見せながら深刻そうに言葉を溢す。

「三毛縞先生、例の殺人事件の第一発見者だったんですよね……大丈夫でしたか?」

 井守から発された言葉に三毛縞は目を見開いた。

「え……井守さんまでそのことご存知なんですか?」
「ええ、まぁ……この業界、噂が広がるのはすぐですから」
「なるほど……」

 三毛縞の言葉に井守は苦笑を浮かべながら人差し指で頬をかく。
 知られて困ることではないが、いざ知られてしまうとなんともいえない心境になってしまう。

「出版社は大丈夫ですか。記事などで忙しいでしょう」
「ええ。おかげさまで記者たちは忙しく駆けずり回ってますよ。その内、三毛縞先生にも第一発見者として取材をさせてくれという者が出てくるかも……」
「それは、ちょっと困るかもしれないですね。ただでさえ小説、書けていないのに」

 珈琲を啜りながら三毛縞は肩を竦めた。
 ただでさえ締め切りが近いこの頃だ、事件のことは気になるがあまり余計なことには首を突っ込むまでの余裕は持ち合わせてはいなかった。
 するとそんな三毛縞の心を読んだのか、井守は大丈夫ですよと力強くいい放つ。

「三毛縞先生は僕が守ります。ですから、安心して原稿に集中してください」
「……はは、頑張ります」

 それは遠回しに早く原稿を上げてくれ、という注文に違いない。
 三毛縞はそんな井守の意図をわざと汲まずに乾いた笑みを浮かべながらそれとなく交わした。

「……それにしても、この店もお客さんが減りましたね。女給さんの姿も少なく見える」

 井守はちらりと店内を見回した。
 彼のいう通り、いつも沢山の客で賑わっている昼間の時間帯だというのに空席が幾つもあった。いつも笑顔で接客をしている女給の姿も少ない。以前体調不良で休んでいた、三毛縞の想い人である兎沢の姿も見えなかった。

「最近は通り魔の噂でもっぱらですからね。女給の子たちが皆外に出るのを怖がってしまって、休む人が多くなったんです」
「そうだったんですか」

 井守の言葉が聞こえていたように店主が珈琲のおかわりを持ってやってきた。
 女給の代わりに忙しそうに働いている店主の顔には少し疲れの色が滲んでいた。

「でも、ちょうどいいのかもしれません。もし仕事の行き帰りに襲われたりでもしたら私も心苦しいですからね」

 そう世間話をしていると呼び声がかかり店主は注文の珈琲を置いて立ち去っていった。
 確かに、店主の言い分は最もだ。
 正体不明の通り魔が街を出歩いている。そのせいで賑わっている東都駅周辺も人がかなり少なくなっていた。この街全体が通り魔という姿形もわからない人物への恐怖で恐れ淀んでいるように思えた。

「女性が多く襲われているという話でしたが、最近は男性も襲われているとか。私たちも夜道には気をつけましょう」
「はは、僕は自室に缶詰になって原稿書くので心配には及びませんよ」
「それは私としては助かりますけどね。でも、あまり無理はしないでくださいよ三毛縞先生」

 戯けてみせる井守に三毛縞はぎこちなく笑った。
 互いにどことなく緊張感や不安感に苛まれている。それは締め切り間際に原稿が完成していないそれとは違う、正体不明のものに対する恐れ。それはきっと通り魔事件が解決するまで続くのだろう。

「通り魔事件……血を吸う鬼、か」

 珈琲の水面を見ながら三毛縞はぽつりと呟く。

『通り魔はこの東都に息を顰めている。そして今もずっと舌舐めずりをしながら獲物を探し回っているに違いない。通り魔事件の本番はこれからだ』

 いつしかの鴉取の言葉が頭の中で蘇る。
 彼はきっともうこの事件の犯人をわかっているのだろう。ただ、彼はそれが自分の前に現れるのを——自分が事件に巻き込まれるのをじっと待っているのだろう。
 
 この街に越してきてもうすぐ半年。色々な人と出会った。
 彼らの平穏が汚されるのは嫌だ。元の活気ある平和な街に早く戻って欲しいと三毛縞は祈るのであった。
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