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第弐話「幽霊屋敷」
幽霊屋敷・壱
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——時は遡ること二ヶ月前、四月。
東都駅前にある喫茶店「スクイアル」——西洋の小洒落た布張りの椅子やテーブルが並ぶ程よい広さの店内は紳士淑女で賑わっていた。
山吹色と白の格子柄の着物の上にフリルの前掛けをつけた可愛らしい女給仕《ウェイトレス》達が忙しく動き回っている中、机の上に雑誌を広げ神妙な面持ちで顔を突き合わせている男が二人話し込んでいた。
方や、周囲から頭一つ分抜き出た大きな体を丸め、蒼玉色の瞳で相手を食い入る様に見つめている、亜麻色の綿毛の様な髪が目立つ洋装の男。駆け出しの新人作家——三毛縞公人《みけしまきみと》。
方や、周囲から頭一つ分小さな体を丸め、丸眼鏡越しに相手を見返す、もっさりとした七三分けの恰幅の良い男。出版社「菱星堂《りょうせいどう》」三毛縞担当編集——井守真《いもりまこと》。
「三毛縞先生……おめでとう御座います。『水月《すいげつ》』にて連載決定です!」
「本当ですか! 有難う御座います!」
井守の発表に三毛縞は場も忘れ、歓喜の声を上げながら思わず立ち上がった。
唯でさえ目立つ異国情緒漂う長身の美丈夫に周囲からの視線が一斉に突き刺さる。
「あ、の……珈琲を、お持ちしました」
そこに間が悪く、女給が注文した珈琲を二つ運んできた。
ぱちくりと瞬きを繰り返す真ん丸の瞳に見上げられれば、三毛縞の顔がみるみると赤く染まり、耳まで真っ赤にしながら腰を抜かした様に椅子に落ちる。
珈琲が差し出されるや否や、三毛縞は羞恥を誤魔化すために猫舌にも関わらずそれをすかさず啜った。しかし淹れ立ての珈琲は予想以上に熱い。火傷した舌を冷ますため間髪いれず水を飲めば横からくすりと溢れ落ちた笑みが聞こえる。
「ふふっ……あっ、すみません。えと……ごゆっくりどうぞ!」
再び三毛縞と目が合った女給は慌てて頭を下げると、銀盆を胸に抱えそそくさとその場を立ち去っていった。
三毛縞は茫然とその小さな背中を見送り、前方に目を戻すと困惑気味に苦笑を浮かべている井守と目があった。
「す、すみません……嬉しくて、つい。お恥ずかしいところを……」
大きな体を丸くして、三毛縞は角砂糖を一つ珈琲の中に落としスプーンでかき混ぜる。
息を吹きかけ念入りに冷ました珈琲を今度は味わうようにゆっくりと啜った。
先程は味なんて分からなかったが、程よい酸味の中にコクがあり仄かに甘いとても上品な味を感じる。やはり東都の喫茶店は珈琲も一味違う。
「いえ。いいえ。とうとうこの日がやってきたのです。喜んで当然です! 私も本当に嬉しいです……!」
両名が両手を上げて喜ぶのも無理はなかった。
昨年、三毛縞はこの菱星堂が発刊する文藝雑誌『水月』に小説を投稿した。そこで現在の担当である井守に目をつけられ処女作である短編集『奇怪』の出版に至ったものの二人が想定していた以上に売れ行きは鳴かず飛ばずだった。
文字が書けても売れなければ食ってはいけない。晴れて貧乏作家の仲間入りを果たしてしまった三毛縞であったが、井守は彼の才能を強く信じ、決して見捨てることなく編集部に何度も掛け合い続けた。そして三毛縞も井守の期待に応える為に寝る間も惜しんで必死に書いた。そして苦節一年——漸く、作家三毛縞公人の原点『水月』にて連載を勝ち得たのであった。
「いやしかし、私たちは漸く始発点に立ったのです。大変なのはこれからですよ、三毛縞先生」
「はい。ご期待に添える様頑張ります。本当に……井守さんがいなければ今の僕はいませんよ。改めてこれからも宜しくお願い致します」
「いえ。編集者としてもそうですが、私は個人的に三毛縞公人が書く小説が好きなので。これからも変わらずご支援させて頂きます。面白い話を沢山読ませてくださいね」
互いに良き担当、好き作家に出会えたものだと心の底からそう思った。
そうして二人は酒の代わりに珈琲で祝杯を上げ、男同士の絆を確かめ合う様に硬い硬い握手を交わしたのだ。
「——ところで三毛縞先生。東都に越してくるつもりだと仰っていましたけれど……住む場所は決まりましたか?」
「いいえ。それが、まだ」
打ち合わせも一段落し、ふと投げかけられた井守の質問に三毛縞は恐縮しながら首を横に振った。
現在三毛縞は東都から少し離れた田舎町の安アパートに一人住まいをしている。しかしこうして打ち合わせをする度東都に出向くのは如何せん金が掛かってしまう。
井守の方から出向こうにも、相手方も商売だ。売れっ子作家でもない人間に其処まで割ける金はないと上層部にはっきりと言われてしまえばどうしようもできない。
今回は井守が手配してくれた宿に泊まってはいるが、いつまでもそうする訳にもいかず、三毛縞は出版社に近い東都に引っ越そうと考えていたのである。
「やはり、東都となると家賃が高くて……」
三毛縞の嘆きに、井守は同感だと頷いた。
都となると人も仕事も多い。しかしその分家賃も高い。仮に住めたとしても、家賃で手一杯で食費が残りそうにもない場所が殆どであった。
「……安さだけを見るのであれば、私が知っている場所が一軒だけ」
「え、何処にあるんですか」
「此処から徒歩十分も掛からない二階建のアパートです」
三毛縞はすかさず顔を上げ前のめりに話に耳を傾けるが、話題を振った当人の井守は眉を顰めながら言い渋っていた。
「ちなみに家賃は」
「やはり気になりますか……」
井守は話を出したことを後悔しているように溜息をつきながら、三毛縞にそっと耳打ちした。
「……は? え、僕の聞き違いではないですよね?」
「ええ。一月でそのお値段です」
値段を聞いた三毛縞は耳を疑った。
この都心。駅から近くの最高の立地だというのに、現在三毛縞が住んでいる場所に毛が生えた程度の金額だった。
「物凄く古い建物とかですか」
「……いえ、見た目はとても御洒落な洋館ですよ。内装も申し分ありません」
寂れた建物ではないのに、この安さ。
そして話を進めるのを何処か渋る井守——導かれる可能性としては一つしかないだろう。
「……いわくつき、とかですか」
「まぁ……その、この近辺では“幽霊屋敷”と呼ばれています」
東都駅前にある喫茶店「スクイアル」——西洋の小洒落た布張りの椅子やテーブルが並ぶ程よい広さの店内は紳士淑女で賑わっていた。
山吹色と白の格子柄の着物の上にフリルの前掛けをつけた可愛らしい女給仕《ウェイトレス》達が忙しく動き回っている中、机の上に雑誌を広げ神妙な面持ちで顔を突き合わせている男が二人話し込んでいた。
方や、周囲から頭一つ分抜き出た大きな体を丸め、蒼玉色の瞳で相手を食い入る様に見つめている、亜麻色の綿毛の様な髪が目立つ洋装の男。駆け出しの新人作家——三毛縞公人《みけしまきみと》。
方や、周囲から頭一つ分小さな体を丸め、丸眼鏡越しに相手を見返す、もっさりとした七三分けの恰幅の良い男。出版社「菱星堂《りょうせいどう》」三毛縞担当編集——井守真《いもりまこと》。
「三毛縞先生……おめでとう御座います。『水月《すいげつ》』にて連載決定です!」
「本当ですか! 有難う御座います!」
井守の発表に三毛縞は場も忘れ、歓喜の声を上げながら思わず立ち上がった。
唯でさえ目立つ異国情緒漂う長身の美丈夫に周囲からの視線が一斉に突き刺さる。
「あ、の……珈琲を、お持ちしました」
そこに間が悪く、女給が注文した珈琲を二つ運んできた。
ぱちくりと瞬きを繰り返す真ん丸の瞳に見上げられれば、三毛縞の顔がみるみると赤く染まり、耳まで真っ赤にしながら腰を抜かした様に椅子に落ちる。
珈琲が差し出されるや否や、三毛縞は羞恥を誤魔化すために猫舌にも関わらずそれをすかさず啜った。しかし淹れ立ての珈琲は予想以上に熱い。火傷した舌を冷ますため間髪いれず水を飲めば横からくすりと溢れ落ちた笑みが聞こえる。
「ふふっ……あっ、すみません。えと……ごゆっくりどうぞ!」
再び三毛縞と目が合った女給は慌てて頭を下げると、銀盆を胸に抱えそそくさとその場を立ち去っていった。
三毛縞は茫然とその小さな背中を見送り、前方に目を戻すと困惑気味に苦笑を浮かべている井守と目があった。
「す、すみません……嬉しくて、つい。お恥ずかしいところを……」
大きな体を丸くして、三毛縞は角砂糖を一つ珈琲の中に落としスプーンでかき混ぜる。
息を吹きかけ念入りに冷ました珈琲を今度は味わうようにゆっくりと啜った。
先程は味なんて分からなかったが、程よい酸味の中にコクがあり仄かに甘いとても上品な味を感じる。やはり東都の喫茶店は珈琲も一味違う。
「いえ。いいえ。とうとうこの日がやってきたのです。喜んで当然です! 私も本当に嬉しいです……!」
両名が両手を上げて喜ぶのも無理はなかった。
昨年、三毛縞はこの菱星堂が発刊する文藝雑誌『水月』に小説を投稿した。そこで現在の担当である井守に目をつけられ処女作である短編集『奇怪』の出版に至ったものの二人が想定していた以上に売れ行きは鳴かず飛ばずだった。
文字が書けても売れなければ食ってはいけない。晴れて貧乏作家の仲間入りを果たしてしまった三毛縞であったが、井守は彼の才能を強く信じ、決して見捨てることなく編集部に何度も掛け合い続けた。そして三毛縞も井守の期待に応える為に寝る間も惜しんで必死に書いた。そして苦節一年——漸く、作家三毛縞公人の原点『水月』にて連載を勝ち得たのであった。
「いやしかし、私たちは漸く始発点に立ったのです。大変なのはこれからですよ、三毛縞先生」
「はい。ご期待に添える様頑張ります。本当に……井守さんがいなければ今の僕はいませんよ。改めてこれからも宜しくお願い致します」
「いえ。編集者としてもそうですが、私は個人的に三毛縞公人が書く小説が好きなので。これからも変わらずご支援させて頂きます。面白い話を沢山読ませてくださいね」
互いに良き担当、好き作家に出会えたものだと心の底からそう思った。
そうして二人は酒の代わりに珈琲で祝杯を上げ、男同士の絆を確かめ合う様に硬い硬い握手を交わしたのだ。
「——ところで三毛縞先生。東都に越してくるつもりだと仰っていましたけれど……住む場所は決まりましたか?」
「いいえ。それが、まだ」
打ち合わせも一段落し、ふと投げかけられた井守の質問に三毛縞は恐縮しながら首を横に振った。
現在三毛縞は東都から少し離れた田舎町の安アパートに一人住まいをしている。しかしこうして打ち合わせをする度東都に出向くのは如何せん金が掛かってしまう。
井守の方から出向こうにも、相手方も商売だ。売れっ子作家でもない人間に其処まで割ける金はないと上層部にはっきりと言われてしまえばどうしようもできない。
今回は井守が手配してくれた宿に泊まってはいるが、いつまでもそうする訳にもいかず、三毛縞は出版社に近い東都に引っ越そうと考えていたのである。
「やはり、東都となると家賃が高くて……」
三毛縞の嘆きに、井守は同感だと頷いた。
都となると人も仕事も多い。しかしその分家賃も高い。仮に住めたとしても、家賃で手一杯で食費が残りそうにもない場所が殆どであった。
「……安さだけを見るのであれば、私が知っている場所が一軒だけ」
「え、何処にあるんですか」
「此処から徒歩十分も掛からない二階建のアパートです」
三毛縞はすかさず顔を上げ前のめりに話に耳を傾けるが、話題を振った当人の井守は眉を顰めながら言い渋っていた。
「ちなみに家賃は」
「やはり気になりますか……」
井守は話を出したことを後悔しているように溜息をつきながら、三毛縞にそっと耳打ちした。
「……は? え、僕の聞き違いではないですよね?」
「ええ。一月でそのお値段です」
値段を聞いた三毛縞は耳を疑った。
この都心。駅から近くの最高の立地だというのに、現在三毛縞が住んでいる場所に毛が生えた程度の金額だった。
「物凄く古い建物とかですか」
「……いえ、見た目はとても御洒落な洋館ですよ。内装も申し分ありません」
寂れた建物ではないのに、この安さ。
そして話を進めるのを何処か渋る井守——導かれる可能性としては一つしかないだろう。
「……いわくつき、とかですか」
「まぁ……その、この近辺では“幽霊屋敷”と呼ばれています」
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