6 / 41
第壱話「幻影電車」
幻影電車・伍
しおりを挟む
「——もし。もう、大丈夫だよ」
心地良い低い声が聞こえて、女学生はゆっくりと目を開けた。目の前には、あの黒い男がしゃがんで此方を見上げている。
状況を確認するために辺りを見渡して見ると、すぐ隣で心配そうに女学生を見ている女と、此方に両手を広げて笑っている赤子。扉が開け放たれた運転席の中にはほっとした様に深呼吸を繰り返している運転手と、髭面の男が腰を抜かして座り込んでいた。
窓の外を見てみると、そこには日暮れ前の薄暗い景色と降り注ぐ雨の雫が窓に張り付いて美しく輝いていた。
「終わった、んですか」
「ええ、助かったのよ……」
安心した様に女達は手と手を取り合って喜んだ。
最後に女学生が目を覚ましたことを確認すると、男は安心した様に立ち上がって左手の手袋を付け直した。
「怪異の……原因とやらはわかったのか」
髭面の男が息も絶え絶えに壁伝いに客席へと戻ってくる。
「嗚呼。このあたりは時々動物が飛び出してくるのだろう」
答えを求める様に黒い男は運転手を見る。
「……時折ですが、間に合わず轢いてしまいます。酷なことですが、無理に避けては乗客の身が危ないですので」
運転手はやるせなさそうに肩を落としながら答えた。
「運転手殿は心優しい人物だ。恐らく、轢いた動物を可哀想、と憐れんだろう」
「……命を一つ奪って何も思わない人間がいますか」
それの何がいけないことなのか、と運転手は黒い男をじっと睨む。
その視線を受けた男は何も悪くない、と首を横に振った。
「貴方の感情は至極同然だろう。だが、その憐れみが形を成し、怪異となってしまったのだ」
「では、この運転手が全ての原因だというのか!」
髭面の男が頭に血が上ったように運転手を睨みつける。あまりの剣幕に運転手が驚き肩を奮わせると、黒い男はいいや、ともう一度首を横に振った。
「誰が悪いというわけではない。怪異は要因こそあれど、誰かが故意に起こせるものではないからな」
そう答えながら黒男が乗車口に手をかけると、大の男二人が掛かってもびくりともしなかった扉がすんなりと開いた。
外は相変わらずの土砂降りで、水溜まりには何重にも波紋が描かれている。
酷い雨を男は特に気にすることなく電車を降り、灯りが照らされた電車の前方に移動した。
線路の上でなにかあったら大変だと慌てて運転手は男の後に続く。乗客達も皆連れ立って、運転席の方に移動して大きな窓から男が立っている場所を見下ろした。
「——此れは」
「此れが怪異の正体だ」
男が指差したものを見て運転手は息を飲んだ。
そこには狸の死骸が寝転んでいた。
雨に濡れ、息絶え毛は硬くなり、四肢はあらぬ方向に曲がり、臓物がはみ出し、目は開いたまま虚空を見つめている。
「かつて此処は森だった。きっと彼らの住処もあったのだろう。この都を作るために、森を切り開き、無理に人に居場所を追われ、逃げ遅れ、仲間とも逸れてしまったんだな。そうして餌を求め彷徨っているうちに電車と鉢合わせ、轢かれてしまった。そして息絶えようとしていた時、運転手殿がその死を酷く悲しみ哀れんだ。そうすることで魂は浄土に行くことなくこの地に縛られ、死ぬ前の記憶を幾度となく繰り返していたのだろう……」
黒い男は虚空を見つめる瞳を、そっと手で閉じ、懐から風呂敷を取り出してその亡骸を優しく包むと車内へと戻った。
「……原因は狸にしろ、やはりそもそもはそこの運転手が狸を轢いたせいではないか」
車内に戻ると髭面の男が腕を組み、仁王立ちをしながら黒男の後ろについていた運転手をじろりと睨み上げた。
「いっただろう。怪異は天災と同じだ、と。故意に人に害を与えようという意志はない。怪異が起こる条件が揃い、我々は運悪くそれに巻き込まれただけだ。例えどんな原因があったとて……運転手殿が負い目を感じる必要は、ない」
黒男は呆れた様に髭面の男を一瞥すると、狸の亡骸を包んだ風呂敷を運転手に差し出した。
「駅員達で弔ってやるといい。恐らく動物を轢いた者は運転手殿一人というわけでもないだろう。彼の住処を奪ったのは貴方たちではないけれど、彼が此処でこうして死んだ全ての原因は我々人間にあるのだから。彼らの住処を奪い、利用したのは我々だから。誰であろうと、彼らを葬い、その死を悼む責務はある」
「わかりました。手厚く弔わせて頂きます」
運転手はまるで赤子を抱くかの様に優しく風呂敷を受け取った。
「……どうか成仏しますように」
「次は自然の中で幸せに過ごせるといいね」
黒い男の言葉に感化されるように、乗客たちはその小さな魂が無事成仏するようにと手を合わせたのであった。
心地良い低い声が聞こえて、女学生はゆっくりと目を開けた。目の前には、あの黒い男がしゃがんで此方を見上げている。
状況を確認するために辺りを見渡して見ると、すぐ隣で心配そうに女学生を見ている女と、此方に両手を広げて笑っている赤子。扉が開け放たれた運転席の中にはほっとした様に深呼吸を繰り返している運転手と、髭面の男が腰を抜かして座り込んでいた。
窓の外を見てみると、そこには日暮れ前の薄暗い景色と降り注ぐ雨の雫が窓に張り付いて美しく輝いていた。
「終わった、んですか」
「ええ、助かったのよ……」
安心した様に女達は手と手を取り合って喜んだ。
最後に女学生が目を覚ましたことを確認すると、男は安心した様に立ち上がって左手の手袋を付け直した。
「怪異の……原因とやらはわかったのか」
髭面の男が息も絶え絶えに壁伝いに客席へと戻ってくる。
「嗚呼。このあたりは時々動物が飛び出してくるのだろう」
答えを求める様に黒い男は運転手を見る。
「……時折ですが、間に合わず轢いてしまいます。酷なことですが、無理に避けては乗客の身が危ないですので」
運転手はやるせなさそうに肩を落としながら答えた。
「運転手殿は心優しい人物だ。恐らく、轢いた動物を可哀想、と憐れんだろう」
「……命を一つ奪って何も思わない人間がいますか」
それの何がいけないことなのか、と運転手は黒い男をじっと睨む。
その視線を受けた男は何も悪くない、と首を横に振った。
「貴方の感情は至極同然だろう。だが、その憐れみが形を成し、怪異となってしまったのだ」
「では、この運転手が全ての原因だというのか!」
髭面の男が頭に血が上ったように運転手を睨みつける。あまりの剣幕に運転手が驚き肩を奮わせると、黒い男はいいや、ともう一度首を横に振った。
「誰が悪いというわけではない。怪異は要因こそあれど、誰かが故意に起こせるものではないからな」
そう答えながら黒男が乗車口に手をかけると、大の男二人が掛かってもびくりともしなかった扉がすんなりと開いた。
外は相変わらずの土砂降りで、水溜まりには何重にも波紋が描かれている。
酷い雨を男は特に気にすることなく電車を降り、灯りが照らされた電車の前方に移動した。
線路の上でなにかあったら大変だと慌てて運転手は男の後に続く。乗客達も皆連れ立って、運転席の方に移動して大きな窓から男が立っている場所を見下ろした。
「——此れは」
「此れが怪異の正体だ」
男が指差したものを見て運転手は息を飲んだ。
そこには狸の死骸が寝転んでいた。
雨に濡れ、息絶え毛は硬くなり、四肢はあらぬ方向に曲がり、臓物がはみ出し、目は開いたまま虚空を見つめている。
「かつて此処は森だった。きっと彼らの住処もあったのだろう。この都を作るために、森を切り開き、無理に人に居場所を追われ、逃げ遅れ、仲間とも逸れてしまったんだな。そうして餌を求め彷徨っているうちに電車と鉢合わせ、轢かれてしまった。そして息絶えようとしていた時、運転手殿がその死を酷く悲しみ哀れんだ。そうすることで魂は浄土に行くことなくこの地に縛られ、死ぬ前の記憶を幾度となく繰り返していたのだろう……」
黒い男は虚空を見つめる瞳を、そっと手で閉じ、懐から風呂敷を取り出してその亡骸を優しく包むと車内へと戻った。
「……原因は狸にしろ、やはりそもそもはそこの運転手が狸を轢いたせいではないか」
車内に戻ると髭面の男が腕を組み、仁王立ちをしながら黒男の後ろについていた運転手をじろりと睨み上げた。
「いっただろう。怪異は天災と同じだ、と。故意に人に害を与えようという意志はない。怪異が起こる条件が揃い、我々は運悪くそれに巻き込まれただけだ。例えどんな原因があったとて……運転手殿が負い目を感じる必要は、ない」
黒男は呆れた様に髭面の男を一瞥すると、狸の亡骸を包んだ風呂敷を運転手に差し出した。
「駅員達で弔ってやるといい。恐らく動物を轢いた者は運転手殿一人というわけでもないだろう。彼の住処を奪ったのは貴方たちではないけれど、彼が此処でこうして死んだ全ての原因は我々人間にあるのだから。彼らの住処を奪い、利用したのは我々だから。誰であろうと、彼らを葬い、その死を悼む責務はある」
「わかりました。手厚く弔わせて頂きます」
運転手はまるで赤子を抱くかの様に優しく風呂敷を受け取った。
「……どうか成仏しますように」
「次は自然の中で幸せに過ごせるといいね」
黒い男の言葉に感化されるように、乗客たちはその小さな魂が無事成仏するようにと手を合わせたのであった。
0
お気に入りに追加
8
あなたにおすすめの小説
シゴ語り
泡沫の
ホラー
治安も土地も悪い地域に建つ
「先端技術高校」
そこに通っている主人公
獅子目 麗と神陵 恵玲斗。
お互い、関わることがないと思っていたが、些細なことがきっかけで
この地域に伝わる都市伝説
「シシ語り」を調べることになる…。
失恋少女と狐の見廻り
紺乃未色(こんのみいろ)
キャラ文芸
失恋中の高校生、彩羽(いろは)の前にあらわれたのは、神の遣いである「千影之狐(ちかげのきつね)」だった。「協力すれば恋の願いを神へ届ける」という約束のもと、彩羽はとある旅館にスタッフとして潜り込み、「魂を盗る、人ならざる者」の調査を手伝うことに。
人生初のアルバイトにあたふたしながらも、奮闘する彩羽。そんな彼女に対して「面白い」と興味を抱く千影之狐。
一人と一匹は無事に奇妙な事件を解決できるのか?
不可思議でどこか妖しい「失恋からはじまる和風ファンタジー」
化想操術師の日常
茶野森かのこ
キャラ文芸
たった一つの線で、世界が変わる。
化想操術師という仕事がある。
一般的には知られていないが、化想は誰にでも起きる可能性のある現象で、悲しみや苦しみが心に抱えきれなくなった時、人は無意識の内に化想と呼ばれるものを体の外に生み出してしまう。それは、空間や物や生き物と、その人の心を占めるものである為、様々だ。
化想操術師とは、頭の中に思い描いたものを、その指先を通して、現実に生み出す事が出来る力を持つ人達の事。本来なら無意識でしか出せない化想を、意識的に操る事が出来た。
クズミ化想社は、そんな化想に苦しむ人々に寄り添い、救う仕事をしている。
社長である九頭見志乃歩は、自身も化想を扱いながら、化想患者限定でカウンセラーをしている。
社員は自身を含めて四名。
九頭見野雪という少年は、化想を生み出す能力に長けていた。志乃歩の養子に入っている。
常に無表情であるが、それは感情を失わせるような過去があったからだ。それでも、志乃歩との出会いによって、その心はいつも誰かに寄り添おうとしている、優しい少年だ。
他に、志乃歩の秘書でもある黒兎、口は悪いが料理の腕前はピカイチの姫子、野雪が生み出した巨大な犬の化想のシロ。彼らは、山の中にある洋館で、賑やかに共同生活を送っていた。
その洋館に、新たな住人が加わった。
記憶を失った少女、たま子。化想が扱える彼女は、記憶が戻るまでの間、野雪達と共に過ごす事となった。
だが、記憶を失くしたたま子には、ある目的があった。
たま子はクズミ化想社の一人として、志乃歩や野雪と共に、化想を出してしまった人々の様々な思いに触れていく。
壊れた友情で海に閉じこもる少年、自分への後悔に復讐に走る女性、絵を描く度に化想を出してしまう少年。
化想操術の古い歴史を持つ、阿木之亥という家の人々、重ねた野雪の過去、初めて出来た好きなもの、焦がれた自由、犠牲にしても守らなきゃいけないもの。
野雪とたま子、化想を取り巻く彼らのお話です。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
呪配
真霜ナオ
ホラー
ある晩。いつものように夕食のデリバリーを利用した比嘉慧斗は、初めての誤配を経験する。
デリバリー専用アプリは、続けてある通知を送り付けてきた。
『比嘉慧斗様、死をお届けに向かっています』
その日から不可解な出来事に見舞われ始める慧斗は、高野來という美しい青年と衝撃的な出会い方をする。
不思議な力を持った來と共に死の呪いを解く方法を探す慧斗だが、周囲では連続怪死事件も起こっていて……?
「第7回ホラー・ミステリー小説大賞」オカルト賞を受賞しました!
オサキ怪異相談所
てくす
ホラー
ある街の、ある処に、其処は存在する。
怪異……
そんな不可思議な世界に迷い込んだ人を助ける者がいた。
不可思議な世界に迷い込んだ者が今日もまた、助けを求めにやってきたようだ。
【オサキ怪異相談所】
憑物筋の家系により、幼少から霊と関わりがある尾先と、ある一件をきっかけに、尾先と関わることになった茜を中心とした物語。
【オサキ外伝】
物語の進行上、あまり関わりがない物語。基本的には尾先以外が中心。メインキャラクター以外の掘り下げだったりが多めかも?
【怪異蒐集譚】
外伝。本編登場人物の骸に焦点を当てた物語。本編オサキの方にも関わりがあったりするので本編に近い外伝。
【夕刻跳梁跋扈】
鳳とその友人(?)の夕凪に焦点を当てた物語。
【怪異戯曲】
天満と共に生きる喜邏。そして、ある一件から関わることになった叶芽が、ある怪異を探す話。
※非商用時は連絡不要ですが、投げ銭機能のある配信媒体等で記録が残る場合はご一報と、概要欄等にクレジット表記をお願いします。
過度なアドリブ、改変、無許可での男女表記のあるキャラの性別変更は御遠慮ください。
鬼と私の約束~あやかしバーでバーメイド、はじめました~
さっぱろこ
キャラ文芸
本文の修正が終わりましたので、執筆を再開します。
第6回キャラ文芸大賞 奨励賞頂きました。
* * *
家族に疎まれ、友達もいない甘祢(あまね)は、明日から無職になる。
そんな夜に足を踏み入れた京都の路地で謎の男に襲われかけたところを不思議な少年、伊吹(いぶき)に助けられた。
人間とは少し違う不思議な匂いがすると言われ連れて行かれた先は、あやかしなどが住まう時空の京都租界を統べるアジトとなるバー「OROCHI」。伊吹は京都租界のボスだった。
OROCHIで女性バーテン、つまりバーメイドとして働くことになった甘祢は、人間界でモデルとしても働くバーテンの夜都賀(やつが)に仕事を教わることになる。
そうするうちになぜか徐々に敵対勢力との抗争に巻き込まれていき――
初めての投稿です。色々と手探りですが楽しく書いていこうと思います。
心霊探偵同好会
双瀬桔梗
ミステリー
中高一貫校で、同じ敷地内に中学と高校、両方の校舎がある遠駆(とおかる)学園には『心霊探偵』という不思議な同好会があるらしい。
メンバーは幽霊を信じない派の柊 悠(ひいらぎ ゆう)と、信じる派(割とオカルト好き)の宇津木 怜斗伊(うつぎ さとい)の二人。
彼らは現在、使われていない旧校舎の一室を拠点とし、時々、舞い込んでくるさまざまな依頼を引き受けている。
※カクヨムにも公開しています。
※ひとまずシリーズもの(短編連作)として、二つのエピソードを投稿しました(いつか設定を少し変えたものを、中編または長編として執筆したいなと思っております)。
※表紙の画像は「いらすとや」様からお借りしています。
【リンク:https://www.irasutoya.com/?m=1】
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる