悪女ですがなにか~追放悪妃は廃太子を道連れに後宮生活を謳歌する~

松田 詩依

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1章 悪女、追放!

1話 悪女、追放

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 律 の一、色国後宮に入宮した者は「籠の鳥」として生きよ――。

 この後宮に足を踏み入れた者は、死する時まで外に出ることを許されない。
 それ故、都の者たちは後宮を「籠」と呼ぶ。
 後宮で生きる者たちは皆、自由を奪われた「籠の鳥」
 これは美しくも陰謀渦巻く恐ろしい「籠」の中で自由奔放に生き、後宮の伝統をぶっ壊した一人の悪女の物語である――。


 
「――紅蘭華こうらんか、貴様を追放する」

 若き皇太子、李煌亮りこうりょうが冷酷に告げる。

「本当によろしいので?」

 その前に跪く少女が訝しげに尋ねた。

「貴様は今まで破った『律』の数を覚えているか」
「さあ……数えたこともありませんね」

 少女が答える度に煌亮の眉間の皺が深まっていく。
 第一皇太子妃――紅蘭華。
 首筋に衛兵の剣先を突きつけられながらのこの余裕である。
 
「律の一〇二、私怨による表だった諍いは禁ず。お前、先日蝶月ちょうげつを陥れただろう」
「陥れたとは人聞きの悪い。蝶月様が勝手に溺れただけではありませんか」
「なっ……!」

 あっけらかんとそう答えれば、皇太子に寄り添っていた美女――蝶月が絶句した。
 ことの発端は三日前。
 五名いる皇太子妃のうち一人――第五皇太子妃・こう蝶月が足を滑らせ池に落ちたのだ。

『ぶっ……がぼっ! 助けてええええ!』

 そこに居合わせた蘭華がその光景を見つめていたのだ。
 池の前にしゃがみ、蝶月が溺れている様をそれはもう楽しそうに。
 その後、蝶月の悲鳴を聞きつけ現れた侍女たちにより宮はもう大騒ぎ。
 その騒動は皇太子の耳にまで届き、蘭華を捕らえ詰問に至った――というわけだ。

「そもそも、南宮のお前が何故中宮の蝶月のところにいたのだ」
「ですから何度も申し上げているではありませんか。池に立派な蓮が咲いたから見に来ないかと、蝶月様直々にお誘いいただいたのですよ……ねえ、蝶月様?」

 聞いていないのですか? と蘭華が目配せをすれば蝶月はさっと視線をそらす。

「美しい蓮を楽しんでいたらあら不思議、蝶月様が私を池に突き落とそうとしたではありませんか。それを避けたら、彼女が見事池にドボンと。いやあ、あれは見事な飛び込みでした」
「なっ、な、ななななっ――」

 大層楽しそうに蘭華が話せば、蝶月の顔が恥と怒りでみるみる真っ赤に染まっていく。

「あ、あれは……そう! 足を、足を滑らせただけなんですわ、陛下!」

 猫撫で声を上げながら、蝶月は煌亮にすり寄る。

「仮にそうだというのであれば、何故すぐに蝶月を助けなかった!?」

 矢継ぎ早に尋ねられ、蘭華ははて、と頬に手を添える。

「動かず蓮を見ていろとのご命令でしたので。それに、私を突き落とそうとするほど頭に血が昇っていらしたのだから、少し冷ましてさしあげたほうがよいかと思って。そもそもあの池――」
「黙れ!」

 蘭華の言葉は煌亮によって遮られた。
 煌亮は蝶月の細腰を抱き寄せ、守るように声高らかに叫ぶ。

「律の五十三、口答えは身を滅ぼす! また罪を重ねるか、蘭華!」

 彼の顔は怒りで真っ赤に染まっていた。

(……事実だというのに)

 そう。蘭華の証言は事実である。
 蝶月は蘭華を自分の宮に招いた。

『蘭華様、丁度その場所から蓮が素敵に見えるんですの。そこから動かずにご覧になってくださいな……』

 いわれるがままに立派な睡蓮を眺めていると、背後から蝶月が蘭華を突き落とそうとしたのだ『蘭華、覚悟!』と大声を上げて。
 しかし寸でのところで笙鈴は避けた。
 丁度、一匹の蛙がぴょこりと現れたので踏まぬようにと僅かに右にずれたのだ。
 そして蝶月はそのままの勢いで池にどぼん。
 皆の前で無様に溺れる醜態を晒したわけだ。
 ――だが、皇太子はそれを決して認めはしないだろう。

「違うのです殿下! この女の口から出る言葉は全て嘘! 殿下は私を信じていただけますわよね……?」

 何故なら蝶月は、彼が最も寵愛している妃であるからだ。
 目に涙を溜め、煌亮の袖を掴み、小首を傾げる。なんと立派な名演技。
 そしてこの煌亮はそんな演技にコロリと騙される、ちょっと残念な皇太子である。

「律の百、眼前に救える命あれば尽力せよ。律の二十、虚偽の証言をすることなかれ――貴様がこの後宮に入ってから犯した律はこれで百を超えた!」
「よくもまあ、律儀に数えましたこと」

 激高する煌亮の反応は蘭華とっては予想通りだった。
 先ほどから彼が「りつ」と呼んでいるのは、このしきの国の後宮に定められた厳しい規則のことだ。
 鈍器のように分厚い書物が五冊分。読破の所要時間、およそ三日三晩ともう一日。

「ずいぶん、蝶月様をお気に召しているようですが……即位の際には彼女を正妃にするおつもりで?」
「突然なんの話だ。お前には関係ないだろう!」

 関係大ありだった。
 色の国では皇帝に必ず皇后と四妃――計五名の妃が添えられる。
 皇太子妃はその前段階。数字が低い方が位が高い、つまりは第一皇太子妃である蘭華が後の皇后と定められていたのだ。

「大体、お前が第一皇太子妃の座についていること自体がおかしいのだ。後宮で産み捨てられた『親なし』が」

 煌亮は蔑むように蘭華を見下ろす。
 そう、この紅蘭華は元々は後宮内に捨てられていた誰が父とも母とも知らぬ赤子であったのだ。
 そんな侮蔑を浴びせかけられても蘭華は物ともしなかった。

「あの頭が空っぽでお馬……少々抜けていらっしゃる蝶月様に、無能な貴方をお支えできるとでも? 誰があの山のような仕事を影でこなすのです?」
「……っ」

 はっきりした物言いに、煌亮がぎりぎりと歯を食いしばる。
 これまで皇太子を裏から支え、名君と呼ばれるまでに担ぎ上げたのは全て蘭華のお陰といっても過言ではないのに。

(まあ、それをいったところでこの人には理解できないでしょう)

 そう判断して、蘭華はぽん、と手を叩いた。

「わかりました! 同じ知能を持った者同士仲良くするのが一番ですねっ!」

 その一言が皇太子の地雷を綺麗に踏み抜いた。

「律の二、皇帝を侮辱する者には死を! 犯してはならない最大の禁忌であるぞ!」

 声を荒らげる煌亮の迫力に、蘭華を取り押さえていた兵士が震えた。

「いちいちうるさいですねえ……図星突かれただけで大げさな」

 耳を塞ぎながら呆れている蘭華は相変わらずの態度だ。
 怒りを通り超した煌亮は、冷静に自分の妻を見下ろした。

「今一度いう、紅蘭華。貴様を皇太子妃から除名追放し、死刑に処す! 震えてあの世へ行くがいい、この悪妃め!!」

 そう宣告され、蘭華は一瞬固まる。

「それはつまり……離縁、ということで?」
「そうだ。お前の死をもって籠の鳥から解放する。しかし行くのは天の国ではない、地獄だ」
「それは――――」
 
ようやく頭を垂れた蘭華に龍煌はにやりと笑う。

「最高ですね!」

 満面の笑み。
 煌亮の顔は真っ赤に染まり、額に筋を浮かべる。

「さっさとつれていけ!」

 後ろ手で縄を締め上げられ、衛兵たちに引きずられながらも蘭華はにこやかに微笑んだ。

「あ、そうそう。最後にひとつ」

 部屋から去る前に、蘭華は声高らかにこう叫んだ。

「あの池、普通に足つきますよ!」
「――この性悪女!!!!!!!」

 煌亮と蝶月の叫びは、閉ざされた扉でかき消された。
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