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4話「無力な自分」
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気づけば新宿駅に降り立っていた。
休日の昼下がり。人で溢れかえる新宿駅。人波に流され、乗り換えるはずのホームから遠ざかっていってしまう。
茫然自失の美夜にそれに逆らう力はなかった。流れに身を任せるように足を進めていく。
「――――」
そうして気付けば駅の外に運ばれていた。
駅の軒先に立ち止まり、皆怪訝な顔で空を見上げる。地を打つ激しい轟音。言葉を失ってしまうほどの激しいゲリラ豪雨に見舞われていた。
まるで自分の心を表すようだと、思わずふっと笑みが溢れてしまう。
道ゆく人は皆、傘をさし急ぎ足だ。持たない者は小走りでかけて雨宿り先を目指す。
このまま家に向かえば濡れずに済むかもしれない。けれど何故か帰る気にはならなかった。
美夜はその場で暫く降り注ぐ雨を見上ていたが、雨など降っていないような自然な足取りで雨空の下に足を踏み出した。
煩い街の喧騒は全て雨音に掻き消されていた。
走りはしない。急ぎもしない。散歩でもしているように行くあてもなく歩き続ける。
あっという間に髪や服が濡れていく。素足でサンダルを履いているため、爪先は泥で汚れていく。
傘もささずに平然とずぶ濡れで歩く美夜を、すれ違う通行人は奇異の眼差しを向け綺麗に避けた。
それでいい。皆自分を見なければいい。そうすれば、まどかのように不幸になる人間はいなくなる――。
足元、できないはずの大きな黒い影が伸びていた。
「傘もささずにどうしたの」
頭上から降り注いだ嫌に優しい声。その瞬間、冷たい雨が止んだ。
ゆっくり顔をあげると、そこには忘れもしないいけ好かない笑顔。あの神流水雅水とかいう自称祓い屋が傘を差し出していた。
「…………神流水さん、でしたっけ」
「おや、覚えていてくれてありがとう。望月美夜さん」
「こちらの台詞です。よく、商売相手の友人の顔なんて覚えてましたね。私、名前名乗りましたっけ」
「まどかちゃんが何度も呼んでいたからね。職業柄、人の顔と名前は覚えるようにしているんだよ」
眼鏡の奥の瞳は相変わらず感情が読み取れない。優しく聞こえる言葉もいまいち信用できない。
だが、男は高価そうな大きめの黒い傘を美夜の方に傾けてくれている。そのせいでスーツの肩口が濡れていくが全く気にした素ぶりはない。
(結構いいスーツだろうに。勿体無い)
ぼんやりと美夜の視線は男の方に向けられる。
ずぶ濡れの黒い少女に今まで誰も声をかけてくれなかった。だが、彼は自分を詐欺師呼ばわりした相手に声をかけこうして傘を差し出してくれている。
これも詐欺師の演技なのか。何か目的があって自分に近づいているのか。それとも、彼の純粋な優しさなのか。
弱り切った頭はいつものように働かない。都合のいい方へ考えてしまう思考を振り払うように美夜は頭を強く振る。
「この前会った時と随分様子が違うけれど。なにかあったのかな? 僕でよければ話を聞くよ」
甘ったるい毒のような優しい声が耳を通して脳に回る。
あの人違って少し砕けた口調。人の心に入り込もうとするような声。
いけない。いけない。この男を頼ってはいけない。そもそも人に話すことではないし。話したところで信じてもらえるはずもないというのに。
「……………………まどか、が」
ぽつり。
意志に反して声が漏れた。漏れてしまった。
この男にだけは絶対に弱みを見せてはいけないというのに。もう二度と関わることはないと、思っていたというのに。
「立ち話もなんだし、静かな場所に行こうか」
神流水は全てを察したように笑みを深めた。
極めて優しい声で、眼差しで、神流水雅水は美夜を誘う。
大きな傘に二人が入る。恋人がやるような相合傘のような甘ったるい雰囲気は微塵もない。
ただ、美夜にそれ以上冷たい雫が降り注ぐことはなかった。男の右肩だけがスーツの色が変わるほど濡れていた。
休日の昼下がり。人で溢れかえる新宿駅。人波に流され、乗り換えるはずのホームから遠ざかっていってしまう。
茫然自失の美夜にそれに逆らう力はなかった。流れに身を任せるように足を進めていく。
「――――」
そうして気付けば駅の外に運ばれていた。
駅の軒先に立ち止まり、皆怪訝な顔で空を見上げる。地を打つ激しい轟音。言葉を失ってしまうほどの激しいゲリラ豪雨に見舞われていた。
まるで自分の心を表すようだと、思わずふっと笑みが溢れてしまう。
道ゆく人は皆、傘をさし急ぎ足だ。持たない者は小走りでかけて雨宿り先を目指す。
このまま家に向かえば濡れずに済むかもしれない。けれど何故か帰る気にはならなかった。
美夜はその場で暫く降り注ぐ雨を見上ていたが、雨など降っていないような自然な足取りで雨空の下に足を踏み出した。
煩い街の喧騒は全て雨音に掻き消されていた。
走りはしない。急ぎもしない。散歩でもしているように行くあてもなく歩き続ける。
あっという間に髪や服が濡れていく。素足でサンダルを履いているため、爪先は泥で汚れていく。
傘もささずに平然とずぶ濡れで歩く美夜を、すれ違う通行人は奇異の眼差しを向け綺麗に避けた。
それでいい。皆自分を見なければいい。そうすれば、まどかのように不幸になる人間はいなくなる――。
足元、できないはずの大きな黒い影が伸びていた。
「傘もささずにどうしたの」
頭上から降り注いだ嫌に優しい声。その瞬間、冷たい雨が止んだ。
ゆっくり顔をあげると、そこには忘れもしないいけ好かない笑顔。あの神流水雅水とかいう自称祓い屋が傘を差し出していた。
「…………神流水さん、でしたっけ」
「おや、覚えていてくれてありがとう。望月美夜さん」
「こちらの台詞です。よく、商売相手の友人の顔なんて覚えてましたね。私、名前名乗りましたっけ」
「まどかちゃんが何度も呼んでいたからね。職業柄、人の顔と名前は覚えるようにしているんだよ」
眼鏡の奥の瞳は相変わらず感情が読み取れない。優しく聞こえる言葉もいまいち信用できない。
だが、男は高価そうな大きめの黒い傘を美夜の方に傾けてくれている。そのせいでスーツの肩口が濡れていくが全く気にした素ぶりはない。
(結構いいスーツだろうに。勿体無い)
ぼんやりと美夜の視線は男の方に向けられる。
ずぶ濡れの黒い少女に今まで誰も声をかけてくれなかった。だが、彼は自分を詐欺師呼ばわりした相手に声をかけこうして傘を差し出してくれている。
これも詐欺師の演技なのか。何か目的があって自分に近づいているのか。それとも、彼の純粋な優しさなのか。
弱り切った頭はいつものように働かない。都合のいい方へ考えてしまう思考を振り払うように美夜は頭を強く振る。
「この前会った時と随分様子が違うけれど。なにかあったのかな? 僕でよければ話を聞くよ」
甘ったるい毒のような優しい声が耳を通して脳に回る。
あの人違って少し砕けた口調。人の心に入り込もうとするような声。
いけない。いけない。この男を頼ってはいけない。そもそも人に話すことではないし。話したところで信じてもらえるはずもないというのに。
「……………………まどか、が」
ぽつり。
意志に反して声が漏れた。漏れてしまった。
この男にだけは絶対に弱みを見せてはいけないというのに。もう二度と関わることはないと、思っていたというのに。
「立ち話もなんだし、静かな場所に行こうか」
神流水は全てを察したように笑みを深めた。
極めて優しい声で、眼差しで、神流水雅水は美夜を誘う。
大きな傘に二人が入る。恋人がやるような相合傘のような甘ったるい雰囲気は微塵もない。
ただ、美夜にそれ以上冷たい雫が降り注ぐことはなかった。男の右肩だけがスーツの色が変わるほど濡れていた。
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