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メニュー2「きゅうそくのホットケーキ」
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しおりを挟む食後、三浦がお代わりしたブラックコーヒーを飲んでいると慌ただしく扉が開いた。
閉店四十五分前に新しい客か、と扉に視線を向けた二人は固まった。
「………………社長」
扉を開いたまま仁王立ちし、肩で息をしているスーツ姿の三十代程の女性。
彼女の視線は真っ直ぐと三浦に注がれており、痛い程の熱視線に三浦は居た堪れず視線を逸らす。
「や、やぁ……アキちゃんもホットケーキ食べにきたのかな?」
態とらしく猫なで声をあげる三浦。
「瀬野さん、こんばんは! ウチの社長がお世話になっております!」
「……こ、こんばんは。アキちゃん」
三浦に向ける表情とは正反対の笑顔を向けられ、瀬野も思わずたじろいだ。
彼女は三浦建設の事務員、高山千秋(たかやまちあき)。通称アキちゃん。その他にも三浦社長の右腕。三浦建設の参謀。ブレイン。苦労人--などなど、様々な呼称があるのだが、とにかく優秀な子なのだ。
「社長。一時間で戻ってくるっていいましたよね。早く決めてくれないと、困るんです」
鬼の形相で千秋は三浦に近づいていく。
「コウのホットケーキが美味しくてさぁ……それにちゃんと時間をくれって出てきたじゃん」
三浦はたじろぎながら、瀬野に視線を送り助けを求める。
こうなった彼女を止めるのは瀬野には不可能なのだが、どうにか助け舟を出すしかない。
「ほら、アキちゃん。浦さんは浦さんなりに会社のことで色々悩んでて。一人でじっくり考えるのもたまには必要で--」
彼は飄々としているが、社員思いの良い社長だ。
赤の他人の自分が人の会社のことに口を出すことではないけれど、きっと三浦は彼なりに考えたいことがあってこの店に--と、瀬野が助け舟を出した途端、アキはきっと瀬野に顔を向けた。
「飲み会の場所をどちらにするか決めるのに、一人で思い悩むことが必要ですか!」
「…………は? 飲み会?」
アキの言葉に瀬野は目を瞬かせた。
「そうです! 年度が明けて立て込んでいた仕事も落ち着いたので、新社員の子の歓迎会のお店を選んでたんですよ」
「……俺はどこでも良いから皆の好きなところにしてくれっていったでしょ」
「だから、二択まで絞って多数決を取ったら半々に分かれたから……社長の一票で決まるんです!」
アキはずいとスマートフォンを三浦の顔に近づける。
方や庶民的な焼き鳥屋、かたやお洒落なイタリアン酒場。確かに三浦なら飲めるならどちらでも良いといいそうではある。
「皆飲み会楽しみにしてるんです! 店がどちらになるかで、その後の仕事のモチベーションも変わるんですよ」
「なにもそこまで飲み会に本気にならなくても……今度両方行けばいいじゃないの」
つまり、今社員の意見は焼き鳥かイタリアンかで真っ二つに割れている。
彼らの思いは三浦の一票にかかっている。社員からの重圧、熱視線。どちらになるのだと張り詰める空気--。
「浦さんまさか……」
その二択を選ぶのが面倒で、この店に逃げにきたのか……と瀬野が三浦を見ると、彼はバツが悪そうに二人から顔を背けた。
「社員全員、一大プロジェクトしてるみたいに殺気放ってくるんだぜ? 飲み会の店選びで……」
「この数ヶ月目が回るほど忙しかったじゃないですか! だから皆ストレス溜まってるしぱーっとしたいんですよ、ぱーっと!」
「……コウ、どう思うよぉ」
今にも泣きそうに三浦は瀬野を見た。
「どう思うっていわれても……」
仕事の一大事かと思ったら、まさかの飲み会の店選びというなんとも平和なお話。
本人達には重要なことなのだろうが、第三者の瀬野からしてみたら心配を通り越し何故だか笑えてきてしまう。
「…………なに、笑ってんだよ」
堪えようと思っていたが、笑いが腹の底からこみ上げてきて瀬野は肩を震わせ笑みをこぼす。
「……っ、いや。本当に、三浦建設はいい会社だなぁ……と思って」
「お前、他人事だと思いやがって! 俺の決定で社員の役半数から恨まれるんだぞ!」
「ほら、社長! 終業前に決めちゃってください! 社員全員の前で大発表ですよ!」
アキは三浦の腕を引き、無理やり立たせる。
「それにしてもアキちゃん。どうして社長がここにいるって分かったの?」
「社長はいつもサボるとき瀬野さんのところに行きますから。それに、トラちゃんが会社の前まで来て教えてくれたんです!」
「……トラが?」
扉の方に視線を向けると、店の看板猫がおすわりしてこちらの様子をじっと伺っていた。
「……思わぬところに密告者が」
三浦が恨めしそうに虎次郎を見ると、彼は勝ち誇ったようににゃぁ、と一鳴きし大きく伸びをして寝床へ戻っていった。
「今度トラくんににゃおにゃーるお土産に持って来ます! それじゃあ、瀬野さんお騒がせしました! ほらっ、行きますよ社長!」
「あー……もう、分かったよ。分かりましたぁ……」
三浦はアキに引きずられながら店の外へ向かっていく。
「浦さんありがとうございました。アキちゃんもまた、ご飯食べにおいで」
「おうよ」
「はい、是非! 今度新人の子連れて来ますね!」
二人はにこやかに笑って店を出ていった。
まるで嵐が去ったように静まり返る店内。
「……何事もなくてよかったよ」
ほっ、と瀬野は息をついて腰を下ろした。
「さて……俺も一服しようかな」
もうすぐ店仕舞い。
瀬野は一枚だけ焼いて取っておいたホットケーキにたっぷりとシロップを垂らす。
「いただきます」
フォークで一口大に切り、口に頬張る。
少し冷めてしっとりしたホットケーキと、口の中に広がるシロップの甘さ。淹れなおしたコーヒーの苦味。
なんて、なんて幸福だろう。
色々な客が訪れ、時には一騒動起きながらも、カフェひなたぼっこの一日はもうすぐ終わる。
来てくれた客に感謝をしながら、笑顔で帰ってくれたことを喜びながら--甘党店主の至福のひとときを味わうのだ。
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