湯屋「憩い湯」奇談

さち

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久しぶりに外出します①

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 湯屋「憩い湯」の主、伊織はあまり休まない。他の従業員同様、週に2日は休みがあるのだが、休日でも仕事をしていることがほとんどなのだ。そんな伊織だが、たまには出掛けることもある。
「佳純さん、明日どなたかお休みの人はいますか?」
木曜日の夕方、壱号館の詰所を訪れた伊織が尋ねると、主任の佳純は首をかしげながらシフト表を確認した。
「明日は東吾くんと良介さんが休みですね。明日はお出掛けですか?」
「ええ。呉服屋に行くんですが、どなたかご一緒してくれないかと思いまして」
呉服屋と聞いた佳純がハッとしたように目を輝かせる。その様子に伊織は苦笑してうなずいた。
「例のものができたんですか!?」
「ええ。さっき知らせがきました。ちょうど明日は休みなので取りに行ってこようかと」
佳純は「できたんですね~」と笑顔で内線をかけ、東吾と良介を呼び出した。

「外出のお供ですか?」
詰所にやってきたふたりが首をかしげると伊織は苦笑しながらうなずいた。
「少々荷物があるので手伝っていただけると嬉しいのですが」
「ちょうど何も用事ないしいいですよ」
「俺も大丈夫です」
「じゃあ決まりね」
ふたりが了承するとなぜか佳純のほうが嬉しそうに手を叩く。伊織はそんな佳純に困ったような顔をしながらふたりに頭を下げた。
「では、明日の10時に玄関で。よろしくお願いします」
「はい。あ、でも伊織さん着物ですよね?俺、そんなたいして服持ってないです」
ハッとしたように言う東吾に伊織は気にしなくていいと笑った。
「ただの買い物ですから。そんなにかしこまったところに行くわけではありません。いつも通りの普段着でかまいませんよ」
伊織の言葉に東吾と口には出さなかったが服装を心配していた良介がホッと胸を撫で下ろした。

    翌朝、10時に玄関に行った良介と東吾は予想していたとはいえ伊織の服装と自分たちの服装の差に目眩がした。良介たちはTシャツにジーンズというカジュアルさ。対する伊織は紺の着流しに同じ色の羽織を着ていた。
「お待たせしました」
「いえ、せっかくのお休みなのに付き合っていただくのですから。今日はよろしくお願いしますね」
そう言って微笑む伊織に良介と東吾はそろって「こちらこそ」と頭を下げた。
「俺らこんな格好ですけど大丈夫ですか?」
「問題ありませんよ?では行きましょうか」
にこりと笑う伊織と共にふたりは歩きだした。

    伊織が向かったのは贔屓にしている呉服屋だった。賑やかな場所にあってもどこか威厳ある佇まいのその店は良介や東吾には敷居が高かった。
「ここですか?」
「ええ。私の着物は全てここで仕立ててもらっています」
うなずいた伊織がなんの躊躇いもなく暖簾をくぐる。良介と東吾もあとに続くと、店内は反物と着物がいくつか飾られたいるだけでそれほど物はなかった。
「いらっしゃいませ。伊織さま、いつもありがとうございます」
「お願いしていたものができたと聞いて受け取りにきたのですが」
店主らしき着物姿の壮年の男が出てきて挨拶をする。伊織は慣れた様子でそれに応え用件を伝えた。
「はい。できておりますよ。奥のほうに飾っていますのでどうぞ」
店主に促されて3人は店の奥に入った。

    店の奥は座敷がいくつかあり、採寸やら試着やらができるようになっていた。その一室に案内されて中に入ると衣桁に着物が掛けられていた。赤から黒へのグラデーションに金の揚羽蝶が舞うという美しい柄のそれは伊織が着るには派手に思えるものだった。
「いかがでしょう?」
「とても綺麗です。こんなに良く仕立ててくださってありがとうございます」
「ではお包みいたしますね。小物の類いはいかがなさいますか?」
問われた伊織は組紐もいくつか選んでいた。
    準備に少しかかるからとそのまま茶と菓子が出される。室内に3人だけになると良介と東吾はやっと肩の力を抜いた。
「ふふ、緊張しましたか?」
ふたりの様子に伊織は思わず笑みをこぼした。
「そりゃあ。俺、呉服屋初めてですし」
「俺もこんな高そうな店には入ったことないです」
「私はずっとここで着物を仕立てているので慣れてしまいましたが、普段和装をしない人には慣れない場所ですよね。でも、憩い湯の仕事着にしている着物や作務衣もここで仕立ててもらっているんですよ?」
思わぬ言葉にふたりが顔を見合わせる。伊織それを見てさらに笑った。
「と、ところで、あの着物は玉城さんのですか?」
話題を変えようと良介が尋ねると、伊織は苦笑しながらうなずいた。
「やっぱり私が着るには派手な柄だからわかりますよね。玉城の着物もいつもここで仕立ててもらっているんですが、今回は玉城には内緒でプレゼントしようかと思いまして」
「あ、それで佳純さんがあんなに楽しそうだったんだ」
東吾の言葉に伊織がうなずく。最初は普通に仕立てて渡すつもりだったが、なんとなく佳純に話したらサプライズにしたらいいと言われたのだ。
「ちょうど、玉城が憩い湯に来た日が近いので」
「女ってのはサプライズが好きですよね」
押しの弱い伊織はさぞ困ったろうと良介が苦笑した。
着物の準備ができるまで3人は仕事のことから趣味の話までゆっくり話した。普段従業員とあまり話す機会のない伊織はこうして外出のたびに休みの従業員を誘い、親睦を深めていた。
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