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健やかなる君へ
しおりを挟む朝一番のクーニッツ領の街、眠い目をした者やイキイキと開店準備に追われる店主たち。
馬車は領内の端に停め、テオドールとフランクは街中を歩き始めた。
朝の空気も新鮮だ。眠たくなければさぞ清々しい朝だったことだろう。
きょろきょろと辺りを見渡してテオドールは見覚えのある店にたどり着いた。
「あら!皇太子殿下!!」
支度を始めていた威勢のいい女店主がテオドールに声をかけた。
普通は、目上の者に対して先に声をかけるのは無礼だ。
だが、以前話したことのなる女店主は元気な声でテオドールに話しかけた。
二人の結婚式の際には、約束通りとびきり新鮮なオレンジを納品した。
「やあ、元気にしていたか?」
「はい殿下!オレンジはお気に召していただけましたか?」
「ああもちろんだ!そなたの店のオレンジは絶品だ。妃がとても喜んだ。感謝している。」
「妃殿下にお喜び頂けてうれしいです。それよりこんな朝早くから殿下はご政務ですか?
この領でなにか問題でも?」
テオドールは苦笑いを浮かべて手を振った。
「違うんだ。実はな、深夜に妃がどうしてもそなたの店のオレンジジュースが飲みたいと言ったからここへきた。店主、頼みがあるんだが。」
「まぁぁ!!妃殿下がですか?!うれしいわぁ!!」
眩しい笑顔を浮かべて店主は喜んだ。
「あぁでも、城へ持って帰るのは・・・。妃殿下は?お腹の御子は健やかですか?」
「もちろんだ。問題ない。それでだな・・・・。」
テオドールは頬をポリポリと掻いて目を泳がせた。
「店主よ。頼みがあるのだが・・・。」
「なんなりと殿下!殿下のご要望とあれば!私はなんでも致しますよ!」
ドンと胸を張って店主は得意げな顔をした。
「その・・・世継ぎが生まれるまで、城に住み込みで働いてくれないか?
もちろん、店の営業以上の謝礼金は出す!そなたのオレンジジュースでないとダメなのだ。」
最後はなんとも情けない表情になった。自分にできることは命令ではない。
命令するのは簡単だ。だが、国民の意思を尊重したい。これは皇帝陛下からの学びでもある。
「まぁぁ!!殿下本当に?私が城で妃殿下の御飲物を作るためにですか!?」
「ああ・・・その、それだけにそなたのこの店を一度休ませてしまうのは、領に住む皆には申し訳ないのだが、どうか、頼まれてくれないだろうか?」
「あっはっはっは!!!」
店主は大声で笑った。その声にテオドールは承諾を得られるかとゴクリと息を飲んだ。
そして、恐れ多くも店主はテオドールの肩をポンポンと叩いたのだった。
「朝早くから何かと思えば、なんと良い旦那様でしょうか!ははははは!!妊婦の無茶な要望に応えようとわざわざこの時間になるように出られたのでしょう?殿下は素晴らしい夫ですね。」
わかるわかるとでも言いたげな店主だった。
「私は独り者ではありませんし、8歳になる子を一人で育てています。一緒ですがよろしいですか?
お世継ぎが無事に生まれるまで、とびきりのオレンジジュースを妃殿下に捧げますよ!!!」
「ほっ・・ほんとか!?」
「喜んで!!」
「はぁ!!!」
テオドールは店主の両手をぐっと掴んで瞳を潤ませた。
これで、深夜にここへ来ることはないだろう。
「店主よ!感謝する!!お礼はたっぷりとするからな!?むしろ帝都に店を用意してやってもいいが?」
「ははははっ!この領で採れるオレンジがいいんですよ!オレンジが新鮮なうちに城へ運ぶことができれば、何も問題はありません。それに私はこの新たなクーニッツ領が好きなのです。」
「ああ、そうか!!わかった!心配するな。世継ぎが生まれるまでだ。よろしく頼む!
妃専属だ!待遇は期待してくれ。何かあればすぐに私に言えばいい!」
「ふっ、殿下、ありがとうございます。殿下と妃殿下のお役に立てることを光栄に思います。」
「ああ、ありがとう!!!!さっそくだが!オレンジジュースを作って飛んでいくぞ!」
「はえ?」
「ああ、とりあえず、荷造りしていてくれ、オレンジジュースを俺にくれ!
あとはこの俺の従者のフランクが対応するから!子供と一緒に今日中に城に来てくれ!!」
「殿下が、飛んで?」
「ああ!早くオレンジジュースを届けないといけなんだ!一つ、いや、二つ頼むよ!」
店主がテオドールが言われた通りにオレンジジュースを作り始めた。
その間、テオドールはうれし気にブレスレットを3回叩いた。
「殿下ぁ・・・なんですかこんな朝早くからぁ・・・・。」
陽の眩しさにフードを深くかぶったハリーがテオドールの前に現れた。
「ハリー!よく来てくれた!そんなフードなんか被ってないで朝日を浴びろ!健康にいいんだぞ!」
バリっとハリーのフードをめくった。
「目がぁぁっ・・・なにすんですかもぉお!ていうかなんの用なんですか、ここどこ!」
ハリーは帝都しか知らない。大公家になったものの外もロクに出ることはない。
呼ばれて出られる範囲は広がったが、ここがどこだかも分からなかった。
「殿下!オレンジジュースお持ちしましたよ!」
「ああ、ありがたい。あとは従者がなんとかする。じゃあ俺はこれで失礼するよ。」
「殿下?馬車も使わずどうやって?」
店主はポカンと口を開けた。
眩しさに目を細めているハリーの肩を掴み、テオドールはニコリと店主に笑った。
「大公家の話は聞いているだろ?この者は大公家の人間だ。」
ハッと驚き店主はその姿を見た。
「この方が?」
「ああ、これでも腕利きの魔術師だ。さぁハリー?
城へ戻ろう。」
「なんでもいいっすけど、なにしに来たんですか?」
眠たい目を擦りハリーは尋ねた。
「ふっ、お前もそろそろ外の世界を知るんだ。じゃあな!店主、城で待ってるぞ!」
ハリーはパァンと両手を合わせてテオドールの言われるがままこの朝日から逃れられる城へと帰還した。
「わぁお」
店主は一瞬で消えたテオドールと魔術師に目を丸くした。
「では、あとは私になんなりと‥‥皇太子殿下の側近フランク・シュクマーでございます。」
「あ、ええ宜しくお願い致します。」
テオドールの私室前にハリーとテオドールは戻ってきた。
「助かったぜハリー。ほら、この一杯はお前にやるから。」
「もういいですか?え、もらっていいの?」
「ああ、サンキュー。それは礼だ。」
「え、なんて?」
ハリーが聞き返す言葉を無視してテオドールは部屋に入っていった。
毎度のことながらこの世界はサンキューは通じない。
部屋に入ると、愛しの妃はまだスヤスヤと眠っていた。
フッと笑ってテオドールは上着を脱いでベッドに近づいた。
愛しいその姿を見ているだけで、目の下の隈も消えてしまいそうだ。
寝返りして、お腹を正面に向けたリリィベルのぽこりとしたお腹を見てニンマリとテオドールは笑った。
「父が帰ったぞ?早かったほうだろう?」
お腹にそっと手を当てて撫でた。
そうすると、小さな胎動が返事をくれた。
「分かるんだなぁ‥‥ははっ新鮮なオレンジジュースを飲ませてやるからな?母を起こさないとな?」
テオドールは、眠っているりりィベルの頬に口づけした。
「・・・・・ぅん・・・・・」
夢なのか現実なのかリリィベルは優しい口づけに口角をあげた。
まだ夢の中だと思っているリリィベルに、少々強引ながらテオドールはその綺麗な金髪の前髪を掻き上げた。
「おーい、リリィ?帰ったぞ?」
「んん~・・・・ん?」
長い睫毛を震わせてその大きな眼が開く。
「おはようリリィ?」
「テオォ・・・?」
甘く名前を呼ぶ声が返ってきて、そばに腰を下ろしているテオドールに向けてリリィベルは両手を伸ばした。
「ふっ・・・起きたか?」
伸びてきた両手にテオドールは身を預けた。首筋に抱き着いたリリィベルはテオドールの頬に擦り寄った。
「テオ・・・おかえりなさい・・・・。」
「ただいま。お前の望む物を持ってきてるぞ?」
その言葉にリリィベルは一気に眠気が覚めて、テオドールと顔を突き合せた。
「ほんとぉ?」
喜びの笑顔を向けた。至近距離でその顔を見て、テオドールはうっすらと頬を赤らめた。
「あ、ああ・・・お前が欲しがっただろ?今持ってきたばかりだから。」
ベッドサイドのテーブルに置いたジュースを指さした。
「ほら、あそこに。」
指さすほうを見て、リリィベルは朝から嬉しくて仕方がない。
テオドールはそのままリリィベルを抱っこして、すぐ近くにリリィベルを抱えて座った。
「ほら、あの時のジュースだ。今日中に店主も子供と一緒に城にくるようにしてあるぞ。
お前専属だ。いつでも飲めるぞ?」
「まあ、お礼を言わなくちゃ・・・。」
眼をキラキラさせてリリィベルはオレンジジュースを手に取った。
そしてコクンと喉を鳴らして、待望のオレンジジュースを口に含んだ。
「んんん~・・・とっても甘くて爽やかで・・・本当に美味しい・・・。」
しみじみとその美味しさに感動しているリリィベル。
「そうか、良かった・・・。」
「テオも飲みましょう?」
「ああ、一口もらうよ。」
「んふふ。」
同じコップに口をつけて、リリィベルはうれしそうにテオドールが飲む様子を見ていた。
「んん~。うまいな。」
この寝不足な体に染み渡る甘さと清涼感だ。やはりこの店のジュースは絶品だ。
子供が生まれるまで思う存分堪能しよう。そう思った。
そうしてお腹の子は順調に育っていく。日に日に大きくなるお腹に2人で話し掛けるのが楽しみだった。
どんなに忙しくとも夜は3人だけの時間。笑顔が絶えない尊き時間だった。この子が産まれてきたら、どんな毎日が待っているだろう。きっと大声で泣いて、城が賑やかになるだろう。
そして皇帝オリヴァーは、その日に日に大きくなるお腹にメロメロだった。テオドールがお腹に宿りこうして産まれるまでの時間を過ごせなかった彼は、妊娠が分かった時の事など最早消え去りリリィベルに会えばお腹の子に話しかけていた。
「ちょっと父上!」
「なんだ?」
ある日の朝食時、オリヴァーがあまりにもリリィベルのお腹に話しかける様子にテオドールは声を上げた。
「そんなに会う度に話しかけられて、ただでさえ声が似てるのに子が間違ったらどうしてくれるんですか!」
「ふふん、何も問題などない、所詮私は祖父なのだから、そんな事まで嫉妬するな。お前の父は嫉妬深くて心の狭い父だなぁ?私はお前になんでも与える良き祖父だぞ?忘れるな?そしてお前はこの世で最も尊い子となるだろう。
みろ?父に向かって刃向かうあの可愛いかった我が子は‥‥あんなに生意気になってしまった。だが、心配するな?
お前の母はそれはそれは優しい人だから。リリィに似た子になるんだぞ?」
「まぁ、オリヴァー様、テオも十分いい子でしたわ?」
マーガレットがその様子を見て笑顔でそう言った。
「ああ、それが7歳になるまで見られなかったんだ。この子が生まれるのが楽しみで仕方ない。」
「ふふふっ、私も良き祖母ですわよ?ねぇ~?」
リリィベルの椅子を囲み両側から祖父と祖母となる2人が話し掛けている。その様子にリリィベルは終始笑顔だった。
「毎朝これだ‥‥おーい、お前は父の声をちゃんとおぼえるんだぞ?きっと賢い子だから、最初の言葉は忘れるな?
お父さんだぞ?」
テオドールは、正面からリリィベルのお腹に向き合う。
それを見てぷっとリリィベルは吹き出し笑った。
アレキサンドライト帝国の城の中は今日も平和だ。
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