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月の記憶 〜君がいない日々〜

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 礼蘭がこの世にいなくなってから、早くも49日は過ぎた。
 年も明けた。どうでも良かった。
 クリスマスも、礼蘭がいつもツリーを出すから2人で飾り付けをした。楽しかった‥

 礼蘭が年末の大掃除を、始めるとエプロンを引っ張ってイタズラして笑い仲良く新年を迎えていた。



 今の暁の日々は相変わらず闇の中だった。

 暗闇に、礼蘭とのDVDを見て過ごす。
 そして思いを募らせるばかりだった。

 相変わらず、悠と忠は暁から目を離す事が出来ずに、交代で仕事に出た。暁は仕事を休職したまま、ただDVDを見続けた。
 教会の彼が言った言葉とは裏腹に、これを見ていると心が癒された。


 その姿に、悠達は悲しみよりも恐怖を感じていた。


 一日中、礼蘭のDVDを再生し、時折笑みを浮かべた。
 まるで夢を見るような、けれどこれは心が壊れた姿だった。


 毎日毎日、礼蘭の服を握りしめながらテレビの前に座ったままだった。


 ただ、礼蘭の姿を見つめ、声を聞き‥‥‥

 焼き付ける様に見ていた。


 その笑顔が‥‥危うく、いつも不安だった。



「‥‥‥ねぇ、暁?」
 悠が、暁の背に声掛けた。


「‥‥‥‥‥」
 暁は返事をしなかった。ただ礼蘭を見つめるだけ‥‥‥。



「暁‥‥そろそろ‥‥日常生活に‥‥‥。仕事だって‥‥この家だって維持するんでしょ?私達も力になれるけど‥‥あんたもこのままこうしいる訳にはいかないでしょ‥‥?

 礼司くん達も、お店‥‥開けたわよ‥‥?」


「‥‥‥‥‥そう‥‥‥‥‥。」


 一言返事をして、暁は振り返らなかった。
 ただ礼蘭を見て笑みを浮かべる。

 画面の中の礼蘭が手招きする。


 その手が、少しずつ、少しずつ‥‥画面の礼蘭に引き寄せられる様に、暁の精神はもっと崩れていく。




 深夜の暗い部屋でテレビが煌々と光る。

 《暁!こっちだって?この木の下がライトアップされて》

 画面の礼蘭がそう言った。手招きをする可愛い笑顔に心が揺らぐ。


 《暁が私を抱えて、あたしが暁を見下ろすみたいにしてね!
 ベールがふわ~ってなるの!冬だから寒いよね!
 でも雪の夜のライトアップってすごい綺麗!

 あはっ一発勝負だよ?!》


 《ドレス長袖のやつにするよな?風邪引いちまう。》


 《そう!だから一発勝負だよ?!暁の手にかかってるの!
 あきならできるでしょっ?》



「ああ‥‥‥出来るよ‥‥なんだって‥‥‥‥」



 お前の為なら‥‥なんだって出来るよ‥‥‥。




 その夜、暁はまたベランダに出た。
 礼蘭の指輪は、ネックレスにして、肌身離さず持っていた。


 寒空のキンと冷えた空気が、肺を冷やす。


 この家は20階建ての賃貸マンションだった。少しでも思い出の花火に近付きたくて、狭い部屋だが、街の中でも空に近いこの部屋を選んだのだ。


 このベランダでも、2人で花火を見た。


 あの時のホテルには敵わないけど‥‥狭い部屋だけど。

 この部屋は、2人の家だった。





 キラキラと星が瞬いていた。
 裸足の足で、ベランダに出た。



「礼蘭‥‥‥手‥‥‥届く‥‥‥?」

 ただ星空を見上げて手を伸ばした‥‥。



「一発勝負だよな‥‥‥?‥‥俺なら出来るよ‥‥‥。」



 ベランダの手すりから、身を乗り出した。

 あの輝く星が、礼蘭に見えた。



 1番眩しいあの星が‥‥‥。


「俺が‥‥お前を、抱き上げて‥‥‥」
 手すりに片足を掛けた。

 もう少しで、手が届きそうだった。


 だが、反対の足のズボンの裾が、礼蘭のガーデニングで取り付けていたウッドフェンスに引っかかった。

 ガシガシと足を動かしても簡単に外れない。

 でもあの星から目が逸らせない。
「っ‥‥くっ‥‥‥」

 片足を暴れさせて、ウッドフェンスの尖った先が、足の甲に刺さり血が滲む。

 真っ白な雪の上に血が‥‥



「っ‥‥‥れいっ‥‥‥っ‥‥」


 いつの間にか、フェンスの先が暁を引き止める様に刺さっていた。


 それでも行きたい‥‥‥。



 このベランダから‥‥‥礼蘭の元へ‥‥‥。





「暁っ!!!!何してるのっ!!!!」
 やがて、物音に気づいた悠が駆け込み、暁の両腕を掴んだ。


「礼蘭を、抱き上げて‥写真撮るんだ‥‥呼んでる‥‥‥」

「そんな事絶対ないわよ!!!!」


「一発勝負なんだよ‥‥‥っ‥‥俺なら出来るって‥‥‥礼蘭が言ってるっ‥‥‥」

 忠も駆け付け、暁の身体をフェンスから引き離し部屋の中に3人で崩れ落ちた。

「何してんだお前!!!!」

「れいが呼んでんだ‥‥‥邪魔すんじゃねぇよ!!!!」

 大袈裟に2人を振り解き、四つ這いになったまままたベランダに向かう。

「バカ!!!!そんな訳ないだろ!!!!」

 忠が暁の背に馬乗りになって止める。暁の身体は床に張り付いた。ポタポタと涙が落ちた。



「なんっで‥‥‥みんなっ‥‥俺だけ‥‥‥っ‥‥」




 こんな世界で‥‥‥俺は、どう生きていけばいい‥‥。



 もううんざりだ‥‥‥。礼蘭の居ない世界は‥‥



 早く‥‥1日でも早く‥‥‥。



 礼蘭の居ない世界から消えてしまいたい‥‥‥。






 その日を皮切りに暁は希死念慮にかられた。
 思い掛け無い瞬間で、それは訪れる。

 頭が痛いと思って頭痛薬を手にした途端、一気に薬を大量に飲んだこともあった。
 導かれる様にベランダに出ては、まるで道があるかの様に足をかける。
 

 目の離せない日々が続いた。悠と忠を次第に疲労が溜まる。
 看護師の2人だが、精神科は専門じゃない。

 ただどんなに話をしようとも、暁はただ、礼蘭の側に行きたいだけ‥‥。


 体を傷つけるような物はすぐに遠ざけた。
 それでも、暁の自殺未遂は続いた。


 ただ唯一、礼蘭の匂いが残るベッドに眠る事だけが幸福だった。常に抱きしめる服と、胸元からちらりと覗く礼蘭の指輪がついたネックレス‥。


 悠と忠は、根気のいる交代の見守りと浅い睡眠の日々を過ごした。



 病院へ連れて行く事も考えた。だが、薬を飲んだところで落ち着く問題ではなかった。
 ストレスによるうつ病だったなら、ストレスから遠ざけるなり、環境を変え、安定剤を飲む事もできた。


 だが、暁は違う‥。安定剤は、礼蘭だった。



 突然現れるその自殺行為は、抑制できなかった。




 そんな日々が続くまま‥‥両親の努力のおかげで、
 3ヶ月の休職後、勤めていた病院になんとか復帰した。
 看護部長や課長達、プリセプターの宮木に掛けられる言葉にも、なんの心も動かなかった。
 まるで人が変わった様に、ピクリとも笑わなくなった。
 腫れ物の様に扱われるぐらいでちょうど良かった。

 それでも、突然の自殺行為は度々起こった。
 だが、どれも未遂に終わり、暁は涙を流した。
 まるで礼蘭に拒絶されている様に思えて、ただ泣いた。
 礼蘭の居ない人生を捨てる事など、容易いと考えていた。

 テレビでは、いつも誰かがその人生を終えたニュースがあるのに、暁の人生が途絶える事はなかった。
 食べる事を放棄しても、何をしても、気が付けば救急病院で目を覚ます。

 
 そうして、目が覚めるのに、なぜ礼蘭は目を覚まさなかったのだろう。

 さよならも言えず‥‥愛を伝える暇も与えずに、暁の人生から消えた。



 毎日毎日、尽きる事なく涙が出た‥‥‥。



 その年の1年目の結婚記念日と出産予定日だった8月10日、暁はただ、礼蘭のDVDを繰り返し見続け空虚の涙を流した。その日も両親に見守られていた。
 
 



 礼蘭の死から2年‥‥‥2年目の結婚記念日も同様だった。

 
 礼蘭の居なくなった日々に、慣れる事はなかった。

 




 その年の8月11日。

 目覚めるのに嫌気がさしていた暁の生きる全てが、

 まるで魔法の様に一変した。

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