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どこまでも
しおりを挟む「先生、今日もありがとう御座いました。」
「リリィベル様、お疲れ様でございました。」
リリィベルの妃教育は、予定通り再開された。
まだ地下牢には罪人達がいる。
皇帝オリヴァーは、休んではどうかと勧めたが、リリィベルはそれを断りいつも通りの時間を希望した。
テオドールはここには居ない。それなら早く時間が過ぎてほしい。
側には相変わらずイーノクとアレックスがいるし、
朝と夜を除けばいつもと変わらない。
「2人とも今日も送ってくれてありがとうございました。」
私室まで送ってくれたイーノクとアレックスには、
いつもと変わらぬ笑顔を向けた。
落ち込んでいる暇はなかった。
もう少しで皇太子妃になる。動揺し続けてはいけない。
そんな時間は勿体無い。
与えられたすべてを持って、テオドールの妃になる事を望む。
身体の跡が消える前に、帰ってくる彼を信じて‥‥
無くなっても受け入れる。また跡を付けてくれるのならば。
テオドールの居ない夜が来る。
以前と同じ様にはしない。
オリヴァーとマーガレット、3人で夕食の時も、
ベリーやカタリナと寝支度をした時も
すべてが何でもないように、心配させないように。
弱気を見せてはいけない。
まだ地下にはあの人がいる。
だからこそ、自分も婚約者の仮面を。
あんなにも強い彼の、大好きな彼に相応しい婚約者でいられる様に。
私は大丈夫。
「カタリナ?」
「はい。リリィベル様。」
入浴を終えて、一息ついた時だった。
「‥‥‥ごめんなさい、何でもないわ‥‥。もう寝るわね?
今日もお疲れ様、そしてありがとう。明日もお願いね。」
そう言ってカタリナに笑顔を向けた。
「とんでもありません。リリィベル様。
ごゆっくりお休みくださいませ。何かあれば、ベルを鳴らしてくださいね。」
「うん‥。おやすみなさい。」
静かに部屋を出るカタリナを見送って、リリィベルはふぅっと息をついた。
蝋燭の灯が消せない。
リリィベルは、静かに床に足をつけた。
暖炉の前に、2人がけのロッキングチェアがある。
これは建国祭の前に、オーダーメイドで作った物だった。
寒くなる季節、暖炉の前に2人で座る。
暖炉の暖かさ、背に感じるテオドールの温かなぬくもり。
幸せな一時。
今夜は1人でその椅子に座り、膝を抱えた。
この部屋には、既にたくさんの思い出がある。
両手でも溢れる。全身でもきっと足りない程。
その思い出が消えるところだった。
「‥‥‥どうしているかしら‥‥‥。」
彼は怪我などしていない?
ちゃんと食べてる?眠れている?
私を‥‥‥覚えている‥‥‥‥?
「っ‥‥‥‥ぅ‥‥‥‥。」
ズキンと頭が痛んだ。痛みが走ったところを指で摩った。
それは一瞬の出来事だったけれど、なんて事ない事だけれど。
あなたがもし、ここにいたら‥‥‥
私の頭を大きな手で包み込んで、
優しく撫でて‥‥‥優しい口付けで、
痛みを忘れさせてくれた事だろう‥‥‥。
膝に顎を乗せて、頭を傾けて、
燃える暖炉の薪を見ていたら、そのゆらゆらと揺れる炎の先に彼がいる様な気がした。
なぜそう思ったのか分からない。
パキンと音を立てた薪の音で、込み上げてくる想いがなんなのか、分からなかったけれど、
涙が滲んで、喉の奥が詰まって、とても苦しかった。
「っ‥‥‥‥早く会いたい‥‥‥‥‥。」
騒ぎ立てず、人前で泣いたりせずに、
冷静に笑顔の仮面を付けているのは、難しい事だった。
静かに流れる涙が、彼を思う分だけ流れてくる。
人は‥‥こんな気持ちを、どうしているの?
会いたいのに会えないなんて、よくある事じゃない。
いつも心に思い描いて、会いたい分だけ頑張ったら、
会えた時の喜びは、きっと大きいはずだわ‥‥‥。
だからみんな、我慢するのよね‥‥‥。
あの子も、そんな思いを‥彼に抱いていたのね‥‥。
でも、ごめんなさいね‥‥。
生きている限り、私は‥‥彼の側を離れたくないの‥‥‥
もう、誰にも‥‥
会いたい・・・。この心が・・・崩れてしまう前に・・・・。
テオドールがポリセイオに行ってから迎えた2日目の朝。
今日も妃教育へ行く時間だ。身支度は整えた。静かに婚約者の仮面をつけた。
そんな時だった。
【リリィベル様、皇帝陛下がいらしています。】
「えっ・・・あ・・・はい。」
扉の外からイーノクの声が聞こえた。ハッとしてリリィベルは慌てて返事をした。
扉を開いて現れた皇帝オリヴァー。優しい微笑みにホッする。
その反面で、切なくなる。愛しい人に似たその顔が・・・・。
「リリィ、少しいいかな?」
「もちろんです。お義父様・・・。」
ここは私的な空間だ。皇帝を義父と呼ぶ。そう呼ぶとより一層オリヴァーの顔は優しくなる。
「どうされたのですか?」
「実はね、侯爵邸から連絡があってね。グレンが来てるんだ。」
「え・・・グレンがですか?何かあったのですか?」
父とグレン達は遠く離れた北部のブラックウォールから帝都の元ヘイドン侯爵邸を改装し移り住んだ。
建国祭が終わってから、会っていなかった。
あの恐ろしい事件は、すでに犯罪者を拘束しているし、心配はないと皇帝から父へと伝わっている。
「あぁ、まあ、侯爵邸というより、グレンが個人的に会いに来ているんだ。
テオがいないが・・・グレンがどうしてもリリィに会いたいと言っていてね。お勉強は十分進んでいるし、
午前中、グレンと話す時間を作れないかと思ってね。どうだ?」
オリヴァーは少し困り顔だった。当然和解はしたとは言え、皇太子の婚約者に私的に会いたいというグレンを会わせることは出来れば避けるべきことだった。けれど。
「ん~・・・・私もテオが戻ってからではだめかと聞いたのだが・・・・。グレンの様子を見ると、
早くしてあげた方がいいような気がしてね・・・。もちろん、護衛もつけるし、カタリナもそばにいるから
不安であれば、私もその時間そばにいても構わない。グレンもそう言っていてね。
ただ、どうしても君に会いたいと・・・・。」
「・・・・そうですか・・・。」
リリィベルは、眉を下げた。この申し出を断る理由もあった。
だが、グレンがどうしてここまで来たのかも知りたかった。
「・・・では、お言葉に甘えて・・・お義父様・・・グレンとお話しする時間をとらせていただきます。」
「わかった・・・。大丈夫。君が心配するようなことは何もないからね?」
オリヴァーは、優しくリリィベルの頭を撫でた。
きっと、テオドールにも後でうまく話をしてくれるということだろう。
そこは、いつぞやに・・・二人が話をした応接室だった。
リリィベルがその部屋を訪れると、グレンは窓際に立っていて。扉の音で振り返った。
「グレン・・・待たせてごめんなさい。あ・・・ハーニッシュ男爵って呼ばないといけないかしら?」
いつものように、穏やかに微笑んでリリィベルはグレンを見た。
だが、グレンの表情はあまり穏やかではなかった。
「リリィベルお嬢様・・・。お時間いただき有難うございます。」
そう言って、丁寧にお辞儀をした。
グレンの固く握った拳が震えていた。
・・・・・本物だ・・・・・・
そう密かに、グレンの心は・・・焦りと安堵を感じたのだった。
建国祭の夜。自分の隣にいたリリィベルは・・・。突然幻のように姿を消した。
皇太子テオドールと、魔術師と言われる者のおかげで事なき終えた。
本当なら、そばにいないはずのリリィベルが、王城の会場に入ってから当たり前のように
ダニエルにエスコートされ現れた。その事になんの違和感も感じなかった。
リリィベルは、美しい装いでいつも以上に輝いていた。
あの時・・・当たり前の事だと感じていた。
自分の隣には〝リベル〟がいた。
≪私は‥‥‥踊らないわ。≫
≪なぜ‥‥‥?≫
≪何故って‥‥‥‥そうね‥‥‥なんでかしら‥‥。私が踊る相手は、ここに居ないの。≫
≪‥誰と踊るかなんて、誰でもいいだろ?≫
≪いいえ、よくないの‥‥‥。≫
≪え‥‥?≫
けれど、次第に生まれた違和感は、皇太子と婚約者の入場から感じ始めた。
そのあと、ずっと壁の花でいたリリィベルのその時言った言葉。
ああ、何か違う。自分の知るリリィベルは・・・・。
そして、やがて解かれた幻と共にいつの間にか消えていった。
婚約者と呼ばれた王女。そして皇太子の隣にきたリリィベル。
すべてが元通りになったとき。
それでも感じた。
幻でも、彼女は・・・・あの高貴な彼しか望んでいなかった。
ソファーに向かい合わせに座った。紅茶の湯気を見つめて言葉がこぼれた。
「・・・身体は平気ですか?」
「もちろん・・・大丈夫よ?あなたにも心配かけてしまったわね。お父様は大丈夫?」
「はい・・・とても、心配されておりましたが、落ち着いておりますよ。」
「よかった・・・。貴方からも大丈夫だと伝えて?あなたが私の姿を確認して伝えてくれたら、
お父様も安心してくださるわ。」
リリィベルは紅茶を一口飲んで、にっこりと微笑んだ。
「・・・あの時、私は・・・あなたの幻を見ました。」
「え・・・・・?」
リリィベルは、目を丸くしてグレンを見た。
「・・・あなたの思いがどれ程なのか・・・改めて分かった気がします・・・・。」
「どういう事・・・?」
リリィベルの問いかけに、グレンは笑みを向けた。
「たとえ幻のあなたが何人居ようとも・・・あなたの求める人は殿下ただお一人だという事です。」
「・・・・・・・・。」
詳細はあまり知らされていない。たが、自分の偽物がいたということを指している。
「・・・・私がいない時間・・・私がいたの・・・・
どんなだったの‥‥?」
眉を顰めてリリィベルはグレンを見つめた。
「・・・ぁ・・・・はい・・・なので、私たちは何も気づかなくて・・・。」
ヒュっと喉が絞まる。
自分があの小さな指輪ケースに入っている間。自分ではない者がいた。
それは・・・・
もしかしたら・・・誕生祭で出会わなかった世界線の自分だったかもしれない。
「・・・・グレンは・・・・・そう思ったの・・・・・?」
「え・・・?」
「私が求める人が・・・・殿下お一人だと・・・・。」
密かに指先が痺れていた。
「・・・あなたが、踊る相手は此処には居ないと、私に言ったのです。」
「え・・・・・?」
グレンは優しく微笑んで、今にも泣きだしそうなリリィベルを見つめた。
「幻であっても、あなたは・・・殿下があの場にいないことをわかっているかのようでした。
だから、私に踊る相手はいないとおっしゃったのだと思ったのです。
どんなことがあっても・・・お二人には、切っても切れない絆があるのですね・・・・。
少し・・・妬けてしまいます・・・。幻ですら、あなたを独り占めする殿下が・・・・。」
「・・・・・・・そ・・・う・・・・なの・・・・?」
「ええ・・・はっきりと・・・この耳で聞きました。どんな幻だったにせよ。
リリィベルお嬢様には、殿下が・・・唯一の存在なのだと。改めて思いました。
・・・殿下が今、此処にはいらっしゃらない事は聞いています。
ですが、お嬢様・・・どうか・・・そんなに無理をして笑わないで下さい。
貴方たちが離れることは・・・決してありませんから・・・。」
「っ・・・グレン・・・・・。私はっ・・・大丈夫よ・・・・・。」
俯いて顔が見えなくなったリリィベルの姿を見つめて、グレンは微笑んだ。
「はい・・・。殿下がお戻りになる日が、待ち遠しいですね。」
「・・・・・ありがとう・・・グレン・・・。」
「とんでもございません・・・。貴重なお時間を賜り感謝申し上げます。
帰ってダニエル様にお伝え致します。リリィベル様の強さを・・・・。」
ぐっと顔を上げて、リリィベルは微笑んだ。
「ええ・・・っ・・・来てくれてありがとうグレン・・・。お父様の事、よろしくね?」
「もちろんです・・・。では、私はこれで・・・・。」
グレンは、穏やかな笑顔で部屋を出て行った。
そばで控えていたイーノクとカタリナが不安そうにリリィベルを見つめていた。
「はぁっ・・・・びっくりしたわ・・・・・。」
リリィベルは急に気が抜けたようにソファーにもたれた。
「リリィベル様、大丈夫ですか?」
カタリナが心配そうにリリィベルを見た。
「大丈夫・・・。みんなに心配かけてしまってごめんなさい。」
「そんな事は・・・当然で御座います。殿下がいらっしゃらないのですから・・・。」
その言葉にリリィベルはふっと笑った。
「本当にっ・・・テオがいないと・・・駄目ね・・・。しっかりしなきゃね・・・・。」
胸に手を当ててリリィベルは瞳を閉じた。
幻ですら・・・テオドールだけを求める・・・・・。
どこまでも・・・・どこまでも・・・・・。
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