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突然の恋なんて

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「グレン・・・じゃあまた、夕食の時会いましょう。」
「あぁ、またあとで・・・。」

 夕陽に照らされる前にグレンとリリィベルのティータイムは終わった。
 帰省して間もなかった事もあって、それは短い時間だった。


 リリィベルがカタリナと去る背中をグレンは見つめていた。
 テオドールよりも少し大人なその瞳から溢れる切ない思い。

「・・・・・・・。」


 リベル・・・。



 君が産まれて、物心がついた頃には、俺は、こんなに綺麗な存在がいるのかと思ったんだよ。

 宝石を見ているようだった。アナベル様に抱かれた金色に輝く髪を持った君を。


 幼い俺は・・・。君を、どんな時も見てきたよ・・・。


 アナベル様を失い、涙に濡れたあの時も・・・・。

 庭園の中で、ダニエル様と花の冠を飾って笑う時も・・俺は側に居た・・・。
 君は俺にも、小さな手で花の冠を作ってくれたね・・・。


 ダニエル様がつけて下さった家庭教師のおかげで、物事がようやく分かるようになって・・・。


 平民の俺と、辺境伯のお姫様・・・。


 身分の差という壁が分かった時も・・・。

 君の屋敷で過ごしていた俺は、自分が普通の平民だと理解するのには遅すぎた。


 平民が、高貴な君に・・・触れる事は、本来許される事ではなかった。


 俺が君の側にいるには・・・。平民でも、父の様にブラックウォール家の騎士になるしか・・・。

 だから誓った。君を守るために、誰よりも強くなろうと・・・。


 君が、突然の発作に苦しむようになってから、より一層と・・・・。


 そして、ブラックウォールの騎士団で行われた試合で、勝利を勝ち取った俺の願いは。


 リベル。君の護衛騎士になる事だった・・・。


 ダニエル様に許可をもらって、前よりももっと、もっと・・・・。

 近くで君を見られるようになった・・・・。


 本来なら、平民騎士が護衛だなんてありえない。けれど、ダニエル様も、君も・・・。


 俺を受け入れてくれた。君は言った。


 小さな頃から、一緒に居るのだからと・・・。いつも俺を側においてくれて・・・。

 笑いかけてくれて・・・・。



「・・・・こう・・・たい・・・し・・・・・ひ・・・・。」

 夕陽に照らされてグレンの影が出来た。呟いて、グレンはようやく歩き出した。
 この帝国のすべての中心であるこの城で住まう皇族の庭を。

 グレンの瞳は、嫉妬が混ざった瞳だった。



 突然・・・・恋に落ちるだなんて・・・・・・。


 そんなのあり得ない・・・。


 さっきだって、会った瞬間に俺の手をとってくれたリベルは・・・・。


 何も変わらないのに・・・・。



 状況は変わってしまった。

 ブラックウォールは、元ヘイドン領地に移り住み、侯爵家となる。

 俺は爵位を持ち、ブラックウォールにいつまでも仕え続ける・・・。


 俺とリベルが共に育った北部の土地を離れて・・・・。



 リベルを攫って行く男の御膝下・・・。


 俺の大切なリベルを・・・攫って行く・・・・・。


 俺の大切な16年を、一瞬で・・・・。


 跡形も粉々にする・・・。


「・・・よりによって・・・なぜ皇太子なんだ・・・・。」

 庭園の一輪の花を見つめて呟いた。


 消し去る思いを抱いたなら、俺はあの捕まえてきた暗殺者や刺客と同じ存在に成り下がる。
 彼が皇太子ではなかったら・・・俺はどんな事をしても、君の前に現れる男たちを排除した事だろう。

 底辺の存在と頂点に居る存在の彼。


 こんな短期間で、俺たちの16年間が奪われるなんて・・・。


 そんな世界なら・・・俺は消えてしまいたい・・・・。


 ゲストを招いたダイニングルームで、その食事会は行われた。

「ハーニッシュ卿。たくさん召し上がってね?」
「ありがとう御座います。皇后陛下。」

 グレンの目に映る美しいマーガレット皇后が微笑んでくれた。
 そして並び座っている皇太子とリリィベル。
 上座に座る皇帝陛下。平民の騎士の自分。

 ただ、リリィベルの顔だけ、少し曇っていた。




 食事会の2時間前の事だった。

 皇太子宮の皇太子の私室に、テオドールが戻ったと聞いたリリィベルは、
 急いでテオドールの元へ向かった。

 扉を開けると、ソファーに座って書類と向き合っているテオドールがそこにいた。

「テオっ・・・。」
「リリィ。ゆっくり話は出来たか?」
「・・・・テオ・・・・。」

 テオドールはいつもと同じで穏やかに、リリィベルを見つめた。
 不気味なくらいに冷静だった。

 リリィベルは、ぎゅっとテオドールに抱き着いた。
 ギシっとソファーを音を鳴らした。

 テオドールが、ゆっくりリリィベルの身体を抱きしめた。
「おい、どうした?」
「いいえ・・・。」

 ぎゅっと細い腕がテオドールの首筋にまわって、リリィベルの髪がテオドールの頬を撫でた。
 その甘い匂いに、テオドールは笑みを浮かべた。

「おかえり・・・リリィ・・・・。」
「はい・・・。」

 互いの顔は見えなかった。夕陽が差し込んで、2人は真っ暗な影の様だった。

 テオドールの虚無感と・・・リリィベルの罪悪感と焦燥感。

 2人の想いが、初めて分かれた瞬間だったかもしれない。


 だた、お互いの体温と息遣いだけが、いつもと変わらず存在する。

「幼馴染だったんだろ?楽しく過ごせたか?」
「・・・・私は・・・あなたの婚約者です・・・・っ・・・。」
「なぜ急にそんな事言うんだ・・・?何かあったのか・・・?」
「いいえ・・・。ただ・・・・。」

 リリィベルの瞳は揺れていた。

 いつも、自分を離すまいとしてくれるテオドールが、護衛とメイドをつけただけで、
 自分と他の男性との時間を許すだなんて・・・。

 いつも繋ぎとめてくれている鎖が、私は愛しいのに・・・。

 何故・・・許されたのですか・・・?


 それは・・・グレンを信頼して・・・その時間を許したのですか・・・・?

 幼馴染の彼を・・・信頼して・・・。


 それなのに・・・グレンは・・・・。


 〝虚勢を張っていたのかな・・・〟

「・・・っ・・・・。」

 リリィベルはぎゅっと瞳を閉じた。

 幼馴染の彼が、そんな言葉を口にするなんて夢にも思わなかった。
 彼は、ずっと小さな頃から一緒だった。

 護衛騎士になってからは、ずっと・・・私の側に居た・・・。



 あなたと居た時間よりもずっと・・・。


「・・・・・・。」
 テオドールは、リリィベルを抱きしめながら、切なげに笑みを浮かべた。
 今こうして、腕の中に戻ってきたリリィベルは、何を思っているかなんてわからなかった。

 けれど、真っ先にその身を委ねてくれた事だけは、素直に喜べる。

 2人がどんな風に育ったかも・・・。俺は知らない。


 帰ってきたお前を・・・抱きしめる俺は・・・・。

 心底ほっとしている・・・・。


 幼馴染というその言葉がつらくて・・・。


 リリィ、お前がどんな顔で帰ってくるのか・・・・。

 愚かにも試したんだ・・・。


 俺は・・・君を手にしながら愚かにも震えながら・・・

 お前の帰りを待っていた・・・。


「テオ・・・お仕事は・・・まだ途中ですか・・・?」
「あ・・・いや・・そろそろ終わるよ・・・。建国祭で、爵位授与式を行う事となった。
 彼にも、男爵位を与えることになった。父君を守って、刺客を捕らえるのに尽力してくれた。」

「・・・そうでしたか・・・。」

「幼馴染が出世するんだ。嬉しいだろ?」
「・・・はい・・・。」
「平民だとは思えないくらい。しっかりした人だ・・・。」
「父が・・・グレンに家庭教師を・・・。」
「そうか・・・なるほどな。父君は、本当に優しい方だ・・・。」

「・・・グレンの両親は・・・亡くなってしまって・・・・。」


「そうだったのか・・・。」
「はい・・・。それで・・・一緒に教育を受けました・・・。」
「へぇ・・・。君には・・・大切な人だろ・・・・。」

 リリィベルは、目を見開いた。

「っ・・・あなた以外に大切な人などおりませんっ・・・。」
「ははっ・・・。」
「なぜ笑うのですかっ・・・?」

 リリィベルの額に額をくっつけて、テオドールは静かに笑った。

「俺は・・・お前の・・・婚約者だぞ・・・。同等な場に立つのか?」

「そんなつもりはっ・・・・。」

「わかってる・・・。気を遣ってくれたんだろ?」
「そんなんじゃっ・・・。」

 テオドールは、リリィベルの唇を塞いでしまった。


 これ以上は、もう・・・気が狂ってしまう・・・・。


 俺は、もう一度・・・黒髪の幼馴染になりたかった・・・・。

 けれど、それでも・・・・。

 そのありもしない世界で、お前を・・・手に入れられたかまでは分からないから・・・・。


 必死で、この嫉妬には蓋をして鎖で結んでしまおうと思っている。


 前世の俺と同じ黒髪の男・・・・。


 リリィの幼馴染に産まれた男・・・。



 俺に、幼馴染を奪われる男・・・・。

 愛する女を・・・奪われる男・・・。


 俺に挑むことも出来ずに、お前はどうでる・・・?


 俺の首に鍛えぬいた剣を向けるか、俺がお前に剣を向けるか・・・。


 お前は、俺を見ている・・・。

 俺も、お前を見ている。



 でも、リリィベルだけは・・・・死んでも渡さないと・・・。

 これだけは、言うよ・・・。


 卑怯でも構わない。俺は、リリィベルに関するすべてを、諦めるつもりはない。

 幼馴染という存在だけで、俺の心を揺すぶったのだから・・・・。




「そう・・・あなたのご両親が亡くなって・・・ダニエルの屋敷に?」
「はい・・・ダニエル様とリベルお嬢様には、感謝しております。」
「とても平民には見えないな。」
「ダニエル様が、私にお嬢様の家庭教師と一緒に学ぶ機会を下さったお陰です。」
「そうなのね。」

 綺麗なテーブルマナー、所作までグレンは完璧だった。元々頭の良い人間だった。
「リリィ?」
「はい。お義母様。」
「食事があまり進んでないけれど、大丈夫?まだ疲れが残っているわよね・・・。」
 マーガレットの心配そうな目に、リリィベルは微笑んだ。
「大丈夫です。」

「そうだよリベル・・・。君はもっと食べないと。これ以上軽くなったら飛んで行ってしまいそうだ。」
「そんなっ・・・ちゃんと食べてるわ?」

 グレンの目まで向けられてリリィベルは、俯いた。

 すると、隣に居たテオドールは一口大に切ったステーキをリリィベルの口元に運んだ。
「ほら、リリィ、これ以上軽くなってしまう前に食べろ。」
「もぉっ・・・テオまで・・・。」

 リリィベルは頬を染めた。テオドールの、ニヤリと笑って差し出す仕草が好きだった。
「ほら・・・。」

 いつものテオドールだった。リリィベルは、ほっとして小さな口を開けた。
 テオドールの差し出す肉を口にした。

「美味いだろ?」
「同じものなのに・・どうして違うのかしら・・・。」
「ふっ・・・なんでだろうな?俺にも欲しいな。リリィ。」

 頭を寄せてテオドールは口を開けた。リリィベルは花が咲いた様に笑った。

 自分の皿の肉を切り分けて、テオドールに差し出した。

「はいっ・・・テオも食べて?」
「ありがとう。」


「・・・・・。」

 グレンはその光景をポカンと見ていた。
 それを見て、オリヴァーが笑った。

「すまない。皇族なのにはしたないかもしれないが、これは我々の趣向でな?」
「え・・・・。」
「食べ物を分け合うとより一層美味く感じる。一般の家族の様にな。」


 グレンは、皿に盛られた料理を見つめた。


 絵に描いたような温かい家族だった。皇太子は、この温かな両親の下に産まれ、
 リリィベルの様な美しい宝石の姫を手にする。

「・・・素晴らしいですね・・・。」

 物心ついた頃、両親は死んだグレンには馴染みのないものだ。
 リリィベルも、ダニエルとそんなやり取りはしているのを見たことがなかった。

 目の前の仲睦まじい二人をチラリとみてグレンは食べ物を辛うじて喉を通らせた。


 この家族に迎えられ・・・ついた習慣か・・・・。



 テオドールが、不意にリリィベルの口端を拭って、ペロッと舐めた。
「ついてた。」
「やだっ・・・テオったら・・・・。」
「しょうがないだろ。そっちも美味そうなんだ。」
「もぉっ・・・。」


「・・・・・。」
 グレンは黙々と食事をした。時折掛かる皇帝と皇后の問いかけに応えながら。



 リベル・・・。俺は、君のそんな顔は知らないよ・・・。


 君は・・・こんなにも・・・愛しく彼を見て笑うんだね・・・。



 俺には、一度もそんな目を向けてくれた事はなかった。



 俺は、どんなに足掻いても、護衛騎士とお嬢様・・・・。


 彼は皇太子で、君は、彼の婚約者・・・・。


 本当に・・・突然恋に落ちてしまったの・・・・・?



 会って間もない彼と・・・。長年一緒だった俺の事など忘れて・・・・・。
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