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4.(完)

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「せ、せめて、手首の拘束具を外せ!」
「分かった」

 断られるかと思ったが、意外にもあっさり、勇者はジェントリンの要求を聞き入れた。
 これで魔王は一応、卑怯な魔法具からは解き放たれたことになる。

「いいのか? そんなに簡単に私を解放して。竜の姿にならずとも、魔王は魔王だ。――お前、私に殺されるかもしれないんだぞ?」

 痺れてしまった両手を軽く振りながら、ジェントリンは自分の上半身に跨ったままのニュートルーをギロリとねめ上げた。

「お前にまで拒まれたら、俺は死ぬつもりだからな。だったら殺されようと、同じことだ」

 情に訴えるでもなく淡々と、ニュートルーはそんな悲壮な覚悟を口にする。
 ――この男の孤独の深さを、垣間見た気がする。ジェントリンは横たわったまま、自由になったばかりの手をニュートルーに伸ばした。
 人間一人くらい、簡単に絞め殺せるだろう。相手は素っ裸で防御力は0、そのうえ勃起しているような間抜けな男だ。
 ――隙だらけ。
 だがジェントリンはその腕で、ニュートルーをふんわり抱き寄せた。

 「……!」

 竜の娘に頭を抱えられた直後、勇者は雷に打たれたかのようにビクンと震えた。しかしすぐにゆるゆると、強張った体から力を抜く。

「ジェントリン……」
「……一回やったら捨てる気のくせに」

 ジェントリンは、自分でも何を言っているのか分からなかった。これではまるで、追いすがっているのは自分のほうではないか。
 冷たい風が灰色の頬に当たる。少し寒くて、だからニュートルーと触れ合っている部分が温かった。遠慮なく掛けてくる体重の、その重たさが心地良い。――もっとくっついていたい。

「一回なわけがなかろう。俺の性欲をナメてもらっては困る。百回、千回、一万回……それでも尽きない。自信がある。だから俺たちはずっと一緒だ」

 ――それはまるで、求婚のセリフのようで。
 うまいことを言ったと悦に入っているのか、ニュートルーは得意げに笑いながら、体を起こす。

「それはただの異常性欲者じゃないか……」

 ジェントリンが呆れているうちに、彼女が普段意識したこともない箇所――股間に刻まれた裂け目に、硬い何かが分け入ってくる。
 痛い。壊れてしまう……!
 たまらず拒むように力むが、雄の侵入は止まることはなかった。

「ああ……! これがセックスか……! 最高だ……ッ。ジェントリン、お前の中は温かい……」
「いった……! ん……っ! 動く……な……っ!」
「入り口が小さいから心配だったが、中は広がるんだな。それでいて、きゅうきゅうと締め付けてくる……」
「じっ、実況するな! 黙れ……っ!」

 男を受け入れたせいで苛まれるこの痛みは、今まで経験したことがある類のものとは全く異なっていた。生まれて初めて、ジェントリンは恐怖する。

「ニュートルー……」

 我ながら頼りないと思う声で名を呼ぶと、ニュートルーは動きを止めた。

「痛いのか? 随分濡れてたが……」

 ジェントリンがこくりと顎を引くと、勇者は深々頷いた。

「なるほど、お前も初めてか……。お互い寂しい人生だったんだな」
「わ、私はっ、お前みたいな変態ではない! 一緒にするな!」
「ああ。だが、ぼっちなら、同じことだ。俺たちは同種の生きものなんだ」
「…………………」

 余計なお世話だ。頭にくる。
 ジェントリンは、一生清らかなまま、自分は死んでいくのだと思っていた。
 諦めていながら、だけど本当は、誰かと関係を密にすることもなく朽ちていく、そんな生きかたに虚しさを感じていたのかもしれない。
 本心に気付いてしまった今、止めることはできず、ジェントリンの眼尻からは涙が零れ落ちた。
 ニュートルーは特に驚くこともなく――この男に「驚く」という感情があるのかどうか不明だが、ともかく優しく、彼は竜の娘の頭を撫でた。

「お前たちが、人間がっ、やめてくれないから……っ! 私たちの数はどんどん減って、北の大地に追いやられて……! 不安で! 仲間がみんな死んでしまうかもって! でも私はっ、『魔染』の技は使いたくなくて! 同族には責められたけど、だけど……!」

 弱者は――冷酷に徹しきれない者は、追われるのみ。そんなことは分かっているから、今まで誰にも言えなかった泣き言が、ジェントリンの口からとめどなく溢れ出す。
 勇者は否定もせず肯定もせず、ただひたすら黙って聞いてくれた。――大層な槍を、求め続けた宝物に収めたまま、であるが。
 傍から見れば、犯されたままわんわん泣いている魔物の娘と、神妙な顔つきをして、だが決して陰茎を抜こうとしない人間の男、両者ともさぞ滑稽だったことだろう。

 ――この男の立ち位置はどこなのだ。魔族の敵ではあるだろうが、かといって、絶対的な人間の味方というわけでもなく……。

 そもそも、ニュートルーは自分が人類の代表であるという意識が希薄、いや一切ないのではないかと、ジェントリンは思った。
 ニュートルーは、彼自身の欲望に従って、ここまでやってきただけなのだろう。
 理想のま……アレを備え持つ、魔王に会いに。

「……あっ」

 勇者は突然素っ頓狂な声を出した。

「どうした……?」
「射精してしまった……。すごいな、お前のまんこは」
「え……、いや……」

 ――それは、お前のアレに問題があるのでは?

 ジェントリンはそう思ったが、問い質すのも面倒くさくて、涙に濡れた目を拭い、鼻を啜った。
 ――このようにして二人の初めての契りは、あっけなく終わった。

「最高だった……」
「いや、別に」

 満足しきったのか、ニュートルーは溌剌と立ち上がる。消化不良というかなんというか納得できない顔をして、ジェントリンも勇者に続き起立した。

 ――なんで、こんなことになったんだろうか……。

 いつの間にか雲は切れ、空は青く輝いている。
 堂々と立ち、復活した陽光や風を素肌で受けている勇者の、その広い背中を、ジェントリンはぼうっと眺めた。

 ――見惚れるというのは、こういうことを言うのか……。

 まるで年若い少女のような感傷に浸っていると、ニュートルーがくるりと唐突に振り返る。驚き、ジェントリンはわずかに飛び上がった。

「それでは行くか。面倒だが、旅のスポンサーである反魔族連合の幹部に事と次第を説明して、魔族との戦いをやめてもらうように掛け合わなければ。なに、最強の剣と鎧が消えたのだ。対抗手段がなくなった以上、人間ももはやお前たちと戦おうなどとは思わないだろう」
「……私も行くのか?」

 胡乱な目つきでジェントリンが尋ねれば、ニュートルーは力強く頷いた。

「当然だろう。俺たちはもう夫婦だからな」
「ふうふ!?」
「種付けをしたのだから、夫婦だろう」

 ごくごく当たり前のようにニュートルーは主張するが、ジェントリンは釈然としない。
 自分の意志や意向はどうなるのか。
 ジェントリンは憤懣やるかたないと言った様子で、抗議を始めた。
 だが。

「――私は、人間の都に住むのは嫌だからな!」

 竜の娘の口から出たのは、そんな文句だけだった。
 きょとんと自分を見詰めている勇者のその表情を前にして、きまりが悪くなったジェントリンは、誤魔化すように捲し立てる。

「に、人間は自分と異なる姿をした者を虐げる! そんな奴らと暮らすなんて、絶対に嫌だ!」

 ニュートルーは顎に手を当て、しばし考えた。

「ふむ。俺は、お前は世界で一番美しいと思うが、確かに恐れる者もいるかもしれないな。――よし。俺がお前たち魔族の国に婿入りしよう」
「そ、そんな、あっさり……!」

 青い瞳を細めて、ニュートルーは微笑んだ。ジェントリンはこの男の目が澄んでいる理由が、分かった気がした。

 ――一切、迷いがないからだ。

「これを言わされるのは何度目だ? ジェントリン。俺の旅の目的はお前を得ることだったのだから、それが叶った今、あとはどうでもいい」
「…………………」

 差し出された手を、ジェントリンがおずおずと取る。――二つの、異なる種族の手が重なる。
 勇者の白い肌に、ジェントリンの灰色の肌は、とても映えた。








 魔族と人の長きに渡る戦争は、一月に及ぶ話し合いを経て、終結した。
 交渉は終始、魔族側に有利な条件で進んだという。
 勇者対魔王の一騎打ちは勇者の勝利であったが、肝心の魔王を抑えられなかった以上、結局人間は魔族に――魔王の最終奥義「魔染」に敗北を喫することは明らかだ。故に人類は、魔族側の要求を飲まざるを得なかった。
 ただし疲弊し、かなりの数を減らした魔族側も、そこまで無理難題を突きつけてくることはなく――。
 こうして、世界に平和が訪れた。




 ――それでも、まん……アレはアレ、なんだよなあ……。

 ひとときの夏が過ぎ去れば、長い長い冬が押し寄せる。
 飽きることなく降り続ける雪が、魔王城をすっかり白く染めてしまった。
 城の中庭では忙しなく、男が動き回っている。その様はまるで純白の布地にできた黒いシミが、増えたり減ったりしているかのようだ。

「どうにも合点がいかない……」

 生まれも育ちも北国の、寒さに強いこの城の長は、相変わらず優美なドレスに身を包み、すぐ先で犬のようにはしゃいでいる男を目で追った。彼女の横では、トンボに似た羽を持つ執事が、くすくすと笑っていた。

「雪を見るのは初めてだ! ジェントリン! カマクラというやつを作ってだな、その中で一緒に酒を飲もうではないか!」

 以前は勇者と呼ばれた男、ニュートルーは、手にしたスコップを激しく動かし始めた。

「ああもう、そんなに土台を大きくしたら、雪を積んでいくのが大変だぞ……! 素人め!」

 雪に慣れっこのジェントリンからすれば、カマクラ作りの何がそんなに楽しいのか分からない。帽子からマフラー、コート、ブーツと、頭から足先まで完全防備で挑むほどのものか。面倒なだけではないか。
 ニュートルーが魔王城に入ってから、もう一年が経つ。彼は宣言どおり、家族も財産も名誉も、信用も期待もなにもかも捨てて、魔族の世界に飛び込んだのだった。

「頭から雪をかぶって……。まったくバカだな、あいつは」
「ふふ。ですが、わたくしは人間が大嫌いですが、あの方だけは信頼に足る……魔王様の夫として相応しいお方だと思っておりますよ」

 夫を褒められたことが嬉しく、そして照れくさくて、ジェントリンは唇を尖らせた。

「そもそも、不埒で破廉恥だがな。あいつは、その、私の……アレが目的だったのだから」

 執事は全ての事情を知っている。笑みを絶やさず、彼は首を振った。

「いえ。ニュートルー様がこだわったのが、あなた様の性器でよろしかったのです。お二人の間にあるのが愛などという抽象的な絆では、容姿の衰えや些末な行き違いで、脆くも崩れ去りましょう。その点、目的がおまんこ、であれば、あなたの性別が女性である限り――つまり生涯、ニュートルー様のあなた様への執着は、尽きることはありますまい」
「それはそうかもしれないが……。そんな特異なことを聞かされて、私はどういう顔をしたらいいのだ……」

 怒っているような呆れているような、ジェントリンは複雑な表情になった。
 ニュートルーの歪んだフェチズムは決してブレることなく、彼を勇者へと育て上げ、結果、世界を平和に導いた。が、当事者であるジェントリンにとっては、そのありのままの事実はビミョーに屈辱的でもあるのだ。

「体を使って、たらしこんだようなもの……か?」
「ええと……」

「ちょっと違う」。その言葉を飲み込んで、執事はガリガリで肉付きが悪く、およそ女性らしさとは無縁の主の体から、そっと目を逸した。

「まあ、いい。あいつは人質のようなものだ。いつかまた人間どもが歯向かってきたら、肉の盾にしてくれるわ」

 魔王は高々と哄笑するが、はたして。自分たちを裏切った勇者に、人間たちが人質としての価値を見出すだろうか。
 反乱のときが来れば、人々は真っ先に、魔王の伴侶となったニュートルーを討たんとするのではないか。
 だがそんなことは、ニュートルーも承知のうえなのだろう。重々覚悟し、彼はジェントリンのそばにいることを選んだ。
 そしてジェントリンだって――。彼女は気づいていないのかもしれないが、ニュートルーに対する態度も表情も、誰に対するよりも柔らかい。
 ――これもう愛だな。
 だが先ほども述べたとおり、愛ほど不確かで壊れやすいものはない。故に勇者と魔王の間に横たわる関係は、「ただの変態と、その性癖の犠牲者」ということにしておいてやるべきなのだろう。
 ――恒久なる平穏のために。
 熟練の執事は、唇をきゅっと引き結んだ。

「よし、仕上げだ!」

 ドーム状に固めた雪の内側をくり抜き、ニュートルーは勢い良くその中へ潜り込んだ。途端、天井が崩れて、雪に埋もれてしまう。

「ああ、ほら! ちゃんと水で固めていかないとダメなんだぞ!」

 ジェントリンはやれやれとぼやきながらも駆け寄り、夫の上に落ちた雪を甲斐甲斐しく払ってやった。

「冷た! でも楽しいぞ、ジェントリン!」
「まったくもう……」

 雪まみれになった魔王と元・勇者は、やがて大きな声で笑い合ったのだった。








~ 終 ~
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