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後編
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カラツィフを出たキーラたちが、森の小屋に辿り着く頃には、もう陽が暮れていた。
外に出て分かったが、キーラが監禁されていた小屋は、暗黒竜が出現したオルガ川最上流部から、北へ二十分ほど歩いたところにあった。ジラントもよくもまあこんな不便なところに、別宅を作ったものだ。確かに一人になりたいならば、格好のロケーションではあるが。
小屋に入ってランプを点け、キーラたちは一息ついた。一人と一匹で、「おなか減ったねー」などとお喋りしていると、ジラントが戻ってくる。
「あっ! 探してたんだぞ! 化けギツネめ、ここにいたのか! 勝手に物置きから出やがって!」
何事もなかったようにのんびりしているユランを見て、ジラントは驚いているようだ。
ユランは四つ足を踏ん張り、シャーッと鋭い鳴き声を上げた。
「わしはお前の望みを叶えてやったのに! あのような狭苦しいところに、このわしを押し込めるとは、あまりに礼を欠いておるぞ、小僧!」
「望み?」
ユランはなにを言っているのか。キーラは聞いてみたかったが、仔ぎつねの激しい剣幕の前にそれも憚られる。
普段は可愛い仔ぎつねでも、そこは妖怪だ。牙を剥かれれば、迫力があった。
ジラントもたじろいでいる。
「と、ともかく……! えーと……出ていけ!」
ジラントが発したどうにも締まらない命令に、ユランもキーラもぽかんとなった。
「は? それだけか? 一応わしは竜に化けて、人々を驚かせたわけだが? 退治とか封印とか、いいのか?」
「いや、だって、まあ……。なにもされなかったし……」
ジラントがもごもごと返答すると、ユランは大きな口の端をくっと上げた。
「そうじゃな~。わしがしたのはただのお茶目なイタズラで、深刻な事態に陥ったのは、貴様らの事情に過ぎないものな~。なあ、英雄殿?」
そうユランに煽られると、ジラントは血相を変えた。
「……キーラ。まさか、カラツィフへ行ったのか!? あっ、枷!? なんで外れてる!?」
「まあ、ちょっと。お散歩に行ってきたよ」
「くそ……」
ジラントは下を向いてしまう。
――彼の「企み」は、全て無駄になってしまったということだ。
ジラントはキーラを守りたかった。だから、この小屋へ閉じ込めたのだ。
「……もういい。さっさと行け、化けぎつね」
ジラントは吐き捨てるように言った。
ユランはそれに従い、素直に歩き出した――ように見せかけて、仔ぎつねはジラントの前へ差し掛かったところで、突然高く跳ねた。そして宙を舞いながらジラントに尻を向け、長いしっぽを上へ下へ振った。
「うぷっ! な、なにするんだっ!?」
ユランのしっぽで鼻先を撫でられたジラントは、たまらずくしゃみを連発する。
「ユラン!?」
仔ぎつねの行動に、キーラもびっくりしている。これもイタズラか、それとも復讐だろうか。
「礼のひとつも言えぬ、無作法な小僧め!」
「お前、やっぱりあのときの祠の……!? ぼ、僕はなにも頼んでなんかいない! お前が勝手に……!」
「ふん、いい気になるなよ! わしの妖力、存分に味わうが良い!」
ユランは華麗に着地を決めると、ぴんとしっぽを立て、己の勇姿を見せつけるようにゆっくり歩き出した。
きつねが前へ立つと、玄関の扉は自然に開いた。
「ドア、開けられるんだ……? この小屋に初めて来たときは、私が開けてあげるまで、入ってこなかったのに?」
「わしの妖力は『解錠』と言ったじゃろ? 開けられぬ扉はない。だが、わしはジェントルマンじゃからな。ご婦人のいる部屋に、勝手に入ったりはせんのじゃ」
にんまり笑うユランに、キーラは「イケメン!」と惜しみない称賛を送った。
「なんか、キーラ……。お前、僕にもそんな顔しないのに……」
いつの間にかすっかり仲良しの幼馴染と仔ぎつねの間に立って、ジラントは面白くなさそうだ。
「ユラン、遠くへは行かないよね?」
「うむ。ちょっとメシでも食ってくる。お前たちはゆっくり話し合うがよかろう」
そう言い残して、ユランは夜の闇に溶けるように、外へ消えた。
二人きりになった途端、室内の空気が重くなる。
キーラはもう、だいたいのことは察しがついている。――ジラントの気遣いが発端だったのだ。
「……カラツィフへ戻ったのなら、もう全部知ってるんだよな?」
「あ、うん」
「そうか……」
口火を切ったジラントは、キーラの返事を聞いて、がっくり肩を落とした。
「えーと……。ジラント、私に同情したの?」
「――違う。そんないいもんじゃない。お前は知ってるのか? その、ラプシン様の……」
「ああ、愛人……てことになるのかな。ジラントのお姉さんでしょ?」
町外れの家で、父を出迎えたお腹の大きな女性は、ジラントの姉だ。キーラが幼い頃から知っている、ジラントより八つ年上の――。
「姉とラプシン様の件は、僕の両親も協力的で……。僕はそれが恥ずかしかった……」
「まあ、そーね。でもあんたのご両親の気持ちも、分からないではないよ。うちのジジイ、金持ちだし、権力者だしね」
「――ラプシン様の娘であるお前を、どんなに傷つけることになるのか、誰も考えていない……」
自分のことを、心配してくれる人がいるなんて。――父や母ですら、キーラのことはほったらかしなのに。
こんなときながら、キーラは感動していた。やっぱりジラントは優しいのだ。
「もう知っているなら、全部言ってしまうが……。ラプシン様はご自分の地位や財産を、お前ではなく、姉との間に生まれる子に継がせたがっていた。だからお前を……。僕も、頼まれていたんだ。お前をどうにかしろ、と」
「……………」
承知していたつもりだったが。
父にとって、自分は邪魔者だった。改めて断言されると、どうしても胸が痛む。
しかも、キーラを排除する。そんな非情なことを、よりによって幼馴染のジラントにやらせようとしていたなんて。
「そこへ予想外なことに、まさかの人食い竜の登場だ。ラプシン様はこれ幸いと、お前を竜に食わせると決めた」
「ユランが――竜が現れたのは、本当に偶然だったの? ジラントのカバンになんか色々入ってたし、準備が良くない?」
「ええと、それはまた今度話す……。絶対お前に『変なところへ行くからだ』とか、説教されそうだから……」
ジラントは歯切れ悪く言う。キーラも話を先に進めたかったので、追求は一旦止めた。
「ともかく、まあ……。あの化けぎつねのおかげで、お前は竜に食われたと――もう死んでしまっていると、ラプシン様に思わせることができた」
「私のこと、ここに閉じ込めたのは、お父様に見つからないようにするため?」
「そうだ。そして……」
父親の冷酷な仕打ちと比べて、ジラントの慈悲深い配慮が際立つ。好感度はうなぎのぼりだ。
キーラは幼馴染に惚れ直した。
――しかし。
ジラントの話には、まだ続きがあったのだ。
「本当はファザコンでマザコンのお前が、両親じゃなくて、僕を! 一番に愛し、盲信するように、洗脳してやろうと思った。だって、それが一番安全だから! 僕だけを見て、僕の言うことだけを信じていれば、なにも怖くはないんだ! だから読みたくもない陵辱系の本を買い漁って、勉強した! 可哀相なのは抜けないのに!」
――せっかく、イイ話としてまとまりそうだったのに。
一息に詳らかに述べられたジラントの告解は、異常だった。狂っているといってもいいだろう。
ツッコみたくなる点が多すぎるが、まずは――。
「『洗脳』とか平気で言っちゃってる!? あんた、そんな頭おかしい人だったっけ!?」
「あと、純粋にお前にいやらしいことをしたかったというのもある!」
ジラントは開き直っているのか、妙に清々しかった。
「なに堂々と言ってんだ、コラア! ていうか、なんであんたを信じてたら、安全だって言い切れるんだよ!」
「言い切れる!」
キーラとジラントの、目線と目線がぶつかり、火花が散る。
「だって僕は、お前を愛しているから! お前のためならなんでもするし、守るし、幸せにする!」
「~~~~~~~~はあ!?」
外に出て分かったが、キーラが監禁されていた小屋は、暗黒竜が出現したオルガ川最上流部から、北へ二十分ほど歩いたところにあった。ジラントもよくもまあこんな不便なところに、別宅を作ったものだ。確かに一人になりたいならば、格好のロケーションではあるが。
小屋に入ってランプを点け、キーラたちは一息ついた。一人と一匹で、「おなか減ったねー」などとお喋りしていると、ジラントが戻ってくる。
「あっ! 探してたんだぞ! 化けギツネめ、ここにいたのか! 勝手に物置きから出やがって!」
何事もなかったようにのんびりしているユランを見て、ジラントは驚いているようだ。
ユランは四つ足を踏ん張り、シャーッと鋭い鳴き声を上げた。
「わしはお前の望みを叶えてやったのに! あのような狭苦しいところに、このわしを押し込めるとは、あまりに礼を欠いておるぞ、小僧!」
「望み?」
ユランはなにを言っているのか。キーラは聞いてみたかったが、仔ぎつねの激しい剣幕の前にそれも憚られる。
普段は可愛い仔ぎつねでも、そこは妖怪だ。牙を剥かれれば、迫力があった。
ジラントもたじろいでいる。
「と、ともかく……! えーと……出ていけ!」
ジラントが発したどうにも締まらない命令に、ユランもキーラもぽかんとなった。
「は? それだけか? 一応わしは竜に化けて、人々を驚かせたわけだが? 退治とか封印とか、いいのか?」
「いや、だって、まあ……。なにもされなかったし……」
ジラントがもごもごと返答すると、ユランは大きな口の端をくっと上げた。
「そうじゃな~。わしがしたのはただのお茶目なイタズラで、深刻な事態に陥ったのは、貴様らの事情に過ぎないものな~。なあ、英雄殿?」
そうユランに煽られると、ジラントは血相を変えた。
「……キーラ。まさか、カラツィフへ行ったのか!? あっ、枷!? なんで外れてる!?」
「まあ、ちょっと。お散歩に行ってきたよ」
「くそ……」
ジラントは下を向いてしまう。
――彼の「企み」は、全て無駄になってしまったということだ。
ジラントはキーラを守りたかった。だから、この小屋へ閉じ込めたのだ。
「……もういい。さっさと行け、化けぎつね」
ジラントは吐き捨てるように言った。
ユランはそれに従い、素直に歩き出した――ように見せかけて、仔ぎつねはジラントの前へ差し掛かったところで、突然高く跳ねた。そして宙を舞いながらジラントに尻を向け、長いしっぽを上へ下へ振った。
「うぷっ! な、なにするんだっ!?」
ユランのしっぽで鼻先を撫でられたジラントは、たまらずくしゃみを連発する。
「ユラン!?」
仔ぎつねの行動に、キーラもびっくりしている。これもイタズラか、それとも復讐だろうか。
「礼のひとつも言えぬ、無作法な小僧め!」
「お前、やっぱりあのときの祠の……!? ぼ、僕はなにも頼んでなんかいない! お前が勝手に……!」
「ふん、いい気になるなよ! わしの妖力、存分に味わうが良い!」
ユランは華麗に着地を決めると、ぴんとしっぽを立て、己の勇姿を見せつけるようにゆっくり歩き出した。
きつねが前へ立つと、玄関の扉は自然に開いた。
「ドア、開けられるんだ……? この小屋に初めて来たときは、私が開けてあげるまで、入ってこなかったのに?」
「わしの妖力は『解錠』と言ったじゃろ? 開けられぬ扉はない。だが、わしはジェントルマンじゃからな。ご婦人のいる部屋に、勝手に入ったりはせんのじゃ」
にんまり笑うユランに、キーラは「イケメン!」と惜しみない称賛を送った。
「なんか、キーラ……。お前、僕にもそんな顔しないのに……」
いつの間にかすっかり仲良しの幼馴染と仔ぎつねの間に立って、ジラントは面白くなさそうだ。
「ユラン、遠くへは行かないよね?」
「うむ。ちょっとメシでも食ってくる。お前たちはゆっくり話し合うがよかろう」
そう言い残して、ユランは夜の闇に溶けるように、外へ消えた。
二人きりになった途端、室内の空気が重くなる。
キーラはもう、だいたいのことは察しがついている。――ジラントの気遣いが発端だったのだ。
「……カラツィフへ戻ったのなら、もう全部知ってるんだよな?」
「あ、うん」
「そうか……」
口火を切ったジラントは、キーラの返事を聞いて、がっくり肩を落とした。
「えーと……。ジラント、私に同情したの?」
「――違う。そんないいもんじゃない。お前は知ってるのか? その、ラプシン様の……」
「ああ、愛人……てことになるのかな。ジラントのお姉さんでしょ?」
町外れの家で、父を出迎えたお腹の大きな女性は、ジラントの姉だ。キーラが幼い頃から知っている、ジラントより八つ年上の――。
「姉とラプシン様の件は、僕の両親も協力的で……。僕はそれが恥ずかしかった……」
「まあ、そーね。でもあんたのご両親の気持ちも、分からないではないよ。うちのジジイ、金持ちだし、権力者だしね」
「――ラプシン様の娘であるお前を、どんなに傷つけることになるのか、誰も考えていない……」
自分のことを、心配してくれる人がいるなんて。――父や母ですら、キーラのことはほったらかしなのに。
こんなときながら、キーラは感動していた。やっぱりジラントは優しいのだ。
「もう知っているなら、全部言ってしまうが……。ラプシン様はご自分の地位や財産を、お前ではなく、姉との間に生まれる子に継がせたがっていた。だからお前を……。僕も、頼まれていたんだ。お前をどうにかしろ、と」
「……………」
承知していたつもりだったが。
父にとって、自分は邪魔者だった。改めて断言されると、どうしても胸が痛む。
しかも、キーラを排除する。そんな非情なことを、よりによって幼馴染のジラントにやらせようとしていたなんて。
「そこへ予想外なことに、まさかの人食い竜の登場だ。ラプシン様はこれ幸いと、お前を竜に食わせると決めた」
「ユランが――竜が現れたのは、本当に偶然だったの? ジラントのカバンになんか色々入ってたし、準備が良くない?」
「ええと、それはまた今度話す……。絶対お前に『変なところへ行くからだ』とか、説教されそうだから……」
ジラントは歯切れ悪く言う。キーラも話を先に進めたかったので、追求は一旦止めた。
「ともかく、まあ……。あの化けぎつねのおかげで、お前は竜に食われたと――もう死んでしまっていると、ラプシン様に思わせることができた」
「私のこと、ここに閉じ込めたのは、お父様に見つからないようにするため?」
「そうだ。そして……」
父親の冷酷な仕打ちと比べて、ジラントの慈悲深い配慮が際立つ。好感度はうなぎのぼりだ。
キーラは幼馴染に惚れ直した。
――しかし。
ジラントの話には、まだ続きがあったのだ。
「本当はファザコンでマザコンのお前が、両親じゃなくて、僕を! 一番に愛し、盲信するように、洗脳してやろうと思った。だって、それが一番安全だから! 僕だけを見て、僕の言うことだけを信じていれば、なにも怖くはないんだ! だから読みたくもない陵辱系の本を買い漁って、勉強した! 可哀相なのは抜けないのに!」
――せっかく、イイ話としてまとまりそうだったのに。
一息に詳らかに述べられたジラントの告解は、異常だった。狂っているといってもいいだろう。
ツッコみたくなる点が多すぎるが、まずは――。
「『洗脳』とか平気で言っちゃってる!? あんた、そんな頭おかしい人だったっけ!?」
「あと、純粋にお前にいやらしいことをしたかったというのもある!」
ジラントは開き直っているのか、妙に清々しかった。
「なに堂々と言ってんだ、コラア! ていうか、なんであんたを信じてたら、安全だって言い切れるんだよ!」
「言い切れる!」
キーラとジラントの、目線と目線がぶつかり、火花が散る。
「だって僕は、お前を愛しているから! お前のためならなんでもするし、守るし、幸せにする!」
「~~~~~~~~はあ!?」
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