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前編
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兵士たちの説明を聞き終わると、キーラは大いに憤った。
「なんだそれ!? そんなことが、まかり通ると思ってんの!?」
「それは……。ですが、ラプシン様、そして議会の決定ですので……」
「急! 急だから! だいたいそんな嘘くさい話、信じられるか!」
「ほ、本当なんですって! 仲間が目撃してるんですから!」
兵士たちはキーラの剣幕にたじろぐも、任務に忠実で引かなかった。
「――じゃあ、その話が本当だとしてさ……」
しかしキーラも攻撃の手――ではなく、口を緩めない。
「絶対、ぜーったい、化けて出てやるかんな! 竜の牙に砕かれる瞬間まで、ううん、そのあとも! カラツィフの奴ら、全員呪ってやっから! 草木を枯らし! 田畑を荒らし! ちびっこも、じいちゃん、ばあちゃんも! ぜーんぶ! 呪い殺してやっから!」
「そっ、そんな……」
大きな青い瞳に薔薇色の唇。花の盛りの可憐な少女――と言いたいところだが、口汚く呪いの言葉を吐き散らかす今のキーラ・ラプシンは、狂犬そのものだった。
「なんとか言えよッ! オラッ!」
「いたッ!」
キーラの両脇に控えていた兵士たちは、怒髪天を衝く彼女からアツイ罵倒と蹴りを食らった。
「やめろ、キーラ。この人たちに当たったって、状況は変わらないぞ……」
成り行きで立ち会っているジラントは、冷静にキーラを諌めた。
「けっ! 話になんねー! もっと偉い奴を連れてきな! ――うちのクソジジイをさ!」
キーラ・ラプシンは腕を組み、気炎を吐いた。
――その異状に気づいたのは、昨日のことだったという。
キーラたちが暮らすカラツィフは、北方に森が広がっている。
その森に、なんの前触れもなく、唐突に、一匹の竜が現れたらしいのだ。
体長十メートルにも及ぶ桁外れに大きなその獣は、北の森の奥、オルガ川の源流付近に陣取ったという。
竜を発見したのは、定期巡回中だった兵士たちだ。彼らに、竜は朗々と告げたのだそうだ。
「我が名は、暗黒竜ユラン。オルガ川を解放してほしくば、若き乙女を捧げよ。逆らうというのなら、この川を猛毒で染め上げ、そして下流にて日々を営む貴様たちを、残らず食べ尽くしてやろうぞ」
「刻限は翌日」と、竜は重ねて言った。――人ならざる怪異に対して言っても詮無いことだが、やたらと忙しい要求である。
兵士から報告を受けたカラツィフの幹部たちは、皆、一様に震え上がった。
オルガ川はカラツィフの主要な水源である。そのような重要拠点に現れた怪物を、もちろん放っておくわけにはいかない。
そして――。
カラツィフには古来より、数多の人食い竜伝説が伝わっていたのだ。
語り継がれたそれらは残虐非道な内容で、子孫たちに竜への恐怖を植えつけたのだった。
どの伝説においても、悪竜は最後には、正義の勇者だとか魔法使いだとかに退治されている。が、そのようなハッピーエンドを迎えるまでに、多くの無辜の人々が竜の胃の腑に収まったという。
カラツィフの長、アレクセイ・ラプシンは、早速、緊急議会を招集した。とはいえ、議員といっても人数はたった十人ほどの、重大事件などに遭遇したことはない田舎者の集まりである。経験も足りなければ、そもそも時間がないこともあって、解決策は出てこなかった。
伝説にある人食い竜に襲われたのは、もう百年も昔のこと。以降、他方からの侵略や略奪の経験もなく、平和なこの地では、武力と呼べるようなものを大して備えていなかった。
治安の維持用に組織していた兵士たちをかき集めて、一か八か竜に挑むとしても、オルガ川になにかされてしまったら取り返しがつかない。貴重な水源を失えば、カラツィフの被害は甚大なものになるだろう。
また、予告されたように、竜が集落に直接、攻撃を仕掛けてくる可能性もある。
一応、近隣の町や村に助けを乞うたが、「首都へ言え」とにべもない応えが返ってきた。
八方塞がりだ。集落の長のアレクセイ・ラプシンと議会の面々は、大いに頭を悩ませた。
――結果、採用されたのは、非常に消極的な方策だった。
竜の要求を、言われるまま聞き入れよう。すなわち、若き乙女を与えるのだ。
その生贄に選ばれたのが、カラツィフの長であるアレクセイ・ラプシンの長女、キーラ・ラプシンだった――。
竜との約束は、奴が現れた翌日――つまり、今日中に乙女を差し出すこと。
陽は中天を下り始めたあたりだが、移動時間を考えれば、そろそろ竜のもとへ出発せねばならない頃合いだ。
なにしろ急な話で、キーラは着の身着のまま旅立つことになった。
彼女が連行されるその場に居合わせたジラントも、付き添うことにしたようだ。
「なんというか……。いいんスかね、生贄がこんな格好で……」
集落を出て、北の森へ到達した辺りで、兵士の一人が、ショートパンツからにょきっと伸びたキーラの太ももをチラチラと見つつ、つぶやいた。
「ああ!? 昔話みたいに、白装束とか着ろってのぉ!? あんなだっせーもん着るくらいなら、竜んとこ行く前に死んでやるわ!」
「す、すみません! すみません!」
キーラの反撃を食らって、兵士は平身低頭、謝り倒す。キーラはふんと鼻を鳴らしてから、着ているトレーナーを摘み、唇を尖らせた。
「人がどんな格好しようがほっとけっての。わざわざ国境越えて、隣の国のフリーマーケットまで行って買ってきたんだからね!」
キーラの服飾にかける情熱は、なかなかのものらしい。
「パンツは自分で縫ったんだっけか?」
ジラントが合いの手を入れるように尋ねると、キーラは得意げに微笑んだ。
「そうだよ。だいぶ裁縫の腕も上がったっしょ」
キーラは衣装持ちだったが、買うのはたいてい古着で、残りは自作している。
集落の長の娘、つまりお嬢様といえど、自由になるお金は年相応か、それ以下なのだ。
ジラントがバカにしたように言う。
「まったく、お前はどうでもいいことに労力を使うよな」
「は? 人の作品をちゃっかり愛用してる奴が、なに言ってんのさ」
「……………」
時々、布が余ったときなどに、キーラがなにか作ってやると、ジラントは律儀にそれを身に着けてくれる。
例えば彼が今、腰に提げている大きなカバンも、キーラが縫ったものだ。
「ま、誰にでも、特技はあるってことだな」
「うるっさいな!」
ジラントの嫌味に口をへの字に曲げると、キーラは兵士に話を振った。
「それより、ジジイはどうしたの? 来ないつもり? 娘を生贄に指名しておいてさ~、無責任じゃない?」
「ラプシン様は今後の対策を協議中で、どうしても会議を抜けられないということで……」
「じゃ、ババアは?」
「奥様は……。悲しみのあまり、臥せっておいでです」
兵士の説明を聞いて、キーラは「けっ!」と野蛮に毒づいた。
その隣でジラントはごそごそと落ち着きなく、腰に提げたカバンの中身を探っている。
「……なに?」
キーラは不審げにジラントを睨んだ。
「いや、えーと……。あ、キーラ、ほら、飴ちゃんだ。皆さんもどうぞ」
ジラントは引きつった笑顔を浮かべて、キーラや兵士たちに飴を配った。
キーラは背伸びをして、幼馴染の両頬を力いっぱい引っ張った。
「おめーはよー! ほんとによー! 可愛い幼馴染が、もうじき化けものに食われるっつーのによー! のんきだよなーーー!」
「ひっ、ひたい! ひゃめろ! お前さっき、スイーツが食べたいって言ったじゃないか!」
二人のやり取りに、兵士たちは呆れている。
「これから竜に食われるっていうのに、悲壮感がないのはこっちも助かるけどさあ……」
「ジラントって悪気はないんだろうけど、ちょっとズレてるっていうか……」
「学校でも、ちょっと浮いてたって聞いたぞ……」
「めっちゃ頭いい奴って、どっか変わってるもんなんだよ……」
ジラントは賢く、カラツィフ始まって以来の才物と讃えられていた。しかし子沢山で、経済的に余裕のない家庭で育った彼は、カラツィフ議会の仕事を手伝うなどして金を貯めて、近いうちに他国へ留学する心づもりでいるらしい。
「あーあ。一生、舎弟として、こき使ってやるつもりだったのに……」
「なにか言ったか? あ、チョコもあるぞ」
寂しさに浸るキーラとは対象的に、ジラントはどこまでもマイペースだ。
「……ふん!」
キーラはジラントから受け取った飴を口に放り込むと、ガリガリと噛み砕いた。
「なんだそれ!? そんなことが、まかり通ると思ってんの!?」
「それは……。ですが、ラプシン様、そして議会の決定ですので……」
「急! 急だから! だいたいそんな嘘くさい話、信じられるか!」
「ほ、本当なんですって! 仲間が目撃してるんですから!」
兵士たちはキーラの剣幕にたじろぐも、任務に忠実で引かなかった。
「――じゃあ、その話が本当だとしてさ……」
しかしキーラも攻撃の手――ではなく、口を緩めない。
「絶対、ぜーったい、化けて出てやるかんな! 竜の牙に砕かれる瞬間まで、ううん、そのあとも! カラツィフの奴ら、全員呪ってやっから! 草木を枯らし! 田畑を荒らし! ちびっこも、じいちゃん、ばあちゃんも! ぜーんぶ! 呪い殺してやっから!」
「そっ、そんな……」
大きな青い瞳に薔薇色の唇。花の盛りの可憐な少女――と言いたいところだが、口汚く呪いの言葉を吐き散らかす今のキーラ・ラプシンは、狂犬そのものだった。
「なんとか言えよッ! オラッ!」
「いたッ!」
キーラの両脇に控えていた兵士たちは、怒髪天を衝く彼女からアツイ罵倒と蹴りを食らった。
「やめろ、キーラ。この人たちに当たったって、状況は変わらないぞ……」
成り行きで立ち会っているジラントは、冷静にキーラを諌めた。
「けっ! 話になんねー! もっと偉い奴を連れてきな! ――うちのクソジジイをさ!」
キーラ・ラプシンは腕を組み、気炎を吐いた。
――その異状に気づいたのは、昨日のことだったという。
キーラたちが暮らすカラツィフは、北方に森が広がっている。
その森に、なんの前触れもなく、唐突に、一匹の竜が現れたらしいのだ。
体長十メートルにも及ぶ桁外れに大きなその獣は、北の森の奥、オルガ川の源流付近に陣取ったという。
竜を発見したのは、定期巡回中だった兵士たちだ。彼らに、竜は朗々と告げたのだそうだ。
「我が名は、暗黒竜ユラン。オルガ川を解放してほしくば、若き乙女を捧げよ。逆らうというのなら、この川を猛毒で染め上げ、そして下流にて日々を営む貴様たちを、残らず食べ尽くしてやろうぞ」
「刻限は翌日」と、竜は重ねて言った。――人ならざる怪異に対して言っても詮無いことだが、やたらと忙しい要求である。
兵士から報告を受けたカラツィフの幹部たちは、皆、一様に震え上がった。
オルガ川はカラツィフの主要な水源である。そのような重要拠点に現れた怪物を、もちろん放っておくわけにはいかない。
そして――。
カラツィフには古来より、数多の人食い竜伝説が伝わっていたのだ。
語り継がれたそれらは残虐非道な内容で、子孫たちに竜への恐怖を植えつけたのだった。
どの伝説においても、悪竜は最後には、正義の勇者だとか魔法使いだとかに退治されている。が、そのようなハッピーエンドを迎えるまでに、多くの無辜の人々が竜の胃の腑に収まったという。
カラツィフの長、アレクセイ・ラプシンは、早速、緊急議会を招集した。とはいえ、議員といっても人数はたった十人ほどの、重大事件などに遭遇したことはない田舎者の集まりである。経験も足りなければ、そもそも時間がないこともあって、解決策は出てこなかった。
伝説にある人食い竜に襲われたのは、もう百年も昔のこと。以降、他方からの侵略や略奪の経験もなく、平和なこの地では、武力と呼べるようなものを大して備えていなかった。
治安の維持用に組織していた兵士たちをかき集めて、一か八か竜に挑むとしても、オルガ川になにかされてしまったら取り返しがつかない。貴重な水源を失えば、カラツィフの被害は甚大なものになるだろう。
また、予告されたように、竜が集落に直接、攻撃を仕掛けてくる可能性もある。
一応、近隣の町や村に助けを乞うたが、「首都へ言え」とにべもない応えが返ってきた。
八方塞がりだ。集落の長のアレクセイ・ラプシンと議会の面々は、大いに頭を悩ませた。
――結果、採用されたのは、非常に消極的な方策だった。
竜の要求を、言われるまま聞き入れよう。すなわち、若き乙女を与えるのだ。
その生贄に選ばれたのが、カラツィフの長であるアレクセイ・ラプシンの長女、キーラ・ラプシンだった――。
竜との約束は、奴が現れた翌日――つまり、今日中に乙女を差し出すこと。
陽は中天を下り始めたあたりだが、移動時間を考えれば、そろそろ竜のもとへ出発せねばならない頃合いだ。
なにしろ急な話で、キーラは着の身着のまま旅立つことになった。
彼女が連行されるその場に居合わせたジラントも、付き添うことにしたようだ。
「なんというか……。いいんスかね、生贄がこんな格好で……」
集落を出て、北の森へ到達した辺りで、兵士の一人が、ショートパンツからにょきっと伸びたキーラの太ももをチラチラと見つつ、つぶやいた。
「ああ!? 昔話みたいに、白装束とか着ろってのぉ!? あんなだっせーもん着るくらいなら、竜んとこ行く前に死んでやるわ!」
「す、すみません! すみません!」
キーラの反撃を食らって、兵士は平身低頭、謝り倒す。キーラはふんと鼻を鳴らしてから、着ているトレーナーを摘み、唇を尖らせた。
「人がどんな格好しようがほっとけっての。わざわざ国境越えて、隣の国のフリーマーケットまで行って買ってきたんだからね!」
キーラの服飾にかける情熱は、なかなかのものらしい。
「パンツは自分で縫ったんだっけか?」
ジラントが合いの手を入れるように尋ねると、キーラは得意げに微笑んだ。
「そうだよ。だいぶ裁縫の腕も上がったっしょ」
キーラは衣装持ちだったが、買うのはたいてい古着で、残りは自作している。
集落の長の娘、つまりお嬢様といえど、自由になるお金は年相応か、それ以下なのだ。
ジラントがバカにしたように言う。
「まったく、お前はどうでもいいことに労力を使うよな」
「は? 人の作品をちゃっかり愛用してる奴が、なに言ってんのさ」
「……………」
時々、布が余ったときなどに、キーラがなにか作ってやると、ジラントは律儀にそれを身に着けてくれる。
例えば彼が今、腰に提げている大きなカバンも、キーラが縫ったものだ。
「ま、誰にでも、特技はあるってことだな」
「うるっさいな!」
ジラントの嫌味に口をへの字に曲げると、キーラは兵士に話を振った。
「それより、ジジイはどうしたの? 来ないつもり? 娘を生贄に指名しておいてさ~、無責任じゃない?」
「ラプシン様は今後の対策を協議中で、どうしても会議を抜けられないということで……」
「じゃ、ババアは?」
「奥様は……。悲しみのあまり、臥せっておいでです」
兵士の説明を聞いて、キーラは「けっ!」と野蛮に毒づいた。
その隣でジラントはごそごそと落ち着きなく、腰に提げたカバンの中身を探っている。
「……なに?」
キーラは不審げにジラントを睨んだ。
「いや、えーと……。あ、キーラ、ほら、飴ちゃんだ。皆さんもどうぞ」
ジラントは引きつった笑顔を浮かべて、キーラや兵士たちに飴を配った。
キーラは背伸びをして、幼馴染の両頬を力いっぱい引っ張った。
「おめーはよー! ほんとによー! 可愛い幼馴染が、もうじき化けものに食われるっつーのによー! のんきだよなーーー!」
「ひっ、ひたい! ひゃめろ! お前さっき、スイーツが食べたいって言ったじゃないか!」
二人のやり取りに、兵士たちは呆れている。
「これから竜に食われるっていうのに、悲壮感がないのはこっちも助かるけどさあ……」
「ジラントって悪気はないんだろうけど、ちょっとズレてるっていうか……」
「学校でも、ちょっと浮いてたって聞いたぞ……」
「めっちゃ頭いい奴って、どっか変わってるもんなんだよ……」
ジラントは賢く、カラツィフ始まって以来の才物と讃えられていた。しかし子沢山で、経済的に余裕のない家庭で育った彼は、カラツィフ議会の仕事を手伝うなどして金を貯めて、近いうちに他国へ留学する心づもりでいるらしい。
「あーあ。一生、舎弟として、こき使ってやるつもりだったのに……」
「なにか言ったか? あ、チョコもあるぞ」
寂しさに浸るキーラとは対象的に、ジラントはどこまでもマイペースだ。
「……ふん!」
キーラはジラントから受け取った飴を口に放り込むと、ガリガリと噛み砕いた。
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