2 / 9
2.
しおりを挟む美波家の居間には、三人は優に座れる大きな造りのソファが二脚、向かい合わせに置かれていて、その間にはシックなデザインのガラステーブルがどっしり鎮座しています。
先ほどまで楽しんでいたたこ焼きパーティーの残り香がうっすら漂う、そんなくつろぎの場所には不似合いなピリピリひりつく態度で、美波と潮は対峙していました。
「てめえ、勝手に何やってんだよ!」
潮が怒鳴ると、美波は当てつけのようにドサッと大きな音を立てて、ソファに腰を下ろしました。
潮はなぜか怒っているけど、美波もなぜか怒っているみたい。
私はどうしたらいいのか分からず、オロオロするだけでした。
「なに? みさきにキスするのに、おまえの許可を取る必要があるわけ? 無理矢理したわけでもないのに?」
「てめえ……!」
挑発的な物言いをする美波の胸ぐらを、潮が掴みます。火花が散るかのように剣呑に、二人は睨み合いました。
修羅場。しかし張り詰めた空気をぷつりと切るように、素っ頓狂な声が掛かります。
「えっ?」
今まで友人二人のやり取りをボケっと眺めていた大洋が、顔を上げました。
「なになに? 美波とみさきが、キスしたの?」
大洋は、私と美波の顔を交互に見比べました。
いやそんな、改めて言われると、恥ずかしいんですけど……。でも今はそれどころではありません。潮たちを止めないと、殴り合いでも始めそうな勢いです。
「もうやめなよ! 潮! だいたいなんであんた、そんなにキレてんの!?」
「っ!」
混乱していたから、私もついつい強い口調になってしまいます。責められた潮の顔は、怒りでますます赤くなりました。
――いけない。
導火線に火が点いたダイナマイトのような潮を、とにかく落ち着かせようと、私はなるべく穏やかに話しかけました。
「ね、潮、落ち着いて? みんなでアイス食べようよ」
「うるせえな! アイスなんかで誤魔化されるか! みさきもみさきだ! 簡単にキスなんかさせやがって! この尻軽が!」
えっ、私が悪いの?
そのうえ、「尻軽」……。なだめようと思ったのも束の間、潮の言い草にカチンときて、私も感情的になってしまいます。
「ハァ!? てか、美波の言うとおりだよ! 私が誰とキスしようが何しようが、勝手じゃない! 潮のお許しを得ないといけないわけ!?」
「……!」
思えば、私と潮はいつもこう。遠慮がない分、すぐにケンカになってしまうのです。
言ったそばから、ちょっと言葉が過ぎたかと後悔しました。だけど、どうして潮はこんなに激昂してるんだろう?
「みさきなんて……みさきなんて……! おまえ、なんにも分かってない!」
潮は悔しそうに唇を噛んで、私を睨め上げます。その目が、一瞬揺らぎました。
――こういう場面、小さい頃に遭遇した気がする。
友達どうしで口論になって、絶対引かない相手に散々ひどいことを言って。だってその子は強いから、それくらい大丈夫だと思っていた。
でも、鉄壁だと過信していたその子の心は、突然崩れたのです。そして、大声で泣き出す。つまり、追い詰め過ぎた。
そんな状況と今は似ている、と思いました。――まずい。
だけど潮はさすがに泣きはせず、その代わり、美波を離してつかつか近寄ってくると、私の肩を強く掴みました。
「いた……っ!?」
「美波とするんだったら、俺とだっていいよな……!?」
何を言っているのか。潮の主張を理解する前に、彼の顔が間近にありました。
唇同士が触れて――でも全く意味不明です。
なんで? どうして? だって、私たちは友達だったじゃない。
足元がボロボロ崩れていく気がしました。
私が知っていた世界は消え去ってしまい、じゃあ私がいる「ここ」はどこなのか――。
「みさき……」
「潮……」
口づけを解いた潮の表情を伺えば、やっぱり泣きそうなまま。
いつも意地悪で、私をいじめることはあっても、いじめられることはなかった潮。強気で不遜な彼がそんな顔をしてるのは初めてで、私は何も言えなくなりました。
そして潮は、やっぱり爆弾だった。続けて、爆発したのです。
「みさき……。俺、ずっとおまえが好きだった。高校んときから、おまえだけが好きだった……!」
「――なにそれ!?」
私は絶叫してしまいました。だってそんな態度、少しも見せなかったじゃない。
アワアワと狼狽えていると、今度は後ろからすごい力で引っ張られました。倒れかけた背中を、広く逞しい胸板に支えられます。肩を持たれて、ぐるりと百八十度回転させられて、そして後頭部をがっちり、大きな手でホールドされる。ここまで私は、川の中を転がる石のように、勝手に動かされています。
――誰に?
なにが起こっているのか。声を出そうとしたその口を、塞がれます。寸前に見た顔は、大洋のものでした。
――今度は大洋か。
これだけ異常事態が続くと肝が座るのか、驚きはさほどありませんでした。でも、苦しい。
だって大洋は万力のように、私の体を締め上げているのです。唇同士を繋げたまま、ギリギリと抱かれ続けて――。
「んーーーー! んーーーー!!」
このままでは、酸欠か全身骨折で死んでしまう。
私は手足をじたばたさせてもがきますが、大洋はぴくりとも動きません。
「てめえ、大洋! 力まかせにすんな!」
「みさきが死んじゃうだろ!」
潮と美波が駆け寄り、なんとか大洋を引き剥がしてくれました。
私は必死に肺へ酸素を送り込んで、ようやく落ち着いてから、三人の男子を見回しました。
潮、美波、大洋。
これはどういうことなのか。
「まさかとは思うけど、気づいてなかったのか? 俺たちの気持ち」
冗談めかして潮は問いかけてきましたが、私はしっかり頷きました。途端、三人ががっくり肩を落とします。
いや、確かに、好意は持たれていると思っていました。だって、嫌いな相手とちょくちょく遊んだりしないだろうし。
私だって、彼らのことがとても好きです。でもそれは、友情の範疇のことで。
だって私には、海人という彼氏がいたのですから。
「みさきは、僕たちのうちの誰かとつき合うことは、考えられない?」
そう尋ねる美波は、いつもの物腰柔らかな彼に戻っていました。
「……ごめん。それはちょっと」
私は首を横に振りました。だって今まで友情を育んできた人たちを、急にそういう対象になんて、思うことはできない。
「でも、キスはしてくれたよね?」
「それは……! 強引だったじゃん!」
「嫌だった?」
「……………」
私は黙ってしまいます。
美波のときも、潮のときも、大洋のときだって、驚いたけれど、嫌ではなかったんです。恋人としてどうこうというのはともかく、三人のことは好きだから。
だからもしかしたら、将来、彼らに恋をすることもあるかもしれない。
――でも。
「でも……。三人の中からっていうのは、決められないよ」
誰か一人を選んで、あとの二人を傷つけるのは、絶対に嫌です。それだったら今のまま、三人で仲良くしていたい。
私の自分勝手とも言える答えを聞いて、潮が不貞腐れたように吐き捨てます。
「やっぱり俺たちじゃ、海人に勝てねえのかよ」
「ちが! 違うよ! 大体、海人は……!」
言い終わる前に美波が近づいてきて、私をふわりと柔らかくハグしました。
「ねえ、みさき。ダメだって決めつけないで、考えてみてくれないかな。僕たちはみんなみさきのことが大好きだし、海人なんかよりは絶対に、君のことを幸せにするよ」
「……………………」
頬で美波の胸の温もりに触れていると、泣きたくなってしまいました。
――「好き」とか「幸せにする」なんて、生まれて初めて言ってもらったんです。
愛されるって、すごく嬉しいことなんだ……。
「でもやっぱり私は、誰か一人なんて選べないよ……」
彼らの気持ちは本当にありがたくて、勿体ないけれど。
潮、美波、大洋の誰かを悲しませるくらいなら、一人でいたほうがマシです。
自らのわがままゆえに招いた悲劇に浸りかけていると、視界がまたぐらりと揺れました。
「オレらのことが好きなら、別に一人に絞らなくていいじゃん!」
横から手を伸ばしてきた大洋が、美波から私を取り上げ、ぎゅっと抱き締めます。
「ちょっと悔しいけど、オレ、潮とも美波とも気が合うし、ノープロブレムだよ!」
「そ、それってどういう」
「みさきは、オレたち三人全員とつき合えばいいってこと!」
「は!?」
とんでもない提案をしておきながら、大洋はニコッと顔いっぱいに、邪気のない笑みを浮かべています。
「や、そんなの無理だって!」
「大丈夫、大丈夫。習うより慣れろだよ」
大洋は私の両頬を持って背を屈め、キスを迫ってきます。
「ちょ、ちょっと待って……! 潮! 美波! なんとか言って!」
「……………」
接近してくる人懐っこい顔を手で阻みながら、なんとか目だけで潮と美波の様子を伺います。だけど二人は何事か考え込んでいるようです。
いや、あの、それはあとでしてもらって、大洋を止めて欲しいんですけど……!
やがてほぼ同時に、潮も美波も決意に満ちた凛々しい顔を私に向けました。
「そうだな。おまえらと一緒なのは、かなり引っ掛かるけどよ」
「海人にみさきを独り占めされるよりは、ずっといいよね」
「!?」
つづく
1
お気に入りに追加
13
あなたにおすすめの小説

転生したら、6人の最強旦那様に溺愛されてます!?~6人の愛が重すぎて困ってます!~
月
恋愛
ある日、女子高生だった白川凛(しらかわりん)
は学校の帰り道、バイトに遅刻しそうになったのでスピードを上げすぎ、そのまま階段から落ちて死亡した。
しかし、目が覚めるとそこは異世界だった!?
(もしかして、私、転生してる!!?)
そして、なんと凛が転生した世界は女性が少なく、一妻多夫制だった!!!
そんな世界に転生した凛と、将来の旦那様は一体誰!?

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。
海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。
ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。
「案外、本当に君以外いないかも」
「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」
「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」
そのドクターの甘さは手加減を知らない。
【登場人物】
末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。
恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる?
田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い?
【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】
【完結済】公私混同
犬噛 クロ
恋愛
会社の同期、稲森 壱子と綾瀬 岳登は犬猿の仲。……のはずだったが、飲み会の帰りにうっかり寝てしまう。そこから二人の関係が変化していって……?
ケンカップル萌え!短めのラブコメディです。
※他の小説投稿サイトにも同タイトル・同PNで掲載しています。
※2024/7/26 加筆修正致しました。
明智さんちの旦那さんたちR
明智 颯茄
恋愛
あの小高い丘の上に建つ大きなお屋敷には、一風変わった夫婦が住んでいる。それは、妻一人に夫十人のいわゆる逆ハーレム婚だ。
奥さんは何かと大変かと思いきやそうではないらしい。旦那さんたちは全員神がかりな美しさを持つイケメンで、奥さんはニヤケ放題らしい。
ほのぼのとしながらも、複数婚が巻き起こすおかしな日常が満載。
*BL描写あり
毎週月曜日と隔週の日曜日お休みします。

4人の王子に囲まれて
*YUA*
恋愛
シングルマザーで育った貧乏で平凡な女子高生の結衣は、母の再婚がきっかけとなり4人の義兄ができる。
4人の兄たちは結衣が気に食わず意地悪ばかりし、追い出そうとするが、段々と結衣の魅力に惹かれていって……
4人のイケメン義兄と1人の妹の共同生活を描いたストーリー!
鈴木結衣(Yui Suzuki)
高1 156cm 39kg
シングルマザーで育った貧乏で平凡な女子高生。
母の再婚によって4人の義兄ができる。
矢神 琉生(Ryusei yagami)
26歳 178cm
結衣の義兄の長男。
面倒見がよく優しい。
近くのクリニックの先生をしている。
矢神 秀(Shu yagami)
24歳 172cm
結衣の義兄の次男。
優しくて結衣の1番の頼れるお義兄さん。
結衣と大雅が通うS高の数学教師。
矢神 瑛斗(Eito yagami)
22歳 177cm
結衣の義兄の三男。
優しいけどちょっぴりSな一面も!?
今大人気若手俳優のエイトの顔を持つ。
矢神 大雅(Taiga yagami)
高3 182cm
結衣の義兄の四男。
学校からも目をつけられているヤンキー。
結衣と同じ高校に通うモテモテの先輩でもある。
*注 医療の知識等はございません。
ご了承くださいませ。

密室に二人閉じ込められたら?
水瀬かずか
恋愛
気がつけば会社の倉庫に閉じ込められていました。明日会社に人 が来るまで凍える倉庫で一晩過ごすしかない。一緒にいるのは営業 のエースといわれている強面の先輩。怯える私に「こっちへ来い」 と先輩が声をかけてきて……?
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

【R18】幼馴染がイケメン過ぎる
ケセラセラ
恋愛
双子の兄弟、陽介と宗介は一卵性の双子でイケメンのお隣さん一つ上。真斗もお隣さんの同級生でイケメン。
幼稚園の頃からずっと仲良しで4人で遊んでいたけど、大学生にもなり他にもお友達や彼氏が欲しいと思うようになった主人公の吉本 華。
幼馴染の関係は壊したくないのに、3人はそうは思ってないようで。
関係が変わる時、歯車が大きく動き出す。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる