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4.お茶を、あなたと
5.(完)
しおりを挟むフロレンツィアの予想どおり、アルマンの記事が世に出たあとも、「黄金ウサギ」の客足と彼女の指名数には、全く影響がなかった。
世間一般の男性にとって、フロレンツィアが同性愛者であったとしても、元々手の届かない高嶺の花が、更に高い場所で咲き誇るようになったと、それだけのことである。
結局この事件の被害は、支配人のメガネ一ヶと、そういうことで落ち着いた。
さてその唯一の被害品について、フロレンツィアは弁償を申し出てくれたのだが、元々あれは彼女の好意により得たものだし、それにヘクターだって今は生活に余裕がある。だから新調するときの費用は自分の財布から出すことにしたのだが、メガネを選ぶのはフロレンツィアにさせた。
フロレンツィアはセンスがいいし、それに……ちょっとしたデートができる、良い口実だったからだ。
「うん、よく似合う」
フロレンツィアがヘクターに選んだのは、またもや銀縁メガネだった。
「代わり映えしないな……」
「そう? 前にも増して、陰険そうだけど」
「……………………」
細いフレームで出来た新しいメガネは、今までかけていたものと大きな違いはなく、すぐに馴染んだ。技術も進化しているのか、丈夫で軽い。ツルには細かな彫りものなども施してあって、なかなかオシャレだ。
――それでもヘクターは、今まで使っていたメガネが壊れてしまったことを、残念に思っている。
できればあれを、ずっと身に着けていたかった。
だから壊れたそれを処分することができず、ヘクターは自宅の引き出しの中に、大切に保管することにしたのだった。
――我ながら女々しいと思うけどな……。
自嘲気味に苦笑する彼に、フロレンツィアは言った。
「さて、メガネも新しくなったことだし、男前の上がったあんたに、ひとつお願いがあるの」
「散々、陰険だの何だの言ったくせに……」
「まあ、それも関係ないわけじゃないのよ」
「俺の陰険そうな見た目が?」
「自分で認めちゃうのね……」
そんな会話を交わした数日後のことである。
ヘクターは「黄金ウサギ」の入り口に立っていた。
待ち人来たらず。暇つぶしに、持っていた雑誌をパラパラとめくる。
『高級娼館に咲いた、一輪の愛の花。~ 気高き女たちの魂の結びつき ~』
大仰な見出しのついたその記事は、言うまでもなくアルマンが書いたものだ。ユリアが言い出したフロレンツィアとのロマンスに、捏造だらけの演出が加わっている。だが情緒豊かに綴られていて、なかなか面白い。
もちろん、エンデル・ベッケラートの名は、伏せられている。
ヘクターはほっと安堵した。
「しかし、下手な小説より読ませるな……」
アルマンを少し見直したところで、自動四輪車の停車音が聞こえた。
雑誌を閉じ、ヘクターは外に出た。
話は少し戻り、新しいメガネを買いに行った、その帰り道でのことである。
「ウルスラのときも思ったけど、あんたって本当に鈍いのよねえ」
フロレンツィアはそんな前置きをした。
「確かに私は、ユリア様と仲良くさせていただいてるわ。でもね、名門貴族のご婦人が娼館に来るのって、絶対周りにやいのやいの言われてるはずなのよ。私とお茶したいだけなら、外で会うって方法もあるのに、それなのにわざわざあの人がここに来るのは、どうしてだと思う?」
「……?」
少しもピンと来ていないヘクターを見て、フロレンツィアは呆れ顔になった。
「あの人は、あんたに会いに来てるの!」
「え!?」
「あんた、奥様の初恋の人に似てるんだってさ。ふふ、奥様ったら可愛いわよねえ」
車から降りたユリア・アウフシュタイナーは、運転手に何事か指示を出していた。
「いらっしゃいませ、アウフシュナイター様」
「あら、ヘクターさん。こんにちは」
不意に声をかけられ、ユリアは驚いた様子だった。
「申し訳ありませんが、フロレンツィアは急用のため、出掛けてしまいました」
「あらまあ、そうなの……。残念ですけど、それではまた日を改めて出直しますわ」
落胆しているユリアの前で、ヘクターはひとつ咳払いをした。
「ええと……。当店の食堂で出すコーヒーは、手前味噌ではございますが、なかなか美味でして……。もしよろしければ、この間のお礼に、ご馳走させていただけないでしょうか?」
「まあ……! ヘクターさんが!?」
誘いを受けて、はにかむユリアは、少女の頃に戻ったかのようだ。
キラキラと輝く彼女の瞳に映っているのは、ヘクターではなく、きっと初恋のお相手なのだろう。
「ええ、もちろん、喜んでご一緒致しますわ!」
子鬼の記者から「黄金ウサギ」を守ってくれたそのお礼が、こんなものでいいのだろうか。
――喜んでくれているようだから、まあいいか。
「奥様、どうぞ」
ヘクターが肘を差し出すと、ユリアは微笑んでそっと手を置いた。
こうして二人は仲良く連れ立って、「黄金ウサギ」の食堂へ向かったのだった。
~ 終 ~
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