明るい奴隷生活のススメ

犬噛 クロ

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 大きめに作られたリビングの窓からは、温かな色味をした秋の斜陽がたっぷりと差し込む。柔らかな感触のそれを頬で受け止めながら、上月 光也(こうづき みつや)はソファの上でゆっくり伸びをした。

「なんか実家に帰ってくると、眠くなるんだよな~」
「分かる。私も昼寝ばっかりしてる」

 同意してくれたのは、隣に座る姉の都(みやこ)である。しかし光也は異議を唱えた。

「いや、俺と姉ちゃんの場合は、意味合いが違うだろ……」

 光也は就職して家を出て、もう七年。現在の彼の居住地は、ここ千葉県から新幹線を使って三時間かかる、東北の社宅である。
 都は結婚して独立しているが、近所に居を構え、しょっちゅうこの実家に顔を出しているという。
 光也からすれば半年ぶりの貴重な里帰りと、呑気な姉の実家訪問を一緒にして欲しくない。
 久しぶりの実家は、離れているからこそ細かなところが気になるものだ。光也は辺りをキョロキョロと見回しながら、声を潜めて言った。

「なんか、ちょっとずつ傷んできたな、うち……」

 光也たち姉弟(きょうだい)が育ったこの家は、築三十年以上経過している。建物自体も古びているし、家具類も相当な年季物だ。例えば今、光也が体を預けているソファも、眼前でどっしり構えている応接テーブルも、傷や汚れが目立つ。
 そのことを指摘した光也の声が沈んでいたのは、後ろめたさがあるからだ。
 自立したのだという大義名分のもと、実家を、両親をおざなりにし過ぎていないか……。
 自らを省み、落ち込んでいる弟に、気づいているのかいないのか、都はいつものとおりサバサバした口調で答えた。

「ま、それも味でしょ。いよいよヤバくなったら、ちゃんとなんとかするよ。私、そのために、近くに住んでるからね。いざってときはあんたにも連絡するから、金出しなよね」

 変に気を使われるより、ズバリと言ってもらえるほうが助かる。それに社会人としては、人手や時間を求められるより、いっそ金を工面しろと要求されるほうが楽だ。
 やはり姉は話が早いし、頼りになる……と内心感心しながら、光也は「ああ」と頷いた。

「ばあば! こんどはケーキ屋さんやろう! ばあばはザッハトルテとオペラを買いにくるのよ!」
「はいはい。麻衣子ちゃん、随分お洒落なケーキを知ってるのねえ。ていうかそのオーダーをするお客さん、チョコが好き過ぎない?」

 庭に臨む窓の前では、光也の母と姪の麻衣子(まいこ)が、フローリングの床にぺったり座り、向かい合って遊んでいる。
 この二人はお店屋さんごっこを、連続で数十回もこなしていた。
 本屋さん、花屋さん、魚屋さん、八百屋さん……。このまま日本の小売業を、全て制覇するつもりだろうか。
 それにしても一般的に「子供は飽きやすいものだ」と聞いていたのだが、どうしてどうしてこの集中力、そして執念深さときたら。光也は恐れ入ってしまう。

「麻衣子、すげーな」
「すごいよ。ほっとくと似たようなことを、ずーーーっとやりたがるの。でもさあ、あんたもそういうとこあったよ。小さい頃、何べんライダーごっこやらされたか」

 光也は感嘆のつぶやきを漏らし、都はうんざりと応じる。
 この姉・都が、麻衣子の母親だ。だから麻衣子は、光也の姪に当たる。

「そうだったっけ? でも俺たちの場合、いつも悪の怪人が勝つんだよな……」
「しょうがない。うちのライダーが弱かったから、世界は滅びてばっかりだったの」
「……………………」

 敵方の首領に扮した姉に、ボコボコにやられ続けた幼き日々を思い出し、光也は顔をしかめた。
 都は面倒見もいいし、よく遊んでくれたのだが、決して手加減はしなかった。繰り返された幼少期の経験により、光也は体格も腕力もすっかり都を抜いた今でも、この姉には勝てる気がしない。

「ちょっと、麻衣子。いい加減にしなよ。ばあば、疲れちゃうでしょ! こっち来て、休憩しなさい」
「あと一回! あと一回だけだから!」

 都に叱られても、麻衣子は食い下がった。やはりこの姪のごっこ遊びにかける情熱は、凄まじいものがある。

「もー! しつこいよ!」

 都はそれでも我が子を説得しようとしたが、光也たちの母親が助け舟を出した。

「うんうん。麻衣子ちゃん、あと一回だけね」

 光也と都の母はそれほど気が長いたちではなく、子供との遊びはとっとと切り上げてしまうような人だったのだが。孫はやはり別格らしい。放っておけば一日中、デレデレと麻衣子の相手をしていそうだ。
 都は母に「ごめんねー」と詫びてから、大きなお腹をさすった。

「赤ちゃん、順調なの?」

 光也の問いに、都は笑顔で頷いた。

「うん。今回もつわりはないしね。でもその分、太っちゃって。体重管理が大変なんだよー」

 言った側から都は、「塩分控えめ」との印刷がされたせんべいの袋を破り、バリバリと噛み砕いた。
 いよいよ来月、自分は姉の三人目の子供と対面することになるだろう。
 血を分けた姉弟のくせに、三十を越えても独身で女っ気のない自分と、三人も子供をもうける姉とは、どこでどう差がついたのだろう。光也は首を傾げながら、テレビの電源を入れた。
 夕方のローカル局では、辛口が売りの情報番組を放送していた。内容はタイムリーなことに、「婚活特集」。現在の婚活市場についてのレポート、更には若者たちの結婚観なども取り上げ、酸いも甘いも噛み分けたコメンテーターたちがああだこうだと言いたい放題していた。

『男の人に一番に求めるのは経済力ですね』
『そんなこと言っても、ブサイクは眼中にないでしょ?』
『女にも経済力は必要ですよ。夫だからって金も時間も吸い上げられて、ただのATMになるのはまっぴらゴメンです』
『えー? そこまで稼いでるのかしらねー? そういうことを言い出す男って、だいたいしょーもない年収なんだから』

 テレビ画面の向こうの丁々発止のやり取りを、都はせんべいを口に運びながらぼんやり眺めている。
 姉の横顔をちらっと覗き、光也は尋ねた。

「姉ちゃんはさ、なんで結婚しようって思ったの? この人がいいっていう決め手とかさ、なんかあったの?」
「あー?」

 二枚目のせんべいに伸ばしかけた手を、都はぴたりと止めた。
 ――食べ過ぎてはいけない。
 なにしろ今日は久しぶりに家族揃って外食するのだから、せいぜい腹を減らさねば。

「そりゃ、あいつがどうしてもって言うから。こりゃいい奴隷が手に入ったわーと思って」
「どれい」

 まさに先ほどの番組中でも語られていたとおり、既婚男性はよく自らの身の上を「ATM」などと嘆く。奥方にとって夫とは、自由に金が引き出せる存在でしかないというわけだ。
 しかし、奴隷とは――。それよりもヒドイ。いや、ムゴイではないか。
 本来夫婦は平等であるべきなのに。光也は衝撃を受けた。
 姉はそんな非道な考えを持つ、毒婦だったのか。
 確かに昔から厳しいし乱暴だしガサツな女ではあったが、同時に男らしく竹を割ったような性格で、光也は都のことを、姉というよりは兄の如く尊敬していたのに。

「あんまりじゃねえの? そういう言い方……」

 光也は体の向きを変えて、都を見据えながら責めた。
 しかし都もまた心暗いことなど一切ないとばかりに、正々堂々と弟に向き直る。

「なにが? あいつは望んで奴隷になったんだから、幸せに決まってるでしょう? 不満なんてあるはずないよ」

 きっぱり言い切り、都は不敵に笑う。その顔が光也には、幼い頃、悪のボスを演じていたときの彼女と重なって見えた。
 なんと醜悪で、不遜で、禍々しい笑みであろうか。
 光也は眉根を寄せた。

「俺、ぜってー、結婚なんてしねーぞ……」
「しないんじゃなくて、できないんでしょーが。日本語は正しく使いな」
「別にできなくねーよ! こう見えても、結構なあ」

 姉弟で言い合っていると、麻衣子がバタバタと元気良く走ってきて、光也に体当たりした。

「みつやお兄ちゃん、おひざ乗せて!」
「うん、いいよぉ」

 真っ黒な髪を切り揃えたばかりの、おかっぱ頭の姪が笑うと、ますます可愛い。
 光也は相好を崩しながら、ねだられるままに麻衣子を膝に乗せた。

「あー、おせんべい! まいこも食べる!」
「晩御飯食べられなくなるから、やめときな。牛乳飲む?」
「のむー!」

 よっこいしょと、都は年寄りくさい掛け声と共に立ち上がり、大きなお腹を抱えながら台所へ向かった。
 麻衣子は光也の膝の上でテレビのリモコンをいじると、いつも見ているらしい子供番組にさっさとチャンネルを変えてしまった。

「みつやお兄ちゃん、いつまでいるのー?」
「明後日には帰るよ」
「えー! もっといっぱい、いればいいのに! お兄ちゃんがいないと寂しいよ! 麻衣子ねえ、お兄ちゃんのカノジョになりたいのー!」
「そうかー。お兄ちゃんも、麻衣子が大好きだよぉ」

 あまりの愛らしさにメロメロになりながら、光也は姪の頭を撫でた。
 こんな娘が欲しい。が、そのためには、嫁というモンスターを捕まえ、その奴隷にならなければいけないわけで……。
 そんなの嫌だ。しかし、子供は欲しい。
 激しいジレンマが光也を襲う。

 ――聞いてみたい、あの男に。
 自ら奴隷となることを志願したに等しい都の夫に、その心境を。

 その哀れで、かつ男気のある人物の名は、橘 葉多たちばな ようた
 光也の幼馴染でもある男である。

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