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5話(終)
5.(終)
しおりを挟むしんみりと物思いに耽ってから、キャシディーは我に返った。
そういえば、アロイスと二人きりだ。
「………………」
そんな場合ではないと思うのに、胸がときめき、勝手に顔が赤くなる。
キャシディーはアロイスの様子をちらりと覗き見た。
アロイスもまた何か思うところがあるらしく、視線をぼんやりと宙に漂わせている。
火傷によって爛れたその肌も、キャシディーはもう恐ろしくはなかった。
アロイスはこういう顔なのだと、思うのはそれだけだ。
しばらくの沈黙ののち、アロイスはぽつりとキャシディーの名を呼んだ。
「キャシディー」
「はい?」
そのあとの行動は、軍人らしく素早かった。
キャシディーの手を取ると、甲に口づけ、床に跪く。そして、言った。
「私と結婚してくださいませんか?」
「え?」
そういえば色々あって忘れかけていたが、この人は先ほどのアーレンスとのやり取りにおいて、宣言したではないか。
キャシディーを妻にしたい、と。
「だ、え、でも、あれは、アーレンス様からあたしを助け出すための、方便だったのではないのですか!?」
アロイスの台詞が脳内で反響して、キャシディーの頭をぐらぐらと揺らす。
椅子に座っていて良かった。立っていれば、間違いなくひっくり返っていただろう。
「この間は、『カーク・カッツェ』でひどいことを言ってしまい、申し訳ありませんでした。でもあれは、あなたを否定したり、侮辱しての言葉ではありません。私も混乱していたのです。あなたの真心のこもった……その、は、激しい奉仕は、あれは娼婦として当たり前のことなのか、それとも特別にしてくださっているのか、分からなくて」
「それは……!」
アロイスへの、なんというか一種の「贔屓」を、キャシディーは誰にでもしているわけではない。
娼婦としては失格なのかもしれないが。
「正直、今でも分かりません。あなたが私をどう思っているのか。だが、私はもう自分の気持ちを抑えることができない。――愛しています。どうかキャシディー、私の妻になってください」
「……!」
歓びに瞳を輝かせ、だがキャシディーはすぐに俯いてしまった。
沈んだ面持ちの愛しい女に、アロイスは落胆したように尋ねる。
「やはりあなたのような素晴らしい女性に、私は相応しくありませんか……?」
キャシディーは首を振った。
「違います! だって、あの、あたしは娼婦なんですよ!? 普通のお嫁さんになれるとは思えないわ。たくさんの男と寝たもの。――汚れているんです」
「ですが、その過去があってこそ、私が愛しいと思うあなたになったんです」
普段口答えなどしない、おとなしいアロイスが、今日は積極的に食い下がってくる。
「つらい仕事だったでしょうが、私はあなたを汚いなんて思わない。――ですが、あなたがほかの男に抱かれるのは我慢ならないから、早く結婚して、私だけのものになって欲しいのです」
器の大きいような、小さいようなことをねだるアロイスを、キャシディーは可愛いと思った。
でもだからこそ――愛しいと思うからこそ、求婚を受けてはならない。
「それだけじゃないの。あたしはきっと、世界で一番汚い女なんです」
キャシディーは跪いたままのアロイスの顔に、手を伸ばした。
「あたしはね、あなたのことを勝手に好きになって……。お店にいつ来てくれるのかしらって、ずっと楽しみだった」
「キャシディー……」
「そして、あなたが初めてこの傷を見せてくれたとき――。こんなに酷い傷跡なんだもの、きっと熱くて痛くて、とても苦しんだろうと分かっているのに、ああ、良かったって。――あなたがこんな顔になってくれて良かったって、そう思ったのよ」
涙が滲むのは、恥ずかしいから。
本当の自分を晒すのが、恐ろしいから。
――嫌われたくない。だが愛しているからこそ、隠してはいられない。
愛する人には、幸せになって欲しいから。
こんな女ではなく、身も心も美しい相手と、結ばれて欲しいのだ。
「だってあなた、英雄なんでしょう? あなたが素晴らしい男性だって、娼館で少ししか会えないあたしにだって分かるわ。そんな人と娼婦であるあたしが愛し合うなんて、普通だったらありえない! ――でも醜い顔のあなたなら、もしかしたらチャンスはあるかもしれない! 汚れたあたしのことを、拾ってくれるかもしれない!」
「……!」
告白を続けるキャシディーの目の前で、アロイスは凍りついたように動かない。
「だからあたしは、あなたが化け物みたいになって良かったと……! あなたが呪ったであろう運命に、喝采を送ったのよ!」
最低で、最悪な。
こんな女がアロイスを「愛している」などと口にすることは、美しいものを作り、世界に与えたもうた神への、冒涜かもしれない。
「……なぜそれを、言ってしまったんです? 黙っていれば、あなたの望みは叶ったのに」
「だってあなた、あまりに純粋なんだもの。――バカみたいよ。こんな娼婦に、簡単に引っかかっちゃって」
「……………」
アロイスは立ち上がったものの、それ以上動かず、黙り込んだ。
――どうしたんだろう……?
怒らせたにしても、様子が変だ。
キャシディーが心配そうに見守るその最中、突如アロイスの太い声が部屋の空気を震わせた。
「はははははッ! あはははははッ!」
「……!?」
アロイスは文字どおり、腹を抱えて笑っている。
憤りが頂点を越えて、頭がおかしくなってしまったのだろうか。
キャシディーが狼狽えている間にも、男の哄笑は高らかに響き、やがて小さくなった。
「『英雄』に、『素晴らしい男』。他人の口から出れば虚しいだけの褒め言葉も、あなたから言われれば、こうも甘く聞こえるとはな。仰るとおり、まったく私は、バカで単純だ」
アロイスは眦を吊り上げ、迫力のある笑みを浮かべている。
「傷が癒えても、この顔だ。人と接するのが怖くなって、だが一人は寂しくて、私はどんどん卑屈になっていった。あなたと出会ってだいぶマシになったが、それでもまだ何か欠けているような気がしていたが……。そうだ。これだったんだな」
そう言って、アロイスは拳を心臓に当てた。
「――自信」
男が男として生きていくための――。
アロイスはキャシディーを見下ろし、ニヤリと唇の端を上げた。その笑みはよく知っている彼のようであり、初めて見る男のようでもあった。
「お、怒らないんですか……?」
「怒る? なぜ? あなたのその暗い執着が、私に自信をくれたんだ。こんな私を、自身を外道に貶してまで、欲しいと言ってくれる。私にも価値があるのだと、思わせてくれる。――私にとってあなたの願いは、世界で一番汚く、そして綺麗だ」
椅子からキャシディーを抱え上げて、アロイスはもう一度懇願した。
「結婚してください、キャシディー」
「でも、あの……」
「いいえ、ダメとは言わせません。この顔で生きていくよう望んだのは、あなたです。ならば責任を取って、側にいてくれなければ」
「えっ」
すっかり話が摩り替わっているような――。
だが頬に、唇に、次々と降ってくるキスに溺れて、もう何も言えない。
――ただ一言だけしか。
「わ、分か……っ! あたし、あなたのお嫁さんに、なり、ますっ……!」
――世界で一番汚れた花嫁でもいいと、あなたがそう言ってくれるなら。
こうしてキャシディーは、故郷を追われた十年ぶりに、ようやくあるべき場所に収まったのだった。
その後のことを少し話そう。
『カーク・カッツェ』は相変わらず、そこそこ繁盛している。
オヤジさんも元気で、店の娘たちの尻に敷かれ続けているらしい。
『黄金ウサギ』のフロレンツィアも、色街のトップの座に君臨し続けている。
アンナはあのあと、結局店を辞めてしまった。しばらくはアーレンス家から支払われた、相場よりもかなり高額な慰謝料で遊び暮らしていたが、それを使い果たすと、仕方なく昼の仕事に就いた。そしてそこで知り合った平凡な男と所帯を持ち、五人の子を産み育てた。
野心家だった彼女も、最後は自分に相応しい居場所を見つけたのだろう。
ダニエル・アーレンスは、その素行が遂に父君の耳に届くこととなった。軍隊をクビになり、勘当同然に家を追い出されたとのことである。だがそれは、ある意味、彼にとって幸福なことだったかもしれない……。
その後の消息は不明である。
そして、アロイス・バーレ。
軍隊への復職は、諸々の理由により叶わなかった。しかし上層部に強く請われ、新設された高等士官学校の主任講師として、転籍することとなった。
アロイスは指導者としての才にも恵まれており、優秀な軍人を数多く育てた。
私生活も円満であったという。美しい妻の名はキャシディーといい、夫をよく支えた。二男一女をもうけた二人は、生涯仲の良い夫婦だったそうだ。
晩年、アロイスが同校の校長に就任する頃には、火傷で崩れたその姿を蔑視する者は一人としていなかった。むしろ彼の、老いても健在であった高い戦闘能力と、穏健で誰に対しても礼儀正しい振る舞いは、多くの尊敬を集めたという。
そして。
成功の秘訣を問われるたび、アロイスは、「今の自分があるのは、妻のおかげです」と、どこか意味深に微笑むのであった。
~ 終 ~
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